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                                【自己紹介】自分探しで見つけた大切なもの
                                2022/03/23
                                初めまして。
                                埼玉県坂戸市在住の占い師、yuuです。

                                占い師として起業して3年ほど経ちますが(2022年3月現在)
                                それまではまさか自分が占い師になるとは露ほども思っていませんでした。


                                私は以前、夫婦の悩みや子育ての悩み…さまざまなことを一人で抱え続けた結果、精神科のお世話になるほどに心が疲弊してしまい“適応障害”と診断されました。
                                それまで我慢という名の蓋で抑え込んできた『辛い』『苦しい』が堰を切ったように溢れ出し、本音を誤魔化し続ける生き方に限界を感じてしまったのです。

                                そこから少しずつ自分探しをするようになり、ずっと目を逸らしていた自分の本当の気持ちに意識を向けるようになりました。

                                過去抱いていた夫婦の悩みも子育ての悩みも今はすっかり癒えましたが、その道中は必ずしも易しいものではなく『従来の我慢する生き方に戻った方がラクなんじゃないか』と何度めげそうになったかわかりません。
                                そんな中でいつも私を励まし寄り添ってくれていたのが占いだったのです。

                                誰にも弱音を吐けず相談できず「助けて」の一言がどうしても言えず、一人苦しんでいたあの頃の私が、『もっと自分に優しくしたい』『もっと自分を大切にしたい』と思えるようになったこれまでの話を、今日は少し書いてみようと思います。




                                私が自分探しをするようになったのは、初めての子育てがきっかけでした。
                                “自分探しを始めた”というよりは、“自分の人生に疑問を抱いた”が当時の心情にしっくりきます。

                                私は子育てを「大変だ」と言うような母親にはなりたくありませんでした。
                                虐待の痛ましいニュースを見ては「子供が子どもを産むのがいけないんだ」とコメンテーターと一緒になってその母親を非難していました。

                                待ち望んでいた念願の我が子。愛情いっぱいに育てようと思いました。
                                「泣いてる顔も可愛い」と愛情で包んであげられるような、そんな聖母のような優しい母親になりたかったのです。
                                実際私の母親はマリア様のような人でしたし、私も強く美しく優しい母のようにきっとなれると信じていました。

                                ところが産院から退院して1週間も経たぬうちに、大変さを実感してしまったのです。
                                泣いてる顔が可愛いなんて思えない。なぜ泣いているのかがわからず、どうしたらいいのかもわからず、睡眠不足は特に辛い。
                                なのにそんな“出来ない自分”が悔しくて認めることが出来ませんでした。

                                母にすら「大変」が言えませんでした。当時書いていたブログには『子育て楽しい〜』『大変なんて思ったことない』と偽りの自分を綴る日々。

                                だけど本当は家事も手伝って欲しかったし、手伝えなくてもいいからせめて出来ないことを許して欲しかったし、一言「お疲れさま」が欲しかったのです。
                                弱音や愚痴をせめて吐かせて欲しかった。ワンオペ育児も辛いけどそれを言えないことが何よりも辛い。

                                頑張っても、頑張ろうと思っても頑張り切れない不甲斐ない自分。愛情いっぱいに包みたいのに『早く泣き止んで欲しい』と願っている自分。母のようになれなかった自分…

                                あれだけ見下していた虐待のニュースも他人事ではなくなっていました。その母親たちの気持ちがわかる…一歩間違えたら私も“そう”なる危険性が十分にあると思ったのです。

                                これまで積み重ねたはずものがガラガラと音を立て脆く崩れていく。あんなに頑張ったのに、やっと信頼を回復できたと思ったのに…

                                そう、私は元来非常識で親の期待に応えられない子どもでした。どれだけ両親に迷惑をかけ、どれだけ信用を失ったかわかりません。
                                それを直そうと、ちゃんとした人になろうとずっと頑張って努力したつもりだったのです。
                                夫にも認めて欲しかった。もう非常識だなんて言われないように…

                                それが出産、育児をきっかけにボロボロと見窄らしく剥がれ落ちていく鍍金。気付けば夫婦間の溝は深くなり、喧嘩も絶えず、そんな環境が息子にも申し訳なく…罪悪感と自己否定とパートナーへの恨みでいっぱいになった私の心は精神病への一途を辿るしかありませんでした。

                                適応障害と診断された時、心底ほっとしたのを覚えています。病名がついたのです。もう頑張らなくていい、やっと弱音が吐けるという深い安堵。
                                病気は「大変」すら言えなかった私のいい口実になってくれました。本当はずっと辛かった心の内を叫べるようになったのです。

                                とはいえ夜は眠れず朝は起きられず、仕事は遅刻や早退を繰り返すようになり、日常生活も儘ならず感情のコントロールも効かない病気は決して楽なものではありませんでした。
                                それでもあの時適応障害にならなければ、今も私は自分の本音を無視したまま偽りの自分の悦に浸り、自分に強いた我慢を他人に求め公害のようにきっと生きていたのでしょう。

                                『本当にこのままでいいのか?』という自分の生き方に対する疑問符が、私を自分探しの道へと誘う大きなきっかけとなりました。



                                そんな漠然とした疑問を鮮明にしたのは、書店でのある一冊の本との出会いでした。
                                鏡リュウジさんの「牡羊座の君へ」
                                その表紙に書かれた言葉にドクンと鼓動が跳ねるのを感じたのです。


                                本当にやりたいこと、してる?


                                『…してない。…え?していいの?』
                                即座に自分の内から返ってきた本当の声。 それはいつか綴った偽りの言葉とは違う、体温を帯びた生の声でした。

                                少し戸惑いを感じた後、何かを決意するように私はその本を手にレジに向かいました。
                                まるで悪いことでもしているかのよう。一緒に買い物に来ていた家族に見つからないように急いで会計を済ませたのを覚えています。

                                帰宅後、タイミングを見計らって一人隠れてコソコソと読んだその本に、私は動機が止まりませんでした。
                                それまで天動説を信じていた人が地動説を証明されたような、まさに“天地がひっくり返る”ほどの強い衝撃。
                                そこにはこれまで「良くない」と言われ思い込んできた私のさまざまな短所や問題が、まるで素晴らしい個性のように堂々と描かれていたのです。
                                それは私が憧れた人物像全くそのものでもあり、初めて心の底から『この私に生まれて良かった』と真に思えた奇跡の一冊でした。

                                もし“これ”が本当に私なら、もう誰かや何かに認められるために自分を偽りたくなんてない———

                                それはまだほんの小さな火種でしたが、確かな希望の灯となりました。
                                力強さを思い起こされ、半ば諦めていた自分や自分の人生にまた期待が持てるような気がしたのです。

                                そしてそのきっかけとなってくれた鏡リュウジさんに興味を抱きました。占いや占い師というものに、ハッキリとした憧れを抱いたその最初の種でもあったのです。



                                ところで、その頃の私といえば依然夫婦間の問題に頭を抱えており、『結婚相手が悪かったのだ』と相手を恨み不平不満を募らせては、別居や離婚騒動を繰り返していました。

                                2014年の春———息子が年中に上がる頃、何度目かとなる離婚騒動を起こした私は息子と2人で住むマンションも契約し、一人で生活をしていくためにと初めてフルタイムで派遣の仕事を始めました。

                                雰囲気も良く仲の良い友達もでき、仕事にやりがいも感じられた大変恵まれた職場でしたが、息子を誰かに預けなければ働けないという働き方を、果たして本当に望んでいるのだろうかと自分を見つめ直すきっかけにもなりました。

                                私はそれまでバイトやパートの経験しかなく、働いた時間に比例した収入の得方しか知りませんでした。
                                息子の幼稚園でイベントがある時や急に体調を崩した時などは頭を下げて休みをもらうしかなく、当然その分収入は減り、補う為には勤務時間を増やすほかありません。それには息子を預けることが必要で…
                                これは私の実家が山形で頼れる親族が身近にいなかったからこそ、真剣に悩めた問題でした。

                                もちろん世の多くのお母さん達がそのように頑張っていることは百も承知です。しかし“私が”本当にそれを望んでいるかというのはまた別の問題だったのです。

                                私には本当は欲しいものもやりたいことも沢山ありました。「牡羊座の君へ」のおかげでやっと気付けた私の本音はもっと欲深いものだったのです。
                                小さなことから大きなことまでもっと自分の望みを叶えたい。息子の望みも叶えられるようになりたい。
                                日々の生活だけでなく喜びのためのお金も得たいと思った私に、時間に比例した収入の得方は限りがあるように感じられました。

                                もっと収入を得たければもっと働く時間を増やすしかない。でもその為に大好きな息子との時間を減らすのは絶対に嫌でしたし、何よりもう二度と自分に鞭打ちたくはなかったのです。

                                たとえ我が儘でも非常識でもそれが偽りのない本音です。もっと自分らしい人生を歩む為にまずは働き方を見直すことにしました。




                                「エステティシャンとか興味ない?」

                                ちょうど転職先を探していた頃タイムリーな友人からの一言で、私は兼ねてから憧れのあった美容業界に転職しました。それは初めてとなる完全歩合制の仕事で、収入に時間が比例しないという私にとってまったく新しい働き方だったのです。

                                出勤時間も出勤日数もすべて自分で決められました。出勤すればお金が得られるというこれまでの当たり前は通用しませんでしたが、自分で決められる自由と責任感、好きな仕事をしているという充実感で私は水を得た魚のようになり、この仕事をきっかけに起業を考えるようになりました。

                                最初はそれまでの仕事の延長でセラピストになろうと考えました。スクールに通ったり、講座や資格もたくさん取りましたが、そんな中で私はマヤ暦との出会いを果たしたのです。

                                きっかけは施術を学ぶために通っていたスクールでした。そこの講師の知人のヒーラーさんが「最近マヤ暦の勉強を始めた」という話を聞いたのです。

                                マヤ暦という言葉を聞いた瞬間、稲妻が走るような衝撃を感じました。マヤ暦が何かもわかりませんでしたが、まるでそれが自分の道であるかのような確かなものを感じたのです。

                                すぐに講師を通じてヒーラーさんにセッションをお願いし、私のマヤ暦を視てもらいました。そしてヒーラーさんにマヤ暦の先生を紹介してもらい、私もマヤ暦を学べることに。

                                これは私の人生に於いて大きな転機となりました。というのも占い師などのスピリチュアルな職業は、特別な力を持っている特別な人だけが成れる職業だと思っていたからです。

                                勉強すれば私でもスピリチュアルな仕事ができるんだ…

                                このことが本当に嬉しかった私は初回のマヤ暦の講座を受けたその日「勉強がてら見させて下さい」と当時やっていたFacebookで希望を募り、気付けばわずかひと月半の間に100人超もの鑑定をしていました。

                                マヤ暦は本当に興味深く、これまでずっと悩んできたパートナーや子育ての悩みがまるで知恵の輪を外すようにスルスルと解けていくのがわかりました。

                                私のせいではなかったのです。夫は夫のまんまでしたし、息子も息子のまんまなだけでした。

                                保育園や幼稚園で何か問題らしきことが起こる度、私の育て方のせいだとか、夫婦仲が悪いせいだとか、私なんかが母親じゃなければこの子はもっと幸せだったんじゃないか…と自分に原因を探してはずっと自分を責め続けてきました。
                                でも私がどんな母親でも息子は息子のままだったのです。どんなにホッとしたかわかりません。息子は息子のままで居てくれたのです。

                                夫のこともそうです。マヤ暦で自分や相手のことを知る中で、当時の夫婦間の亀裂にも納得がいくようになりました。私があの頃必死だったように夫も必死だったのだと。
                                自分一人がまるで被害者で、夫を加害者のように恨んでいましたが、お互い初めての育児でただ息子が大事だっただけなのだと、ようやく気付くことができたのです。

                                とはいえすぐに夫婦仲が改善することもなければ、子育ての悩みがなくなることもありません。これまでの人生で身についた思考の癖や、潜在意識などの染み付いたものが、急に変わることはないからです。

                                マヤ暦がいくら救いになったとはいえ、それは急に世界が180度変わるような秘薬でも魔法でもないのです。それでもまた悩んだり迷ったりした時に頼れる何かがあるというのは、非常に心強いものでした。私はこのマヤ暦と共に自分らしく生きるという道を模索することにしたのです。




                                そしてこのブログを書いている今、あれほど悩んでいた夫婦や子育ての悩みはもうありません。

                                「マヤ暦のおかげです」と言いたいところですが、直接的にはマヤ暦のおかげではありませんでした。

                                もちろんマヤ暦などのスピリチュアルなことは、癒えるまでの過程において心強いサポートとなってくれました。しかしあれほど苦しかった悩みが癒えたのは、私の意識の変化が大きかったと思います。

                                それは自分のために生きるということ。

                                これは日本人にとっては特に美徳に反するものかもしれませんが、誰かのために生きるという生き方が結局、誰かのせいを生んでいたのです。

                                『結婚相手を間違えた』と相手にせいにばかりしていた私が、相手を変えようとしなくなったのは、自分に集中するようになったからです。
                                詰まる所私はずっと誰かや何かに幸せにしてもらおうと無責任に寄り掛かってばかりいたのです。

                                自分探しを始めてから少しずつですが“自分の足で立つ”意識が芽生え、誰かや何かに託すのではなく『自分で自分を幸せにしたい』と思えるようになりました。

                                息子に関してもそうで、自分の人生に集中し始めたことで過干渉することがなくなりました。自分に優しくした分だけ息子にも優しくなれたのだと思います。
                                思えば自分にたくさん我慢を強いていた頃は、息子に対しても同様に多くの制約を求めていました。自分は自分で立つという意識が他者への尊厳に繋がるんですね。




                                今だから言えることがあります。あの頃一人悩み苦しんでいた頃の私へ「大丈夫、あなたのせいじゃない。安心して大丈夫だよ」と。

                                世界中の誰よりも、あなた自身があなたを責めていることを知っています。どんなに歯を食いしばったか、その努力を、我慢の日々を知っています。たった一言「助けて」が言えずにすでに限界を超えていることも知っています。身近な誰にも相談できず、顔も知らない第三者機関へ泣きながら電話したことも知っています。ずっと誰かや何かに助けて欲しかったことも知っていますが、本当はあなた自身にその力はあるのです。

