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                                【自己紹介】自分探しで見つけた大切なもの
                                2022/03/23
                                初めまして。
                                埼玉県坂戸市在住の占い師、yuuです。

                                占い師として起業して3年ほど経ちますが(2022年3月現在)
                                それまではまさか自分が占い師になるとは露ほども思っていませんでした。


                                私は以前、夫婦の悩みや子育ての悩み…さまざまなことを一人で抱え続けた結果、精神科のお世話になるほどに心が疲弊してしまい“適応障害”と診断されました。
                                それまで我慢という名の蓋で抑え込んできた『辛い』『苦しい』が堰を切ったように溢れ出し、本音を誤魔化し続ける生き方に限界を感じてしまったのです。

                                そこから少しずつ自分探しをするようになり、ずっと目を逸らしていた自分の本当の気持ちに意識を向けるようになりました。

                                過去抱いていた夫婦の悩みも子育ての悩みも今はすっかり癒えましたが、その道中は必ずしも易しいものではなく『従来の我慢する生き方に戻った方がラクなんじゃないか』と何度めげそうになったかわかりません。
                                そんな中でいつも私を励まし寄り添ってくれていたのが占いだったのです。

                                誰にも弱音を吐けず相談できず「助けて」の一言がどうしても言えず、一人苦しんでいたあの頃の私が、『もっと自分に優しくしたい』『もっと自分を大切にしたい』と思えるようになったこれまでの話を、今日は少し書いてみようと思います。




                                私が自分探しをするようになったのは、初めての子育てがきっかけでした。
                                “自分探しを始めた”というよりは、“自分の人生に疑問を抱いた”が当時の心情にしっくりきます。

                                私は子育てを「大変だ」と言うような母親にはなりたくありませんでした。
                                虐待の痛ましいニュースを見ては「子供が子どもを産むのがいけないんだ」とコメンテーターと一緒になってその母親を非難していました。

                                待ち望んでいた念願の我が子。愛情いっぱいに育てようと思いました。
                                「泣いてる顔も可愛い」と愛情で包んであげられるような、そんな聖母のような優しい母親になりたかったのです。
                                実際私の母親はマリア様のような人でしたし、私も強く美しく優しい母のようにきっとなれると信じていました。

                                ところが産院から退院して1週間も経たぬうちに、大変さを実感してしまったのです。
                                泣いてる顔が可愛いなんて思えない。なぜ泣いているのかがわからず、どうしたらいいのかもわからず、睡眠不足は特に辛い。
                                なのにそんな“出来ない自分”が悔しくて認めることが出来ませんでした。

                                母にすら「大変」が言えませんでした。当時書いていたブログには『子育て楽しい〜』『大変なんて思ったことない』と偽りの自分を綴る日々。

                                だけど本当は家事も手伝って欲しかったし、手伝えなくてもいいからせめて出来ないことを許して欲しかったし、一言「お疲れさま」が欲しかったのです。
                                弱音や愚痴をせめて吐かせて欲しかった。ワンオペ育児も辛いけどそれを言えないことが何よりも辛い。

                                頑張っても、頑張ろうと思っても頑張り切れない不甲斐ない自分。愛情いっぱいに包みたいのに『早く泣き止んで欲しい』と願っている自分。母のようになれなかった自分…

                                あれだけ見下していた虐待のニュースも他人事ではなくなっていました。その母親たちの気持ちがわかる…一歩間違えたら私も“そう”なる危険性が十分にあると思ったのです。

                                これまで積み重ねたはずものがガラガラと音を立て脆く崩れていく。あんなに頑張ったのに、やっと信頼を回復できたと思ったのに…

                                そう、私は元来非常識で親の期待に応えられない子どもでした。どれだけ両親に迷惑をかけ、どれだけ信用を失ったかわかりません。
                                それを直そうと、ちゃんとした人になろうとずっと頑張って努力したつもりだったのです。
                                夫にも認めて欲しかった。もう非常識だなんて言われないように…

                                それが出産、育児をきっかけにボロボロと見窄らしく剥がれ落ちていく鍍金。気付けば夫婦間の溝は深くなり、喧嘩も絶えず、そんな環境が息子にも申し訳なく…罪悪感と自己否定とパートナーへの恨みでいっぱいになった私の心は精神病への一途を辿るしかありませんでした。

                                適応障害と診断された時、心底ほっとしたのを覚えています。病名がついたのです。もう頑張らなくていい、やっと弱音が吐けるという深い安堵。
                                病気は「大変」すら言えなかった私のいい口実になってくれました。本当はずっと辛かった心の内を叫べるようになったのです。

                                とはいえ夜は眠れず朝は起きられず、仕事は遅刻や早退を繰り返すようになり、日常生活も儘ならず感情のコントロールも効かない病気は決して楽なものではありませんでした。
                                それでもあの時適応障害にならなければ、今も私は自分の本音を無視したまま偽りの自分の悦に浸り、自分に強いた我慢を他人に求め公害のようにきっと生きていたのでしょう。

                                『本当にこのままでいいのか?』という自分の生き方に対する疑問符が、私を自分探しの道へと誘う大きなきっかけとなりました。



                                そんな漠然とした疑問を鮮明にしたのは、書店でのある一冊の本との出会いでした。
                                鏡リュウジさんの「牡羊座の君へ」
                                その表紙に書かれた言葉にドクンと鼓動が跳ねるのを感じたのです。


                                本当にやりたいこと、してる?


                                『…してない。…え?していいの?』
                                即座に自分の内から返ってきた本当の声。 それはいつか綴った偽りの言葉とは違う、体温を帯びた生の声でした。

                                少し戸惑いを感じた後、何かを決意するように私はその本を手にレジに向かいました。
                                まるで悪いことでもしているかのよう。一緒に買い物に来ていた家族に見つからないように急いで会計を済ませたのを覚えています。

                                帰宅後、タイミングを見計らって一人隠れてコソコソと読んだその本に、私は動機が止まりませんでした。
                                それまで天動説を信じていた人が地動説を証明されたような、まさに“天地がひっくり返る”ほどの強い衝撃。
                                そこにはこれまで「良くない」と言われ思い込んできた私のさまざまな短所や問題が、まるで素晴らしい個性のように堂々と描かれていたのです。
                                それは私が憧れた人物像全くそのものでもあり、初めて心の底から『この私に生まれて良かった』と真に思えた奇跡の一冊でした。

                                もし“これ”が本当に私なら、もう誰かや何かに認められるために自分を偽りたくなんてない———

                                それはまだほんの小さな火種でしたが、確かな希望の灯となりました。
                                力強さを思い起こされ、半ば諦めていた自分や自分の人生にまた期待が持てるような気がしたのです。

                                そしてそのきっかけとなってくれた鏡リュウジさんに興味を抱きました。占いや占い師というものに、ハッキリとした憧れを抱いたその最初の種でもあったのです。



                                ところで、その頃の私といえば依然夫婦間の問題に頭を抱えており、『結婚相手が悪かったのだ』と相手を恨み不平不満を募らせては、別居や離婚騒動を繰り返していました。

                                2014年の春———息子が年中に上がる頃、何度目かとなる離婚騒動を起こした私は息子と2人で住むマンションも契約し、一人で生活をしていくためにと初めてフルタイムで派遣の仕事を始めました。

                                雰囲気も良く仲の良い友達もでき、仕事にやりがいも感じられた大変恵まれた職場でしたが、息子を誰かに預けなければ働けないという働き方を、果たして本当に望んでいるのだろうかと自分を見つめ直すきっかけにもなりました。

                                私はそれまでバイトやパートの経験しかなく、働いた時間に比例した収入の得方しか知りませんでした。
                                息子の幼稚園でイベントがある時や急に体調を崩した時などは頭を下げて休みをもらうしかなく、当然その分収入は減り、補う為には勤務時間を増やすほかありません。それには息子を預けることが必要で…
                                これは私の実家が山形で頼れる親族が身近にいなかったからこそ、真剣に悩めた問題でした。

                                もちろん世の多くのお母さん達がそのように頑張っていることは百も承知です。しかし“私が”本当にそれを望んでいるかというのはまた別の問題だったのです。

                                私には本当は欲しいものもやりたいことも沢山ありました。「牡羊座の君へ」のおかげでやっと気付けた私の本音はもっと欲深いものだったのです。
                                小さなことから大きなことまでもっと自分の望みを叶えたい。息子の望みも叶えられるようになりたい。
                                日々の生活だけでなく喜びのためのお金も得たいと思った私に、時間に比例した収入の得方は限りがあるように感じられました。

                                もっと収入を得たければもっと働く時間を増やすしかない。でもその為に大好きな息子との時間を減らすのは絶対に嫌でしたし、何よりもう二度と自分に鞭打ちたくはなかったのです。

                                たとえ我が儘でも非常識でもそれが偽りのない本音です。もっと自分らしい人生を歩む為にまずは働き方を見直すことにしました。




                                「エステティシャンとか興味ない?」

                                ちょうど転職先を探していた頃タイムリーな友人からの一言で、私は兼ねてから憧れのあった美容業界に転職しました。それは初めてとなる完全歩合制の仕事で、収入に時間が比例しないという私にとってまったく新しい働き方だったのです。

                                出勤時間も出勤日数もすべて自分で決められました。出勤すればお金が得られるというこれまでの当たり前は通用しませんでしたが、自分で決められる自由と責任感、好きな仕事をしているという充実感で私は水を得た魚のようになり、この仕事をきっかけに起業を考えるようになりました。

                                最初はそれまでの仕事の延長でセラピストになろうと考えました。スクールに通ったり、講座や資格もたくさん取りましたが、そんな中で私はマヤ暦との出会いを果たしたのです。

                                きっかけは施術を学ぶために通っていたスクールでした。そこの講師の知人のヒーラーさんが「最近マヤ暦の勉強を始めた」という話を聞いたのです。

                                マヤ暦という言葉を聞いた瞬間、稲妻が走るような衝撃を感じました。マヤ暦が何かもわかりませんでしたが、まるでそれが自分の道であるかのような確かなものを感じたのです。

                                すぐに講師を通じてヒーラーさんにセッションをお願いし、私のマヤ暦を視てもらいました。そしてヒーラーさんにマヤ暦の先生を紹介してもらい、私もマヤ暦を学べることに。

                                これは私の人生に於いて大きな転機となりました。というのも占い師などのスピリチュアルな職業は、特別な力を持っている特別な人だけが成れる職業だと思っていたからです。

                                勉強すれば私でもスピリチュアルな仕事ができるんだ…

                                このことが本当に嬉しかった私は初回のマヤ暦の講座を受けたその日「勉強がてら見させて下さい」と当時やっていたFacebookで希望を募り、気付けばわずかひと月半の間に100人超もの鑑定をしていました。

                                マヤ暦は本当に興味深く、これまでずっと悩んできたパートナーや子育ての悩みがまるで知恵の輪を外すようにスルスルと解けていくのがわかりました。

                                私のせいではなかったのです。夫は夫のまんまでしたし、息子も息子のまんまなだけでした。

                                保育園や幼稚園で何か問題らしきことが起こる度、私の育て方のせいだとか、夫婦仲が悪いせいだとか、私なんかが母親じゃなければこの子はもっと幸せだったんじゃないか…と自分に原因を探してはずっと自分を責め続けてきました。
                                でも私がどんな母親でも息子は息子のままだったのです。どんなにホッとしたかわかりません。息子は息子のままで居てくれたのです。

                                夫のこともそうです。マヤ暦で自分や相手のことを知る中で、当時の夫婦間の亀裂にも納得がいくようになりました。私があの頃必死だったように夫も必死だったのだと。
                                自分一人がまるで被害者で、夫を加害者のように恨んでいましたが、お互い初めての育児でただ息子が大事だっただけなのだと、ようやく気付くことができたのです。

                                とはいえすぐに夫婦仲が改善することもなければ、子育ての悩みがなくなることもありません。これまでの人生で身についた思考の癖や、潜在意識などの染み付いたものが、急に変わることはないからです。

                                マヤ暦がいくら救いになったとはいえ、それは急に世界が180度変わるような秘薬でも魔法でもないのです。それでもまた悩んだり迷ったりした時に頼れる何かがあるというのは、非常に心強いものでした。私はこのマヤ暦と共に自分らしく生きるという道を模索することにしたのです。




                                そしてこのブログを書いている今、あれほど悩んでいた夫婦や子育ての悩みはもうありません。

                                「マヤ暦のおかげです」と言いたいところですが、直接的にはマヤ暦のおかげではありませんでした。

                                もちろんマヤ暦などのスピリチュアルなことは、癒えるまでの過程において心強いサポートとなってくれました。しかしあれほど苦しかった悩みが癒えたのは、私の意識の変化が大きかったと思います。

                                それは自分のために生きるということ。

                                これは日本人にとっては特に美徳に反するものかもしれませんが、誰かのために生きるという生き方が結局、誰かのせいを生んでいたのです。

                                『結婚相手を間違えた』と相手にせいにばかりしていた私が、相手を変えようとしなくなったのは、自分に集中するようになったからです。
                                詰まる所私はずっと誰かや何かに幸せにしてもらおうと無責任に寄り掛かってばかりいたのです。

                                自分探しを始めてから少しずつですが“自分の足で立つ”意識が芽生え、誰かや何かに託すのではなく『自分で自分を幸せにしたい』と思えるようになりました。

                                息子に関してもそうで、自分の人生に集中し始めたことで過干渉することがなくなりました。自分に優しくした分だけ息子にも優しくなれたのだと思います。
                                思えば自分にたくさん我慢を強いていた頃は、息子に対しても同様に多くの制約を求めていました。自分は自分で立つという意識が他者への尊厳に繋がるんですね。




                                今だから言えることがあります。あの頃一人悩み苦しんでいた頃の私へ「大丈夫、あなたのせいじゃない。安心して大丈夫だよ」と。

                                世界中の誰よりも、あなた自身があなたを責めていることを知っています。どんなに歯を食いしばったか、その努力を、我慢の日々を知っています。たった一言「助けて」が言えずにすでに限界を超えていることも知っています。身近な誰にも相談できず、顔も知らない第三者機関へ泣きながら電話したことも知っています。ずっと誰かや何かに助けて欲しかったことも知っていますが、本当はあなた自身にその力はあるのです。

                                一つ一つ許していくこと。ゆっくりゆっくりで大丈夫です。怒ること、悲しむことを自分に許可してあげて下さい。出来ないこと、頑張れないことも少しずつ許してあげましょう。本当はかけて欲しいその言葉を自分で自分にかけてあげて下さい。

                                そして誰かに認められるための誰かに嫌われないための一切の努力を手放したその先で、そのまんまの自分でのびのび生きていくというのが私の理念であり本望です。

                                自身の人生で実践したその生き方から得た体感を、占いに乗せて伝えるのが占い師ではないかと私は考えます。心からの愛あるメッセージが伝えられるように、そのまんまの自分で愛される生き方にこれからも挑戦していこうと思います。




                                2022.3.23 yuu
                                【自己紹介】自分探しで見つけた大切なもの
                                【自己紹介】自分探しで見つけた大切なもの
                                【新・解読の書】あなただけの物語へと誘う鑑定書
                                2022/05/16

                                たとえば一口にラブストーリーと言っても


                                学園を舞台にしたハチャメチャで元気いっぱいの物語もあれば

                                不倫や禁断の愛をテーマにしたダークでディープな物語もある。





                                私たちにはそれぞれこの人生で味わいたいテーマがあって

                                その道で味わいたい感情があって

                                大切にしたい思いがあって


                                その道に出会えた時

                                震えるような感動に出会えるんだよ———












                                3年ほど前、突如思い付きで

                                「占い師になります!」と宣言した私の

                                背中を押してくれた鑑定書がありました。


                                “解読の書”と名をつけたその鑑定書は

                                ドラクエ大好きだった私が

                                『本当はこんなのを作りたい✨』と

                                ずっと思い描いていた理想を形にしたもので


                                ある日突如思い立ったように

                                「占い師になります!」と宣言した私に

                                すぐに舞い込んできてくれた初めての“占いの仕事”でした。





                                自分の“好き”をいっぱい込めて

                                丁寧に丁寧に作った初めての鑑定書。


                                私としては感動の出来だったけど

                                これを受け取った方も同じように感じてくれるか、

                                満足してくれるかはわかりませんでした。





                                不安とドキドキで送った鑑定書。

                                返ってきたのは、想像もしていなかったようなありがたい言葉。


                                「今まで色んな占い見てきたけど、ビックリするくらい当たってて

                                ほんと家に隠しカメラでもありますか??って言うくらい」

                                「冊子を開いた瞬間に涙が止まらなくなりました」


                                私に宛てたメッセージのほかに、ブログにも書いてくれていて。

                                嬉しかったな———

                                だって私にとって初めての口コミだったから。





                                大好きな憧れの占い師さんからもお申込みがあったり

                                雑誌にも載ることが出来たりと

                                解読の書は私の夢をたくさん叶えてくれました。





                                そんな解読の書も

                                私の中で一区切りつけたいような思いもあり、

                                昨年受付を終了してしまいましたが


                                ホームページも開設し

                                占い師としての思いも新たになっている今、

                                デザインも内容も大幅に変えて

                                新・解読の書の受付を開始したいと思います。










                                解読の書はドラクエ大好きだった私が

                                ドラクエのワクワクを詰め込んで作った鑑定書。


                                “天国と地獄の書”がその世界のすべてを綴った攻略本なら

                                解読の書はその人だけのストーリーを綴る冒険の書。





                                自分がどんな道を選んできたかなんて

                                知ってしまったらつまらないような気もするけれど

                                でも私は本当に感動したのです。


                                これまでマヤ暦や占い、セッションや鑑定書で、

                                色んな人が色んな言葉で伝えてくれた私の物語に。





                                そこには本当はずっと求めていたものがあって

                                本当はずっと歩みたい道がありました。


                                だから諦めずにいられたのです。

                                私は私の道を歩くことを。


                                何度くじけそうになっても、何度その本望に目を背けてしまいそうになっても。





                                まるでRPGの壮大な世界を冒険するように

                                ワクワクと自由と無限の可能性を詰め込んで。


                                私を占い師にしてくれた鑑定書、

                                デザインも内容も新たに受付開始します✨


                                お申込みは▶︎こちらから






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                                2022/01/14
                                日頃より、“Hasyu-ka(ハシュウカ)”をご利用いただき、誠にありがとうございます。
                                この度、“Hasyu-ka(ハシュウカ)”は公式ホームページを立ち上げました。
                                今後はこちらのホームページから、“Hasyu-ka(ハシュウカ)”の情報や様々なお知らせを発信していきたいと思っています。
                                最新情報はぜひ当ホームページからご確認ください。
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                                そのまんまの自分で愛される生き方へ
                                2022/03/31
                                もし誰もが皆やさしくて明るくて社交的なキャラばかりだったら、その物語は果たして面白いのかな。
                                素直になれなくて捻くれたり、短気だったり、陰気だったり…同じ思いを抱えながらも誰かは王道を歩んだり誰かは陰に傾いたりするから、それぞれの人生が交差して感動を生むと思うんだよ。