                                一つ一つ許していくこと。ゆっくりゆっくりで大丈夫です。怒ること、悲しむことを自分に許可してあげて下さい。出来ないこと、頑張れないことも少しずつ許してあげましょう。本当はかけて欲しいその言葉を自分で自分にかけてあげて下さい。

                                そして誰かに認められるための誰かに嫌われないための一切の努力を手放したその先で、そのまんまの自分でのびのび生きていくというのが私の理念であり本望です。

                                自身の人生で実践したその生き方から得た体感を、占いに乗せて伝えるのが占い師ではないかと私は考えます。心からの愛あるメッセージが伝えられるように、そのまんまの自分で愛される生き方にこれからも挑戦していこうと思います。




                                2022.3.23 yuu
                                【自己紹介】自分探しで見つけた大切なもの
                                【自己紹介】自分探しで見つけた大切なもの
                                【新・解読の書】あなただけの物語へと誘う鑑定書
                                2022/05/16

                                たとえば一口にラブストーリーと言っても


                                学園を舞台にしたハチャメチャで元気いっぱいの物語もあれば

                                不倫や禁断の愛をテーマにしたダークでディープな物語もある。





                                私たちにはそれぞれこの人生で味わいたいテーマがあって

                                その道で味わいたい感情があって

                                大切にしたい思いがあって


                                その道に出会えた時

                                震えるような感動に出会えるんだよ———












                                3年ほど前、突如思い付きで

                                「占い師になります!」と宣言した私の

                                背中を押してくれた鑑定書がありました。


                                “解読の書”と名をつけたその鑑定書は

                                ドラクエ大好きだった私が

                                『本当はこんなのを作りたい✨』と

                                ずっと思い描いていた理想を形にしたもので


                                ある日突如思い立ったように

                                「占い師になります!」と宣言した私に

                                すぐに舞い込んできてくれた初めての“占いの仕事”でした。





                                自分の“好き”をいっぱい込めて

                                丁寧に丁寧に作った初めての鑑定書。


                                私としては感動の出来だったけど

                                これを受け取った方も同じように感じてくれるか、

                                満足してくれるかはわかりませんでした。





                                不安とドキドキで送った鑑定書。

                                返ってきたのは、想像もしていなかったようなありがたい言葉。


                                「今まで色んな占い見てきたけど、ビックリするくらい当たってて

                                ほんと家に隠しカメラでもありますか??って言うくらい」

                                「冊子を開いた瞬間に涙が止まらなくなりました」


                                私に宛てたメッセージのほかに、ブログにも書いてくれていて。

                                嬉しかったな———

                                だって私にとって初めての口コミだったから。





                                大好きな憧れの占い師さんからもお申込みがあったり

                                雑誌にも載ることが出来たりと

                                解読の書は私の夢をたくさん叶えてくれました。





                                そんな解読の書も

                                私の中で一区切りつけたいような思いもあり、

                                昨年受付を終了してしまいましたが


                                ホームページも開設し

                                占い師としての思いも新たになっている今、

                                デザインも内容も大幅に変えて

                                新・解読の書の受付を開始したいと思います。










                                解読の書はドラクエ大好きだった私が

                                ドラクエのワクワクを詰め込んで作った鑑定書。


                                “天国と地獄の書”がその世界のすべてを綴った攻略本なら

                                解読の書はその人だけのストーリーを綴る冒険の書。





                                自分がどんな道を選んできたかなんて

                                知ってしまったらつまらないような気もするけれど

                                でも私は本当に感動したのです。


                                これまでマヤ暦や占い、セッションや鑑定書で、

                                色んな人が色んな言葉で伝えてくれた私の物語に。





                                そこには本当はずっと求めていたものがあって

                                本当はずっと歩みたい道がありました。


                                だから諦めずにいられたのです。

                                私は私の道を歩くことを。


                                何度くじけそうになっても、何度その本望に目を背けてしまいそうになっても。





                                まるでRPGの壮大な世界を冒険するように

                                ワクワクと自由と無限の可能性を詰め込んで。


                                私を占い師にしてくれた鑑定書、

                                デザインも内容も新たに受付開始します✨


                                お申込みは▶︎こちらから






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                                2022/01/14
                                日頃より、“Hasyu-ka(ハシュウカ)”をご利用いただき、誠にありがとうございます。
                                この度、“Hasyu-ka(ハシュウカ)”は公式ホームページを立ち上げました。
                                今後はこちらのホームページから、“Hasyu-ka(ハシュウカ)”の情報や様々なお知らせを発信していきたいと思っています。
                                最新情報はぜひ当ホームページからご確認ください。
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                                そのまんまの自分で愛される生き方へ
                                2022/03/31
                                もし誰もが皆やさしくて明るくて社交的なキャラばかりだったら、その物語は果たして面白いのかな。
                                素直になれなくて捻くれたり、短気だったり、陰気だったり…同じ思いを抱えながらも誰かは王道を歩んだり誰かは陰に傾いたりするから、それぞれの人生が交差して感動を生むと思うんだよ。




                                まだ独身の頃だったと思う。
                                とある番組に某夫妻が出演していて、夫婦円満の秘訣や育児の話など、番組側からのさまざまな質問に答える2人の姿を何ともなしにボーッと見ていた。
                                その中で「結婚の決め手はなんですか?」と訊かれた奥様のその返答が印象に残った。

                                「自分を変えずに居られる人だったから」









                                まだ家制度の残る田舎で女姉妹の長女として生まれた私は、物心がつく頃には“家を継ぐ”というレールがすでに敷かれていた。まったく望んでもない未来がすでに決定付けられた絶望。

                                “長女”への期待かプレッシャーかなかなか厳しい環境下で育ち、特に父は恐ろしい存在で、とにかく父に怒られないようにと言葉通り息を潜めて自分を殺して生きていた。

                                笑うことも許されず、些細な失敗さえ罵倒の対象で、他愛のない会話は制圧され、感情や思考に自由はない。
                                その結果、無表情で無口でなんの感情も抱かないことが、父の怒りを最小限に抑え自分の心を守る術となった。
                                世の中で“父のいる自宅”ほどいたくない場所はなかった。学校で友達に見せる顔とはまるで違う。妹とゲラゲラ笑っていても父の気配がした瞬間に静まり返る。

                                それが私の当たり前だったので、いつか目の当たりにした友達の姿に筆舌尽くし難いショックを受けた。

                                私(友達)に話すのと同じように両親とも会話する友達。


                                『なんで?』
                                『怖くないの?』
                                『怒られないの!?』


                                なぜ親と笑って話せるのか、なぜお父さんは怒らないのか、なぜ友達は安心しているのか…
                                私にはわからないことだらけで、だけどとても羨ましかった。

                                愛されて育ったのが私にもわかる。お父さんの愛が私にまで伝わる。
                                友達もその愛を素直に受け取り、そして友達がただそこに居ることがお父さんの幸せなのだろうと思えた。

                                一方の私は父から逃げるように家を出ても、結局同じことを繰り返していた。
                                パートナーが帰宅すると緊張が走る。外での私と家での私が相も変わらず違うまま。


                                「自分を変えずに居られる人だったから」

                                テレビから聞こえたその言葉は、私がずっと求めていたそのものだった。
                                自分を変えず偽らず安心して自分のままで居られること。そんな風に私も私のままで生きられたらよかったのに———








                                生まれた家のせい
                                相手のせい

                                それが私の常だった。

                                あたたかい家庭だったら…愛されることを知っていたら…
                                優しい人だったら…否定しない人だったら…と。

                                適応障害になってホッとした。もう頑張らなくていい。もうきっと許してもらえる。
                                私はいつも“される側”で被害者の意識で相手を恨んでいた。
                                いつも誰かや何かのせい。病気になったことも何もかも。

                                だけどそうじゃないってやっと気付いた。叶恭子さんの言葉だった。


                                あなたが自分を大切にすれば、相手も、そして世の中も、あなたを大切にするでしょう。
                                逆に、あなたが自分をないがしろにすれば、
                                「どうせ本人さえ、自分をないがしろにしているのだから」と、
                                まわりはますます、あなたを大切にしなくなるでしょう。💋✨


                                オフィシャルブログより引用



                                …自分が自分を大切に?そんなことしていいの……?

                                驚いて、そして嬉しかった。
                                自分で自分を大切にすること。
                                だって待たなくていい。誰かに大切にされることを。


                                もう私は被害者じゃなかった。本当はずっとして欲しかったように私が私を大切にすればいい。
                                それなら誰に許可を得なくても今すぐ勝手に始めることができた。








                                とはいえ、それまでの人生で染み付いた意識がすぐに変わるはずもなく、本当に自分を大切にしていいのかと強い抵抗のなか葛藤していた。
                                自分を大切にすることはまるで相手を疎かにすることのようで、言いようのない罪悪感と『こんなことをしたら嫌われるのではないか』という不安と恐怖が凄まじかった。

                                “それまでの人生で染み付いた意識”というのはとどのつまり“条件付きの愛”だった。

                                『〜しなければ愛されない』
                                『〜しては嫌われる』

                                そうやって人に嫌われないように、人の信頼を失わないように、認めてもらえるように、愛を失わないようにと自分を脅迫し続けた結果の一つが、私の場合“適応障害”だった。

                                病気になってやっと気付いた。もうこんな生き方をするのは嫌だと。
                                だけど恐怖が不安が拭えない。生きたいように生きてしまったら信頼を失いそうで、見限られてしまいそうで。
                                そしたら私はきっと大切なものをたくさん失って“大変なこと”になると思ってた。

                                でも、居たんだ。たった一人だけ。無条件に私に愛を向けてくれる人。
                                息子はどんな私でも「だいすき」だと言ってくれた。機嫌が悪くても自己否定に苛まれても「ママがすき」だと。

                                家事もちゃんとできなければ夫婦の仲も悪いまま。我慢が足りなくて努力も足りなくて、おまけに情緒は不安定と我ながら最低な母親だと思った。

                                何度、寝顔に謝ったかわからない。

                                「こんなママでごめん」
                                「優しくできなくてごめん」

                                それでも変わらず笑顔で私を呼び屈託なく手を伸ばしてくれる我が子に、あぁ“無条件の愛”とは母の愛でなく、子の愛をいうのだと知った。


                                私は条件付きだった。授乳の回数、まとめて寝る時間、言葉の発達や社交性、協調性など。
                                なぜうちはこうなんだろう、なぜまわりみたいに出来ないんだろうと比較しては、勝手に息子を問題視し、勝手に悩んでイライラしてた。

                                息子の“問題”を改善するために、まず私の対応を改めようというのが一般的なアドバイスだった。
                                …なんだそれ。まるで“私のせい”じゃないか。
                                実際息子の“問題”は私の責任だと、ハッキリ言う人も少なくなかった。

                                そりゃそうだよね。今思えば当然だ。
                                だって私が先に“私のせい”にしてたのだから。



                                あなたが自分をないがしろにすれば、「どうせ本人さえ、自分をないがしろにしているのだから」と、まわりはますます、あなたを大切にしなくなるでしょう。

                                本当だ、叶恭子さんの言う通り。

                                しかしまだそれを知らない当時の私には、自分を責めただ刃を向けるしかなく、“誰もわかってくれない”そんな世界で、息子だけが唯一あたたかかった。




                                それから6年。
                                自己否定と罪悪感まみれで拗ね散らかしていた当時の私も、たくさんの発信者の言葉やマヤ暦の探究、様々な実体験を通して“そのまんまの私”でも随分と気持ちよく生きられるようになった。

                                具体的に“どうやって”自分のそのままを受け入れられるようになったのか、自分を大切にできるようになったのか……過去悩んでいた頃の私に話したいことはたくさんあるけれど、
                                それより何より先にまず伝えたいのが

                                安心して幸せになってもいいということ。

                                私が私を大切にするようになって、私の目に映る世界は激変した。
                                自分に優しくなればなるほどに、他者のことも気にならなくなった。
                                以前は“問題”だった息子の要素も、今はただの“個性”でしかない。

                                人との違いに寛容になった。どちらが正解か不正解かではなく、好みかどうかというだけの話。カレーの甘口が好きか辛口が好きかで、いちいち他人を責めないのと同じように。

                                叶恭子さんの言う通り、自分が自分を扱ったのと同じように世界はただそれを写す鏡だった。許せない人や事象が多いのは、それだけ許せない自分が多いだけ。

                                だけどそれを正誤で捉えるから、人は自分と違うものを否定する。どっちが正しいとかどっちが非常識だとか。

                                そうやって皆が当たり前に個人レベルでやっていることを、国レベルでやると戦争になると思うんだよ。

                                台風前にスーパーから消えた食材、コロナ禍で消えたマスク・ペーパー類。
                                そうやって“自分たちの分”を確保しようとする。そりゃ物資を巡って国同士も争うよね。
                                本当に戦争反対なら本当に世界の平和を望むなら、目を向けるのはまず自分なんだ。




                                マザー・テレサの有名な言葉。

                                世界平和のためにできることですか?家に帰って家族を愛してあげてください。
                                マザー・テレサの名言・格言より


                                今この言葉の意味がよくわかる。
                                身近な人を許容できる人が増えたら世界は確実に平和になる。
                                そして身近な人を真に許容できるのは、自分を許容した人なのだと。

                                “誰かのために”自分を抑圧する人は、結局誰かや何かのせいにする。私がずっとそうだった。
                                感謝は“沸く”ものであって愛は“芽生える”ものであって、『そうしよう』『そうしなければ』と意図してするものじゃない。いずれ必ず限界がくる。

                                だけど自分を満たして満たして溢れ出たものは、恨みにも辛みにもならなかったんだ。




                                それに政治家だって仕事だ。
                                まずは“票を集める”のが仕事なんだから、そりゃ票のために政策を打つ。

                                自分で自分を幸せにできる人が増えたら、政治家の政策も変わらざるを得ない。
                                今はまだ幸せに“してもらおう”という受けの意識の方が強いから、だからそうしてくれない誰かや何かへの不満が募る。

                                政治家も自ずと国民の不満解消が主軸になる。
                                けどもし自分で自分を幸せにできたら?勝手に幸せを感じる国民が増えたら?

                                そしたら例えば保護猫や保護犬が政策の対象になるかもしれないし、経済的な援助が必要な国への支援や、環境保護が議題のメインになるかも。




                                私が言いたいのは「だから世界平和や国のために意識を変えましょう」ではなく
                                「だから安心して自分を大切にして下さい」ということ。

                                自分を大切にすることは誰かを疎かにすることじゃない。罪悪感は抱かなくていい。

                                身体や心が満たされてさえいれば、愛しい我が子をただ愛しい気持ちで抱いていられたように、
                                先に自分に優しくしてあげられたなら、きっと内からあたたかいものが溢れ出るから。

                                優しい世界で生きたいと願うなら、どうか遠慮せずそうして下さいと———




                                私たちの個性は、人との違いは、直すためにできたものじゃない。自分が自分であることの証。違うからこそハーモニーが生まれ、違うからこそ華やかに色付く。

                                ドラえもんの世界が皆出木杉くんとしずかちゃんだったら、その物語はきっと見向きもされない。のび太もスネ夫もジャイアンもいるから、ドラえもんは面白いんだよね。

                                だから愛してみませんか。自分にしかないその色を音を。




                                オンラインでマヤ暦や占いの鑑定をしています。

                                そのまんまの自分で伸び伸びと生きていきたい方へ。
                                鑑定のお申込みはこちらから。

                                 
                                そのまんまの自分で愛される生き方へ
                                そのまんまの自分で愛される生き方へ
                                戦争のない平和な世界を望むなら…
                                2022/04/06
                                昨日まで4日間、息子の卒業旅行で沖縄に行っていました。
                                メインの目的はダイビングのライセンスの取得。 


                                2017年の夏、思いつきでボディボードを買って、
                                楽しくて毎週のように海に行っているうちに、いつかダイビングもしてみたいと願うようになった。

                                けれど、

                                まさか自分の人生で本当にダイビングをする日がくるとは…
                                ライセンスを無事に取得できた今も、ありえないほど恵まれたこのストーリーにただ驚き感動するばかり。

                                だけどそんな幸せな今も、すべての過去の上にある———




                                私はニュースを見ませんが、それでも今世界で何が起こっているかは知っています。
                                繰り返される悲しい現実。

                                どんな悲しい過去も目を背けたくなるような出来事も、そのすべてが今をつくっている。

                                だけど争いのない平和な世界を望むのは、人の自然な気持ちだと思うのです。
                                たとえ争いが過去の一部だったとしても、未来でそれを繰り返す必要はない。




                                「戦争は嫌だ」

                                そんなシンプルな子どもの思いを、それらしい言葉でこねくり回す大人がいる。
                                まるで何もかも知っているかのような顔をして、世界のこれからを酒の肴にする人も。


                                「なんで戦争するんだろう。話し合いで解決すればいいのに」

                                至ってシンプルな話なのに
                                「そう簡単にはいかない」そう弁えていくのが、大人になるってことなんだろうか。

                                おかしな話だよね。友達との喧嘩は諭すのに。




                                個人間でも意見が食い違うことはある。国同士だってそりゃ同じ。
                                その違いを認めようとせず、力でなんとかしようとするのは
                                どこかの国に限った話ではなく、私たち個人もそうだと思うのです。

                                何かを批判したり嘆く前に、せめて自分一人だけでも平和な世界を目指せばいい。
                                違いを攻撃したり正誤で争うのではなく、たくさんの違いが個性としてただ共存できるような優しい世界を。

                                それにはまず自分に優しくあることが大切だと思うのです。
                                他人を正誤でジャッジし責める人は、同じように自分をジャッジし責めているはずだから。
                                過去の私がそうでした。

                                だけど自分のそのままを認め許容しているうちに、他人との違いが気にならなくなってきたのです。
                                どちらが正しいか間違っているかの争いではなく、その色の違いがこの美しい世界をつくることを知ったから。

                                そうやって内側で広がる優しい世界を感じられるにつれ、他人への感謝も溢れるようになりました。
                                内側と同じように、外側の世界にも優しさを感じられたのです。

                                これは私の主観的な世界でしかないのかもしれませんが、だけどもし世界中のみんなが『世界は優しい』と感じていたら……?
                                その世界は間違いなく、平和な世界だと思うのです。


                                今回の沖縄旅行で平和祈念公園にも訪れましたが、平和の祈りというのはやはり愛なのだと感じました。
                                たとえ綺麗事だとしても、愛は平和をもたらすのだと。




                                私がマヤ暦で得た一番の財産もそれです。
                                未来の予知でも他人との相性でもなく、「私はこのまんまの私でもいいんだ」というその安心感から広がる平穏。
                                自分を批判することなく変えることなく、優しい世界で幸せに生きてもいいのだと。

                                占いの叡知ってそこなんじゃないかな。
                                人と自然とが当たり前に共存していた時代に、宇宙や自然を師に作られたのがきっと占いで、その目的はきっと世界との調和だったと思うから。



                                オンラインでセッションをしております。
                                内側に広がるあたたかさを感じてみて下さい。

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                                戦争のない平和な世界を望むなら…
                                戦争のない平和な世界を望むなら…
                                「どう思いたいか」は自分で選べる
                                2022/12/30

                                自分の考えや思いに対し、否定的な意見を言われると酷く嫌な気持ちになる。


                                まるで「間違いだ」と言われているようで。

                                自分の価値まで否定されているような…





                                でも、選んでいいんだよね。

                                「どう思いたいか」は本当は自分で選んでいい。


                                どちらかが正しくてどちらかが間違いでもなければ、考えの違いは存在を否定するものでもない。





                                どう思いたい?

                                どう思えたらほっとする?

                                自分が選びたい方を選べばいい。





                                ***

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                                占いを用いた個人カウンセリングを行なっております。

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                                「どう思いたいか」は自分で選べる
                                「どう思いたいか」は自分で選べる
                                パワースポットが開運スポットなわけ
                                2022/12/01
                                この世界は感情がすべて。
                                お金が欲しいのは「安心したいから」であり、その願いを叶えたいのは「叶った時の気分の良さを求めている」から。

                                なぜいわゆる「成功者」が瞑想を採用していたかと言うと、呼吸に意識を向けているうちに心地良さが感じられてくるからだ。




                                となると開運を求めてパワースポットに訪れるのも、実はめちゃめちゃ理に適ってることになる。

                                パワースポットは単純に「気分の良さをめっちゃ味わえる場所」だから。




                                エンジェルナンバーとかもそう。
                                エンジェルナンバーを見た時に「いいことありそう♪」って思えた時点でもう開運したも同然だし、虹を見れた時に「ラッキー✨」って思えるから、虹ってやっぱりラッキーなんだよね。龍とか四つ葉のクローバーも。




                                占いも、鑑定を受けていい気分になるなら受ければいいし、逆に占いをすればするほどに不安になるなら受けなくていい。


                                私は占いが大好きで、鑑定を受けるとワクワクするからまた鑑定を受けたいと思うし、

                                そんな鑑定ができる占い師でありたいと思っています。






                                ***

                                埼玉県坂戸市の占い師です。

                                プロフィールはこちら

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                                パワースポットが開運スポットなわけ
                                パワースポットが開運スポットなわけ
                                自分自身の平和な場所に戻ること
                                2022/10/28
                                出勤時ふと「今日はコンビニでラテを買っていこう」と思い、
                                なんとなく「今日はファミマがいいな」と思い⁡、
                                仕事前はわりと大きめサイズ買いがちなのが、なんとなく「今日はMにしよう」と思い、
                                ⁡レジでラテのMサイズを注文したら、好きなアニメのコラボカップが出てきた。

                                ⁡⁡⁡先月からさらに情報遮断していたので、好きなアニメのこういう情報すら知らなかったのだけど、もしいつも通りLサイズを頼んでいたらコラボカップじゃなかったんだよね。
                                ※コラボカップはMサイズのみだった

                                ⁡ほんとに些細なことだけど、それでもこういう小さな「ラッキー✨」の積み重ねが、根拠のない「大丈夫」を育ててくれる。⁡

                                自ら情報取りにいかなくても大丈夫。
                                必要なことは直感が教えてくれるから大丈夫だと———




                                そうやってコツコツコツコツ、本当にコツコツ、「安心して冒険するように生きる体感」を長年かけて培ってきました。⁡
                                たくさん遠回りをしてたくさん失敗もしたからこそ、近道のようなものもわかりました。
                                それがいかに地味で地道で、一見「大したことのない」ことであるのかも。




                                ⁡⁡⁡2013年、「もっと自分らしく生きたい」と初めて明確に意識してから早9年。
                                ようやく血肉になってきたこの感覚で「オンラインリトリート」を始めたいと思います。

                                ⁡自分に優しく、自分の望む人生を生きるための、平たく言えば「習い事」のようなものです。
                                ⁡コースは「オンラインサロン」と「個人コンサル」の2コースを考えています。
                                「⁡オンラインサロン」は習い事で言えば「クラス制」みたいなもの、「個人コンサル」はがっつり「マンツーマン」です。




                                ⁡⁡たった一度の鑑定やセミナーで、人生が変わることはありません。⁡

                                この9年間で自分軸があまり揺らがなくなったと感じられたのは、本当にこの1,2年で「ようやく」で。⁡それまでは自分の本音と目の前の現実との間で、何度迷って何度悩み、何度自分を責めたかわかりません。

                                ⁡自分が望む生き方を本当にしてしまってもいいのか、その不安もなかなか消えませんでした。⁡

                                だけど今やっと世界を信頼して、安心して生きられるようになったのです。
                                「今ここ」に留まれる時間が増えたから。
                                ⁡自分の中に本当はいつでもあった「平和な場所」に戻れるようになったからです。




                                ⁡⁡⁡「リトリート」には「戻る」や「隠れ家」などの意味があります。
                                ⁡自分自身の平和な場所に戻ること。それが私の考える「リトリート」。

                                ⁡何処にいても、今のその場所を離れなくても、リトリートってできるんですよね。⁡

                                いつか物質的な「リトリートの場所」も創りたいという思いがありますが、今は今いる場所で今できるリトリートをしてみたい。
                                ⁡私がこの9年、今いる場所で、私のまんまで、それでも見える景色が変わったように。

                                ⁡それぞれが今いるその場所で「そのまんまの私で愛される生き方」を、世界の優しさを一緒に体感していきましょう✨


                                詳細決まりましたら、改めてご案内します。





                                ***

                                埼玉県坂戸市の占い師です。

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                                自分自身の平和な場所に戻ること
                                自分自身の平和な場所に戻ること
                                「席替えてください」チャレンジ
                                2022/10/03
                                先日、洗車に行った時のこと。

                                洗車をしてもらっている間、いつもはガソリンスタンドの待合室で缶コーヒーを飲みながら待つのですが、その日はあったかいカフェラテやカプチーノを飲みながらゆっくりしたいと思ったので、そこから歩いてすぐのファミレスに行くことにしました。

                                行くと、店内はすでにお客さんでいっぱいで、空いているのは「団体客の近くの席」か「広いテーブル席」だと店員さんが少し申し訳なさそうに説明してくれました。


                                「団体客の近くの席」は、そこからすぐに見える席。
                                少し奥まった場所にあって、空間としては最高なのですが、「団体客の近くは嫌だなー」と思ったので、広いテーブル席の方をお願いしました。

                                ところがいざ案内されてみると、広いテーブル席が落ち着かない。
                                本当に広いし(6〜7人くらい座れそうな感じ!)まわりにもお客さんがいっぱいいる上に、広々としたオープンな感じの空間だったので、他人の存在を一度にたくさん感じてしまい、まったくゆっくりできなかったのです。



                                私は自分の意見や要望をハッキリと伝えられるタイプなので、もしそこで数時間過ごすつもりなら、迷わず席の移動をお願いしていたと思います。

                                だけどその日は洗車の間のたった40分。たった一杯のカプチーノを飲むだけ。
                                この40分のために、この一杯のために、わざわざ移動するのも面倒な上に、「40分しかない」時間を移動のために使うのももったいないような気がして、このまま我慢しようと思いました。でも…


                                「もし今この瞬間、世界が終わるのなら?」

                                自分にそう問いかけた瞬間、「やっぱり席を移動しよう」と思い直しました。
                                たとえ短い時間だったとしても、「もし今この瞬間、世界が終わるのなら」その瞬間はもう少し心地の良い席で迎えたいと思ったのです。



                                たった40分だから。
                                たった一杯だから。
                                わざわざ移動する時間がもったいないから我慢しよう。

                                これが私の思考の癖です。

                                「本当はどうしたいか」を考える間もなく瞬時に「広いテーブル席で我慢する方」を選択しましたが、本当は滞在時間が40分だとか数時間だとかは関係ないんですよね。「今この瞬間の私」は、広いテーブル席をハッキリ「不快だ」と感じているのですから。


                                確かに、

                                たった40分かもしれないし、
                                たった一杯かもしれないし、
                                わざわざ移動する時間ももったいないかもしれないけれど、

                                でも秒で換算したら40分って2400秒です。
                                「不快だ」と感じている今を2400秒も自分に我慢させるなんて、よくよく考えると本当に自分への扱いが雑なのです。



                                店員さんに「やっぱりさっきの団体客の近くの席に移動したい」と伝えると、イヤな顔一つせず本当に親切に丁寧に対応してくれました。

                                さらに「団体客の近く」ではあったものの、逆にいうと団体客以外近くに誰もおらず、その会話もまったく気にならなかった上に、やっぱり奥まった場所にあるその空間が居心地良く、残りの時間心からほっとしてリラックスして過ごすことができました。


                                「たった40分」かもしれないけれど、「不快なまま過ごす40分」と「心地良く過ごす40分」とではまるで違う。
                                結局その「たった40分」を雑に過ごす人は、1日をも雑に過ごすのです。
                                それが1週間となり1年となり人生になっていくのだから、「今ここ」を大切に生きるのって本当に大事ですね。


                                店員さんの優しさにも触れられて、幸せな40分になりました。
                                店員さん、本当にありがとうございました。




                                ***

                                埼玉県坂戸市の占い師です。

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                                嫉妬で終わるのは怠慢だよ
                                2022/09/27
                                「嫉妬で終わるのは怠慢だよ」
                                これは八木さやちゃん(現:吉野さやかさん)が数年前に言っていた言葉です。