                                まだ独身の頃だったと思う。
                                とある番組に某夫妻が出演していて、夫婦円満の秘訣や育児の話など、番組側からのさまざまな質問に答える2人の姿を何ともなしにボーッと見ていた。
                                その中で「結婚の決め手はなんですか?」と訊かれた奥様のその返答が印象に残った。

                                「自分を変えずに居られる人だったから」









                                まだ家制度の残る田舎で女姉妹の長女として生まれた私は、物心がつく頃には“家を継ぐ”というレールがすでに敷かれていた。まったく望んでもない未来がすでに決定付けられた絶望。

                                “長女”への期待かプレッシャーかなかなか厳しい環境下で育ち、特に父は恐ろしい存在で、とにかく父に怒られないようにと言葉通り息を潜めて自分を殺して生きていた。

                                笑うことも許されず、些細な失敗さえ罵倒の対象で、他愛のない会話は制圧され、感情や思考に自由はない。
                                その結果、無表情で無口でなんの感情も抱かないことが、父の怒りを最小限に抑え自分の心を守る術となった。
                                世の中で“父のいる自宅”ほどいたくない場所はなかった。学校で友達に見せる顔とはまるで違う。妹とゲラゲラ笑っていても父の気配がした瞬間に静まり返る。

                                それが私の当たり前だったので、いつか目の当たりにした友達の姿に筆舌尽くし難いショックを受けた。

                                私(友達)に話すのと同じように両親とも会話する友達。


                                『なんで?』
                                『怖くないの?』
                                『怒られないの!?』


                                なぜ親と笑って話せるのか、なぜお父さんは怒らないのか、なぜ友達は安心しているのか…
                                私にはわからないことだらけで、だけどとても羨ましかった。

                                愛されて育ったのが私にもわかる。お父さんの愛が私にまで伝わる。
                                友達もその愛を素直に受け取り、そして友達がただそこに居ることがお父さんの幸せなのだろうと思えた。

                                一方の私は父から逃げるように家を出ても、結局同じことを繰り返していた。
                                パートナーが帰宅すると緊張が走る。外での私と家での私が相も変わらず違うまま。


                                「自分を変えずに居られる人だったから」

                                テレビから聞こえたその言葉は、私がずっと求めていたそのものだった。
                                自分を変えず偽らず安心して自分のままで居られること。そんな風に私も私のままで生きられたらよかったのに———








                                生まれた家のせい
                                相手のせい

                                それが私の常だった。

                                あたたかい家庭だったら…愛されることを知っていたら…
                                優しい人だったら…否定しない人だったら…と。

                                適応障害になってホッとした。もう頑張らなくていい。もうきっと許してもらえる。
                                私はいつも“される側”で被害者の意識で相手を恨んでいた。
                                いつも誰かや何かのせい。病気になったことも何もかも。

                                だけどそうじゃないってやっと気付いた。叶恭子さんの言葉だった。


                                あなたが自分を大切にすれば、相手も、そして世の中も、あなたを大切にするでしょう。
                                逆に、あなたが自分をないがしろにすれば、
                                「どうせ本人さえ、自分をないがしろにしているのだから」と、
                                まわりはますます、あなたを大切にしなくなるでしょう。💋✨


                                オフィシャルブログより引用



                                …自分が自分を大切に?そんなことしていいの……?

                                驚いて、そして嬉しかった。
                                自分で自分を大切にすること。
                                だって待たなくていい。誰かに大切にされることを。


                                もう私は被害者じゃなかった。本当はずっとして欲しかったように私が私を大切にすればいい。
                                それなら誰に許可を得なくても今すぐ勝手に始めることができた。








                                とはいえ、それまでの人生で染み付いた意識がすぐに変わるはずもなく、本当に自分を大切にしていいのかと強い抵抗のなか葛藤していた。
                                自分を大切にすることはまるで相手を疎かにすることのようで、言いようのない罪悪感と『こんなことをしたら嫌われるのではないか』という不安と恐怖が凄まじかった。

                                “それまでの人生で染み付いた意識”というのはとどのつまり“条件付きの愛”だった。

                                『〜しなければ愛されない』
                                『〜しては嫌われる』

                                そうやって人に嫌われないように、人の信頼を失わないように、認めてもらえるように、愛を失わないようにと自分を脅迫し続けた結果の一つが、私の場合“適応障害”だった。

                                病気になってやっと気付いた。もうこんな生き方をするのは嫌だと。
                                だけど恐怖が不安が拭えない。生きたいように生きてしまったら信頼を失いそうで、見限られてしまいそうで。
                                そしたら私はきっと大切なものをたくさん失って“大変なこと”になると思ってた。

                                でも、居たんだ。たった一人だけ。無条件に私に愛を向けてくれる人。
                                息子はどんな私でも「だいすき」だと言ってくれた。機嫌が悪くても自己否定に苛まれても「ママがすき」だと。

                                家事もちゃんとできなければ夫婦の仲も悪いまま。我慢が足りなくて努力も足りなくて、おまけに情緒は不安定と我ながら最低な母親だと思った。

                                何度、寝顔に謝ったかわからない。

                                「こんなママでごめん」
                                「優しくできなくてごめん」

                                それでも変わらず笑顔で私を呼び屈託なく手を伸ばしてくれる我が子に、あぁ“無条件の愛”とは母の愛でなく、子の愛をいうのだと知った。


                                私は条件付きだった。授乳の回数、まとめて寝る時間、言葉の発達や社交性、協調性など。
                                なぜうちはこうなんだろう、なぜまわりみたいに出来ないんだろうと比較しては、勝手に息子を問題視し、勝手に悩んでイライラしてた。

                                息子の“問題”を改善するために、まず私の対応を改めようというのが一般的なアドバイスだった。
                                …なんだそれ。まるで“私のせい”じゃないか。
                                実際息子の“問題”は私の責任だと、ハッキリ言う人も少なくなかった。

                                そりゃそうだよね。今思えば当然だ。
                                だって私が先に“私のせい”にしてたのだから。



                                あなたが自分をないがしろにすれば、「どうせ本人さえ、自分をないがしろにしているのだから」と、まわりはますます、あなたを大切にしなくなるでしょう。

                                本当だ、叶恭子さんの言う通り。

                                しかしまだそれを知らない当時の私には、自分を責めただ刃を向けるしかなく、“誰もわかってくれない”そんな世界で、息子だけが唯一あたたかかった。




                                それから6年。
                                自己否定と罪悪感まみれで拗ね散らかしていた当時の私も、たくさんの発信者の言葉やマヤ暦の探究、様々な実体験を通して“そのまんまの私”でも随分と気持ちよく生きられるようになった。

                                具体的に“どうやって”自分のそのままを受け入れられるようになったのか、自分を大切にできるようになったのか……過去悩んでいた頃の私に話したいことはたくさんあるけれど、
                                それより何より先にまず伝えたいのが

                                安心して幸せになってもいいということ。

                                私が私を大切にするようになって、私の目に映る世界は激変した。
                                自分に優しくなればなるほどに、他者のことも気にならなくなった。
                                以前は“問題”だった息子の要素も、今はただの“個性”でしかない。

                                人との違いに寛容になった。どちらが正解か不正解かではなく、好みかどうかというだけの話。カレーの甘口が好きか辛口が好きかで、いちいち他人を責めないのと同じように。

                                叶恭子さんの言う通り、自分が自分を扱ったのと同じように世界はただそれを写す鏡だった。許せない人や事象が多いのは、それだけ許せない自分が多いだけ。

                                だけどそれを正誤で捉えるから、人は自分と違うものを否定する。どっちが正しいとかどっちが非常識だとか。

                                そうやって皆が当たり前に個人レベルでやっていることを、国レベルでやると戦争になると思うんだよ。

                                台風前にスーパーから消えた食材、コロナ禍で消えたマスク・ペーパー類。
                                そうやって“自分たちの分”を確保しようとする。そりゃ物資を巡って国同士も争うよね。
                                本当に戦争反対なら本当に世界の平和を望むなら、目を向けるのはまず自分なんだ。




                                マザー・テレサの有名な言葉。

                                世界平和のためにできることですか?家に帰って家族を愛してあげてください。
                                マザー・テレサの名言・格言より


                                今この言葉の意味がよくわかる。
                                身近な人を許容できる人が増えたら世界は確実に平和になる。
                                そして身近な人を真に許容できるのは、自分を許容した人なのだと。

                                “誰かのために”自分を抑圧する人は、結局誰かや何かのせいにする。私がずっとそうだった。
                                感謝は“沸く”ものであって愛は“芽生える”ものであって、『そうしよう』『そうしなければ』と意図してするものじゃない。いずれ必ず限界がくる。

                                だけど自分を満たして満たして溢れ出たものは、恨みにも辛みにもならなかったんだ。




                                それに政治家だって仕事だ。
                                まずは“票を集める”のが仕事なんだから、そりゃ票のために政策を打つ。

                                自分で自分を幸せにできる人が増えたら、政治家の政策も変わらざるを得ない。
                                今はまだ幸せに“してもらおう”という受けの意識の方が強いから、だからそうしてくれない誰かや何かへの不満が募る。

                                政治家も自ずと国民の不満解消が主軸になる。
                                けどもし自分で自分を幸せにできたら?勝手に幸せを感じる国民が増えたら?

                                そしたら例えば保護猫や保護犬が政策の対象になるかもしれないし、経済的な援助が必要な国への支援や、環境保護が議題のメインになるかも。




                                私が言いたいのは「だから世界平和や国のために意識を変えましょう」ではなく
                                「だから安心して自分を大切にして下さい」ということ。

                                自分を大切にすることは誰かを疎かにすることじゃない。罪悪感は抱かなくていい。

                                身体や心が満たされてさえいれば、愛しい我が子をただ愛しい気持ちで抱いていられたように、
                                先に自分に優しくしてあげられたなら、きっと内からあたたかいものが溢れ出るから。

                                優しい世界で生きたいと願うなら、どうか遠慮せずそうして下さいと———




                                私たちの個性は、人との違いは、直すためにできたものじゃない。自分が自分であることの証。違うからこそハーモニーが生まれ、違うからこそ華やかに色付く。

                                ドラえもんの世界が皆出木杉くんとしずかちゃんだったら、その物語はきっと見向きもされない。のび太もスネ夫もジャイアンもいるから、ドラえもんは面白いんだよね。

                                だから愛してみませんか。自分にしかないその色を音を。




                                オンラインでマヤ暦や占いの鑑定をしています。

                                そのまんまの自分で伸び伸びと生きていきたい方へ。
                                鑑定のお申込みはこちらから。

                                 
                                そのまんまの自分で愛される生き方へ
                                そのまんまの自分で愛される生き方へ
                                戦争のない平和な世界を望むなら…
                                2022/04/06
                                昨日まで4日間、息子の卒業旅行で沖縄に行っていました。
                                メインの目的はダイビングのライセンスの取得。 


                                2017年の夏、思いつきでボディボードを買って、
                                楽しくて毎週のように海に行っているうちに、いつかダイビングもしてみたいと願うようになった。

                                けれど、

                                まさか自分の人生で本当にダイビングをする日がくるとは…
                                ライセンスを無事に取得できた今も、ありえないほど恵まれたこのストーリーにただ驚き感動するばかり。

                                だけどそんな幸せな今も、すべての過去の上にある———




                                私はニュースを見ませんが、それでも今世界で何が起こっているかは知っています。
                                繰り返される悲しい現実。

                                どんな悲しい過去も目を背けたくなるような出来事も、そのすべてが今をつくっている。

                                だけど争いのない平和な世界を望むのは、人の自然な気持ちだと思うのです。
                                たとえ争いが過去の一部だったとしても、未来でそれを繰り返す必要はない。




                                「戦争は嫌だ」

                                そんなシンプルな子どもの思いを、それらしい言葉でこねくり回す大人がいる。
                                まるで何もかも知っているかのような顔をして、世界のこれからを酒の肴にする人も。


                                「なんで戦争するんだろう。話し合いで解決すればいいのに」

                                至ってシンプルな話なのに
                                「そう簡単にはいかない」そう弁えていくのが、大人になるってことなんだろうか。

                                おかしな話だよね。友達との喧嘩は諭すのに。




                                個人間でも意見が食い違うことはある。国同士だってそりゃ同じ。
                                その違いを認めようとせず、力でなんとかしようとするのは
                                どこかの国に限った話ではなく、私たち個人もそうだと思うのです。

                                何かを批判したり嘆く前に、せめて自分一人だけでも平和な世界を目指せばいい。
                                違いを攻撃したり正誤で争うのではなく、たくさんの違いが個性としてただ共存できるような優しい世界を。

                                それにはまず自分に優しくあることが大切だと思うのです。
                                他人を正誤でジャッジし責める人は、同じように自分をジャッジし責めているはずだから。
                                過去の私がそうでした。

                                だけど自分のそのままを認め許容しているうちに、他人との違いが気にならなくなってきたのです。
                                どちらが正しいか間違っているかの争いではなく、その色の違いがこの美しい世界をつくることを知ったから。

                                そうやって内側で広がる優しい世界を感じられるにつれ、他人への感謝も溢れるようになりました。
                                内側と同じように、外側の世界にも優しさを感じられたのです。

                                これは私の主観的な世界でしかないのかもしれませんが、だけどもし世界中のみんなが『世界は優しい』と感じていたら……?
                                その世界は間違いなく、平和な世界だと思うのです。


                                今回の沖縄旅行で平和祈念公園にも訪れましたが、平和の祈りというのはやはり愛なのだと感じました。
                                たとえ綺麗事だとしても、愛は平和をもたらすのだと。




                                私がマヤ暦で得た一番の財産もそれです。
                                未来の予知でも他人との相性でもなく、「私はこのまんまの私でもいいんだ」というその安心感から広がる平穏。
                                自分を批判することなく変えることなく、優しい世界で幸せに生きてもいいのだと。

                                占いの叡知ってそこなんじゃないかな。
                                人と自然とが当たり前に共存していた時代に、宇宙や自然を師に作られたのがきっと占いで、その目的はきっと世界との調和だったと思うから。



                                オンラインでセッションをしております。
                                内側に広がるあたたかさを感じてみて下さい。

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                                戦争のない平和な世界を望むなら…
                                戦争のない平和な世界を望むなら…
                                「どう思いたいか」は自分で選べる
                                2022/12/30

                                自分の考えや思いに対し、否定的な意見を言われると酷く嫌な気持ちになる。


                                まるで「間違いだ」と言われているようで。

                                自分の価値まで否定されているような…





                                でも、選んでいいんだよね。

                                「どう思いたいか」は本当は自分で選んでいい。


                                どちらかが正しくてどちらかが間違いでもなければ、考えの違いは存在を否定するものでもない。





                                どう思いたい?

                                どう思えたらほっとする?

                                自分が選びたい方を選べばいい。





                                ***

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                                占いを用いた個人カウンセリングを行なっております。

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                                「どう思いたいか」は自分で選べる
                                「どう思いたいか」は自分で選べる
                                パワースポットが開運スポットなわけ
                                2022/12/01
                                この世界は感情がすべて。
                                お金が欲しいのは「安心したいから」であり、その願いを叶えたいのは「叶った時の気分の良さを求めている」から。

                                なぜいわゆる「成功者」が瞑想を採用していたかと言うと、呼吸に意識を向けているうちに心地良さが感じられてくるからだ。




                                となると開運を求めてパワースポットに訪れるのも、実はめちゃめちゃ理に適ってることになる。

                                パワースポットは単純に「気分の良さをめっちゃ味わえる場所」だから。




                                エンジェルナンバーとかもそう。
                                エンジェルナンバーを見た時に「いいことありそう♪」って思えた時点でもう開運したも同然だし、虹を見れた時に「ラッキー✨」って思えるから、虹ってやっぱりラッキーなんだよね。龍とか四つ葉のクローバーも。




                                占いも、鑑定を受けていい気分になるなら受ければいいし、逆に占いをすればするほどに不安になるなら受けなくていい。


                                私は占いが大好きで、鑑定を受けるとワクワクするからまた鑑定を受けたいと思うし、

                                そんな鑑定ができる占い師でありたいと思っています。






                                ***

                                埼玉県坂戸市の占い師です。

                                プロフィールはこちら

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                                パワースポットが開運スポットなわけ
                                パワースポットが開運スポットなわけ
                                自分自身の平和な場所に戻ること
                                2022/10/28
                                出勤時ふと「今日はコンビニでラテを買っていこう」と思い、
                                なんとなく「今日はファミマがいいな」と思い⁡、
                                仕事前はわりと大きめサイズ買いがちなのが、なんとなく「今日はMにしよう」と思い、
                                ⁡レジでラテのMサイズを注文したら、好きなアニメのコラボカップが出てきた。

                                ⁡⁡⁡先月からさらに情報遮断していたので、好きなアニメのこういう情報すら知らなかったのだけど、もしいつも通りLサイズを頼んでいたらコラボカップじゃなかったんだよね。
                                ※コラボカップはMサイズのみだった

                                ⁡ほんとに些細なことだけど、それでもこういう小さな「ラッキー✨」の積み重ねが、根拠のない「大丈夫」を育ててくれる。⁡

                                自ら情報取りにいかなくても大丈夫。
                                必要なことは直感が教えてくれるから大丈夫だと———




                                そうやってコツコツコツコツ、本当にコツコツ、「安心して冒険するように生きる体感」を長年かけて培ってきました。⁡
                                たくさん遠回りをしてたくさん失敗もしたからこそ、近道のようなものもわかりました。
                                それがいかに地味で地道で、一見「大したことのない」ことであるのかも。




                                ⁡⁡⁡2013年、「もっと自分らしく生きたい」と初めて明確に意識してから早9年。
                                ようやく血肉になってきたこの感覚で「オンラインリトリート」を始めたいと思います。

                                ⁡自分に優しく、自分の望む人生を生きるための、平たく言えば「習い事」のようなものです。
                                ⁡コースは「オンラインサロン」と「個人コンサル」の2コースを考えています。
                                「⁡オンラインサロン」は習い事で言えば「クラス制」みたいなもの、「個人コンサル」はがっつり「マンツーマン」です。




                                ⁡⁡たった一度の鑑定やセミナーで、人生が変わることはありません。⁡

                                この9年間で自分軸があまり揺らがなくなったと感じられたのは、本当にこの1,2年で「ようやく」で。⁡それまでは自分の本音と目の前の現実との間で、何度迷って何度悩み、何度自分を責めたかわかりません。