                                私はとても嫉妬しやすい性質で、
                                当時、自分のうまくいかない現実を嘆いては、うまくいっている誰かに嫉妬ばかりしていた私は、
                                「嫉妬で終わるのは怠慢だよ」というさやちゃんの言葉に、

                                「嫉妬って悪いことなのかな…」
                                「だから私はうまくいかないのかな…」
                                と、自分を責め落ち込んでいました。

                                さやちゃんは私の憧れの発信者の一人で、その憧れの気持ちが大きいからこそ、さやちゃんの言葉は私にとって影響力の強いものでしたが、
                                中でも特に「嫉妬で終わるのは怠慢だよ」というこの言葉が強く残ったということは、「その言葉に強く反応する何か」が私の中にあったということ。

                                さらに、さやちゃんが嫉妬という感情を一概に「悪いもの」にするとはとても思えなかったので、どういった真意がこの言葉に込められているんだろうという探究心もまた、この言葉が気になった理由の一つでした。




                                ところで具体的にどんなことで嫉妬していたかというと、例えば乗馬クラブで「親子で十分に乗馬を楽しむだけのお金を、旦那さんに出してもらっている人」などがその対象でした。
                                当時私は、息子と一緒に入会した乗馬に無我夢中になっていましたが、その楽しみの裏には常にお金に対する不安があり、

                                「今月も無事に乗馬続けられるかな…」
                                「乗馬代払えるかな…」
                                と、プレッシャーに押し潰されそうな中、何とか乗馬にしがみついている状態でした。

                                だから「親子で十分に乗馬を楽しむだけのお金を、旦那さんに出してもらっている人」に嫉妬していたのです。
                                「自分で働いて得たお金で、十分に乗馬を楽しんでいる人」に対しては、純粋に「すごいな✨」「私もそうなりたいな✨」という憧れを感じていましたが、
                                旦那さんの理解とサポートの元にそれを叶えている人に対しては「ずるい」という嫉妬心しか芽生えなかったのです。

                                なぜなら私も「理解されて、応援されて、安心して」乗馬を楽しみたかったから。
                                理解されず、応援されず、なんとか必死で乗馬にしがみついていた私は、私にないものを持っている目の前の誰かと比べては、悔しさと嫉妬の濁流に飲まれていたのです。




                                そうなんです。嫉妬って「憧れの裏返し」なんですよね。
                                「それ」を自分も望んでいるからこそ、嫉妬したり憧れたりする。

                                そもそも嫉妬や憧れの感情がなぜ湧くか?って「そこに自分のカケラがあるから」なんです。
                                自分にもその種があるからこそ、それを存分に開花させている誰かに嫉妬したり憧れたりするのです。

                                つまり
                                嫉妬・憧れ=自分の可能性
                                ということ。

                                原理としてはそうなのですが、ここで「自分の可能性」に対して捻くれてしまうと、純粋な憧れではなく、嫉妬という感情になってしまうのです。


                                もう少し詳しく書きますね。



                                今私はHappyちゃんの「IMACOCO能力開花PROGRAM」というオンラインのコミュニティに参加しています。
                                Happyちゃんは、先ほどのさやちゃんと同じように、私の大好きな発信者の一人なのですが、
                                「IMACOCO能力開花PROGRAM」に参加したのは、Happyちゃんが「私の夢ドンピシャの現実」を体感していたことがきっかけでした。

                                今月の初め、たまたま開いたインスタで、たまたま気になったHappyちゃんのライブ配信を聞きました。
                                そのライブ配信の冒頭、Happyちゃんが「今ペルーのクスコにいます」と言うのを聞いた時、私は全身が毛羽立つかのような衝撃を感じたのです。

                                なぜなら「ペルーのクスコに行って、マチュピチュに行って、シャーマンの儀式を受けたい✨」というのが私の夢だったから。

                                配信を聞いていると、Happyちゃんもまた、その旅の目的がシャーマンの儀式であることを知り、
                                私の夢ドンピシャの体験を今まさにしようとしているHappyちゃんに、軽い嫉妬のような感情を抱きました。

                                「いいな。私も行きたかったのに」みたいな。

                                嫉妬というほど黒い感情ではありませんでしたが、その「いいな」は決してカラッとした気持ちのいい感情ではありませんでした。


                                だけど次の瞬間、思ったのです。
                                「いや、これは私が主人公の物語だ」と。

                                私はドラクエが大好きで、「ドラクエのように、冒険するように生きたい」というのが、いつかの私の夢でした。
                                そんな私が「ペルーでシャーマンの儀式を受けたい✨」という望みを抱いたのは、「EARTH GYPSY-はじまりの物語-」という一冊の本がきっかけで、
                                筆者でもあるまほさんが、自身の感覚だけを頼りにバックパッカーで単身ペルーに行き、色んな人と出会い、ここでも自分の感覚を頼りに、マチュピチュに行ったりシャーマンの儀式と出会ったり…と、まるで「リアルドラクエ」のようなこの実話に私は心が震えて仕方ありませんでした。

                                「ペルーでシャーマンの儀式を受けたい」というのはもちろん、まんまこの本から影響を受けて抱いた夢でしたが、
                                それを今Happyちゃんが叶えようとしているというのはもはや、ドラクエでいうところの「村人の話」だと思ったのです。

                                私の人生がドラクエなら、もし私がその主人公なら、
                                私の旅の目的や、行くべき場所やクエストといったものは、すべて村人などの旅で出会うさまざまな人との会話がヒントになります。
                                つまり「情報」です。

                                私にとってHappyちゃんは大好きな発信者の一人ですが、インスタをフォローしたのは最近のことで。
                                というのも「大好きな発信者」であるからこそ、その言葉は私にとってあまりにも影響が大きく、
                                例えば私が「Aだ」と思っている時に、彼女のような存在が「いや、Bだよね」と言っているのを見ると、
                                「私はAだからうまくいかないのかな…」とか、「Aだと思うのが間違いなのかな…」と、自分を責めたり否定するきっかけにもなってしまっていたのです。
                                ※前述のさやちゃんのエピソードと一緒ですね

                                もちろん彼女たちの発信をきっかけに、気付きを得たり、勇気やパワーをもらうこともたくさんあったのですが、
                                自分に刃を向けるきっかけにもまたなってしまっていたので、自分の中の土台がしっかりするまでは一旦発信を見るのはやめようと思い、
                                「誰の発信も自分のフィードには上がってこない状態」を、しばらくの間作っていたのでした。


                                それが「もう大丈夫」な気がして、「またHappyちゃんの発信を見たい」と再びフォローしたのが、ペルーからのライブ配信を聞く直前だったのです。

                                久しぶりにフォローしたタイミングで、ペルーのクスコから、自分の夢ドンピシャの現実を、今まさに味わおうとしているHappyちゃんの配信。
                                もしこれがドラクエなら、これって旅のヒント以外のなにものでもありません。

                                それに気付いた瞬間、それまでのちょっとじめッとした感情が一気になくなり「これは私の前兆だ!!✨」「私がペルーでシャーマンの儀式を叶える未来があるんだ!!✨」と、
                                Happyちゃんを通して垣間見た自分の未来に、心の底からワクワクして震えたのでした。

                                つまり、「Happyちゃんを通して、自分の可能性を見ている」と認識できた時、それまでのじめッとした感情がなくなったということです。

                                嫉妬と憧れの違いってここです。
                                最初は「Happyちゃんはいいな、叶えられて。私だってそれがしたかったのに」=「Happyちゃんは叶えられるけど、私は叶えられない」になっていたので、じめッとした感情になっていましたが、
                                もし私が今「いつでも自由に海外に行けるような私」だったら、
                                「ペルーいいな✨シャーマンいいな✨そういえば私も行きたかったんだった✨いつ行こうかな✨」って、シンプルに「自分も行こう」という思考にただなっただけだと思うのです。

                                だから「嫉妬で終わるのは怠慢」なのです。

                                それが自分の可能性であるとも気付かずに、自分にもそれができるパワーがあることに気付かないまま、目の前でそれを叶えている誰かにただ嫉妬して自分事にしないまま終わるのは、自分に対してものすごく失礼で雑な上に、自らその道をなかったことにしているようなもの。

                                本当はそれが自分の望みであるならば、拗ねて捻くれてなかったことにするのではなく、「その道が自分の前にもある」ということを見せてあげれば良かったんですよね。




                                だってもしこれがドラクエなら、嫉妬の感情なんて1ミリも生まれません。
                                自分がこれから行くべきダンジョンに先に訪れた人がいたとしても、ずるくもなんともないのです。

                                もしそのダンジョンが、今の自分にとってハードルが高いものだったとしても、それは「自分に可能性がない」わけじゃなく、単にレベルがまだ低いというだけのこと。

                                レベルを上げて装備やアイテムを整えれば、いつかそのダンジョンを攻略できる時が必ずきます。
                                必ずくるし、「そこに訪れるようなシナリオになっている」のです。


                                現実世界でもまったく同じで、例えばHappyちゃんは、シャーマンの儀式を知ってすぐにペルーに訪れることができたけれど、それは今のHappyちゃんの立ち位置から「ペルー」がそれほど遠くなかったからで、
                                今の私の立ち位置から「ペルーに行くこと」は、まだハードルとして高すぎたというだけの話。

                                今すぐできないからといって、それが私の可能性としてないということではないし、
                                それが私の現実に何度も現れている以上、私のシナリオにもその道は存在していて、
                                いつかそのハードルを高いと感じなくなった時、私もきっとペルーにいると思うのです。

                                なのに、これを嫉妬という感情で埋めてしまうから「嫉妬で終わるのは怠慢」なんですよね。

                                嫉妬が悪いということではなく。
                                せっかく嫉妬という感情で自分のカケラを知ったのなら、それに素直になってみてもいいと思うのです。

                                もちろん、嫉妬は「心地のいい感情」とは言い難いので、わざわざ選ばなくてもいいとも思いますが、
                                嫉妬を挟まずに素直に「いいな✨私もそれやりたい✨」と望むには、自分の中がかなりクリアである必要があるので、
                                まずは嫉妬を挟んででも、自分のカケラに出会えたのなら、それでいいのではないかと私は思うのです。




                                ***

                                埼玉県坂戸市の占い師です。

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                                嫉妬で終わるのは怠慢だよ
                                嫉妬で終わるのは怠慢だよ
                                「思考は現実化する」が本当なら、思うだけで足も速くなるの?
                                2022/08/18

                                「思考は現実化する」ということも「この世界はエネルギーでできている」ということも何となく理解はできたけど、それでも一つ私にはどうしてもわからないことがありました。


                                「思考が本当に現実化するなら、じゃあ思うだけで足も速くなるの?」ということです。



                                この世界がエネルギーでできているのだとしても、努力や鍛錬なしに叶わないこともあると思います。

                                例えばオリンピック選手になることだったり「東大に合格する」とかもそう。


                                いくら「オリンピック選手になれる」「志望校に合格できる」と潜在意識レベルで思うことができたとしても、思うだけでそれが叶うとは到底思えません。

                                オリンピック選手になる人はそれなりの鍛錬を積み、受験に合格するには実際に勉強する必要があるからです。





                                とはいえ「思考は現実化する」や「この世界がエネルギーでできている」について今はもう「本当にそうなんだな」と思えるようになっていて。

                                初めはしばらく半信半疑だったその概念も、自身の実際の体験を重ねるうちに「真実」に変わっていきました。


                                だからこそ「じゃあ思うだけで足も速くなるの?」がずっと疑問だったのです。この世界はエネルギーでできているなら、足だってエネルギーだけで速くなるはず……だけど、本当にそれだけで速くなるの??と。



                                それについて最近やっと気付いたのですが、私は「思考が現実化する」をどこかで「思うだけで何もしなくても叶う」と勘違いしていたんですよね。

                                確かに「この世界はエネルギーでできている」けど、それは別に「現実的な行動が必要ない」ということではないし、「思考が現実化する」のにも、実際のアクションが必要なことにようやく気付いたのです。







                                たとえば、じゃあ私が「出雲大社に行きたい!」と思ったとします。

                                私が住んでいるのは埼玉県の坂戸市なので、いくら「出雲大社に行きたい!」「行ける!」と潜在意識レベルで思うことができたとしても、それだけで目的地に辿り着くのは不可能です。


                                通常、行きたい場所があれば「その行き方」を調べますよね。


                                出雲大社に行くにも、飛行機、鉄道、車など色んな方法があって、その中でもし車での移動を選んだのであれば、実際に車で行けばいいのです。


                                「車で行く」って「実際の行動」ですよね。

                                つまり「思考が現実化する」には、「何かしらの実際の行動も必要」だということです。





                                「思考は現実化する」についてまだ半信半疑の頃、私はこの「実際の行動」を無視していました。

                                「出雲大社に行きたい」と思うだけでその場から動くことなく、「なんで行けないんだろう」「やっぱり思考が現実化するなんて嘘じゃん」と嘆いてる状態だったのです。


                                瞬間移動の能力があるとか、ドラえもんにどこでもドアでも出してもらわない限り、「思うだけで出雲大社に辿り着く」のは不可能ですよね。

                                離れた場所に行くには、そこに行くまでの何かしらの行動が必要ですし、ただその行動が人それぞれ違うのがこの世界の面白いところだったのです。





                                ある人は前述のように、実際に出雲大社までの行き方を調べて、飛行機のチケットを取ったり、車を運転して行くのかもしれないし、

                                ある人は、社員旅行の旅行先がたまたま出雲大社になるのかもしれません。

                                またある人は、知人から「サンライズ出雲」の特急券をプレゼントされるのかもしれないし、

                                さらに新婚旅行で訪れる人に、自分探しの旅の途中で訪れる人…と

                                そこまでのルートも、どんな感情でそこに訪れるのかも十人十色で、そこにその人だけの物語があるのです。








                                「痩せたい」とかも同じです。


                                私も最近「ちょっと太ってきたなー」「そろそろ何とかしないとなー」と思っていて、だけど食事制限はできそうにありませんでした。

                                元々よく食べる方だし、息子が作ってくれる料理も美味しいので、それを我慢するのはちょっと私には難しいなと。


                                食事は美味しくいただきたいし、だけどそろそろ体型も気になる…

                                のでこう思いました。「やっぱ運動必要だな」と。



                                数年前に乗馬を退会して以来、運動という運動をまったくしていなかったので、そもそも「体を動かしたい」という願望がありました。


                                とはいえストイックに自分を追い込む系の鍛え方は一度も続かなかったので、「楽しいと感じられる運動で痩せられたらいいな」がまず一つ望みとしてありました。





                                体型と同時に、最近美容面も色々と気になりはじめていて「やっぱコーヒーだけじゃダメだよねー」と思うようになっていました。

                                「水も飲まなきゃダメだよねー」と。


                                私は普段から水を飲んだりお茶を飲んだりということがほとんどなく、水分補給といえば1日に5杯〜10杯ほど飲むコーヒーやラテがメインでした。

                                自分の感覚をよーく観察してみると、必ずしもその5杯〜10杯のコーヒーを「本当においしく」飲んでるわけでもないのですが、他に飲みたいものもないので結局コーヒーばかり飲んでいるという感じです。