                                ⁡自分が望む生き方を本当にしてしまってもいいのか、その不安もなかなか消えませんでした。⁡

                                だけど今やっと世界を信頼して、安心して生きられるようになったのです。
                                「今ここ」に留まれる時間が増えたから。
                                ⁡自分の中に本当はいつでもあった「平和な場所」に戻れるようになったからです。




                                ⁡⁡⁡「リトリート」には「戻る」や「隠れ家」などの意味があります。
                                ⁡自分自身の平和な場所に戻ること。それが私の考える「リトリート」。

                                ⁡何処にいても、今のその場所を離れなくても、リトリートってできるんですよね。⁡

                                いつか物質的な「リトリートの場所」も創りたいという思いがありますが、今は今いる場所で今できるリトリートをしてみたい。
                                ⁡私がこの9年、今いる場所で、私のまんまで、それでも見える景色が変わったように。

                                ⁡それぞれが今いるその場所で「そのまんまの私で愛される生き方」を、世界の優しさを一緒に体感していきましょう✨


                                詳細決まりましたら、改めてご案内します。





                                ***

                                埼玉県坂戸市の占い師です。

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                                自分自身の平和な場所に戻ること
                                自分自身の平和な場所に戻ること
                                「席替えてください」チャレンジ
                                2022/10/03
                                先日、洗車に行った時のこと。

                                洗車をしてもらっている間、いつもはガソリンスタンドの待合室で缶コーヒーを飲みながら待つのですが、その日はあったかいカフェラテやカプチーノを飲みながらゆっくりしたいと思ったので、そこから歩いてすぐのファミレスに行くことにしました。

                                行くと、店内はすでにお客さんでいっぱいで、空いているのは「団体客の近くの席」か「広いテーブル席」だと店員さんが少し申し訳なさそうに説明してくれました。


                                「団体客の近くの席」は、そこからすぐに見える席。
                                少し奥まった場所にあって、空間としては最高なのですが、「団体客の近くは嫌だなー」と思ったので、広いテーブル席の方をお願いしました。

                                ところがいざ案内されてみると、広いテーブル席が落ち着かない。
                                本当に広いし(6〜7人くらい座れそうな感じ!)まわりにもお客さんがいっぱいいる上に、広々としたオープンな感じの空間だったので、他人の存在を一度にたくさん感じてしまい、まったくゆっくりできなかったのです。



                                私は自分の意見や要望をハッキリと伝えられるタイプなので、もしそこで数時間過ごすつもりなら、迷わず席の移動をお願いしていたと思います。

                                だけどその日は洗車の間のたった40分。たった一杯のカプチーノを飲むだけ。
                                この40分のために、この一杯のために、わざわざ移動するのも面倒な上に、「40分しかない」時間を移動のために使うのももったいないような気がして、このまま我慢しようと思いました。でも…


                                「もし今この瞬間、世界が終わるのなら?」

                                自分にそう問いかけた瞬間、「やっぱり席を移動しよう」と思い直しました。
                                たとえ短い時間だったとしても、「もし今この瞬間、世界が終わるのなら」その瞬間はもう少し心地の良い席で迎えたいと思ったのです。



                                たった40分だから。
                                たった一杯だから。
                                わざわざ移動する時間がもったいないから我慢しよう。

                                これが私の思考の癖です。

                                「本当はどうしたいか」を考える間もなく瞬時に「広いテーブル席で我慢する方」を選択しましたが、本当は滞在時間が40分だとか数時間だとかは関係ないんですよね。「今この瞬間の私」は、広いテーブル席をハッキリ「不快だ」と感じているのですから。


                                確かに、

                                たった40分かもしれないし、
                                たった一杯かもしれないし、
                                わざわざ移動する時間ももったいないかもしれないけれど、

                                でも秒で換算したら40分って2400秒です。
                                「不快だ」と感じている今を2400秒も自分に我慢させるなんて、よくよく考えると本当に自分への扱いが雑なのです。



                                店員さんに「やっぱりさっきの団体客の近くの席に移動したい」と伝えると、イヤな顔一つせず本当に親切に丁寧に対応してくれました。

                                さらに「団体客の近く」ではあったものの、逆にいうと団体客以外近くに誰もおらず、その会話もまったく気にならなかった上に、やっぱり奥まった場所にあるその空間が居心地良く、残りの時間心からほっとしてリラックスして過ごすことができました。


                                「たった40分」かもしれないけれど、「不快なまま過ごす40分」と「心地良く過ごす40分」とではまるで違う。
                                結局その「たった40分」を雑に過ごす人は、1日をも雑に過ごすのです。
                                それが1週間となり1年となり人生になっていくのだから、「今ここ」を大切に生きるのって本当に大事ですね。


                                店員さんの優しさにも触れられて、幸せな40分になりました。
                                店員さん、本当にありがとうございました。




                                ***

                                埼玉県坂戸市の占い師です。

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                                嫉妬で終わるのは怠慢だよ
                                2022/09/27
                                「嫉妬で終わるのは怠慢だよ」
                                これは八木さやちゃん(現:吉野さやかさん)が数年前に言っていた言葉です。

                                私はとても嫉妬しやすい性質で、
                                当時、自分のうまくいかない現実を嘆いては、うまくいっている誰かに嫉妬ばかりしていた私は、
                                「嫉妬で終わるのは怠慢だよ」というさやちゃんの言葉に、

                                「嫉妬って悪いことなのかな…」
                                「だから私はうまくいかないのかな…」
                                と、自分を責め落ち込んでいました。

                                さやちゃんは私の憧れの発信者の一人で、その憧れの気持ちが大きいからこそ、さやちゃんの言葉は私にとって影響力の強いものでしたが、
                                中でも特に「嫉妬で終わるのは怠慢だよ」というこの言葉が強く残ったということは、「その言葉に強く反応する何か」が私の中にあったということ。

                                さらに、さやちゃんが嫉妬という感情を一概に「悪いもの」にするとはとても思えなかったので、どういった真意がこの言葉に込められているんだろうという探究心もまた、この言葉が気になった理由の一つでした。




                                ところで具体的にどんなことで嫉妬していたかというと、例えば乗馬クラブで「親子で十分に乗馬を楽しむだけのお金を、旦那さんに出してもらっている人」などがその対象でした。
                                当時私は、息子と一緒に入会した乗馬に無我夢中になっていましたが、その楽しみの裏には常にお金に対する不安があり、

                                「今月も無事に乗馬続けられるかな…」
                                「乗馬代払えるかな…」
                                と、プレッシャーに押し潰されそうな中、何とか乗馬にしがみついている状態でした。

                                だから「親子で十分に乗馬を楽しむだけのお金を、旦那さんに出してもらっている人」に嫉妬していたのです。
                                「自分で働いて得たお金で、十分に乗馬を楽しんでいる人」に対しては、純粋に「すごいな✨」「私もそうなりたいな✨」という憧れを感じていましたが、
                                旦那さんの理解とサポートの元にそれを叶えている人に対しては「ずるい」という嫉妬心しか芽生えなかったのです。

                                なぜなら私も「理解されて、応援されて、安心して」乗馬を楽しみたかったから。
                                理解されず、応援されず、なんとか必死で乗馬にしがみついていた私は、私にないものを持っている目の前の誰かと比べては、悔しさと嫉妬の濁流に飲まれていたのです。




                                そうなんです。嫉妬って「憧れの裏返し」なんですよね。
                                「それ」を自分も望んでいるからこそ、嫉妬したり憧れたりする。

                                そもそも嫉妬や憧れの感情がなぜ湧くか?って「そこに自分のカケラがあるから」なんです。
                                自分にもその種があるからこそ、それを存分に開花させている誰かに嫉妬したり憧れたりするのです。

                                つまり
                                嫉妬・憧れ=自分の可能性
                                ということ。

                                原理としてはそうなのですが、ここで「自分の可能性」に対して捻くれてしまうと、純粋な憧れではなく、嫉妬という感情になってしまうのです。


                                もう少し詳しく書きますね。



                                今私はHappyちゃんの「IMACOCO能力開花PROGRAM」というオンラインのコミュニティに参加しています。
                                Happyちゃんは、先ほどのさやちゃんと同じように、私の大好きな発信者の一人なのですが、
                                「IMACOCO能力開花PROGRAM」に参加したのは、Happyちゃんが「私の夢ドンピシャの現実」を体感していたことがきっかけでした。

                                今月の初め、たまたま開いたインスタで、たまたま気になったHappyちゃんのライブ配信を聞きました。
                                そのライブ配信の冒頭、Happyちゃんが「今ペルーのクスコにいます」と言うのを聞いた時、私は全身が毛羽立つかのような衝撃を感じたのです。

                                なぜなら「ペルーのクスコに行って、マチュピチュに行って、シャーマンの儀式を受けたい✨」というのが私の夢だったから。

                                配信を聞いていると、Happyちゃんもまた、その旅の目的がシャーマンの儀式であることを知り、
                                私の夢ドンピシャの体験を今まさにしようとしているHappyちゃんに、軽い嫉妬のような感情を抱きました。

                                「いいな。私も行きたかったのに」みたいな。

                                嫉妬というほど黒い感情ではありませんでしたが、その「いいな」は決してカラッとした気持ちのいい感情ではありませんでした。


                                だけど次の瞬間、思ったのです。
                                「いや、これは私が主人公の物語だ」と。

                                私はドラクエが大好きで、「ドラクエのように、冒険するように生きたい」というのが、いつかの私の夢でした。
                                そんな私が「ペルーでシャーマンの儀式を受けたい✨」という望みを抱いたのは、「EARTH GYPSY-はじまりの物語-」という一冊の本がきっかけで、
                                筆者でもあるまほさんが、自身の感覚だけを頼りにバックパッカーで単身ペルーに行き、色んな人と出会い、ここでも自分の感覚を頼りに、マチュピチュに行ったりシャーマンの儀式と出会ったり…と、まるで「リアルドラクエ」のようなこの実話に私は心が震えて仕方ありませんでした。

                                「ペルーでシャーマンの儀式を受けたい」というのはもちろん、まんまこの本から影響を受けて抱いた夢でしたが、
                                それを今Happyちゃんが叶えようとしているというのはもはや、ドラクエでいうところの「村人の話」だと思ったのです。

                                私の人生がドラクエなら、もし私がその主人公なら、
                                私の旅の目的や、行くべき場所やクエストといったものは、すべて村人などの旅で出会うさまざまな人との会話がヒントになります。
                                つまり「情報」です。

                                私にとってHappyちゃんは大好きな発信者の一人ですが、インスタをフォローしたのは最近のことで。
                                というのも「大好きな発信者」であるからこそ、その言葉は私にとってあまりにも影響が大きく、
                                例えば私が「Aだ」と思っている時に、彼女のような存在が「いや、Bだよね」と言っているのを見ると、
                                「私はAだからうまくいかないのかな…」とか、「Aだと思うのが間違いなのかな…」と、自分を責めたり否定するきっかけにもなってしまっていたのです。
                                ※前述のさやちゃんのエピソードと一緒ですね

                                もちろん彼女たちの発信をきっかけに、気付きを得たり、勇気やパワーをもらうこともたくさんあったのですが、
                                自分に刃を向けるきっかけにもまたなってしまっていたので、自分の中の土台がしっかりするまでは一旦発信を見るのはやめようと思い、
                                「誰の発信も自分のフィードには上がってこない状態」を、しばらくの間作っていたのでした。


                                それが「もう大丈夫」な気がして、「またHappyちゃんの発信を見たい」と再びフォローしたのが、ペルーからのライブ配信を聞く直前だったのです。

                                久しぶりにフォローしたタイミングで、ペルーのクスコから、自分の夢ドンピシャの現実を、今まさに味わおうとしているHappyちゃんの配信。
                                もしこれがドラクエなら、これって旅のヒント以外のなにものでもありません。

                                それに気付いた瞬間、それまでのちょっとじめッとした感情が一気になくなり「これは私の前兆だ!!✨」「私がペルーでシャーマンの儀式を叶える未来があるんだ!!✨」と、
                                Happyちゃんを通して垣間見た自分の未来に、心の底からワクワクして震えたのでした。

                                つまり、「Happyちゃんを通して、自分の可能性を見ている」と認識できた時、それまでのじめッとした感情がなくなったということです。

                                嫉妬と憧れの違いってここです。
                                最初は「Happyちゃんはいいな、叶えられて。私だってそれがしたかったのに」=「Happyちゃんは叶えられるけど、私は叶えられない」になっていたので、じめッとした感情になっていましたが、
                                もし私が今「いつでも自由に海外に行けるような私」だったら、
                                「ペルーいいな✨シャーマンいいな✨そういえば私も行きたかったんだった✨いつ行こうかな✨」って、シンプルに「自分も行こう」という思考にただなっただけだと思うのです。

                                だから「嫉妬で終わるのは怠慢」なのです。

                                それが自分の可能性であるとも気付かずに、自分にもそれができるパワーがあることに気付かないまま、目の前でそれを叶えている誰かにただ嫉妬して自分事にしないまま終わるのは、自分に対してものすごく失礼で雑な上に、自らその道をなかったことにしているようなもの。

                                本当はそれが自分の望みであるならば、拗ねて捻くれてなかったことにするのではなく、「その道が自分の前にもある」ということを見せてあげれば良かったんですよね。




                                だってもしこれがドラクエなら、嫉妬の感情なんて1ミリも生まれません。
                                自分がこれから行くべきダンジョンに先に訪れた人がいたとしても、ずるくもなんともないのです。

                                もしそのダンジョンが、今の自分にとってハードルが高いものだったとしても、それは「自分に可能性がない」わけじゃなく、単にレベルがまだ低いというだけのこと。

                                レベルを上げて装備やアイテムを整えれば、いつかそのダンジョンを攻略できる時が必ずきます。
                                必ずくるし、「そこに訪れるようなシナリオになっている」のです。


                                現実世界でもまったく同じで、例えばHappyちゃんは、シャーマンの儀式を知ってすぐにペルーに訪れることができたけれど、それは今のHappyちゃんの立ち位置から「ペルー」がそれほど遠くなかったからで、
                                今の私の立ち位置から「ペルーに行くこと」は、まだハードルとして高すぎたというだけの話。

                                今すぐできないからといって、それが私の可能性としてないということではないし、
                                それが私の現実に何度も現れている以上、私のシナリオにもその道は存在していて、
                                いつかそのハードルを高いと感じなくなった時、私もきっとペルーにいると思うのです。

                                なのに、これを嫉妬という感情で埋めてしまうから「嫉妬で終わるのは怠慢」なんですよね。

                                嫉妬が悪いということではなく。
                                せっかく嫉妬という感情で自分のカケラを知ったのなら、それに素直になってみてもいいと思うのです。

                                もちろん、嫉妬は「心地のいい感情」とは言い難いので、わざわざ選ばなくてもいいとも思いますが、
                                嫉妬を挟まずに素直に「いいな✨私もそれやりたい✨」と望むには、自分の中がかなりクリアである必要があるので、
                                まずは嫉妬を挟んででも、自分のカケラに出会えたのなら、それでいいのではないかと私は思うのです。




                                ***

                                埼玉県坂戸市の占い師です。

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                                嫉妬で終わるのは怠慢だよ
                                嫉妬で終わるのは怠慢だよ
                                「思考は現実化する」が本当なら、思うだけで足も速くなるの?
                                2022/08/18

                                「思考は現実化する」ということも「この世界はエネルギーでできている」ということも何となく理解はできたけど、それでも一つ私にはどうしてもわからないことがありました。


                                「思考が本当に現実化するなら、じゃあ思うだけで足も速くなるの?」ということです。



                                この世界がエネルギーでできているのだとしても、努力や鍛錬なしに叶わないこともあると思います。

                                例えばオリンピック選手になることだったり「東大に合格する」とかもそう。


                                いくら「オリンピック選手になれる」「志望校に合格できる」と潜在意識レベルで思うことができたとしても、思うだけでそれが叶うとは到底思えません。

                                オリンピック選手になる人はそれなりの鍛錬を積み、受験に合格するには実際に勉強する必要があるからです。





                                とはいえ「思考は現実化する」や「この世界がエネルギーでできている」について今はもう「本当にそうなんだな」と思えるようになっていて。

                                初めはしばらく半信半疑だったその概念も、自身の実際の体験を重ねるうちに「真実」に変わっていきました。


                                だからこそ「じゃあ思うだけで足も速くなるの?」がずっと疑問だったのです。この世界はエネルギーでできているなら、足だってエネルギーだけで速くなるはず……だけど、本当にそれだけで速くなるの??と。



                                それについて最近やっと気付いたのですが、私は「思考が現実化する」をどこかで「思うだけで何もしなくても叶う」と勘違いしていたんですよね。

                                確かに「この世界はエネルギーでできている」けど、それは別に「現実的な行動が必要ない」ということではないし、「思考が現実化する」のにも、実際のアクションが必要なことにようやく気付いたのです。







                                たとえば、じゃあ私が「出雲大社に行きたい!」と思ったとします。

                                私が住んでいるのは埼玉県の坂戸市なので、いくら「出雲大社に行きたい!」「行ける!」と潜在意識レベルで思うことができたとしても、それだけで目的地に辿り着くのは不可能です。


                                通常、行きたい場所があれば「その行き方」を調べますよね。


                                出雲大社に行くにも、飛行機、鉄道、車など色んな方法があって、その中でもし車での移動を選んだのであれば、実際に車で行けばいいのです。


                                「車で行く」って「実際の行動」ですよね。

                                つまり「思考が現実化する」には、「何かしらの実際の行動も必要」だということです。





                                「思考は現実化する」についてまだ半信半疑の頃、私はこの「実際の行動」を無視していました。

                                「出雲大社に行きたい」と思うだけでその場から動くことなく、「なんで行けないんだろう」「やっぱり思考が現実化するなんて嘘じゃん」と嘆いてる状態だったのです。


                                瞬間移動の能力があるとか、ドラえもんにどこでもドアでも出してもらわない限り、「思うだけで出雲大社に辿り着く」のは不可能ですよね。

                                離れた場所に行くには、そこに行くまでの何かしらの行動が必要ですし、ただその行動が人それぞれ違うのがこの世界の面白いところだったのです。





                                ある人は前述のように、実際に出雲大社までの行き方を調べて、飛行機のチケットを取ったり、車を運転して行くのかもしれないし、

                                ある人は、社員旅行の旅行先がたまたま出雲大社になるのかもしれません。

                                またある人は、知人から「サンライズ出雲」の特急券をプレゼントされるのかもしれないし、

                                さらに新婚旅行で訪れる人に、自分探しの旅の途中で訪れる人…と

                                そこまでのルートも、どんな感情でそこに訪れるのかも十人十色で、そこにその人だけの物語があるのです。








                                「痩せたい」とかも同じです。


                                私も最近「ちょっと太ってきたなー」「そろそろ何とかしないとなー」と思っていて、だけど食事制限はできそうにありませんでした。

                                元々よく食べる方だし、息子が作ってくれる料理も美味しいので、それを我慢するのはちょっと私には難しいなと。


                                食事は美味しくいただきたいし、だけどそろそろ体型も気になる…

                                のでこう思いました。「やっぱ運動必要だな」と。



                                数年前に乗馬を退会して以来、運動という運動をまったくしていなかったので、そもそも「体を動かしたい」という願望がありました。


                                とはいえストイックに自分を追い込む系の鍛え方は一度も続かなかったので、「楽しいと感じられる運動で痩せられたらいいな」がまず一つ望みとしてありました。





                                体型と同時に、最近美容面も色々と気になりはじめていて「やっぱコーヒーだけじゃダメだよねー」と思うようになっていました。

                                「水も飲まなきゃダメだよねー」と。


                                私は普段から水を飲んだりお茶を飲んだりということがほとんどなく、水分補給といえば1日に5杯〜10杯ほど飲むコーヒーやラテがメインでした。

                                自分の感覚をよーく観察してみると、必ずしもその5杯〜10杯のコーヒーを「本当においしく」飲んでるわけでもないのですが、他に飲みたいものもないので結局コーヒーばかり飲んでいるという感じです。


                                あとは「シチュエーション的にコーヒーが飲みたい」という感じ。

                                私がコーヒーを飲むのは「朝」「PC作業中」「ドライブ中」「食後」「リラックスタイム」なので、やっぱりそのタイミングではコーヒーがベスト。


                                コーヒー類ばかりじゃダメだろうということも、綺麗な人が水をたくさん飲んでいることも頭ではわかってはいます。

                                ただ、今の生活の中で「好んで水を飲みたいタイミング」がないので、もし水を飲むとしたらそれは「意識的に飲む」しかありません。「意識的に飲む」ってもはや「我慢」でしかないんですよね。


                                だから飲みたくないし、飲んでみても続かないんです。





                                ところが先月の中頃、急に思い立ってオンラインのヨガレッスンに申し込んだのをきっかけに、めちゃくちゃ水を飲むようになったのです。



                                元々ヨガがしたかったというわけでもなく、本当にただなんとなく気になって申し込んだだけなのですが、

                                だから一瞬迷いました。「どうせ続かないんだから、やるだけ無駄かなー」と。


                                これまで自宅で体を動かそうと思っても続いたことがない上に、1レッスン1時間と長めのプログラムだったので、すぐにやらなくなるだろうと思いました。

                                「1日5分」とかなら気軽にできそうですが、「1レッスン1時間」となると「やろう」と思わなければなかなかできないボリュームですよね。

                                さらにその頃私は自治会やPTAの役員で忙しく、趣味にも仕事にも思うように時間が費やせずストレスに感じていたので、この状態でヨガに1時間も費やすなんて「時間がもったいなかった」のです。


                                だけどよくよく考えたら別に「続けるため」にやりたいわけではないのだし、

                                「今やってみたいっていうその気持ちにただ応えてあげればいいじゃん」と思い直し、続かないであろうオンラインのヨガに入会したのでした。





                                それがいざやってみたら、ものすごく気持ちよかったのです。


                                まず単純に体を動かせる気持ち良さ。

                                正直「気持ちいい」と思える余裕はヨガの最中にはないけれど、それでも終わったあとの疲労感がめちゃくちゃ心地いい!


                                それから頭の中に静寂が訪れたこと。

                                普段何気なく生活していると「あれやらなきゃ」とか「これやらなきゃ」とか色んな不安や心配で思考が騒がしいのですが、呼吸や身体に意識を向けるヨガの時間は、瞑想と同じように頭の中が静かだったのです。


                                さらに、ストレスなく水を飲むことができたこと。

                                普段であれば「飲もう」と意識しなければ飲めない水が、ヨガの最中なら自然とかなりの量を飲むことができました。


                                「飲みたい」と思って飲むことができたのです。

                                これは大きなメリットでした。










                                最近私は「痩せてキレイになりたい」と思っていて、それは「楽しいと感じられる運動で体を動かしながら」「水を飲んで」叶ったらいいなと思っていました。


                                そこへ急に「オンラインのヨガやってみたい」というインスピレーションが沸いて、やってみた結果、楽しいと感じられる運動で体を動かしながらストレスなく水をたくさん飲むことができるようになりました。


                                これが「思考は現実になる」ための「私なりの方法」だったのです。




                                「痩せてキレイになりたい」を叶える方法はきっとたくさんあります。

                                脳裏に浮かんだ「運動しなきゃ」「水もたくさん飲まなきゃ」を無理矢理行動に移すこともできますが、「特に楽しくもない運動」をしながら「意識的に水を飲む」のは、「私に合った方法」ではないんですよね。


                                思考をどう現実のものにするか、そのルートはたくさんあって、それぞれがそれぞれなりのルートを辿るから人生は面白いのだと思います。





                                「上手くいっている人の行動を真似したはずなのに上手くいかなかった経験」ってたくさんあるのですが、上手くいかなかった理由ってそこだったんですよね。人のルートを真似しても、それがたまたま自分にマッチしない限り、その人と同じ結果にはならないということです。


                                「思考は現実化する」というのは「思うだけで何もしなくてもいい」ということではなく、その思考を現実化するためのそれぞれのオリジナルのルートがあるということ。

                                「思うだけで足が速くなる」ことはないけれど、それが現実化するための自分専用の方法はあるということです。


                                たまたま入った部活や習い事がそのきっかけになったり、教え方の上手な担任や体育の先生と出会うこともあるかもしれません。

                                足の速い人の真似をして走っているうちに速くなることもあるのかもしれないし、

                                いずれにせよ、自分のインスピレーションに沿って行動することが大事なんですね。





                                だから「どうやって?」は考えなくていいのです。

                                何か望みが沸いた時に「それをどうやって叶えるか?」を考えるのは私たちの仕事ではありません。


                                「どうやって?」はきっと自然に現れるから、私たちはただ純粋に望んで、あとはそれが現れるのを楽しみに待てばいいんですよね。

                                なかなか現実化の兆候がないと焦ってしまいがちですが、不安になったら深呼吸をして、自分なりの叶い方を楽しみに待つようにしたいと思います。





                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                「思考は現実化する」が本当なら、思うだけで足も速くなるの?
                                「思考は現実化する」が本当なら、思うだけで足も速くなるの?
                                「こんな家に生まれなければよかった」とずっと思っていたけれど
                                2022/08/07

                                「なんでこんな家に生まれたんだろう」

                                答えの出ないその問いを、夜空を見上げながら一人よく考えていました。


                                「子どもは親を選んで生まれてくる」なんて嘘。

                                だってもしそれが本当なら、こんな家をわざわざ選んで生まれてくるはずないのだから。



                                だけど今、その答えは「私がそれを望んだから」になりました。

                                もし過去に遡って、家や親を選べるとしても

                                今ならきっと同じような家の、同じような親を選ぶんじゃないかな———










                                「早く大人になってこの家を出たい」


                                そう考えていたのは、まだ保育園に入園する前の物心ついた頃の私。

                                まだまだ幼いはずの私は、茶の間の窓際に座り、心の中ですでにそんなことを考えていました。


                                カーテンが閉まっているので時間は夜。

                                もうすぐ父が帰ってくる頃か、もしかしたらすでに帰っていたのかもしれません。


                                「家を出たい」と思ったその理由は、実の父親にありました。

                                とにかく何かと怒鳴られる。

                                父が怖くて怖くて嫌いで仕方のなかった私にとって、「父のいる家」はこの世でもっとも嫌いな場所でした。





                                「なんでこんな家に生まれたんだろう」

                                「なんで私は生まれてきたんだろう」


                                答えの出ないその問いを、飽きるほど考えて夜を過ごしました。



                                「なんで」「なんで」の裏にある、「誰かにわかってほしい」という痛烈な願い。


                                「誰かにわかってほしい」

                                「でも誰も私のことなんてわかってくれない」


                                肥大しつづける寂しさと孤独感を、「どうせみんな」「どうせ私なんか」という捻くれで覆い隠すのが精一杯でした。





                                そんな私にとって、高校の時に入部した音楽部は、初めての「居場所」となりました。

                                とにかく楽しくて仕方ない。


                                部活や部員の雰囲気も良く、顧問も心から信頼できる人だった上にその音楽性も大好きだったため、部活に打ち込む時間が私にとって何よりの癒しとなりました。


                                幸運なことに、所属していた3年間すべてで全国大会に出場することができ、

                                全国大会出場&入賞という素晴らしい経験も私の心を満たしてくれました。





                                そんな中、2年生の時に喉を痛めて十分に歌うことができないという悔しい経験をした私は、

                                高校最後の年に後悔なく音楽部に打ち込めるよう、喉のケアにはかなり気を使うようになりました。


                                のど飴や喉スプレー的なアイテムを常に持ち歩き、大会前には自宅でもマスク。

                                万全を期すよう、喉にいいと言われるありとあらゆる方法を試し、喉のケアに尽力していました。





                                しかしそんな私に父はこう言ったのです。


                                「それは俺へのアピールか」

                                「そんなことで俺が認めると思うなよ」と。


                                憎いものを見るかのような目で睨めつけ、怒鳴るようにそう言われた時、

                                ショックとかムカつくとかの感情以前に、何を言っているのかさっぱりわからず、頭の中が「?」でいっぱいになりました。



                                この人は何を言っているんだろう———



                                音楽部に出会い、心から好きなことに出会い、私の日常は音楽部でいっぱいになりました。

                                ただ私の喜びのためだけに夢中になれる音楽部での時間に、

                                父の影がチラついたことなど一度もなかったのです。



                                「?」と同時に下らなさが込み上げてきて、

                                本当に私はなんでこんなところに生まれてきたんだろうと辟易としたのを覚えています。










                                子どもは親を選んでくるなんて絶対に嘘。

                                もしそれが本当なら、こんな家を選んで生まれてくるはずがない。

                                そんな物好きがいるのなら、ぜひお目にかかりたいくらいでした。


                                だけど最近になって思ったのです。

                                もし過去に遡って生家や親を選べるとしても、私は似たような家の似たような親を選ぶかもしれないと。


                                「優しいお父さんだったらどんなにいいだろう」と何度も思ったけれど、

                                もしそんな「優しいお父さん」の元に生まれていたら、「なんでこんな家に生まれたんだろう」「なんで私は生まれてきたんだろう」なんていう哲学めいたことは考えもしなかったと思います。


                                苦しいことがたくさんあったからこそ、私はあんなにも「自分の内側」を観察していたのだし、

                                そういう人生を歩んできたからこそ、今私は占い師なのかもしれません。





                                もし家庭での時間が心地良いものだったら、「早く大人になってこの家を出たい」なんて願望を、あんなに幼いうちに抱くこともきっとありませんでした。


                                だけど「早く出たい家」だったからこそ、私の自立心の芽生えも早かったのです。





                                もっというと、きっと私はスピリチュアルなどの目に見えないことを大切にしたくて、自分で自分の道を切り拓く人生を歩みたかったからこそ、

                                それにピッタリな親と家庭環境を選んで生まれてきたのではないでしょうか。


                                そう考えた方がしっくりくるし、マヤ暦や占いでみた私には「スピリチュアル」や「開拓」の要素が生まれた時からあるのです。後天的なものではないということです。



                                マヤ暦では「誕生日は自ら選んで生まれてきた」と考えられています。

                                であるならば、私は最初から自分の足でこの世界を冒険してみたかったのだし、なんなら父との確執さえ最初からシナリオに組み込まれていたのです。


                                もちろん「優しい父親」も幼い頃から安心できる場所で育つのも魅力的ではありますが、「私の好みがどうか」で考えれば、やっぱり今の人生の方が好みです。


                                つまり「私が望んで」あの親と家を選んで生まれてきたのかもしれないと。

                                「子どもは親を選んで生まれてくる」というのは、本当かもしれないと思うようになった瞬間でした。







                                とはいえ辛いことの最中にいる時に、それを受け入れることは至極難しいことだと思います。

                                この辛い現実をまさか自ら望んで選んで生まれてきたなんて———

                                あの頃の私もきっと、受け止めることはできなかったでしょう。


                                だけどあの頃の苦しみも含めて今私は、自分の人生のシナリオが気に入っているのです。





                                大魔王がいなければ、ドラクエがあんなに面白いゲームになることもなかったし、

                                鬼滅の世界に鬼がいなければ、あの感動もありませんでした。


                                私の物語には父のような人物が必要だったし、実家のような環境も必要だったんですよね。

                                そう考えると「父そのものが酷い」わけでもなかったのかもしれないなーと、少し思えるようにもなりました。





                                とはいえ、父に対して反射的に抱いてしまう「嫌だ」という強い抵抗がすぐになくなるわけではありませんし、

                                当然父のことも「好き」と思えることもなければ、今後好きになれるとも到底思えません。


                                でもこれまでずっと嫌いだったのだから、それも「仕方ないよね」と思えるようになりました。





                                いつかどこかで「大人になっても親を許せないのはただのわがまま」と聞いたことがあり、

                                それから「早く父のことを許せるようになりたい」「好きになれるようになりたい」と心のどこかで願っていました。


                                「色々あったけど、今はお父さんが大好きです」という美しいセリフを、私も本音で言ってみたかったし、

                                だけど無理なものは無理なのです。できないものを無理に自分に課す方がずっと優しくないことに気が付きました。





                                「親は大切にしなければいけない」みたいなのも、一種の呪いですよね。


                                それが肉親であれ他人であれ、「嫌だ」というのが今の私の本心ならば、

                                たとえそれでいつか後悔したとしても、それも一つの経験だし一つの感情なのだと思います。





                                どんな自分も否定しない。

                                親を許せない自分も、父を好きになれない自分も、

                                いつかそれで後悔した自分も、どんな自分のどんな感情も全部OK。


                                「好きになれなきゃなれないでいい」

                                そう思えただけで気持ちが楽になったというのが、私にとっては紛れもない事実。


                                それを他人がどう言おうとどう批判しようと、私にとっては「しょうがないよ」という声ほどあたたかいものはないのです。










                                この歳になっても到底拭えないほど、私にとって父は地獄のような存在でした。

                                本来ほっとできるはずの家が、世の中でもっとも嫌いな場所になるほどに。


                                だけど私は今、マヤ暦や占いでみた「自分」を心から気に入っていると同時に、

                                今の人生やその物語のテーマ、世界観も気に入っています。


                                それには父のような存在も、「早く出たい実家」も必要だったんですよね。

                                それに気付けただけでも、過去への恨みはかなり薄れたように感じるのです。










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                                時間がない!!
                                2022/07/14

                                毎日やることが多すぎて、やりたいことがなかなかできなくて。

                                イライラもストレスも溜まりに溜まった最近の私の話と、そこから「望む現実の創造」に意識を変えた話です。







                                時間がない!!


                                「時間がない!!」

                                ストレスが溜まっていました。


                                毎日毎日やることが多すぎて。

                                事務のパートと役員の仕事で手一杯。


                                占いの仕事や、好きなことに費やす時間もエネルギーも全然なくて。

                                なかなかブログが書けないことに不安になったり、なかなか進まない仕事に焦ったり…


                                いつになったらこの忙しさは落ち着くんだろうと、不安や焦りからストレスが溜まりに溜まってしまっていました。





                                毎日自分がどれだけのタスクをこなしているか、誰かにわかってほしくもなりました。


                                明らかに私の負担が大きすぎる。


                                こんなに時間もエネルギーもかけて、これだけのクオリティで仕上げた私の仕事に対して

                                「お疲れさまです」や「問題ないです」の一言で済ますその態度に、イライラも大きくなっていきました。





                                別に「やってね」と頼まれたわけではありません。


                                ただ「こうした方がいいんじゃないか」とか「これがあった方が便利だな」とか、

                                私が勝手に気付いたから、私がやっていただけだったのです。



                                それは「やらなくても」「なくても」困らないのかもしれないけれど、

                                明らかに「やった方が」「あった方が」事がスムーズに進むのがわかるから


                                面倒臭いルートより、合理的でスムーズがルートを「私が」選んで、

                                人に頼むより、自分でそれをやることを「私が」選んで、

                                自分の意志で選択で、私がやっていただけでした。



                                なのに時間がなくて思うように進まない焦りやイライラを、他人のせいにしてしまってた。

                                頭の中でエゴが大暴走していたのです。






                                まずはリラックス


                                自分の感覚をよーく観察してみると

                                イライラしたりストレスが溜まったりしている時って、頭に意識が集中しているのがわかります。


                                不安になったり焦ったり、悲観的になった時も同じ。


                                頭の中がうるさくて、時々ピリッと痛みも走ったりして

                                重くてだるくてスッキリしなくて、頭に血が上っているのが自分でもわかるほど。





                                そんな時はリラ〜ックス。


                                ゆっくり深呼吸しているうちに、頭の方にあった意識が少しずつ下へ下がっていくのがわかります。

                                下へ下へと「落ち」ていく意識が、やがてお腹のあたりに「着く」頃には、心もずいぶん穏やかに。


                                落ちて・着く。

                                心が落ち着くのです。





                                いつの間にか頭の声も静かになっています。

                                さっきまであんなに焦ってイライラしていたのが嘘のように、「まぁいっか」なんて言葉が口をついて出たりもします。





                                頭の中の声って真実ではありません。


                                詳しくはHappyちゃんの「Happy理論」や、子宮委員長はるちゃんの「子宮メソッド」を見るとよくわかりますが

                                頭の中の声は、幼少期に親から言われてきた言葉で出来ていて、

                                この声に振り回され続けると、幾つになっても両親から怒られないように本音を無視し続けるような人生を、歩んでいくことになります。


                                「怒られないように」「嫌われないように」「失敗しないように」が真ん中にあるので、

                                当然焦りや不安も感じ続けることになります。





                                本音の声はもっと下の方、深呼吸をした時に落ちて着いた丹田のあたりにあります。

                                同じ環境や状況にあっても、本音は私を急かしたり不安にさせたりはしません。


                                だから安心して考えて行動ができる。

                                自分の真ん中が常に「大丈夫」になるので、「不安を拭うための選択」ではなく、「本当に望む選択」ができるのです。





                                たとえば幼い頃の私にとって、父はものすごく怖い人だったので

                                一緒にケーキ屋さんに行って「どれがいいか」と聞かれても、「怒られないケーキ」を選んだと思います。


                                値段が高かったり、選ぶのに時間がかかったら怒られそうなので、

                                高くないケーキを、出来るだけ早く選ぼうとします。


                                だけど母には安心できていたので、同じようにケーキ屋さんに行っても、ゆっくりと好きなものを私は選べるのです。





                                どちらがより満足できて、幸福を感じられるかは明白です。


                                私は自分の人生に満足して幸福を感じたいので、

                                頭の声の暴走に気付いた時は、深呼吸してリラックスするように心がけるようになりました。






                                望む感覚を先取りする


                                リラックスして落ち着くと、自然と「どうしたいか」に意識が向くようになりました。


                                焦ってイライラしていた時には「どうしたらいいか」をずっと考えていましたが、

                                現状をどうしたら打破できるかではなく、「本当の本当はどうだったらいいか」をイメージし始めたのです。





                                まず出てきたのは「1日の終わりに達成感を感じていたい」ということ。


                                「あー今日も出来なかった」「時間が足りない」「まだこんなに終わっていない」というダメ出しではなく、

                                「今日もいい仕事ができたなー✨」「よくやったなー私✨」とその日1日に満足したいと思ったのです。





                                気付けば

                                「っしゃー!!!✨」

                                「よくやった私!!✨」

                                と言いながら、私は一人ガッツポーズをしていました。



                                まだ朝です。

                                出勤の準備をしただけで、充足感を得るようなことは特にまだ何もしていませんでしたが、

                                充足感を得る前に、感じたい充足感を感じてみたのです。


                                望みは、それが叶った時の感覚を、先に出来るだけリアルに味わうのがポイント。


                                なので、その日1日に達成感や充足感を感じた私が言うであろう言葉を

                                先に口に出すことで、その感覚をよりリアルに味わったのです。





                                それから、仕事に向かう車の中で、ベートーヴェンの第九を流しました。

                                「歓喜の歌」と言われるだけあって、第九は「やったー!!✨」という正に歓喜で、私の中を満たしてくれます。


                                音楽のすごいところは、音楽を通してさまざまな感情を味わうことができることです。

                                映画や美術品もそうですよね。



                                「望みが叶った時をイメージして、感情を先に味わう」のはなかなか難しい時もありますが

                                音楽や映画を通してなら、簡単に味わうことができるのです。






                                工場で学んだ上達のコツ


                                その日の夜、私は味わいたかった充足感を感じていました。

                                朝「っしゃー!!!✨」と一人口にしながら、先に感じていたあの充足感です。


                                何かを成したいと思うほど、頑張ろうとしてつい力が入ってしまいますが

                                「もっともっと」と発破をかけるより、実はリラックスした方がずっと簡単にそれを成せたりするんですよね。





                                工場でライン作業をしていた頃の話です。


                                その頃私はまだ占い師として開業する前で、当時夢中になっていた乗馬代の足しにしようと、工場で派遣をしていました。

                                それまで事務仕事の経験が多かった私ですが、勤務早々なぜか「もっとも難しい」と言われるラインに配属されてしまいます。


                                そこは社員さん曰く「社員でもこなせる人が少ない」ラインだそうで、そんなところになぜ自分が配属されたのかもわからないまま、怒涛の工場ライフが始まってしまったのです。





                                とにかくやることが多すぎて、流れ作業の中で捌ききれない!!