                                あとは「シチュエーション的にコーヒーが飲みたい」という感じ。

                                私がコーヒーを飲むのは「朝」「PC作業中」「ドライブ中」「食後」「リラックスタイム」なので、やっぱりそのタイミングではコーヒーがベスト。


                                コーヒー類ばかりじゃダメだろうということも、綺麗な人が水をたくさん飲んでいることも頭ではわかってはいます。

                                ただ、今の生活の中で「好んで水を飲みたいタイミング」がないので、もし水を飲むとしたらそれは「意識的に飲む」しかありません。「意識的に飲む」ってもはや「我慢」でしかないんですよね。


                                だから飲みたくないし、飲んでみても続かないんです。





                                ところが先月の中頃、急に思い立ってオンラインのヨガレッスンに申し込んだのをきっかけに、めちゃくちゃ水を飲むようになったのです。



                                元々ヨガがしたかったというわけでもなく、本当にただなんとなく気になって申し込んだだけなのですが、

                                だから一瞬迷いました。「どうせ続かないんだから、やるだけ無駄かなー」と。


                                これまで自宅で体を動かそうと思っても続いたことがない上に、1レッスン1時間と長めのプログラムだったので、すぐにやらなくなるだろうと思いました。

                                「1日5分」とかなら気軽にできそうですが、「1レッスン1時間」となると「やろう」と思わなければなかなかできないボリュームですよね。

                                さらにその頃私は自治会やPTAの役員で忙しく、趣味にも仕事にも思うように時間が費やせずストレスに感じていたので、この状態でヨガに1時間も費やすなんて「時間がもったいなかった」のです。


                                だけどよくよく考えたら別に「続けるため」にやりたいわけではないのだし、

                                「今やってみたいっていうその気持ちにただ応えてあげればいいじゃん」と思い直し、続かないであろうオンラインのヨガに入会したのでした。





                                それがいざやってみたら、ものすごく気持ちよかったのです。


                                まず単純に体を動かせる気持ち良さ。

                                正直「気持ちいい」と思える余裕はヨガの最中にはないけれど、それでも終わったあとの疲労感がめちゃくちゃ心地いい!


                                それから頭の中に静寂が訪れたこと。

                                普段何気なく生活していると「あれやらなきゃ」とか「これやらなきゃ」とか色んな不安や心配で思考が騒がしいのですが、呼吸や身体に意識を向けるヨガの時間は、瞑想と同じように頭の中が静かだったのです。


                                さらに、ストレスなく水を飲むことができたこと。

                                普段であれば「飲もう」と意識しなければ飲めない水が、ヨガの最中なら自然とかなりの量を飲むことができました。


                                「飲みたい」と思って飲むことができたのです。

                                これは大きなメリットでした。










                                最近私は「痩せてキレイになりたい」と思っていて、それは「楽しいと感じられる運動で体を動かしながら」「水を飲んで」叶ったらいいなと思っていました。


                                そこへ急に「オンラインのヨガやってみたい」というインスピレーションが沸いて、やってみた結果、楽しいと感じられる運動で体を動かしながらストレスなく水をたくさん飲むことができるようになりました。


                                これが「思考は現実になる」ための「私なりの方法」だったのです。




                                「痩せてキレイになりたい」を叶える方法はきっとたくさんあります。

                                脳裏に浮かんだ「運動しなきゃ」「水もたくさん飲まなきゃ」を無理矢理行動に移すこともできますが、「特に楽しくもない運動」をしながら「意識的に水を飲む」のは、「私に合った方法」ではないんですよね。


                                思考をどう現実のものにするか、そのルートはたくさんあって、それぞれがそれぞれなりのルートを辿るから人生は面白いのだと思います。





                                「上手くいっている人の行動を真似したはずなのに上手くいかなかった経験」ってたくさんあるのですが、上手くいかなかった理由ってそこだったんですよね。人のルートを真似しても、それがたまたま自分にマッチしない限り、その人と同じ結果にはならないということです。


                                「思考は現実化する」というのは「思うだけで何もしなくてもいい」ということではなく、その思考を現実化するためのそれぞれのオリジナルのルートがあるということ。

                                「思うだけで足が速くなる」ことはないけれど、それが現実化するための自分専用の方法はあるということです。


                                たまたま入った部活や習い事がそのきっかけになったり、教え方の上手な担任や体育の先生と出会うこともあるかもしれません。

                                足の速い人の真似をして走っているうちに速くなることもあるのかもしれないし、

                                いずれにせよ、自分のインスピレーションに沿って行動することが大事なんですね。





                                だから「どうやって?」は考えなくていいのです。

                                何か望みが沸いた時に「それをどうやって叶えるか?」を考えるのは私たちの仕事ではありません。


                                「どうやって?」はきっと自然に現れるから、私たちはただ純粋に望んで、あとはそれが現れるのを楽しみに待てばいいんですよね。

                                なかなか現実化の兆候がないと焦ってしまいがちですが、不安になったら深呼吸をして、自分なりの叶い方を楽しみに待つようにしたいと思います。





                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                「思考は現実化する」が本当なら、思うだけで足も速くなるの?
                                「思考は現実化する」が本当なら、思うだけで足も速くなるの?
                                「こんな家に生まれなければよかった」とずっと思っていたけれど
                                2022/08/07

                                「なんでこんな家に生まれたんだろう」

                                答えの出ないその問いを、夜空を見上げながら一人よく考えていました。


                                「子どもは親を選んで生まれてくる」なんて嘘。

                                だってもしそれが本当なら、こんな家をわざわざ選んで生まれてくるはずないのだから。



                                だけど今、その答えは「私がそれを望んだから」になりました。

                                もし過去に遡って、家や親を選べるとしても

                                今ならきっと同じような家の、同じような親を選ぶんじゃないかな———










                                「早く大人になってこの家を出たい」


                                そう考えていたのは、まだ保育園に入園する前の物心ついた頃の私。

                                まだまだ幼いはずの私は、茶の間の窓際に座り、心の中ですでにそんなことを考えていました。


                                カーテンが閉まっているので時間は夜。

                                もうすぐ父が帰ってくる頃か、もしかしたらすでに帰っていたのかもしれません。


                                「家を出たい」と思ったその理由は、実の父親にありました。

                                とにかく何かと怒鳴られる。

                                父が怖くて怖くて嫌いで仕方のなかった私にとって、「父のいる家」はこの世でもっとも嫌いな場所でした。





                                「なんでこんな家に生まれたんだろう」

                                「なんで私は生まれてきたんだろう」


                                答えの出ないその問いを、飽きるほど考えて夜を過ごしました。



                                「なんで」「なんで」の裏にある、「誰かにわかってほしい」という痛烈な願い。


                                「誰かにわかってほしい」

                                「でも誰も私のことなんてわかってくれない」


                                肥大しつづける寂しさと孤独感を、「どうせみんな」「どうせ私なんか」という捻くれで覆い隠すのが精一杯でした。





                                そんな私にとって、高校の時に入部した音楽部は、初めての「居場所」となりました。

                                とにかく楽しくて仕方ない。


                                部活や部員の雰囲気も良く、顧問も心から信頼できる人だった上にその音楽性も大好きだったため、部活に打ち込む時間が私にとって何よりの癒しとなりました。


                                幸運なことに、所属していた3年間すべてで全国大会に出場することができ、

                                全国大会出場&入賞という素晴らしい経験も私の心を満たしてくれました。





                                そんな中、2年生の時に喉を痛めて十分に歌うことができないという悔しい経験をした私は、

                                高校最後の年に後悔なく音楽部に打ち込めるよう、喉のケアにはかなり気を使うようになりました。


                                のど飴や喉スプレー的なアイテムを常に持ち歩き、大会前には自宅でもマスク。

                                万全を期すよう、喉にいいと言われるありとあらゆる方法を試し、喉のケアに尽力していました。





                                しかしそんな私に父はこう言ったのです。


                                「それは俺へのアピールか」

                                「そんなことで俺が認めると思うなよ」と。


                                憎いものを見るかのような目で睨めつけ、怒鳴るようにそう言われた時、

                                ショックとかムカつくとかの感情以前に、何を言っているのかさっぱりわからず、頭の中が「?」でいっぱいになりました。



                                この人は何を言っているんだろう———



                                音楽部に出会い、心から好きなことに出会い、私の日常は音楽部でいっぱいになりました。

                                ただ私の喜びのためだけに夢中になれる音楽部での時間に、

                                父の影がチラついたことなど一度もなかったのです。



                                「?」と同時に下らなさが込み上げてきて、

                                本当に私はなんでこんなところに生まれてきたんだろうと辟易としたのを覚えています。










                                子どもは親を選んでくるなんて絶対に嘘。

                                もしそれが本当なら、こんな家を選んで生まれてくるはずがない。

                                そんな物好きがいるのなら、ぜひお目にかかりたいくらいでした。


                                だけど最近になって思ったのです。

                                もし過去に遡って生家や親を選べるとしても、私は似たような家の似たような親を選ぶかもしれないと。


                                「優しいお父さんだったらどんなにいいだろう」と何度も思ったけれど、

                                もしそんな「優しいお父さん」の元に生まれていたら、「なんでこんな家に生まれたんだろう」「なんで私は生まれてきたんだろう」なんていう哲学めいたことは考えもしなかったと思います。


                                苦しいことがたくさんあったからこそ、私はあんなにも「自分の内側」を観察していたのだし、

                                そういう人生を歩んできたからこそ、今私は占い師なのかもしれません。





                                もし家庭での時間が心地良いものだったら、「早く大人になってこの家を出たい」なんて願望を、あんなに幼いうちに抱くこともきっとありませんでした。


                                だけど「早く出たい家」だったからこそ、私の自立心の芽生えも早かったのです。





                                もっというと、きっと私はスピリチュアルなどの目に見えないことを大切にしたくて、自分で自分の道を切り拓く人生を歩みたかったからこそ、

                                それにピッタリな親と家庭環境を選んで生まれてきたのではないでしょうか。


                                そう考えた方がしっくりくるし、マヤ暦や占いでみた私には「スピリチュアル」や「開拓」の要素が生まれた時からあるのです。後天的なものではないということです。



                                マヤ暦では「誕生日は自ら選んで生まれてきた」と考えられています。

                                であるならば、私は最初から自分の足でこの世界を冒険してみたかったのだし、なんなら父との確執さえ最初からシナリオに組み込まれていたのです。


                                もちろん「優しい父親」も幼い頃から安心できる場所で育つのも魅力的ではありますが、「私の好みがどうか」で考えれば、やっぱり今の人生の方が好みです。


                                つまり「私が望んで」あの親と家を選んで生まれてきたのかもしれないと。

                                「子どもは親を選んで生まれてくる」というのは、本当かもしれないと思うようになった瞬間でした。







                                とはいえ辛いことの最中にいる時に、それを受け入れることは至極難しいことだと思います。

                                この辛い現実をまさか自ら望んで選んで生まれてきたなんて———

                                あの頃の私もきっと、受け止めることはできなかったでしょう。


                                だけどあの頃の苦しみも含めて今私は、自分の人生のシナリオが気に入っているのです。





                                大魔王がいなければ、ドラクエがあんなに面白いゲームになることもなかったし、

                                鬼滅の世界に鬼がいなければ、あの感動もありませんでした。


                                私の物語には父のような人物が必要だったし、実家のような環境も必要だったんですよね。

                                そう考えると「父そのものが酷い」わけでもなかったのかもしれないなーと、少し思えるようにもなりました。





                                とはいえ、父に対して反射的に抱いてしまう「嫌だ」という強い抵抗がすぐになくなるわけではありませんし、

                                当然父のことも「好き」と思えることもなければ、今後好きになれるとも到底思えません。


                                でもこれまでずっと嫌いだったのだから、それも「仕方ないよね」と思えるようになりました。





                                いつかどこかで「大人になっても親を許せないのはただのわがまま」と聞いたことがあり、

                                それから「早く父のことを許せるようになりたい」「好きになれるようになりたい」と心のどこかで願っていました。


                                「色々あったけど、今はお父さんが大好きです」という美しいセリフを、私も本音で言ってみたかったし、

                                だけど無理なものは無理なのです。できないものを無理に自分に課す方がずっと優しくないことに気が付きました。





                                「親は大切にしなければいけない」みたいなのも、一種の呪いですよね。


                                それが肉親であれ他人であれ、「嫌だ」というのが今の私の本心ならば、

                                たとえそれでいつか後悔したとしても、それも一つの経験だし一つの感情なのだと思います。





                                どんな自分も否定しない。

                                親を許せない自分も、父を好きになれない自分も、

                                いつかそれで後悔した自分も、どんな自分のどんな感情も全部OK。


                                「好きになれなきゃなれないでいい」

                                そう思えただけで気持ちが楽になったというのが、私にとっては紛れもない事実。


                                それを他人がどう言おうとどう批判しようと、私にとっては「しょうがないよ」という声ほどあたたかいものはないのです。










                                この歳になっても到底拭えないほど、私にとって父は地獄のような存在でした。

                                本来ほっとできるはずの家が、世の中でもっとも嫌いな場所になるほどに。


                                だけど私は今、マヤ暦や占いでみた「自分」を心から気に入っていると同時に、

                                今の人生やその物語のテーマ、世界観も気に入っています。


                                それには父のような存在も、「早く出たい実家」も必要だったんですよね。

                                それに気付けただけでも、過去への恨みはかなり薄れたように感じるのです。










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                                時間がない!!
                                2022/07/14

                                毎日やることが多すぎて、やりたいことがなかなかできなくて。

                                イライラもストレスも溜まりに溜まった最近の私の話と、そこから「望む現実の創造」に意識を変えた話です。







                                時間がない!!