                                ラインのスピードに作業が追いつかないため、私は作業場でいつも走り回っていました。


                                毎日毎日疲れ果て、帰宅後はソファでぐったり。


                                手順は一通り覚えたので、あとは私の技量の問題です。





                                「とにかく素早く!もっとスピーディーに作業をしないと!!」

                                私は「速さ」に注力し、できる限り速く仕事ができるよう尽力しました。


                                単純に考えて、作業のスピードが上がれば、仕事は捌ききれるはずです。


                                事実、先輩作業員さんたちはこのスピードに対応できていたのだし、

                                それが出来ないのは私の作業スピードに問題があるのです。





                                なのに一向に捌ける見通しがない。

                                作業スピードは確実に上がっているはずなのに、私は尚も作業場内を走り回っていました。


                                ですが、これ以上は私には無理でした。

                                今の私にはこれが精一杯で、これ以上早く動くのは身体の機能的に無理だと感じたのです。





                                「先輩たちはどうしてこなせるんだろう…」


                                速さの限界を感じた私は、その日から先輩たちを観察するようになりました。


                                不思議だったのは、先輩たちの作業姿に「急いでる様子」が感じられなかったことです。

                                あんなに私は急いで作業して、それでもラインのスピードに対応できなかったのに、

                                こんなに落ち着いた様子で作業している先輩たちは、仕事を捌き切った上に、私を助ける余裕まであるのです。





                                先輩たちにそのヒントを探すと同時に、私は自分の感覚も観察するようになりました。


                                観察しているうちに、「早く!早く!!」と焦りながら作業をすると

                                リラックスできている時より、遥かにミスが増えることに気付いたのです。


                                まず体に余計な力が入って、しなくていいミスを連発するようになります。

                                さらにミスの連発から自分の感覚が信じられなくなってくるので、何度も同じ場所を確認したりと、早く動いているつもりが余計に時間がかかっていたのです。





                                確かに車の運転もそうです。

                                初心者ほど力んで必死に運転しますが、だんだん慣れてくると力も抜け、リラックスしながら同時にたくさんの判断ができるようになります。


                                力みは一見「一生懸命やっている」ようにも見えますが、余計な力が入っているだけで、逆に視界は狭かったりするのです。


                                どんな分野においても玄人ほどリラックスしているのだとわかった時、

                                人生においても「いかにリラックスした状態で考え選択するか」が重要なのだと腑に落ちたのでした。






                                イライラしたら休みましょう


                                毎日毎日やることが多く、やりたいことが思うように進まない現実にイライラと不満が溜まっていましたが

                                どれもこれも自分で「やりたい」と思った以上、それはきっと出来るのだと思います。


                                出来ないのは、私にまだ余計な力みがあるから。


                                工場のライン作業から学んだように「やらなきゃ!!」という力みは、逆に自らのパフォーマンスを下げてしまいます。

                                だからこそリラックス。



                                リラックスすると心が落ち着いて、頭もクリアになります。

                                焦りや不安・イライラから自分の本望へと意識のベクトルが変わり、

                                そして余計な力みも取れるので、行動やアイディアに精度が増すのです。



                                フラストレーションが増すと誰かや何かのせいにしたり、それを飲み込み我慢したまま、苦しいまんまで走り抜けようとしてしまいますが、

                                案外思い切って休んだ方がいいんじゃないかなーと、最近は切に思うようになりました。

                                ※休むのは怖いですけどね



                                私もやること、やりたいことがたくさんあるので、

                                引き続きリラックスに注力したいと思います。





                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

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                                2022/06/30

                                子どもの頃、大好きだったRPGゲームで遊びながら

                                「私も冒険するように生きたい」と願った。


                                毎日が刺激的でキラキラしていて

                                自分だけの特別な物語を歩むような

                                そんな素敵な毎日を生きたいと。





                                だけどその願いは願ったと同時に

                                「まぁ現実には無理だけど」

                                という頭の声で掻き消された。


                                まだ十分子どもだったはずの私でさえ

                                素直に望むことすら出来なくなっていた。













                                大人になって、母親になって

                                『ちゃんとしなきゃ』で雁字搦めになっていた私には


                                自分のために何かを選択することさえ

                                まるで悪いことのように思えていた。





                                だけどそれじゃ苦しくて

                                溜め込んだ思いで内側がパンパンになっていた頃


                                ある偉人の素晴らしい名言が

                                瞬時に私の心を癒してくれた。



                                “人生には、二つの道しかない。

                                一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きること。

                                もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きることだ。


                                Albert Einstein(アインシュタイン)”

                                ※https://iyashitour.com/archives/21439 より引用






                                そうだ、私は本当はそんな風に生きたかったんだ。


                                前者のように生きる今のような毎日ではなく

                                後者のように感動でいっぱいの毎日を。





                                だからバックパッカーに憧れて

                                世界を自由に旅することに憧れた。


                                私が求めるような毎日は

                                ここ(坂戸市)で生活しているだけじゃ叶わないと思い込んでいたけれど


                                別に海外に行かなくても、坂戸市にいながらでも

                                感動的に毎日を生きることは

                                今この瞬間からできるんだよね。





                                というより本当は

                                最初から私の毎日は奇跡だらけで

                                こんなにも感動的な物語をすでに生きていた。


                                そのことを私がただ

                                思い出せばいいだけなんだ———















                                新・解読の書、その英題として

                                「THE BOOK OF ATMAN」と名付けました。


                                ATMANとはインド哲学では“自分”や“身体”、“呼吸”を意味し

                                サンスクリット語では“我”を意味するそうです。





                                見えない世界と見える世界の

                                両方の自分の真実を表すようなこの言葉が気に入り

                                鑑定書の表紙をデザイン。


                                表紙をめくった先では、あなたの物語のテーマや個性、才能、困った時のアドバイスなど

                                マヤ暦や数秘でみた占いの鑑定結果を

                                ファンタジーの世界観たっぷりにお伝えできるようデザインを考えました。





                                テーマは「あなたの日常がファンタジーになる鑑定書」

                                大好きなRPGの要素や、不思議の国のアリスの世界観を盛り込んで作ってます。



                                内側でずっと感じていた“あなた”のことや

                                大人やまわりにずっと「ダメだ」と叱られてきたあなたのこと、

                                嫌いな部分も好きな部分も

                                直したかったけど直らなかった短所から、誇りに思える長所まで


                                そのすべてがあなたにとって必要で

                                あなたの物語を彩るエッセンスなのだと

                                この鑑定書で感じてもらえるように作っています。








                                いま私の日常は、いつか願ったドラクエのような冒険の日々で

                                「すべてが奇跡であるかのよう」な素晴らしい毎日です。


                                住んでいるのは相変わらず埼玉県の坂戸市だし

                                とび抜けて綺麗になったわけでも、お金がものすごく増えたわけでもありません。


                                短所だと思っていた性格は今も変わらずそのままだし、

                                むしろ「直そう」としていない分、以前より拍車がかかっているかもしれません。





                                何も変わっていない。相変わらずよく知っている“私のまんま”だけど

                                毎日が感動的だと思えるこの気持ちだけは、ものすごく変わりました。


                                そして気持ちが変わるだけで、本当に日々は色鮮やかになる。





                                『なんでもない』と思い込んでいるその日常が、

                                本当は体感したくて仕方のない物語だったことを、


                                『大したことない』と思い込んでいる“あなた”が、

                                本当は憧れてやまなかった主人公像そのものだったことを、


                                この鑑定書を通して少しでも実感してもらえたら幸いです。





                                そしてどうか、1度で終わりにしないで下さい。

                                自分に自信がない時や、迷った時、感動なんて幻想なんじゃないかと疑い始めたその度に

                                ぜひ鑑定書を手に取って、自分の心が温かくなる方を選んで欲しいと思います。


                                その積み重ねは人生に感動をもたらします。





                                たった一度のあなたの今の人生を

                                もっともっと味わって堪能してみませんか?


                                新・解読の書はお申込みされた方から、順次出来次第お届けします。





                                丹精込めて作りました。

                                ぜひこの感動を手に取って下さい。





                                お申込みはこちらから

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                                「自分を許す」の意味がわからないという方へ
                                2022/06/20

                                自分を許す———この言葉を何度も見聞きしてきました。

                                自分というものを、自分の生き方を、見直すようになってからこれまで何度も。





                                ですが、一見シンプルなこの言葉の意味を私はよくわからずにいました。

                                意味を履き違えたまました選択も、たくさんあったと思います。



                                色々試して失敗もしながら

                                「自分を許す」その意味を今ようやく感じているところです。


                                その許しの深さに比例して世界が優しくなっていくことも。



                                逆に、自分を許すことが出来なければ、

                                いくら行動レベルで頑張っても、世界の本当の優しさを感じることは難しいのだろうと思います。





                                そして「自分を許す」にはいくつか段階があることも知りました。

                                その時々の自分の状態によって、同じ「自分を許す」でも向き合っているものがまるで違ったのです。


                                10年前の私が、今の私を単純に真似しても

                                「意味がわからない」で終わってしまうと思います。





                                この記事では、これまで私が踏んできた段階を時系列でまとめてみました。



                                「自分を許す」って体感してみるとそんなに難しいことではありませんが

                                口で言うほど簡単でもありませんでした。


                                色々な情報に触れているうちに、知恵の輪みたいに絡まって

                                わけがわからなくなってしまっていったのです。



                                ただ、知恵の輪にも解く順番があるように

                                許しにも段階があるのだと思います。


                                ご自身が今どの段階にいるのか

                                今何を許せずに抵抗してしまっているのか…


                                それを解くきっかけになればいいなと思います。







                                「自分を許す」最初の一歩


                                私が執った最初の一歩は愚痴を言うことでした。


                                そんなこと?かもしれませんが

                                それまで愚痴さえ抑えてきた私にとって、これは大きな大きな変化でした。





                                それまで私は“理想の自分”になりたくて

                                本当は子育てが大変なことも、本当は夫婦間に亀裂が生じていることも

                                誰にも吐けず相談できないまま、自らの内側に抑え込んでいました。



                                実母にすら弱音が吐けませんでした。

                                当時書いていたブログには、綺麗な側面ばかりを切り取った体裁のよい言葉が並んでいます。





                                そして抑圧に抑圧を重ねた結果私は“適応障害”になり、感情のコントロールが出来なくなりました。

                                これまで我慢していたものが溢れ、本当は私はこんなに怒っていたのだと寂しかったのだと知ったのです。


                                毎日が辛くて辛くて苦しくて、そんな自分が悲しくて、行き場のない感情でいっぱいになった私は

                                新しく開設したブログで本当の気持ちを綴り始めました。


                                それまで格好のいい事ばかり書いていたブログとは違う、

                                ダサくて弱くて情けない自分の本音を綴ることにしたのです。



                                そのうちに少しずつ本音を書くことにも慣れ

                                その本音を綴る場をブログからTwitterに移しました。


                                誰も知らないブログとは違う、少数の友人と繋がっていたアカウントです。

                                綺麗事ばかり書いていたブログで仲良くなった友人たちと。



                                ものすごい抵抗感がありました。

                                だってこれまで綺麗事ばかり、格好のいい事ばかり、私は綴ってきたのです。


                                がっかりされるんじゃないかと思いました。

                                もしかしたら嫌われてしまうかも…





                                それでも何故その時Twitterに書こうと思ったのか

                                当時の気持ちは覚えていませんが

                                きっともう自分を偽るのは嫌だったのだと思います。


                                好きな友達だったからこそ、嘘のない本当の自分で接したかったと思うのです。





                                愚痴や不満、辛さ苦しさを、毎日のように書き殴りました。


                                実際に「前のyuuさんの方が良かった」と言われたこともありました。

                                心のどこかで「あぁやっぱり」と悲しくなったのを覚えています。


                                ですが、鍍金だらけの私が好きならガッカリしてもらっていいと思ったのです。

                                私はそんな立派な人間じゃない。


                                苦しい時に「苦しい」と、悲しい時に「悲しい」と言うことさえ許されないなら

                                そんな望まない世界にはもう嫌われていいと思ったのです。





                                愚痴や不満、怒りや恨みなど…

                                汚い本音を綴るというのはつまりダメな自分を許すということでした。


                                理想の自分を演じるために書いていた綺麗事とはまるで違う

                                ちゃんと出来ない自分、非常識な自分、

                                短気な自分も、ものすごくワガママな自分も

                                それをそのまま綴ることで、ダメな自分を少しずつ許していったのです。






                                夢や希望を抱くことを許す


                                愚痴や不満を書くことにもすっかり抵抗がなくなった頃、次の許しの段階が現れます。

                                それは鏡リュウジさん著の「牡羊座の君へ」と出会ったことがきっかけとなりました。



                                「牡羊座の君へ」には、これまで短所だと、良くないと思っていた私の要素が

                                まるで素晴らしい個性のように、類稀なる才能のように描かれていて

                                自分の中から込み上げてくる力強い何かを感じました。



                                それはとても懐かしい久しぶりの感覚でした。

                                まだこれから先の自分自身に可能性を感じられていた頃の。


                                それがいつからか現実を知って、その厳しさを知って

                                自由な未来を描くことを辞め、既存の型にはまろうとしていたのです。



                                “社会人として”

                                “主婦として”

                                “母親として”


                                ちゃんとした自分であるために。





                                慎ましいことが良しとされ、健気であることが良しとされ

                                贅沢をせず欲をかかず、自分のためでなく誰かのために…


                                そうやって誰かに認められるための日々を歩んでいるうちに

                                誰のためでもない自分のための夢を描くことも

                                その未来に希望を抱くことも主観的な幸せを望むことも

                                まるで悪いことのように思えてきて。


                                自分を生きるということをすっかり忘れてしまったのです。





                                「牡羊座の君へ」に触れて感じたあのワクワクはドキドキは

                                誰のためでもない私だけのものでした。


                                社会人としてでも

                                主婦としてでも

                                母親としてでもない


                                “私”という個人の人生に対する久しぶりの脈動だったのです。





                                「自分を許す」2つ目の段階は

                                夢や希望を抱くことを自分に許すということでした。


                                それを現実的な行動に移すのはまだもう少し先の話ですが


                                自分の中でうごめく『本当は』『もっと』という本音や欲求を感じられたこと、

                                私個人に、その人生にワクワクするのは久しぶりで


                                たった一度の人生を適当に終わらせたくないという気持ちが、溢れ出て仕方ありませんでした。






                                自分のための選択を許す


                                「牡羊座の君へ」との出会いから数年後、

                                あの日抱いた『本当はもっと自分らしく生きたい』というその本音を

                                少しずつ行動に移すようになります。





                                きっかけは当時やっていたフルタイムの派遣の仕事でした。


                                仕事自体に不満があったわけでも職場環境が嫌だったわけでもないのですが

                                ※むしろ恵まれていた


                                ただ、このままこの働き方を続けても自分が望むような人生は、一生送れないだろうと気付いたのです。



                                私はもっと自由に生きたかったし、その為のお金も欲しかったし

                                だけど体に鞭打つのはもう嫌で、

                                一人息子との大事な時間を犠牲にするのも嫌でした。



                                誰かや何かを犠牲にしたり諦めてしまうことなく

                                自分のペースで自分の好きにお金を稼げたらいいなと。


                                どうやったらそれが叶うのか、当時の私にそのアイデアはありませんでしたが

                                不思議なもので望んだ後現実にそのアイデアが現れたのです。





                                「エステティシャンとか興味ない?」

                                友達からのその一言をきっかけに、私は転職先を決めることになります。


                                それまでの、時間に収入が比例する働き方とは違う、完全歩合制の仕事でした。


                                いつ働くかいつ休むかも自由。

                                収入は時間ではなく結果だけに影響される。


                                自分の責任で自分の判断で、働き方を決められる職場。





                                これはものすごい希望でした。

                                自分が望んだ生き方は叶えられると実感できたのです。



                                その体感をきっかけに独立を考えたり

                                その資格取得のために講座やスクールに通ったりと

                                自分のための具体的な行動を、どんどん起こすようになりました。


                                「やっていい?」と誰かに一々許可を取ることも、行動に比例して減っていきました。





                                もちろん行動にはお金もかかります。

                                自分のためにお金を遣うのはものすごい抵抗がありました。


                                誰かのためのお金なら遣えても、自分に遣うことはできなかったのです。


                                ザワザワざわざわ…ものすごい抵抗と罪悪感。



                                資格取得のためならまだマシでした。

                                “資格取得のため”という一見立派な理由があったからです。


                                スクールに払う10万円よりも、カフェで飲む一杯数百円のラテの抵抗感の方が強かった。

                                何にもならない、自分の至福のためだけのお金。





                                それでも、少しずつ少しずつ慣れていきます。


                                最初は週イチだったのが、そのうち連日行くようになり

                                2杯目が頼めるようになり、ランチもできるようになりました。


                                本も月に一冊から週に一冊→欲しい時はいつでも買っていいと少しずつその許可を大きくしていき

                                そんな小さな許可と行動を繰り返していくうちに

                                自分の人生に面白いことが次々起こるようになっていったのです。






                                すごくない自分を許す


                                自分のために行動を起こすことにも、自分のためにお金を遣うことにも、気付けばすっかり抵抗はなくなり

                                現実的に面白い出来事も次々起こるようになりました。


                                いつか本当は望みながら諦めてしまっていた夢を、いま日常にできている気がして

                                自分の人生を『楽しい』と思えるようになっていました。



                                その一方で『何で上手くいかないんだろう』『一体何が足りないんだろう』と頭を抱え続けたことがありました———仕事です。


                                自分のための選択をし続けているうちに、私は占い師として起業するという大きな選択もできるようになっていました。


                                2019年の春に起業。

                                最初は自分でも驚くほど順調で、その充分な手応えにガッツポーズしながらどんどん爆進していくつもりでした。



                                なのに、いつも何かがおかしいのです。


                                稼ぎは充分にあるはずなのに、払いたいお金がなぜか払えなかったり

                                稼いでも稼いでもお金は不安で、私はいつも何かに怯えていました。



                                そのうちに、その漠然とした違和感も不安も現実のものとなりました。


                                あんなに順調だったはずの仕事がピタリと上手くいかなくなったのです。

                                何を発信しても何を募集しても手応えが全く感じられない。



                                おかしい。何かがおかしい。



                                自分らしく生きるということも、自分を許すということも

                                これまでもう何年も何年も続けてきたはずでした。


                                なのになぜ現実はこうも上手くいかないのか…





                                そうなのです。

                                私は許せていなかったのです。


                                仕事で成功したら○で

                                成功できない自分にはいつも×をつけ続けていました。



                                そもそもなぜ仕事の成功をあんなにも望んでいたかというと

                                仕事で成功すれば、自分で充分なお金を得られれば、誰にも頼らなくて済むと思っていたからです。



                                やりたいことも行きたい場所も、欲しいものもすべて自分一人で叶えたかったし

                                それを叶えるかどうかもすべて自分の許可だけで決めたかったのです。


                                自分にその力がなければ誰かの力を借りることが必要で、その為には誰かの許可が必要で、

                                それは“迷惑をかけること”だと思っていました。



                                まるで変わっていなかったのです。


                                誰かに認められるために、誰かに嫌われないために

                                愚痴や不満さえも言えず理想の自分を演じ続けていた頃の私と。


                                自力をあんなにも欲したのは誰にも頼らないためでした。

                                頼るというのは迷惑で、そしたら嫌われてしまうと思っていたのです。





                                お金があんなに怖かったのも、自分のお金くらい自分で面倒を見られたら

                                最低限“ちゃんとした自分”でいられると思ったからでした。


                                どんなに自分の好きなように生きても、お金さえちゃんとしていれば誰にも文句は言われないだろうと。



                                だからお金が欲しかった。ちゃんとした自分でいるために。

                                だから仕事で結果を出したかった。誰にも嫌われないようにと———





                                仕事で結果が出なくなってからというもの

                                私はまだ残る“ダメな自分”を嫌というほどに見せられました。


                                散々偉そうなことを言って、散々自分の好きにして…なのに現実は上手くいかず、

                                まったく私は口ばかりで、結局いつも誰かを頼っては面倒ばかりかけていたのです。



                                情けなくて仕方ありませんでした。

                                なんでこんなに上手くいかないのか、何が悪いのか誰か教えて欲しかった。



                                ですが“結局いつも誰かに助けられる”うちに

                                他人のありがたみというものがやっとわかるようになりました。


                                思うような結果が出せなくても、私が全部出来なくても

                                これまで無事に生きてこられたのは誰かや何かのおかげでした。



                                スピリチュアルな話になりますが、私は前世からの大きなカルマとして

                                『すごくなければ愛されない』という根強い思い込みを持っています。


                                だから『自分一人で』が強かったのです。

                                誰かに差し出すことは出来ても、受け取ることが出来なかったのです。



                                結果が出せないということは=すごくない=愛されないのだし

                                誰かに頼るというのもまた=自分はすごくない=また誰にも愛されない、だったのです。





                                これでもかというほどに“すごくない自分”と対峙しました。

                                その度にすごくない自分を認めました。すごくない自分を許してきたのです。


                                これは私にとって本当に大きいカルマなので

                                認めても認めても、許しても許しても

                                きっと一生顔を出す問題なのだろうと思います。


                                「自分を許す」ことに終わりなんてきっとなくて。

                                それでも、そんな自分に気付く度に許せばいいのだと思います。






                                コンプレックスを許す


                                「すごくなければ愛されない」という思い込みは当然、自分の見た目などにも影響を与えます。

                                私は自分の外見にも強いコンプレックスを抱いていました。


                                特別スタイルがいいわけでも特別顔がキレイなわけでもなく

                                特別オシャレなわけでも特別個性があるわけでもなくて


                                特に肌が弱いということに関しては、ものすごい劣等感でいっぱいでした。



                                鏡で自分を見る度に「はぁ………」と深いため息が出ます。

                                自分のダメなとこばかりが目について、早くこれをどうにかしなければ、誰にも認められないような気がしていました。





                                同じ『綺麗になりたい』という望みでも

                                『綺麗になったら嬉しいから✨』『もっと楽しそうだから✨』という動機と

                                『今の自分がブスだから』『今の自分が汚いから』という動機とでは

                                その根っこはまるで違います。


                                後者の場合、たとえスタイルが良くなっても次はお肌が気になるのだろうし

                                たとえお肌が綺麗になっても、次は顔の大きさとかが気になると思うのです。





                                つまり自己否定から始まる望みは、いくらそれが叶ったところで、また別の否定を産むだけなのです。


                                コンプレックスさえどうにかすれば、自分に自信が持てると思っていましたが

                                今の私ではたとえいくら整形しても、一生自信は持てないと気付きました。





                                それは“綺麗になるのを諦める”ということではありません。

                                肌荒れすれば悲しいと思うのは自然なことだと思います。


                                ここは私も練習中で、自分の外見をそのまま許すというのはまだ出来ずにいるのですが

                                まずは切り離して考えるようにしました。


                                もし肌荒れしたら『肌荒れしちゃった。悲しいな』で以上マルにします。

                                『=私はダメ』と繋げるのではなくて。


                                『綺麗になりたい』という思いと、『そうでなければ愛されない』という思い込みを

                                まずは分けることにしたのです。



                                実際私は陶器のような美肌の人よりも、北欧のソバカスだらけの女の子の方が魅力的に感じたりします。

                                “綺麗”というのは本当に人それぞれで、自分のことも相対的に愛せたら幸せだと思うのです。






                                そのまんまの自分を愛する


                                これまで私が辿ってきた道を時系列でまとめてみましたが

                                要は「自分を許す」って一言で表すと、「そのまんまの自分を愛する」ということなのです。


                                愛されるために、認められるために

                                何かを足したり直すのではなくて


                                すでに充分にあって、すでに愛されているという前提を思い出していくこと。

                                その前提に対する否定の声を緩めていくことなのだと思います。


                                何が出来ても何が出来なくても、何があっても何が足りなくても

                                私という価値は変わらないし、私はすでに愛されているということ。





                                とはいえ、愚痴や弱音も言えなかった頃の私が「自分はすでに愛されている」なんて、すぐに思えるはずがありません。

                                顕在的には思えたつもりでも、潜在的には否定したままなのです。


                                だから段階があるのだと思います。


                                まずは嫌なことを「嫌」ということ。

                                愚痴や弱音が吐けること。


                                次に好きなことを「好き」ということ。

                                本当の望みを描くこと。


                                そして根強いカルマを一つ一つ解かしながら

                                そのまんまの自分を自分自身が受け入れていくこと。



                                そうしていくうちに、自分を責めていたのは他人ではなく、自分自身だったことに気付くはずです。

                                世界の誰よりも自分自身が自分を否定していたことに。





                                自分が自分に優しくした分だけ、世界も自分に優しくなります。

                                自分が自分に優しくした分だけ、自分も世界に優しくなれるのです。


                                そんな優しい世界で生きられたら、どんなに幸せだろうと思います。





                                最後に、前世から持ち越してきたカルマについてですが

                                ここを癒していくことで、私は本当に私に優しくできるようになりました。


                                セッションでもお伝えできるので、気になる方はお申し込み下さい。



                                セッションはこちら


                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                「自分を許す」の意味がわからないという方へ
                                「自分を許す」の意味がわからないという方へ
                                優しい願いの叶え方
                                2022/05/31

                                「願うだけなら簡単だ!誰でもできる!」と昔よく言われた記憶がありますが

                                その“願うだけ”が意外にも難しいことをここ数年痛感していました。



                                “願うだけじゃ叶わない”のは、望み方が下手だからです。

                                そして下手な人が多いから、“願うだけじゃ叶わない”が真実だと思われています。





                                下手な望み方というのは「〜をしたい✨」という言葉とは裏腹に

                                腹の底で『どうせ無理だ』と思っている状態のことです。


                                望み方が上手な人は、言葉と本音にギャップがないので

                                次々にそのための扉が開いていきます。





                                「〜したい✨」という望みに対し

                                『できる✨』と腹の底から思うことさえできれば、成功したも同然です。


                                そして『どうせ無理』を『できる✨』にするのは、誰でもできる簡単なことなのです。







                                望みと抵抗


                                今年の初め、ふと思い立ち

                                “今年やりたいことリスト”を作成しました。



                                ・自分の誕生日に推しのケーキを買う

                                ・ヘアドネーションする

                                ・ダイビングのライセンスを取るetc


                                ワクワクしながら書いたそのリストの中に

                                「イベントに参加する」という望みがありました。





                                イベントというのは、同じ二次元推しを愛する同人が一堂に会するイベントのこと。


                                学生時代以来、久しぶりに二次元にどっぷり夢中になった私は、昨夏はじめて同人の世界に片足を突っ込み

                                どんどんその世界に魅せられ、イベントに参加したいと望むようになっていました。





                                だけど


                                『大好きな絵師さんに会いたい!!✨』

                                『同人の方たちと同じ空気を吸ってみたい!!✨』


                                どんどん膨れ上がる望みの一方で

                                『まぁでも無理かも』という諦めのような気持ちも同時に味わっていました。





                                『無理かも』を少し観察してみると


                                ・お金がかかりそうだから

                                ・行ったことがないから

                                ・イベントは日曜日に開催されるから

                                が主な理由でした。


                                さて、これを叶えるにはどうしたらいいでしょうか。





                                望み方の失敗例


                                以前、私は何かを叶えるには、腹の底から決めることが大切だと思っていました。



                                だから


                                『イベント行く!!』

                                『絶対行く!!』

                                『お金は稼ぐ!!』

                                『なんとかする!!』と

                                力づくで無理矢理決意し


                                『そのためにはどうしたらいいか!!』

                                『馬力を出せ!!』

                                『アイディアを出せ!!』と

                                怖いまんま、不安なまんまで自分を鼓舞し続けていました。





                                だけど、決意したつもりが全然できていませんでした。

                                本音は怖くて不安なままなのです。





                                何が怖いか、何が不安かって

                                こうやって無理矢理望みを叶えることで大切な何かを失うことでした。


                                『誰かに嫌われるかもしれない』

                                『無理することで何かが崩壊するかもしれない』

                                『その時大変なことになるかもしれない』


                                だから本音では叶わない方が楽なのです。


                                叶わなければ嫌われないし壊れないし、大変なことにもならないから。



                                それにも気付かず、私は無理矢理“覚悟して““決めた”つもりだったので、現実はなかなかスムーズにはいかず

                                力技で叶えられたとしても、心身共にものすごく疲れていました。





                                次第にこのまま何かを叶え続けるのは、嫌だとさえ思い始めます。

                                こんなにキツくてこんなに苦しいことを、これからもやらなきゃ叶わないのか…と。





                                だけどそんな無理もだんだん続かなくなってきて、心は疲弊する一方で、なんだかおかしいなと思い始めました。

                                何がおかしいのか、何が違うのかわからなかったけれど、もうやりたくない無理は一旦やめることにしたのです。


                                2020年の末のことでした。





                                ハードルはできるだけ低く


                                それまで『頑張らなきゃ!!』と必死にしがみ付いていた執着の手を一旦緩め

                                私は自分の心が安堵するものを優先するようにしました。





                                Happyちゃんの動画を聞きながら瞑想したりリラックスしたり。

                                少し元気が出たらHappy理論の動画を聞いたりして。

                                少しずつ無理のない範囲で自分にも、応用したり試してみたりして。


                                そうやって“緩む”大切さを体感しているうちに、望み方が変わっていったのです。







                                まず今回年始に書き出した“やりたいことリスト”。


                                自分で文字にして書くその体感を通して、それぞれの望みの抵抗度合いを感じていました。





                                例えばヘアドネーション。

                                これはほぼ抵抗がありませんでした。


                                髪を切ればいいだけだし、普段お世話になっている美容室でヘアドネーションが出来ることも聞いていたし、

                                ベリーショートも何度もしたことがあったから今更まわりの目を気にすることもない。


                                だから抵抗があるとすれば、40歳を超えた自分の外見で、まだベリーショートが似合うかどうかだけでした。





                                “自分の誕生日に推しのケーキを買う”はもう少し抵抗がありました。

                                自分の誕生日前後にケーキを買う金銭的余裕があるか不安だったから。





                                こうやって一つ一つ見ていくうちに、私の抵抗の種が大体


                                ・お金の不安

                                ・怒られそう


                                の2つであることがわかります。





                                お金の不安は以前よりはだいぶマシなので、現状特に強いのは“怒られそう”です。


                                これってそもそも父との関係の中で作られた私の思い込みでしかないのですが、それは別の記事にまた書くとして。


                                イベントの望みはお金も不安だし怒られそうだったので、リストの中でも抵抗度合い強めな望み。

                                なのでイベントは一旦後回しにし、今すぐ叶えられそうな望みから一つずつ叶えていくことにしたのです。





                                そして叶えられるものから一つ一つ叶った喜びを噛み締めながら

                                イベントの望みも山を登るように少しずつ、抵抗を感じないところから始めてみたのです。





                                まずは抵抗の少ないものから


                                先月、Webでも同人イベントが開催されることを知り、はじめてイベントに参加してみました。


                                Webなので何曜日でも何時でも自宅から好きなタイミングで参加できるし、そのイベントは参加費などもかかりませんでした。

                                つまり“イベントに参加したい”の抵抗のもとになっていたものを、乗り越えなくていい状態で参加できたのです。





                                しかも参加してみたら、ものすごく楽しい!!✨





                                未知のものに対する抵抗は多少ありましたが、ブログやSNS歴が長いこともあってか、リアルのイベントほどの抵抗はありません。


                                それよりも、オンラインとはいえ憧れの絵師さんと会話できたこと✨

                                一緒に記念撮影ができたこと✨

                                同人の方たちと同じ時間を過ごせたこと✨など

                                溢れるような充足感でいっぱいで


                                『次はリアルのイベントに参加したい✨✨』と望みのワクワク度が爆上がりしていました。





                                抵抗のない言葉で望む


                                Webイベントからひと月ほど経った頃、今度は大阪でリアルのイベントが開催されることを知りました。

                                先週の末のことです。


                                Webイベントの楽しさもあってか『いいなー✨私も行けたらいいのになー✨』という望みがこれまでよりリアルだった私。





                                でも


                                大阪だし。

                                遠いし。


                                日曜日に一日息子を置いて遊びに行くのも抵抗があるし…とやはり抵抗は未だ強いまま。





                                それでも前日に「明日大阪行っちゃう?♪」…と冗談でだけど口に出したのが非常に気持ち良く♪


                                気持ち良くなったら

                                年内の関東でのイベント開催日を調べたり

                                一般参加の方法を調べたり

                                どんな差し入れをしようか妄想したり…と


                                実際に行くとしたらどうするか?を具体的に考えるようになりました。





                                具体的に考えるようになったら


                                10月のイベントの頃には、息子も1人で出かける時間が増えてるかもしれないし

                                その頃にはスマホを持ってるかもしれないし

                                そしたら父親と直接連絡を取って遊んでもらってもいいかもしれないし…と


                                “行けるかもしれない”色んな可能性も考えられるようになってきて。





                                『絶対に行く!!』という無理矢理な望み方ではなく

                                『行けたらいいな〜♪』くらいのフワッとした抵抗のない言葉で、素直に望めるようになっていました。





                                そして、こうなるともう早い!!


                                元夫に連絡をし「年末イベントに行きたいから、もし息子が暇そうだったらその時息子と遊んでくれない?」とサラッとお願いできてしまい、

                                お願いしてみたら「いいよいいよ」とあっさりOKをもらい、

                                息子にも話してみたら「全然行ってきなよ」とこれまたあっさりOKをもらい。


                                今まで一人相撲で悩んでいたことが、どれもこれも一気に解決したのです。





                                さらに金銭的な不安も、実際のイベントに行った方のレポを見ているうちに大したハードルではないことに気付き。

                                まだ実際にイベントに行ったわけではないですが、もういつでも自分の気持ちだけで参加できるところまで許可することができたのです✨





                                許可って自分に対してです。


                                なんの抵抗もなく、無理なく自然に『行ってもいいよ♪』と自分に対して今思えているので、もう私はいつでもこれを叶えられる♪

                                ここまで許可が降りたらもうそれだけで大成功なのです♪





                                優しい願いの叶え方


                                自分らしく生きたいと願ってから、一刻もそれを自分の現実にしたくて

                                怖いまんまバンジーを飛んだり、不安なまんまで突き進んでみたり…と随分私自身に心労をかけたと思います。



                                その心的なスリルを私が心から楽しめたら良かったのですが

                                私の心がもっとも欲しているのは、それとは真逆の安心感だったので

                                無理矢理鼓舞して馬力を出させるやり方は、決して私に優しくありませんでした。





                                自分が安心できる範囲で、無理なく進んでいくやり方は

                                一見亀の歩みのようで、せっかちな私には焦ったくも思えましたが

                                やってみると力づくで叶えようとしていた頃より楽にあっさり叶うようになりました。



                                だって低いハードルなら「飛べる」と心から思うことができるから———





                                以前、私は何かを叶えるには、腹の底から決めることが大切だと思っていました。


                                だから力んで覚悟して『決めた!!!』つもりになっていましたが

                                本音の部分で『無理だ』と思っている以上、腹の底からは決められていなかったんですね。





                                今は目の前のハードルが低いからこそ『これなら』と本音で思うことができる。


                                やり方はものすごくぬるくて優しいですが、でも結局腹で決められているのです。





                                イベントに行くことを考えるだけで、すでに感無量の天国気分(゜-Å) ホロリ


                                どんな髪型で、どんな服を着ていこうか

                                その日を楽しみにしたいと思います✨






                                ***

                                まずは話してみませんか?