                                「時間がない!!」

                                ストレスが溜まっていました。


                                毎日毎日やることが多すぎて。

                                事務のパートと役員の仕事で手一杯。


                                占いの仕事や、好きなことに費やす時間もエネルギーも全然なくて。

                                なかなかブログが書けないことに不安になったり、なかなか進まない仕事に焦ったり…


                                いつになったらこの忙しさは落ち着くんだろうと、不安や焦りからストレスが溜まりに溜まってしまっていました。





                                毎日自分がどれだけのタスクをこなしているか、誰かにわかってほしくもなりました。


                                明らかに私の負担が大きすぎる。


                                こんなに時間もエネルギーもかけて、これだけのクオリティで仕上げた私の仕事に対して

                                「お疲れさまです」や「問題ないです」の一言で済ますその態度に、イライラも大きくなっていきました。





                                別に「やってね」と頼まれたわけではありません。


                                ただ「こうした方がいいんじゃないか」とか「これがあった方が便利だな」とか、

                                私が勝手に気付いたから、私がやっていただけだったのです。



                                それは「やらなくても」「なくても」困らないのかもしれないけれど、

                                明らかに「やった方が」「あった方が」事がスムーズに進むのがわかるから


                                面倒臭いルートより、合理的でスムーズがルートを「私が」選んで、

                                人に頼むより、自分でそれをやることを「私が」選んで、

                                自分の意志で選択で、私がやっていただけでした。



                                なのに時間がなくて思うように進まない焦りやイライラを、他人のせいにしてしまってた。

                                頭の中でエゴが大暴走していたのです。






                                まずはリラックス


                                自分の感覚をよーく観察してみると

                                イライラしたりストレスが溜まったりしている時って、頭に意識が集中しているのがわかります。


                                不安になったり焦ったり、悲観的になった時も同じ。


                                頭の中がうるさくて、時々ピリッと痛みも走ったりして

                                重くてだるくてスッキリしなくて、頭に血が上っているのが自分でもわかるほど。





                                そんな時はリラ〜ックス。


                                ゆっくり深呼吸しているうちに、頭の方にあった意識が少しずつ下へ下がっていくのがわかります。

                                下へ下へと「落ち」ていく意識が、やがてお腹のあたりに「着く」頃には、心もずいぶん穏やかに。


                                落ちて・着く。

                                心が落ち着くのです。





                                いつの間にか頭の声も静かになっています。

                                さっきまであんなに焦ってイライラしていたのが嘘のように、「まぁいっか」なんて言葉が口をついて出たりもします。





                                頭の中の声って真実ではありません。


                                詳しくはHappyちゃんの「Happy理論」や、子宮委員長はるちゃんの「子宮メソッド」を見るとよくわかりますが

                                頭の中の声は、幼少期に親から言われてきた言葉で出来ていて、

                                この声に振り回され続けると、幾つになっても両親から怒られないように本音を無視し続けるような人生を、歩んでいくことになります。


                                「怒られないように」「嫌われないように」「失敗しないように」が真ん中にあるので、

                                当然焦りや不安も感じ続けることになります。





                                本音の声はもっと下の方、深呼吸をした時に落ちて着いた丹田のあたりにあります。

                                同じ環境や状況にあっても、本音は私を急かしたり不安にさせたりはしません。


                                だから安心して考えて行動ができる。

                                自分の真ん中が常に「大丈夫」になるので、「不安を拭うための選択」ではなく、「本当に望む選択」ができるのです。





                                たとえば幼い頃の私にとって、父はものすごく怖い人だったので

                                一緒にケーキ屋さんに行って「どれがいいか」と聞かれても、「怒られないケーキ」を選んだと思います。


                                値段が高かったり、選ぶのに時間がかかったら怒られそうなので、

                                高くないケーキを、出来るだけ早く選ぼうとします。


                                だけど母には安心できていたので、同じようにケーキ屋さんに行っても、ゆっくりと好きなものを私は選べるのです。





                                どちらがより満足できて、幸福を感じられるかは明白です。


                                私は自分の人生に満足して幸福を感じたいので、

                                頭の声の暴走に気付いた時は、深呼吸してリラックスするように心がけるようになりました。






                                望む感覚を先取りする


                                リラックスして落ち着くと、自然と「どうしたいか」に意識が向くようになりました。


                                焦ってイライラしていた時には「どうしたらいいか」をずっと考えていましたが、

                                現状をどうしたら打破できるかではなく、「本当の本当はどうだったらいいか」をイメージし始めたのです。





                                まず出てきたのは「1日の終わりに達成感を感じていたい」ということ。


                                「あー今日も出来なかった」「時間が足りない」「まだこんなに終わっていない」というダメ出しではなく、

                                「今日もいい仕事ができたなー✨」「よくやったなー私✨」とその日1日に満足したいと思ったのです。





                                気付けば

                                「っしゃー!!!✨」

                                「よくやった私!!✨」

                                と言いながら、私は一人ガッツポーズをしていました。



                                まだ朝です。

                                出勤の準備をしただけで、充足感を得るようなことは特にまだ何もしていませんでしたが、

                                充足感を得る前に、感じたい充足感を感じてみたのです。


                                望みは、それが叶った時の感覚を、先に出来るだけリアルに味わうのがポイント。


                                なので、その日1日に達成感や充足感を感じた私が言うであろう言葉を

                                先に口に出すことで、その感覚をよりリアルに味わったのです。





                                それから、仕事に向かう車の中で、ベートーヴェンの第九を流しました。

                                「歓喜の歌」と言われるだけあって、第九は「やったー!!✨」という正に歓喜で、私の中を満たしてくれます。


                                音楽のすごいところは、音楽を通してさまざまな感情を味わうことができることです。

                                映画や美術品もそうですよね。



                                「望みが叶った時をイメージして、感情を先に味わう」のはなかなか難しい時もありますが

                                音楽や映画を通してなら、簡単に味わうことができるのです。






                                工場で学んだ上達のコツ


                                その日の夜、私は味わいたかった充足感を感じていました。

                                朝「っしゃー!!!✨」と一人口にしながら、先に感じていたあの充足感です。


                                何かを成したいと思うほど、頑張ろうとしてつい力が入ってしまいますが

                                「もっともっと」と発破をかけるより、実はリラックスした方がずっと簡単にそれを成せたりするんですよね。





                                工場でライン作業をしていた頃の話です。


                                その頃私はまだ占い師として開業する前で、当時夢中になっていた乗馬代の足しにしようと、工場で派遣をしていました。

                                それまで事務仕事の経験が多かった私ですが、勤務早々なぜか「もっとも難しい」と言われるラインに配属されてしまいます。


                                そこは社員さん曰く「社員でもこなせる人が少ない」ラインだそうで、そんなところになぜ自分が配属されたのかもわからないまま、怒涛の工場ライフが始まってしまったのです。





                                とにかくやることが多すぎて、流れ作業の中で捌ききれない!!

                                ラインのスピードに作業が追いつかないため、私は作業場でいつも走り回っていました。


                                毎日毎日疲れ果て、帰宅後はソファでぐったり。


                                手順は一通り覚えたので、あとは私の技量の問題です。





                                「とにかく素早く!もっとスピーディーに作業をしないと!!」

                                私は「速さ」に注力し、できる限り速く仕事ができるよう尽力しました。


                                単純に考えて、作業のスピードが上がれば、仕事は捌ききれるはずです。


                                事実、先輩作業員さんたちはこのスピードに対応できていたのだし、

                                それが出来ないのは私の作業スピードに問題があるのです。





                                なのに一向に捌ける見通しがない。

                                作業スピードは確実に上がっているはずなのに、私は尚も作業場内を走り回っていました。


                                ですが、これ以上は私には無理でした。

                                今の私にはこれが精一杯で、これ以上早く動くのは身体の機能的に無理だと感じたのです。





                                「先輩たちはどうしてこなせるんだろう…」


                                速さの限界を感じた私は、その日から先輩たちを観察するようになりました。


                                不思議だったのは、先輩たちの作業姿に「急いでる様子」が感じられなかったことです。

                                あんなに私は急いで作業して、それでもラインのスピードに対応できなかったのに、

                                こんなに落ち着いた様子で作業している先輩たちは、仕事を捌き切った上に、私を助ける余裕まであるのです。





                                先輩たちにそのヒントを探すと同時に、私は自分の感覚も観察するようになりました。


                                観察しているうちに、「早く!早く!!」と焦りながら作業をすると

                                リラックスできている時より、遥かにミスが増えることに気付いたのです。


                                まず体に余計な力が入って、しなくていいミスを連発するようになります。

                                さらにミスの連発から自分の感覚が信じられなくなってくるので、何度も同じ場所を確認したりと、早く動いているつもりが余計に時間がかかっていたのです。





                                確かに車の運転もそうです。

                                初心者ほど力んで必死に運転しますが、だんだん慣れてくると力も抜け、リラックスしながら同時にたくさんの判断ができるようになります。


                                力みは一見「一生懸命やっている」ようにも見えますが、余計な力が入っているだけで、逆に視界は狭かったりするのです。


                                どんな分野においても玄人ほどリラックスしているのだとわかった時、

                                人生においても「いかにリラックスした状態で考え選択するか」が重要なのだと腑に落ちたのでした。






                                イライラしたら休みましょう


                                毎日毎日やることが多く、やりたいことが思うように進まない現実にイライラと不満が溜まっていましたが

                                どれもこれも自分で「やりたい」と思った以上、それはきっと出来るのだと思います。


                                出来ないのは、私にまだ余計な力みがあるから。


                                工場のライン作業から学んだように「やらなきゃ!!」という力みは、逆に自らのパフォーマンスを下げてしまいます。

                                だからこそリラックス。



                                リラックスすると心が落ち着いて、頭もクリアになります。

                                焦りや不安・イライラから自分の本望へと意識のベクトルが変わり、

                                そして余計な力みも取れるので、行動やアイディアに精度が増すのです。



                                フラストレーションが増すと誰かや何かのせいにしたり、それを飲み込み我慢したまま、苦しいまんまで走り抜けようとしてしまいますが、

                                案外思い切って休んだ方がいいんじゃないかなーと、最近は切に思うようになりました。

                                ※休むのは怖いですけどね



                                私もやること、やりたいことがたくさんあるので、

                                引き続きリラックスに注力したいと思います。





                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

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                                2022/06/30

                                子どもの頃、大好きだったRPGゲームで遊びながら

                                「私も冒険するように生きたい」と願った。


                                毎日が刺激的でキラキラしていて

                                自分だけの特別な物語を歩むような

                                そんな素敵な毎日を生きたいと。





                                だけどその願いは願ったと同時に

                                「まぁ現実には無理だけど」

                                という頭の声で掻き消された。


                                まだ十分子どもだったはずの私でさえ

                                素直に望むことすら出来なくなっていた。













                                大人になって、母親になって

                                『ちゃんとしなきゃ』で雁字搦めになっていた私には


                                自分のために何かを選択することさえ

                                まるで悪いことのように思えていた。





                                だけどそれじゃ苦しくて

                                溜め込んだ思いで内側がパンパンになっていた頃


                                ある偉人の素晴らしい名言が

                                瞬時に私の心を癒してくれた。



                                “人生には、二つの道しかない。

                                一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きること。

                                もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きることだ。


                                Albert Einstein(アインシュタイン)”

                                ※https://iyashitour.com/archives/21439 より引用






                                そうだ、私は本当はそんな風に生きたかったんだ。


                                前者のように生きる今のような毎日ではなく

                                後者のように感動でいっぱいの毎日を。





                                だからバックパッカーに憧れて

                                世界を自由に旅することに憧れた。


                                私が求めるような毎日は

                                ここ(坂戸市)で生活しているだけじゃ叶わないと思い込んでいたけれど


                                別に海外に行かなくても、坂戸市にいながらでも

                                感動的に毎日を生きることは

                                今この瞬間からできるんだよね。





                                というより本当は

                                最初から私の毎日は奇跡だらけで

                                こんなにも感動的な物語をすでに生きていた。


                                そのことを私がただ

                                思い出せばいいだけなんだ———















                                新・解読の書、その英題として

                                「THE BOOK OF ATMAN」と名付けました。


                                ATMANとはインド哲学では“自分”や“身体”、“呼吸”を意味し

                                サンスクリット語では“我”を意味するそうです。





                                見えない世界と見える世界の

                                両方の自分の真実を表すようなこの言葉が気に入り

                                鑑定書の表紙をデザイン。


                                表紙をめくった先では、あなたの物語のテーマや個性、才能、困った時のアドバイスなど

                                マヤ暦や数秘でみた占いの鑑定結果を

                                ファンタジーの世界観たっぷりにお伝えできるようデザインを考えました。





                                テーマは「あなたの日常がファンタジーになる鑑定書」

                                大好きなRPGの要素や、不思議の国のアリスの世界観を盛り込んで作ってます。



                                内側でずっと感じていた“あなた”のことや

                                大人やまわりにずっと「ダメだ」と叱られてきたあなたのこと、

                                嫌いな部分も好きな部分も

                                直したかったけど直らなかった短所から、誇りに思える長所まで


                                そのすべてがあなたにとって必要で

                                あなたの物語を彩るエッセンスなのだと

                                この鑑定書で感じてもらえるように作っています。








                                いま私の日常は、いつか願ったドラクエのような冒険の日々で

                                「すべてが奇跡であるかのよう」な素晴らしい毎日です。


                                住んでいるのは相変わらず埼玉県の坂戸市だし

                                とび抜けて綺麗になったわけでも、お金がものすごく増えたわけでもありません。


                                短所だと思っていた性格は今も変わらずそのままだし、

                                むしろ「直そう」としていない分、以前より拍車がかかっているかもしれません。





                                何も変わっていない。相変わらずよく知っている“私のまんま”だけど

                                毎日が感動的だと思えるこの気持ちだけは、ものすごく変わりました。


                                そして気持ちが変わるだけで、本当に日々は色鮮やかになる。





                                『なんでもない』と思い込んでいるその日常が、

                                本当は体感したくて仕方のない物語だったことを、


                                『大したことない』と思い込んでいる“あなた”が、

                                本当は憧れてやまなかった主人公像そのものだったことを、


                                この鑑定書を通して少しでも実感してもらえたら幸いです。





                                そしてどうか、1度で終わりにしないで下さい。

                                自分に自信がない時や、迷った時、感動なんて幻想なんじゃないかと疑い始めたその度に

                                ぜひ鑑定書を手に取って、自分の心が温かくなる方を選んで欲しいと思います。


                                その積み重ねは人生に感動をもたらします。





                                たった一度のあなたの今の人生を

                                もっともっと味わって堪能してみませんか?