                                坂戸市在住の占い師です。
                                オンラインでセッションを行なっております。
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                                優しい願いの叶え方
                                優しい願いの叶え方
                                自分を見つめ直す質問「10億円あったらどうする?」
                                2022/05/31

                                「もっと自分らしく生きたい!」そう願ってから

                                私はこの質問を繰り返し自分にしてきました。


                                「もし今10億円あったら、何したい?」



                                その答えはその時々で違うけど

                                自分の“今”が浮き彫りになる

                                とてもいい質問だと思います。









                                先週、私はとても疲れていて

                                生理がきたこともそうだけど

                                とにかく毎日必死すぎて

                                だから呼吸が浅かった。





                                朝から夕方までパートで

                                帰ってきたら自分の仕事に

                                自治会の役員、PTAのこと…



                                夕食時に息子とアニメを2話見る以外は

                                とにかくパソコンに向かいっぱなしで


                                どれも自分で決めてやっていることなので

                                嫌なストレスはなかったけれど


                                それでも少しずつ疲れていって

                                疲れているとなんだか色々

                                報われない気持ちにもなっていった。





                                『時間が足りない』

                                『やりたいことが全然できていない』


                                そんな思考が脳内を占めるようになり

                                呼吸の浅さにやっと気付いた私は


                                瞑想する時間を意識的に増やした。





                                通常忙しくなってくると

                                寝食を後回しにしがちだけれど


                                一見無駄に思えるリラックスの時間が

                                もっとも人をパワフルにする。





                                朝、仕事の合間、作業の合間、夜寝る前…と

                                瞑想してゆっくりする時間を増やしたら


                                少しずつ心にもゆとりができ始め

                                アイディアも降りるようになってきて

                                好きなことをやる時間もでき

                                ふと楽しいことを考えたくなった。


                                「10億円あったら何しよう」















                                自分らしく生きたいと願ってから

                                繰り返し自分にしてきた質問だった。





                                最初の頃は『好きなだけ海外に行きたい✨』だとか

                                『好きなだけカフェに行きたい✨』が多かった。


                                お金があれば自分の好きなように生きられると思っていたから

                                「もし10億円あったら」お金を好きなように使って

                                楽しそうに生きる自分を想像した。





                                数年前は『好きなだけ乗馬がしたい!!』だった。


                                当時夢中になっていた乗馬に

                                好きなだけのめり込めるほどのお金がなくて

                                そんな自分が悔しくて、だから


                                『好きなだけ乗馬がしたい!!』

                                『いつでも馬具が買える自分になりたい!!』と

                                その語尾にはいつも『!!』がついていた。



                                強い執着、執念、悔しさ…


                                必死に好きなことに喰らい付いて

                                必死すぎて苦しくて辛くて


                                だけど諦めてしまったら

                                私は何かを失ってしまいそうで


                                せっかく掴み始めた“自分らしく生きる道”を

                                逃すまいと本当に必死だった。





                                「10億円あったら何したい?」

                                その時々の私を浮き彫りにしてきたこの質問に

                                今の私が真っ先に思い浮かんだものは


                                自分の罪悪感や後めたさを拭うために

                                そのお金を使うことだった。





                                人に助けられていること、協力してもらっていることに対し

                                申し訳なさがずっとあった。


                                だから10億円もあるなら

                                それを自分で全部担いたいと。


                                そしたらこの罪悪感も申し訳なさも全部薄れて

                                私はスッキリ気分良くいられるから。



                                あれが欲しいとか

                                これをやりたいなどの

                                ワクワクとした答えが出てきたのは

                                想像の私が罪悪感を拭った後だった。





                                『あぁ、この罪悪感が今私を堰き止めているんだな』


                                そんな自分に気付けたことが

                                今回の質問の1番の収穫。










                                以前の私なら

                                「10億円あったら?」に対して出てきた答えに

                                とりあえず我武者羅に向かっていた。


                                今回だったら

                                『じゃあその罪悪感を拭えるだけのお金を稼ぐぞ!!』

                                になってたと思う。



                                でもやっとわかってきた。

                                私が本当に欲しいのは

                                罪悪感を拭うためのお金ではなく


                                罪悪感を祓ったあとの

                                スッキリとしたいい気分なんだって。


                                お金を払って

                                罪悪感を祓うことは

                                今すぐには出来なくても

                                気分なら今すぐ味わえるよね。





                                深呼吸をしてもいい。

                                炭酸飲料を飲んだっていいし


                                スッキリしたいんだから

                                今すぐできる方法で

                                そのスッキリを味わってみる。


                                スッキリして

                                自分が欲しいその感覚を

                                味わって味わって味わってみる。





                                それから

                                無理なく望める範囲で望んでみる。



                                今回私が思ったのは

                                人に何かをしてもらうことに

                                素直に『ありがとう』が感じられるようになりたいということ。


                                嫌〜な罪悪感ではなく

                                気持ちよく受け取って

                                気持ちよく『ありがたい』と感じたい。


                                それも今すぐ無理矢理思考を変えるのではなく

                                『ありがとうって素直に受け取れるようになれたらいいな』

                                くらいの心地良い範囲で望んでみるとか。



                                ほら、それだけでちょっと気分がいい。









                                現状に詰まったら

                                まずは深呼吸してリラックス。


                                『そんな暇ない』とか

                                『頑張らなきゃ』とか

                                ザワザワしたまんまでもそれでもゆっくりしてみたら


                                少しずつ呼吸も落ち着いてきて

                                少しずつ心も穏やかになってきて


                                そしたら自分に質問してみる。

                                「もし今10億円あったら何したい?」と。





                                出てきた答えは

                                そのまま叶えようと行動に移す前に


                                それを叶えることで

                                どんな気分を味わいたいのか

                                さらに自分を見つめ直してみる。


                                スッキリしたいのか

                                ホッとしたいのか

                                自由を感じたいのか

                                癒しを感じたいのか。





                                そうやって細かく細かく自分に寄り添いながら

                                今できる方法で無理なくそれを叶えていく。


                                私はせっかちだしコツコツが苦手だから

                                望みはすぐ叶えたかったし

                                嫌ならすぐにやめたかったけど



                                鞭で叩いて無理矢理馬力を出させるよりも

                                優しく丁寧に寄り添うことが

                                結局見たい景色への一番の近道なんだと

                                今はそう確信しています。






                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                自分を見つめ直す質問「10億円あったらどうする?」
                                自分を見つめ直す質問「10億円あったらどうする?」
                                人生というPRGを
                                2022/05/25

                                新・解読の書に早速お申込み頂きありがとうございます✨


                                まだデザインも何も決まっていない状態での告知からすぐのお申込みだったので

                                ビックリしたと同時にものすごい幸福感✨


                                これからどんな風に仕上がっていくかを含め、楽しみにお待ち頂けると幸いです———







                                私の占いのテーマは“RPG”。


                                子どもの頃、夢中でドラクエをしながら

                                「私もこんな風に、冒険するように生きたい」と願った





                                まだ見ぬこの広い世界で

                                自分が一体どこに辿り着くのかもわからないまま


                                村人の情報を頼りに

                                そこに反応するわずかな自分の感覚を頼りに

                                見えない羅針盤が指し示すまま


                                一歩一歩自分の足で

                                意志で選択で歩いていく。





                                明日何処へ行くのかもわからない。

                                今日何処で眠るのかもわからない。


                                それでも

                                「これが自分の冒険だ」という唯一確かな感覚が

                                今日も旅へと突き動かす。





                                ドラクエは

                                世界の平和を脅かす大魔王を

                                主人公が倒す物語。


                                望みは世界を平和にすることで
                                そのためには大魔王を倒さなきゃいけない(=目標)



                                その目標達成までにも

                                長い長い物語が用意されていて。

                                誰かを救わなきゃいけなかったり
                                何かを探さなきゃいけなかったり

                                アドバイスを求めたり

                                大魔王の手下と闘わなきゃいけなかったりする。





                                でもドラクエの醍醐味は、目標達成の瞬間ではなく
                                そこへ向かうコツコツとした一歩一歩が楽しいのだ。

                                冒険こそが楽しいわけだ。



                                冒険の最中は

                                夢が叶った瞬間よりも

                                ずっと素晴らしい。



                                そしてそれを楽しくしてくれるのが

                                誰かを救うことで
                                何かを探すことで

                                アドバイスを求めることで
                                日夜モンスターと戦うこと。



                                これがなかったらドラクエなんて

                                面白くもなんともない。


                                レベル1で大魔王を倒したいわけじゃない。

                                最初から最強の武器が欲しいわけじゃないんだ。





                                私の人生だってそう。

                                この毎日が夢の一部で冒険で
                                喜怒哀楽があるからこそ冒険は

                                わくわくしたものになる。



                                嫌な出来事も

                                嫌な人も

                                嫌な感情も

                                思い通りにならないそのすべてが
                                私の人生を楽しくしてくれる

                                エッセンスなのだとしたら———

                                “喜”や“楽”だけでなく
                                “怒”も“哀”もあるから人生は面白い。



                                そんな色鮮やかな感情に彩られた

                                あなただけの最高の物語を

                                解読の書でぜひ味わってみて下さい。





                                日常をかけがえのない冒険の日々へ———


                                あなただけの物語へと誘う鑑定書

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                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                人生というPRGを
                                人生というPRGを
                                【自分を許す】全部OK❗️オールOK❗️✨
                                2022/05/02

                                “自分を許す”って

                                “全部許す”っていうこと。



                                恥ずかしい自分や隠したい過去や

                                醜い心の内だけでなく


                                うまくいっていない現状も

                                未来への不安も

                                失敗も恐れも何もかも全部———







                                許せるまでその現実は続くよ


                                2016年3月。


                                ふとしたことから叶恭子さんの日めくりカレンダーと出会い

                                そこに書かれている愛に溢れた言葉たちに感動し

                                『もっと自分を大切に生きたい』と願うようになった。



                                それから

                                本当は気になってたけどなぜか見ないようにしていた

                                心屋仁之助さんの発信を見るようになり。


                                その当時イヤだったことに思い切って別れを告げ。



                                宮本佳実さんに出会い

                                あーすじぷしーさんに出会い

                                子宮委員長はるちゃんに出会い

                                Happyちゃんに出会い


                                憧れて、私もそうなりたくて、なれるという希望に感動して

                                私が選んだ“私”っていう可能性を信じてみることにした。





                                たくさんバンジーも飛んで、たくさん自分とも向き合った。


                                なのに

                                何度も悔しく思った。

                                なんでこんなに変わらないんだろうと。



                                『本当にこれでいいのか』

                                『大変なことにならないだろうか』


                                不安になったのは一度や二度ではないし

                                その時自分は大切なものをすべて

                                失ってしまうのではと怖くなった。





                                特に“上手くいかなかった”のがお金のことだった。


                                自分でたくさん稼げるようになれば

                                好きなことを好きなだけできる自由と

                                安心が手に入ると思っていた私は


                                だから起業して

                                だから誰かを真似て

                                好きに生きたりバンジーを飛んだりした。





                                でも変わらなかった。

                                失敗ばかり。


                                上手くいかない。

                                何でだろう何が悪いんだろうって

                                ずっとずっとずっとずっとそればかり考えていたけれど


                                今になってやっと思う。

                                『あの時上手くいかなくて良かった』と。





                                だって


                                自分を大切に生きるにはお金が必要だと思っていたし

                                起業したのも成功したかったのも、お金を自由に得たかったから。





                                つまり当時の私は

                                幸せになるためにはお金が必要だと思っていて


                                それって言い換えると


                                お金がなければ幸せにはなれない

                                固く信じていたということ。





                                だから

                                上手くいかない自分や現実にずっとバツをつけていた。


                                これからもこのままお金が稼げない自分のままでは

                                いつか大変なことになりそうで、それが怖かったから。





                                だけどもし


                                思うように稼いで、思うようにお金を得て

                                お金をちゃんとすることでもし私が幸せを感じ続けていたら





                                お金があったらマル

                                お金がなかったらバツ

                                という強い思い込みを持ったまま、私は今日も生きてたんだと思う。


                                それってすごく怖いこと。





                                だって一生お金に左右される。


                                私の自由や幸せはお金次第で

                                お金に対する不安や恐怖を抱いたまま

                                一生生きることになっただろうから。







                                上手くいっていない時、悔しかったしすごく悩んだし

                                失敗が怖くてその度落ち込んでた。


                                誰もいなくなってしまうんじゃないか

                                大切なものすべて失うんじゃないか

                                大変なことになってしまうんじゃないか…


                                失敗した先の未来が怖くて怖くて仕方なかったけど





                                でもその度に

                                「大丈夫だった…」を知って人のあたたかさを知って

                                なんとかなることを知って世界の優しさを知って


                                今はお金があってもなくても「きっと大丈夫」って信じられている。



                                お金がなかったり

                                お金に困ったり

                                お金の失敗をしたとしても


                                それも含めて私は幸せにしかなれないって。





                                だから以前ほど怖くない。


                                そりゃ何かあれば傷付いたり嫌な思いもするかもしれないけど

                                でもその嫌な思いも含めて幸せにしかなれないと思えてるから。





                                あのまま現実が上手くいってたら

                                今こんな安心感は得られていない。


                                ここまで思えるまでたくさん悩んで失敗できて

                                良かったと今は心から思うんだ。








                                全部OKなわけ


                                今、私がこうやって根拠のない深い信頼と安心感のなかで生きられるのは

                                上手くいかなかった過去やたくさんの失敗のおかげ。


                                自分で失敗して、自分で「大丈夫」を感じなければ

                                この体感は得られなかったと思う。





                                だから全部OK!オールOK!なんだよね。


                                そこだけ切り取ってみたら、どんなに辛く苦しい現実でも

                                それを含めて今私は幸せだと感じているから。


                                私を苦しませるために起こる現実なんて一つもない。

                                どんな失敗もどんな葛藤も、その先に素晴らしい果実がある。



                                だから思いっきり生きられる。

                                だから思い切って好きなことができる。


                                自分で選んでした行動や言動のその先が

                                たとえ望むような結果でなくとも

                                そこまで引っくるめて私は“好きに生きてる”と思えるから。






                                半端な許しは苦しい


                                以前、心屋仁之助さんが豊かさについて

                                トランプに喩えて話していた。


                                強い役を揃えたいなら赤のマークだけでなく

                                黒のマークも選ばなくてはいけないと。





                                赤は昼を、黒は夜を表してると聞いたことがあるけれど

                                その昼夜をもし陰陽に置き換えたら…?


                                陽(望むものや好ましいもの)だけを選り好みするんじゃなく

                                陰(望まないものや嫌いなもの)も受け取るから強い役が可能になるってこと。





                                過去『上手くいかない』と感じていた時

                                私は望む結果だけを欲しがっていた。


                                “好きなことで生きていく”という言葉を都合のいいように解釈して


                                『誰々がそうしていたから』

                                『誰々がそう言っていたから』

                                『だからこれで上手くいくんだ』と

                                半端な自己責任で好きなことに夢中になって



                                その先の望ましい結果だけを欲しがって

                                それが得られないと首を傾げた。


                                『何で上手くいかなんだろう』

                                『何が間違ってるんだろう』と。





                                単純に一つの研究データとして観察したり深掘りする分には

                                全然問題ないというか、そこに苦しさは生まれないと思うけど


                                私は望ましくない結果を受け入れる覚悟がまるでなかったから

                                だからその望ましくない結果が苦しくて苦しくて仕方なかった。


                                自分で選んで自分の意志で好きなことをやっていたはずなのに

                                それに対する現実の結果はすべてを受け入れることができなかった。



                                赤いカードしか引きたくなかったから

                                黒いカードを引いてしまった時

                                『終わった』感が強かった。


                                今は結果がどうなったとしても

                                それも含めて自分の責任だと、好きなことをしていると思える。


                                赤を引いても黒を引いても大丈夫って信じられているから

                                だから以前のような苦しさはない。





                                全てを許すってそういうことだし

                                それが自分軸で生きるってことなんだと思う。


                                だから沢山失敗すればいいよね。

                                『大丈夫』が血肉になるまで。



                                だから、それまでの失敗もOKってこと。

                                悩みも苦しいのも全部OK。


                                今はそう思えなくてもそれもOKだから

                                安心して悩めばいいし

                                安心して葛藤すればいいよね。






                                ***

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                                「死ぬまで、生きる」
                                2022/04/28

                                小学生の頃、祖父と食事をとっていると
                                食卓にあがった卵1個から戦争の話になることがよくあった。


                                祖父は戦争を、戦場で武器を持って、体験した人だった。

                                そこから同じ地域で無事に帰還できた者は祖父以外にいなかったという。





                                祖父はよく言っていた。

                                「おれは死ぬまで生きるんだ」と。





                                「当たり前じゃーん!笑」


                                当時妹と大笑いしていたこの言葉の重みが
                                今になって少しわかる。


                                どれほどの“今”を体感していたのか。





                                二度とない“今”この瞬間を

                                消費するように過ごすのか、それとも“生きる”のか。







                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                「死ぬまで、生きる」
                                結果は後からついてくる
                                2022/04/15

                                高校の3年間、私は音楽部に所属していた。

                                本当は弓道部に入ろうと思っていたけど(かっこいいから)
                                実際に見学に行ってみて心が動いたのは、弓道部よりも圧倒的に音楽部だった。



                                “音楽部”って聞こえはいいけど、内容は合唱部。
                                音楽は大好きなのに“合唱部”となるとなんだかあまりかっこよくない気がして。

                                “こんなはずじゃなかった感”が否めなかったけど、
                                そんな予定外の入部が、私の人生でかけがえのない時間の始まりとなった。




                                高校1年生、音楽部に所属して初めての年に、
                                なんと全国大会初出場&入賞という体験をすることができた。

                                自分の人生で、何かで全国大会に出るようなことが起こるなんてまったく思ってもいなかったし、
                                この音楽部にとっても初めての”全国大会出場”という出来事が、
                                私が入部した初めての年に起こったミラクルに、もう何がどういうことかわからなかった。


                                ただ嬉しかった。
                                起こったことはよくわからなかったけど、ただただ嬉しくてしょうがなかった。

                                自分のことが誇らしく思えたから。

                                まるで価値のある人間のように思えて、その肯定感は私を隅々まで満たしてくれた。


                                そしてこの年、まったくの無名だったはずの私たちの音楽部は、一気に注目校となった。




                                翌年も私たちは全国大会に出場し、今度はなんと3位という結果を得た。
                                1、2位は女性合唱団だったから、混声合唱団としては私たちが全国トップ。

                                さらにその翌年も3位という結果になり、
                                結局私は所属していた3年間すべて全国大会に出場し、
                                そのすべてで入賞するという本当に素晴らしい体験をすることができた。




                                最初の年はわけもわからないまま、ものすごい結果になってしまった驚きがほとんどだったけれど、
                                2年目からは「音楽を作る」ということに少しずつ意識がシフトしていった。

                                もちろん、結果がどうでもいいわけではなかったけれど
                                でも先生がいつも言ってたんだ。
                                「結果は後からついてくる」と。




                                最初はよくわからなかったその意識も、少しずつ理解できるようになり、
                                3年生の全国大会では、泣いたのは結果発表の時じゃなかった。

                                1年の時も2年の時も、
                                自分たちの最高の音楽を本番のステージで出し切れたことに、感動の涙は流していたけれど、
                                3年の時はもうそれがすべてだった。


                                「自分たちが作れる最高の音楽を表現する」

                                それは本番だけではない。
                                練習の時も、その時作れる最高の音楽を表現することが、常に私のゴールだった。

                                全国大会のステージは”結果を出すための大会”という意識ではなく、
                                私にとって”これまでずっと作り続けてきた音楽を表現できる、最後のステージ”だったんだ。


                                その最後のステージで、私たちが作れる最高の音楽を表現し切る!!

                                それがすべてだったから、
                                それが叶った私はもう十分だった。


                                そしてすでに満たされたところに、3位という結果がついてきた。
                                まるでペタッとシールが貼られたように。
                                本当に「結果は後からついてきた」だけだったんだ。




                                高校卒業後、私は音楽部の推薦で某私立大学へと進学した。


                                本当はメークアップアーチストとかの専門学校に行きたかったけれど(かっこいいから)
                                両親に猛反対されたのもあり、
                                お世話になった音楽部の先生が推薦の話を持ってきてくれたこともありで、
                                私は大学でも音楽を続けられることになった。




                                音楽部での3年間を思い、またここで始まる新たな音楽の日々をとても楽しみにしていた。

                                ところが。
                                大学の合唱部は、私が知ってる音楽部とは全然違った。

                                毎日必ずやっていた”発声練習”が、ここでは行われなかったんだ。
                                準備体操や基礎の練習をまるでせずに、その競技のいいとこ取りだけするような…


                                ここの部員は、私のように推薦で入ってきた部員ばかりで、
                                それぞれ自分の母校を誇りに思っていたし、それぞれのやり方にも誇りがあった。
                                私の「発声練習しようよ」という声に、耳を傾けてくれる人は誰1人いなかった。

                                だから1人で発声練習をした。
                                そんな私を部員たちは白い目で見てた。

                                だんだん不信感ばかりが募るようになり、
                                『ここにいたら音楽を嫌いになってしまうんじゃないか』とまで思うようになった。




                                そんな大学1年の初めての大会で、なんとこの合唱部が全国大会で優勝してしまった。

                                正直私はボロクソな結果で終わればいいと思っていた。
                                そしたら少しは練習方法も見直されるんじゃないかと……

                                それが、
                                発声練習もしないような合唱団が、
                                高校の時みたいに“音楽を作ってる”感じが一切味わえないまま、
                                なんと全国で1位になってしまったのだ。

                                『あぁ、これじゃもう変わらないじゃん』
                                『余計つけ上がるだけじゃん』

                                絶望的に感じたのを覚えている。



                                母校の後輩に「全国1位おめでとうございます」なんて言われた時には、恥ずかしさで居た堪れなかった。

                                後輩にあんな音楽を聴かれたくない。あんなので1位なんて恥ずかしすぎると。







                                「結果は後からついてくる」

                                大学合唱部での経験を経て、この言葉を別角度からも痛感することになった。
                                大事なのは”結果”ではないのだと。

                                全国大会優勝なんていうこの上ない結果を目の前に、私は喜びを微塵も感じられなかった。
                                ”今”を精一杯表現もしていないような音楽で、結果だけもらっても、そんなもので価値は得られない。

                                ”今”私たちが作れる最高の音楽を表現すること、
                                これがすべてで、やっぱりこれ以外なかったんだ。






                                音楽も人生もきっと同じ。

                                ”今”できる表現を精一杯することがすべてで、
                                ”今”以上に大切なものなんてない。

                                ”今”を生きることもできずに得た名声や成功なんて、
                                きっとあの時の優勝みたいなものなんだと。




                                そして”今”に全エネルギーを注いだ後の

                                その素晴らしい感覚を私は知っている。

                                あの時のように、音楽を作っていた時のように、
                                精一杯”今”を感じて表現していきたい。

                                後からついてきた結果が、
                                ただの“おまけ”に思えるほどに。





                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                結果は後からついてくる
                                結果は後からついてくる
                                みんなが勇者のパーティよりも
                                2022/04/14

                                みんなが勇者のパーティよりも、
                                格闘家がいて僧侶がいて踊り子がいるような
                                そんなパーティの方が私は好き(ドラクエの話)。

                                村には村人がいてほしいし、
                                お城には王様がいてほしい。

                                私(主人公)は勇者をやりたいから、
                                他の登場人物に、他の役割はやってもらうんだ。




                                だからきっと、
                                いろんな人がいるんだね。








                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                みんなが勇者のパーティよりも
                                みんなが勇者のパーティよりも
                                成功とは、自分自身と調和すること
                                2022/04/13

                                成功とは見えない世界の自分自身と調和すること———


                                “Happy理論”や“HTL”で検索すると

                                詳しい動画やブログが出てくると思いますが。







                                私も生き方を見直し始めたのは、成功したかったからでした。


                                “成功すること”が直接の目的ではないけれど、

                                自分の思うように自由に楽しく生きるには

                                “成功する必要がある”と思ったのです。



                                自由に自分らしく生きるにはお金も必要


                                とはいえお金を得るために、苦しい思いをしたり時間がなくなるのは嫌だ


                                起業して成功しよう


                                が私の思考回路でした。





                                でもこれをもっと紐解いてみると


                                自由に自分らしく生きたいのは、それが心地良いからであり

                                お金を得たかったのは安心して生活ができるゆとり

                                欲しいものや行きたい場所や、やってみたいことがあった時に

                                それを選べる自由が欲しかったからで。


                                そもそも何かを欲しがったり、どこかに行きたかったり、何かを体験したいと思うのは

                                それを手にしたりやってみた時に喜びや幸せが感じられるからだし


                                苦しい思いをしたり時間がなくなるのが嫌だったのは

                                それが心地良くないからです。



                                つまりいい気分になりたかったということ。


                                それって成功しなくても、まだお金がなくても、もし時間がなくても

                                今すぐ得られるものなんですよね。





                                だから

                                成功とは見えない世界の自分自身と調和すること———

                                なのです。


                                自分と調和している時人は、いい気分を感じているから。









                                私がマヤ暦を探究し始めた理由の一つに

                                「言われて嫌な言葉をなくしたい」という思いがありました。


                                マヤ暦でも出てくる思い込みの激しさ、プライドの高さ、

                                気性の荒さ、メンタルの繊細さなどの私の気質。


                                『思い込みが激しいから、もう少し客観的に物事を見ましょう』とか

                                『プライドが高いから気を付けましょう』なんて

                                そんなことを伝えなきゃいけない鑑定は、絶対にしたくないと思ったのです。



                                だってそんなことわざわざマヤ暦にまで言われなくても

                                これまで生きてきた中で嫌というほど言われてきた。


                                気を付けて直るならとっくに直してる。

                                でも“直す”ってそれ、自分以外の枠に合わせるってことだよね……?



                                自分らしく伸び伸びと生きたかったのに

                                なんで自分を変えなきゃいけないんだろう。





                                今回「天国と地獄の書」を作ってとにかく一番達成感だったのが

                                一字一句余すところなく納得のいく言葉だけで

                                鑑定書の全てを作ることができたことでした。


                                自分の性質だけでなく、自分にはない性質のものも

                                言われて嫌だったであろう言葉を全て“贈り物”にしました。


                                それは1mmも自分を変えることなく

                                開き直ったり誤魔化すでもなく

                                自分の中の陰陽(天国と地獄)をそのまま味わいながら

                                生きるということなのです。



                                隠したい自分や嫌な自分と対峙した時に

                                『あぁそうだ、こんな自分で良かったんだ』と

                                ほっとするような一冊に仕上げたかった。


                                自分を変えるのではなく、自分をそのまま受け入れることで

                                心地良さを感じられるようにしたかった。





                                私もそうでしたが、占いなどのセッションを受けた“その時”

                                ものすごくいい気分になります。


                                自分なら何でも出来るような気がして、

                                『こんな自分に生まれて良かった』とキラキラとした気持ちでいっぱいになるのです。



                                でもまた日常を過ごしているうちに、その気持ちは薄れていってしまう。

                                セッションを受ける前と同じ、自信がなくて自分を否定してしまうような

                                これまで“慣れ親しんだ自分”にいくらでも戻れてしまうのです。



                                だからセッション(オンライン)と鑑定書のセットにしました。


                                自己否定ではなく自分を受容できるように

                                滅入るような気持ちからほっとした気持ちになれるように。


                                セッションを受けた時だけでなく

                                鑑定書を読むことでいつでもその心地良さの中に戻れるようにと。



                                そして何が出来ていなくても、何を得られていないとしても

                                ほっとした気分になれたならそれはもう大成功してます。


                                成功とは見えない世界の自分自身と調和することなのだから———







                                「天国と地獄の書」はこちらからお申し込み頂けます。

                                ずっと欲しかった心地良さを、ぜひ味わってみて下さい。


                                成功とは、自分自身と調和すること
                                成功とは、自分自身と調和すること
                                いつ幸せになるの?
                                2022/04/10

                                いつかたまたまついていたTVで、ある海外のドキュメンタリーを見た。

                                両目の光を失った男の子が、ずっと憧れていたアメフトの選手になる夢を叶える物語。


                                感動する。

                                ハンデと言われるものを抱えながらも、夢を実現させた男の子の努力や心の強さ。



                                それに比べて、

                                五体満足で何不自由なく過ごせているにも関わらず

                                なにも成せていない私。


                                大した努力もせず不平不満ばかりで、そんな自分を情けなく思う。



                                それに同じ親として、男の子の両親の姿に思うところも。


                                両目が見えない状態で激しいスポーツをするというのは

                                きっとかなり危険なこと。


                                実際に男の子も、チームの監督に選手になることを反対されていた時期もあった。



                                でも両親は、その夢をただ見守った。

                                そして、ただただ応援していたんだ。

                                なかなかできることじゃない。









                                これらは少し前の私がきっと、感じていただろう感想。


                                何かを抱えながらも頑張ったり、受け入れて努力していく勇気ある物語は

                                それまでの私に劣等感や情けなさをいつも抱かせていた。



                                でもその時感じたのはそれとはまったく別の感想で。


                                もしこの男の子が

                                ハンデのようなものを

                                特に何も抱えていなかったら


                                この物語はどんな物語になっていたんだろう…と。



                                我が子の好きなことややりたいことを

                                ただただ見守って応援できる親は一体どのくらいいるんだろう。


                                「わがままだ」と我が子の言葉に聞く耳さえ持たなかったり

                                一度決めたことを諦めかけたときに

                                「最後までちゃんとやりなさい!!」なんて説教したり

                                ちゃんと練習しないと文句を言ったりして


                                見張るになっていたんじゃないのかな。



                                そしてたとえこんな風に我が子の“好き”を尊重できたとしても


                                「しつけがなってない」とか「わがままにさせすぎ」とか

                                まわりにはそんな風に映ったり


                                子どもがなにかを起こせば「だからそうなるんだ」なんて

                                否定の声に不安を掻き立てられる。



                                でももし今、我が子の目があと半年後には

                                見えなくなるなんて医師に告げられたら?


                                きっとやりたいことをさせて見たいものを見させて

                                逃げることも許して泣きたいときには寄り添ってあげるんじゃない?

                                って思ったの。



                                人はハンデがあって初めて

                                好きなことを許されるの?


                                それに「許される」って一体誰に?



                                許してないのは

                                きっと自分自身。


                                誰かや何かのせいじゃない。





                                究極の状態になって初めて本音に

                                気付くのもアリかもしれないけど


                                私は今すぐ本音のままに

                                生きる道を選びたいと思った。





                                本音のままに自分を生きたい方へ。
                                マヤ暦や占いのセッションをオンラインで行っております。
                                詳しくはこちらをご覧下さい。
                                いつ幸せになるの?
                                いつ幸せになるの?
                                愛されたいのは“光”だけですか。
                                2022/04/09

                                ちょうど2年前の春、

                                当時開催していたオンラインコミュニティの中で

                                ずっとずっと欲しかった愛を、自分の中で感じることができた。


                                ヒステリーな自分を、心から可愛いと思えたこと。





                                ずっと自分を否定して、抑圧して生きてきた。

                                だから嬉しかった。マヤ暦や占いが伝えてくれる、自分の可能性というものが。


                                これまで悩んできたことが、ダメだと思ってきた“私”がすべて

                                可能性なのだということを知って。


                                嬉しくて、

                                “可能性”だけを見た。


                                汚い本性は否定したままで———





                                私は可能性だけを欲していたのかな。

                                光だけを愛してほしかったのでしょうか。


                                好きになった男の人に

                                「確かにわがままだけど、でもそれだけエネルギーが強いってことだよね」

                                なんて(例えばだけど)


                                そんな言葉をかけてもらうことを、私は願っていたのでしょうか。



                                光を見てもらえることは嬉しいことだけど

                                私が本当に望んでいることは“わがまま”をそのまま

                                愛してもらうことじゃなかったのかな。


                                たとえこの黒くて汚い本性が光に転ずることなく黒いままだとしても

                                それでもそのまま愛してもらえることを。





                                可能性はもちろん開花させたい。

                                だけど、汚い私のままで愛されたい。


                                ヒステリーな私をこんなに愛しいと思えたのは

                                本当はずっとほしかった“愛”そのものでした。

                                ずっとこんな風に愛されたかった。


                                光ばかり追いかけないで、キラキラの未来だけに焦がれてないで

                                汚い私をそのまま愛したい。消えない過去の汚点を大切に慈しんで———




                                愛されたいのは“光”だけですか。
                                愛されたいのは“光”だけですか。
                                【マヤ暦】大嫌いな自分を許すために
                                2022/04/08

                                「自分を許す」

                                こんなにシンプルなこの言葉を、現実にできている人は、一体この世界にどれだけいるんだろう。


                                どんな自分でもそのまんまを、受け入れ認めてあげること。

                                それが出来たならその瞬間、今抱えている問題の全てが問題ではきっとなくなる。


                                それって今すぐ幸せになれるってこと。



                                私は“子宮メソッド式マヤ暦”と名を付けた、独自のマヤ暦を探究しています。

                                探究の目的は「そのまんまの自分を愛すこと」


                                大嫌いな自分も恥ずかしい自分も、直すことなく隠すことなく

                                そのまんまをまずは私が、許して認めてあげられるように。


                                そしてそんな私やマヤ暦に興味を持ってくれた誰かが、連鎖のようにどんどん自分に優しくなる世界が、

                                現実になったらいいなと思っています。





                                私は自分が大嫌いでした。

                                なぜってとにかく可愛くなかったから。


                                何もかもがブスだと思ってました。

                                可愛いと言ってくれたのは母や祖母、そして同級生のはとこだけ。


                                みんな身内。それ以外に可愛いと言われたことがありませんでした。



                                反して、妹はとても可愛い子でした。

                                異性にも同性にもよくモテる。


                                性格は天真爛漫で外向的で明るくて、根暗で内向的な私とはまるで違う。


                                「妹はきっと幸せにしかならない」そう思い、

                                そして私はきっと幸せにはなれないだろうと思いました。



                                中学から高校に上がる頃、「可愛くなりたい!」欲求が高まり、

                                メイクをしたりおしゃれをしたりして、可愛くなる努力をしました。


                                私は本当は目立ちたがり屋でした。

                                あまりにも自分に自信がなさすぎて、外見で目立つことは諦めていましたが

                                メイクなどのおかげでそれも叶い始め、以前よりも自分が好きだと思えるようになっていました。



                                しかしそれは所詮ハリボテ。

                                取って付けただけの安い自信は、自分よりすごい人や目立つ人を前にあっという間に崩れ落ちました。



                                比較でしか私は幸せを感じることができなかったのです。

                                自分が誰かより優れていれば満たされ、そうでなければ価値を見失いました。


                                そしてさらに拗れていたのが、その価値を感じたいがために“不幸”をかき集めていたことです。

                                気を引きたくて愛されたくて、“可哀想な”自分になろうとした。


                                けれど自分よりも壮絶な人生を送ってきた誰かを前に、

                                不幸においても敵わない私にはもう、何も取り柄などないように感じ

                                夢も個性も愛も自分らしさも、これまで求めたすべてが指の隙間から、零れて落ちていくようでした。


                                自分が誰かなんてもうどうでもいい。

                                アイデンティティなど満たされなくても、もういいと思うようになっていました。


                                たとえ地味でも平凡でも「それが“幸せだ”」と世間に言われるような、当たり障りのない幸せを求めました。


                                親が安心するような生活を送り、親に認められるような人生を歩み、

                                親に信頼されるような自分になるために———



                                常識的な人間になろうと、社会的に正しい道を選ぼうと

                                自分ではない誰かになろうとし、自分でなくともいい人生を歩んだ結果

                                積もり積もったものが爆発し、私は適応障害になりました。


                                こんなに頑張っても我慢しても、常識的な正しい自分は未だ遠く

                                否定の声はなくならず、親にも信用してもらえず、苦しさだけが増えていきました。


                                いつまで頑張ればいいんだろう。

                                いつになったら楽になれるんだろう。


                                だけど、こんなに苦しいのはもう嫌で

                                そんな私に希望を抱かせてくれたのが占いなどのスピリチュアルなものでした。


                                占いでみた私は、本当はずっとなりたかった私で

                                本当はこんな風に生きたいと、本当は自分らしく生きたいんだと

                                そう思えたそれだけで心が浮き立つのを感じました。





                                そんな中で訪れたマヤ暦との出会いは運命的で、

                                マヤ暦が何か、どんなものかもわからないまま

                                「それ絶対やりたい!!」と衝動的に思いました。


                                ご縁があり、マヤ暦を教えていただけることになり

                                講座を受けるたびにそのワクワクは膨らんでいきました。


                                しかしある時、そんな楽しいはず