                                新・解読の書はお申込みされた方から、順次出来次第お届けします。





                                丹精込めて作りました。

                                ぜひこの感動を手に取って下さい。





                                お申込みはこちらから

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                                「自分を許す」の意味がわからないという方へ
                                2022/06/20

                                自分を許す———この言葉を何度も見聞きしてきました。

                                自分というものを、自分の生き方を、見直すようになってからこれまで何度も。





                                ですが、一見シンプルなこの言葉の意味を私はよくわからずにいました。

                                意味を履き違えたまました選択も、たくさんあったと思います。



                                色々試して失敗もしながら

                                「自分を許す」その意味を今ようやく感じているところです。


                                その許しの深さに比例して世界が優しくなっていくことも。



                                逆に、自分を許すことが出来なければ、

                                いくら行動レベルで頑張っても、世界の本当の優しさを感じることは難しいのだろうと思います。





                                そして「自分を許す」にはいくつか段階があることも知りました。

                                その時々の自分の状態によって、同じ「自分を許す」でも向き合っているものがまるで違ったのです。


                                10年前の私が、今の私を単純に真似しても

                                「意味がわからない」で終わってしまうと思います。





                                この記事では、これまで私が踏んできた段階を時系列でまとめてみました。



                                「自分を許す」って体感してみるとそんなに難しいことではありませんが

                                口で言うほど簡単でもありませんでした。


                                色々な情報に触れているうちに、知恵の輪みたいに絡まって

                                わけがわからなくなってしまっていったのです。



                                ただ、知恵の輪にも解く順番があるように

                                許しにも段階があるのだと思います。


                                ご自身が今どの段階にいるのか

                                今何を許せずに抵抗してしまっているのか…


                                それを解くきっかけになればいいなと思います。







                                「自分を許す」最初の一歩


                                私が執った最初の一歩は愚痴を言うことでした。


                                そんなこと?かもしれませんが

                                それまで愚痴さえ抑えてきた私にとって、これは大きな大きな変化でした。





                                それまで私は“理想の自分”になりたくて

                                本当は子育てが大変なことも、本当は夫婦間に亀裂が生じていることも

                                誰にも吐けず相談できないまま、自らの内側に抑え込んでいました。



                                実母にすら弱音が吐けませんでした。

                                当時書いていたブログには、綺麗な側面ばかりを切り取った体裁のよい言葉が並んでいます。





                                そして抑圧に抑圧を重ねた結果私は“適応障害”になり、感情のコントロールが出来なくなりました。

                                これまで我慢していたものが溢れ、本当は私はこんなに怒っていたのだと寂しかったのだと知ったのです。


                                毎日が辛くて辛くて苦しくて、そんな自分が悲しくて、行き場のない感情でいっぱいになった私は

                                新しく開設したブログで本当の気持ちを綴り始めました。


                                それまで格好のいい事ばかり書いていたブログとは違う、

                                ダサくて弱くて情けない自分の本音を綴ることにしたのです。



                                そのうちに少しずつ本音を書くことにも慣れ

                                その本音を綴る場をブログからTwitterに移しました。


                                誰も知らないブログとは違う、少数の友人と繋がっていたアカウントです。

                                綺麗事ばかり書いていたブログで仲良くなった友人たちと。



                                ものすごい抵抗感がありました。

                                だってこれまで綺麗事ばかり、格好のいい事ばかり、私は綴ってきたのです。


                                がっかりされるんじゃないかと思いました。

                                もしかしたら嫌われてしまうかも…





                                それでも何故その時Twitterに書こうと思ったのか

                                当時の気持ちは覚えていませんが

                                きっともう自分を偽るのは嫌だったのだと思います。


                                好きな友達だったからこそ、嘘のない本当の自分で接したかったと思うのです。





                                愚痴や不満、辛さ苦しさを、毎日のように書き殴りました。


                                実際に「前のyuuさんの方が良かった」と言われたこともありました。

                                心のどこかで「あぁやっぱり」と悲しくなったのを覚えています。


                                ですが、鍍金だらけの私が好きならガッカリしてもらっていいと思ったのです。

                                私はそんな立派な人間じゃない。


                                苦しい時に「苦しい」と、悲しい時に「悲しい」と言うことさえ許されないなら

                                そんな望まない世界にはもう嫌われていいと思ったのです。





                                愚痴や不満、怒りや恨みなど…

                                汚い本音を綴るというのはつまりダメな自分を許すということでした。


                                理想の自分を演じるために書いていた綺麗事とはまるで違う

                                ちゃんと出来ない自分、非常識な自分、

                                短気な自分も、ものすごくワガママな自分も

                                それをそのまま綴ることで、ダメな自分を少しずつ許していったのです。






                                夢や希望を抱くことを許す


                                愚痴や不満を書くことにもすっかり抵抗がなくなった頃、次の許しの段階が現れます。

                                それは鏡リュウジさん著の「牡羊座の君へ」と出会ったことがきっかけとなりました。



                                「牡羊座の君へ」には、これまで短所だと、良くないと思っていた私の要素が

                                まるで素晴らしい個性のように、類稀なる才能のように描かれていて

                                自分の中から込み上げてくる力強い何かを感じました。



                                それはとても懐かしい久しぶりの感覚でした。

                                まだこれから先の自分自身に可能性を感じられていた頃の。


                                それがいつからか現実を知って、その厳しさを知って

                                自由な未来を描くことを辞め、既存の型にはまろうとしていたのです。



                                “社会人として”

                                “主婦として”

                                “母親として”


                                ちゃんとした自分であるために。





                                慎ましいことが良しとされ、健気であることが良しとされ

                                贅沢をせず欲をかかず、自分のためでなく誰かのために…


                                そうやって誰かに認められるための日々を歩んでいるうちに

                                誰のためでもない自分のための夢を描くことも

                                その未来に希望を抱くことも主観的な幸せを望むことも

                                まるで悪いことのように思えてきて。


                                自分を生きるということをすっかり忘れてしまったのです。





                                「牡羊座の君へ」に触れて感じたあのワクワクはドキドキは

                                誰のためでもない私だけのものでした。


                                社会人としてでも

                                主婦としてでも

                                母親としてでもない


                                “私”という個人の人生に対する久しぶりの脈動だったのです。





                                「自分を許す」2つ目の段階は

                                夢や希望を抱くことを自分に許すということでした。


                                それを現実的な行動に移すのはまだもう少し先の話ですが


                                自分の中でうごめく『本当は』『もっと』という本音や欲求を感じられたこと、

                                私個人に、その人生にワクワクするのは久しぶりで


                                たった一度の人生を適当に終わらせたくないという気持ちが、溢れ出て仕方ありませんでした。






                                自分のための選択を許す


                                「牡羊座の君へ」との出会いから数年後、

                                あの日抱いた『本当はもっと自分らしく生きたい』というその本音を

                                少しずつ行動に移すようになります。





                                きっかけは当時やっていたフルタイムの派遣の仕事でした。


                                仕事自体に不満があったわけでも職場環境が嫌だったわけでもないのですが

                                ※むしろ恵まれていた


                                ただ、このままこの働き方を続けても自分が望むような人生は、一生送れないだろうと気付いたのです。



                                私はもっと自由に生きたかったし、その為のお金も欲しかったし

                                だけど体に鞭打つのはもう嫌で、

                                一人息子との大事な時間を犠牲にするのも嫌でした。



                                誰かや何かを犠牲にしたり諦めてしまうことなく

                                自分のペースで自分の好きにお金を稼げたらいいなと。


                                どうやったらそれが叶うのか、当時の私にそのアイデアはありませんでしたが

                                不思議なもので望んだ後現実にそのアイデアが現れたのです。





                                「エステティシャンとか興味ない?」

                                友達からのその一言をきっかけに、私は転職先を決めることになります。


                                それまでの、時間に収入が比例する働き方とは違う、完全歩合制の仕事でした。


                                いつ働くかいつ休むかも自由。

                                収入は時間ではなく結果だけに影響される。


                                自分の責任で自分の判断で、働き方を決められる職場。





                                これはものすごい希望でした。

                                自分が望んだ生き方は叶えられると実感できたのです。



                                その体感をきっかけに独立を考えたり

                                その資格取得のために講座やスクールに通ったりと

                                自分のための具体的な行動を、どんどん起こすようになりました。


                                「やっていい?」と誰かに一々許可を取ることも、行動に比例して減っていきました。





                                もちろん行動にはお金もかかります。

                                自分のためにお金を遣うのはものすごい抵抗がありました。


                                誰かのためのお金なら遣えても、自分に遣うことはできなかったのです。


                                ザワザワざわざわ…ものすごい抵抗と罪悪感。



                                資格取得のためならまだマシでした。

                                “資格取得のため”という一見立派な理由があったからです。


                                スクールに払う10万円よりも、カフェで飲む一杯数百円のラテの抵抗感の方が強かった。

                                何にもならない、自分の至福のためだけのお金。





                                それでも、少しずつ少しずつ慣れていきます。


                                最初は週イチだったのが、そのうち連日行くようになり

                                2杯目が頼めるようになり、ランチもできるようになりました。


                                本も月に一冊から週に一冊→欲しい時はいつでも買っていいと少しずつその許可を大きくしていき

                                そんな小さな許可と行動を繰り返していくうちに

                                自分の人生に面白いことが次々起こるようになっていったのです。






                                すごくない自分を許す


                                自分のために行動を起こすことにも、自分のためにお金を遣うことにも、気付けばすっかり抵抗はなくなり

                                現実的に面白い出来事も次々起こるようになりました。


                                いつか本当は望みながら諦めてしまっていた夢を、いま日常にできている気がして

                                自分の人生を『楽しい』と思えるようになっていました。



                                その一方で『何で上手くいかないんだろう』『一体何が足りないんだろう』と頭を抱え続けたことがありました———仕事です。


                                自分のための選択をし続けているうちに、私は占い師として起業するという大きな選択もできるようになっていました。


                                2019年の春に起業。

                                最初は自分でも驚くほど順調で、その充分な手応えにガッツポーズしながらどんどん爆進していくつもりでした。



                                なのに、いつも何かがおかしいのです。


                                稼ぎは充分にあるはずなのに、払いたいお金がなぜか払えなかったり

                                稼いでも稼いでもお金は不安で、私はいつも何かに怯えていました。



                                そのうちに、その漠然とした違和感も不安も現実のものとなりました。


                                あんなに順調だったはずの仕事がピタリと上手くいかなくなったのです。

                                何を発信しても何を募集しても手応えが全く感じられない。



                                おかしい。何かがおかしい。



                                自分らしく生きるということも、自分を許すということも

                                これまでもう何年も何年も続けてきたはずでした。


                                なのになぜ現実はこうも上手くいかないのか…





                                そうなのです。

                                私は許せていなかったのです。


                                仕事で成功したら○で

                                成功できない自分にはいつも×をつけ続けていました。



                                そもそもなぜ仕事の成功をあんなにも望んでいたかというと

                                仕事で成功すれば、自分で充分なお金を得られれば、誰にも頼らなくて済むと思っていたからです。



                                やりたいことも行きたい場所も、欲しいものもすべて自分一人で叶えたかったし

                                それを叶えるかどうかもすべて自分の許可だけで決めたかったのです。


                                自分にその力がなければ誰かの力を借りることが必要で、その為には誰かの許可が必要で、

                                それは“迷惑をかけること”だと思っていました。



                                まるで変わっていなかったのです。


                                誰かに認められるために、誰かに嫌われないために

                                愚痴や不満さえも言えず理想の自分を演じ続けていた頃の私と。


                                自力をあんなにも欲したのは誰にも頼らないためでした。

                                頼るというのは迷惑で、そしたら嫌われてしまうと思っていたのです。





                                お金があんなに怖かったのも、自分のお金くらい自分で面倒を見られたら

                                最低限“ちゃんとした自分”でいられると思ったからでした。


                                どんなに自分の好きなように生きても、お金さえちゃんとしていれば誰にも文句は言われないだろうと。



                                だからお金が欲しかった。ちゃんとした自分でいるために。

                                だから仕事で結果を出したかった。誰にも嫌われないようにと———





                                仕事で結果が出なくなってからというもの

                                私はまだ残る“ダメな自分”を嫌というほどに見せられました。


                                散々偉そうなことを言って、散々自分の好きにして…なのに現実は上手くいかず、

                                まったく私は口ばかりで、結局いつも誰かを頼っては面倒ばかりかけていたのです。



                                情けなくて仕方ありませんでした。

                                なんでこんなに上手くいかないのか、何が悪いのか誰か教えて欲しかった。



                                ですが“結局いつも誰かに助けられる”うちに

                                他人のありがたみというものがやっとわかるようになりました。


                                思うような結果が出せなくても、私が全部出来なくても

                                これまで無事に生きてこられたのは誰かや何かのおかげでした。



                                スピリチュアルな話になりますが、私は前世からの大きなカルマとして

                                『すごくなければ愛されない』という根強い思い込みを持っています。


                                だから『自分一人で』が強かったのです。

                                誰かに差し出すことは出来ても、受け取ることが出来なかったのです。



                                結果が出せないということは=すごくない=愛されないのだし

                                誰かに頼るというのもまた=自分はすごくない=また誰にも愛されない、だったのです。





                                これでもかというほどに“すごくない自分”と対峙しました。

                                その度にすごくない自分を認めました。すごくない自分を許してきたのです。


                                これは私にとって本当に大きいカルマなので

                                認めても認めても、許しても許しても

                                きっと一生顔を出す問題なのだろうと思います。


                                「自分を許す」ことに終わりなんてきっとなくて。

                                それでも、そんな自分に気付く度に許せばいいのだと思います。






                                コンプレックスを許す


                                「すごくなければ愛されない」という思い込みは当然、自分の見た目などにも影響を与えます。

                                私は自分の外見にも強いコンプレックスを抱いていました。


                                特別スタイルがいいわけでも特別顔がキレイなわけでもなく

                                特別オシャレなわけでも特別個性があるわけでもなくて


                                特に肌が弱いということに関しては、ものすごい劣等感でいっぱいでした。



                                鏡で自分を見る度に「はぁ………」と深いため息が出ます。

                                自分のダメなとこばかりが目について、早くこれをどうにかしなければ、誰にも認められないような気がしていました。





                                同じ『綺麗になりたい』という望みでも

                                『綺麗になったら嬉しいから✨』『もっと楽しそうだから✨』という動機と

                                『今の自分がブスだから』『今の自分が汚いから』という動機とでは

                                その根っこはまるで違います。


                                後者の場合、たとえスタイルが良くなっても次はお肌が気になるのだろうし

                                たとえお肌が綺麗になっても、次は顔の大きさとかが気になると思うのです。





                                つまり自己否定から始まる望みは、いくらそれが叶ったところで、また別の否定を産むだけなのです。


                                コンプレックスさえどうにかすれば、自分に自信が持てると思っていましたが

                                今の私ではたとえいくら整形しても、一生自信は持てないと気付きました。





                                それは“綺麗になるのを諦める”ということではありません。

                                肌荒れすれば悲しいと思うのは自然なことだと思います。


                                ここは私も練習中で、自分の外見をそのまま許すというのはまだ出来ずにいるのですが

                                まずは切り離して考えるようにしました。


                                もし肌荒れしたら『肌荒れしちゃった。悲しいな』で以上マルにします。

                                『=私はダメ』と繋げるのではなくて。


                                『綺麗になりたい』という思いと、『そうでなければ愛されない』という思い込みを

                                まずは分けることにしたのです。



                                実際私は陶器のような美肌の人よりも、北欧のソバカスだらけの女の子の方が魅力的に感じたりします。

                                “綺麗”というのは本当に人それぞれで、自分のことも相対的に愛せたら幸せだと思うのです。






                                そのまんまの自分を愛する


                                これまで私が辿ってきた道を時系列でまとめてみましたが

                                要は「自分を許す」って一言で表すと、「そのまんまの自分を愛する」ということなのです。


                                愛されるために、認められるために

                                何かを足したり直すのではなくて


                                すでに充分にあって、すでに愛されているという前提を思い出していくこと。

                                その前提に対する否定の声を緩めていくことなのだと思います。


                                何が出来ても何が出来なくても、何があっても何が足りなくても

                                私という価値は変わらないし、私はすでに愛されているということ。





                                とはいえ、愚痴や弱音も言えなかった頃の私が「自分はすでに愛されている」なんて、すぐに思えるはずがありません。

                                顕在的には思えたつもりでも、潜在的には否定したままなのです。


                                だから段階があるのだと思います。


                                まずは嫌なことを「嫌」ということ。

                                愚痴や弱音が吐けること。


                                次に好きなことを「好き」ということ。

                                本当の望みを描くこと。


                                そして根強いカルマを一つ一つ解かしながら

                                そのまんまの自分を自分自身が受け入れていくこと。



                                そうしていくうちに、自分を責めていたのは他人ではなく、自分自身だったことに気付くはずです。

                                世界の誰よりも自分自身が自分を否定していたことに。





                                自分が自分に優しくした分だけ、世界も自分に優しくなります。

                                自分が自分に優しくした分だけ、自分も世界に優しくなれるのです。


                                そんな優しい世界で生きられたら、どんなに幸せだろうと思います。





                                最後に、前世から持ち越してきたカルマについてですが

                                ここを癒していくことで、私は本当に私に優しくできるようになりました。


                                セッションでもお伝えできるので、気になる方はお申し込み下さい。



                                セッションはこちら


                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                「自分を許す」の意味がわからないという方へ
                                「自分を許す」の意味がわからないという方へ
                                優しい願いの叶え方
                                2022/05/31

                                「願うだけなら簡単だ!誰でもできる!」と昔よく言われた記憶がありますが

                                その“願うだけ”が意外にも難しいことをここ数年痛感していました。



                                “願うだけじゃ叶わない”のは、望み方が下手だからです。

                                そして下手な人が多いから、“願うだけじゃ叶わない”が真実だと思われています。





                                下手な望み方というのは「〜をしたい✨」という言葉とは裏腹に

                                腹の底で『どうせ無理だ』と思っている状態のことです。


                                望み方が上手な人は、言葉と本音にギャップがないので

                                次々にそのための扉が開いていきます。





                                「〜したい✨」という望みに対し

                                『できる✨』と腹の底から思うことさえできれば、成功したも同然です。


                                そして『どうせ無理』を『できる✨』にするのは、誰でもできる簡単なことなのです。







                                望みと抵抗


                                今年の初め、ふと思い立ち

                                “今年やりたいことリスト”を作成しました。



                                ・自分の誕生日に推しのケーキを買う

                                ・ヘアドネーションする

                                ・ダイビングのライセンスを取るetc


                                ワクワクしながら書いたそのリストの中に

                                「イベントに参加する」という望みがありました。





                                イベントというのは、同じ二次元推しを愛する同人が一堂に会するイベントのこと。


                                学生時代以来、久しぶりに二次元にどっぷり夢中になった私は、昨夏はじめて同人の世界に片足を突っ込み

                                どんどんその世界に魅せられ、イベントに参加したいと望むようになっていました。





                                だけど


                                『大好きな絵師さんに会いたい!!✨』

                                『同人の方たちと同じ空気を吸ってみたい!!✨』


                                どんどん膨れ上がる望みの一方で

                                『まぁでも無理かも』という諦めのような気持ちも同時に味わっていました。





                                『無理かも』を少し観察してみると


                                ・お金がかかりそうだから

                                ・行ったことがないから

                                ・イベントは日曜日に開催されるから

                                が主な理由でした。


                                さて、これを叶えるにはどうしたらいいでしょうか。





                                望み方の失敗例


                                以前、私は何かを叶えるには、腹の底から決めることが大切だと思っていました。



                                だから


                                『イベント行く!!』

                                『絶対行く!!』

                                『お金は稼ぐ!!』

                                『なんとかする!!』と

                                力づくで無理矢理決意し


                                『そのためにはどうしたらいいか!!』

                                『馬力を出せ!!』

                                『アイディアを出せ!!』と

                                怖いまんま、不安なまんまで自分を鼓舞し続けていました。





                                だけど、決意したつもりが全然できていませんでした。

                                本音は怖くて不安なままなのです。





                                何が怖いか、何が不安かって

                                こうやって無理矢理望みを叶えることで大切な何かを失うことでした。


                                『誰かに嫌われるかもしれない』

                                『無理することで何かが崩壊するかもしれない』

                                『その時大変なことになるかもしれない』


                                だから本音では叶わない方が楽なのです。


                                叶わなければ嫌われないし壊れないし、大変なことにもならないから。



                                それにも気付かず、私は無理矢理“覚悟して““決めた”つもりだったので、現実はなかなかスムーズにはいかず

                                力技で叶えられたとしても、心身共にものすごく疲れていました。





                                次第にこのまま何かを叶え続けるのは、嫌だとさえ思い始めます。

                                こんなにキツくてこんなに苦しいことを、これからもやらなきゃ叶わないのか…と。





                                だけどそんな無理もだんだん続かなくなってきて、心は疲弊する一方で、なんだかおかしいなと思い始めました。

                                何がおかしいのか、何が違うのかわからなかったけれど、もうやりたくない無理は一旦やめることにしたのです。


                                2020年の末のことでした。





                                ハードルはできるだけ低く


                                それまで『頑張らなきゃ!!』と必死にしがみ付いていた執着の手を一旦緩め

                                私は自分の心が安堵するものを優先するようにしました。





                                Happyちゃんの動画を聞きながら瞑想したりリラックスしたり。

                                少し元気が出たらHappy理論の動画を聞いたりして。

                                少しずつ無理のない範囲で自分にも、応用したり試してみたりして。


                                そうやって“緩む”大切さを体感しているうちに、望み方が変わっていったのです。







                                まず今回年始に書き出した“やりたいことリスト”。


                                自分で文字にして書くその体感を通して、それぞれの望みの抵抗度合いを感じていました。





                                例えばヘアドネーション。

                                これはほぼ抵抗がありませんでした。


                                髪を切ればいいだけだし、普段お世話になっている美容室でヘアドネーションが出来ることも聞いていたし、

                                ベリーショートも何度もしたことがあったから今更まわりの目を気にすることもない。


                                だから抵抗があるとすれば、40歳を超えた自分の外見で、まだベリーショートが似合うかどうかだけでした。





                                “自分の誕生日に推しのケーキを買う”はもう少し抵抗がありました。

                                自分の誕生日前後にケーキを買う金銭的余裕があるか不安だったから。





                                こうやって一つ一つ見ていくうちに、私の抵抗の種が大体


                                ・お金の不安

                                ・怒られそう


                                の2つであることがわかります。





                                お金の不安は以前よりはだいぶマシなので、現状特に強いのは“怒られそう”です。


                                これってそもそも父との関係の中で作られた私の思い込みでしかないのですが、それは別の記事にまた書くとして。


                                イベントの望みはお金も不安だし怒られそうだったので、リストの中でも抵抗度合い強めな望み。

                                なのでイベントは一旦後回しにし、今すぐ叶えられそうな望みから一つずつ叶えていくことにしたのです。





                                そして叶えられるものから一つ一つ叶った喜びを噛み締めながら

                                イベントの望みも山を登るように少しずつ、抵抗を感じないところから始めてみたのです。





                                まずは抵抗の少ないものから


                                先月、Webでも同人イベントが開催されることを知り、はじめてイベントに参加してみました。


                                Webなので何曜日でも何時でも自宅から好きなタイミングで参加できるし、そのイベントは参加費などもかかりませんでした。

                                つまり“イベントに参加したい”の抵抗のもとになっていたものを、乗り越えなくていい状態で参加できたのです。





                                しかも参加してみたら、ものすごく楽しい!!✨





                                未知のものに対する抵抗は多少ありましたが、ブログやSNS歴が長いこともあってか、リアルのイベントほどの抵抗はありません。


                                それよりも、オンラインとはいえ憧れの絵師さんと会話できたこと✨

                                一緒に記念撮影ができたこと✨

                                同人の方たちと同じ時間を過ごせたこと✨など

                                溢れるような充足感でいっぱいで


                                『次はリアルのイベントに参加したい✨✨』と望みのワクワク度が爆上がりしていました。





                                抵抗のない言葉で望む


                                Webイベントからひと月ほど経った頃、今度は大阪でリアルのイベントが開催されることを知りました。

                                先週の末のことです。


                                Webイベントの楽しさもあってか『いいなー✨私も行けたらいいのになー✨』という望みがこれまでよりリアルだった私。





                                でも


                                大阪だし。

                                遠いし。


                                日曜日に一日息子を置いて遊びに行くのも抵抗があるし…とやはり抵抗は未だ強いまま。





                                それでも前日に「明日大阪行っちゃう?♪」…と冗談でだけど口に出したのが非常に気持ち良く♪


                                気持ち良くなったら

                                年内の関東でのイベント開催日を調べたり

                                一般参加の方法を調べたり

                                どんな差し入れをしようか妄想したり…と


                                実際に行くとしたらどうするか?を具体的に考えるようになりました。





                                具体的に考えるようになったら


                                10月のイベントの頃には、息子も1人で出かける時間が増えてるかもしれないし

                                その頃にはスマホを持ってるかもしれないし

                                そしたら父親と直接連絡を取って遊んでもらってもいいかもしれないし…と


                                “行けるかもしれない”色んな可能性も考えられるようになってきて。





                                『絶対に行く!!』という無理矢理な望み方ではなく

                                『行けたらいいな〜♪』くらいのフワッとした抵抗のない言葉で、素直に望めるようになっていました。





                                そして、こうなるともう早い!!


                                元夫に連絡をし「年末イベントに行きたいから、もし息子が暇そうだったらその時息子と遊んでくれない?」とサラッとお願いできてしまい、

                                お願いしてみたら「いいよいいよ」とあっさりOKをもらい、

                                息子にも話してみたら「全然行ってきなよ」とこれまたあっさりOKをもらい。


                                今まで一人相撲で悩んでいたことが、どれもこれも一気に解決したのです。





                                さらに金銭的な不安も、実際のイベントに行った方のレポを見ているうちに大したハードルではないことに気付き。

                                まだ実際にイベントに行ったわけではないですが、もういつでも自分の気持ちだけで参加できるところまで許可することができたのです✨





                                許可って自分に対してです。


                                なんの抵抗もなく、無理なく自然に『行ってもいいよ♪』と自分に対して今思えているので、もう私はいつでもこれを叶えられる♪

                                ここまで許可が降りたらもうそれだけで大成功なのです♪





                                優しい願いの叶え方


                                自分らしく生きたいと願ってから、一刻もそれを自分の現実にしたくて

                                怖いまんまバンジーを飛んだり、不安なまんまで突き進んでみたり…と随分私自身に心労をかけたと思います。



                                その心的なスリルを私が心から楽しめたら良かったのですが

                                私の心がもっとも欲しているのは、それとは真逆の安心感だったので

                                無理矢理鼓舞して馬力を出させるやり方は、決して私に優しくありませんでした。





                                自分が安心できる範囲で、無理なく進んでいくやり方は

                                一見亀の歩みのようで、せっかちな私には焦ったくも思えましたが

                                やってみると力づくで叶えようとしていた頃より楽にあっさり叶うようになりました。



                                だって低いハードルなら「飛べる」と心から思うことができるから———





                                以前、私は何かを叶えるには、腹の底から決めることが大切だと思っていました。


                                だから力んで覚悟して『決めた!!!』つもりになっていましたが

                                本音の部分で『無理だ』と思っている以上、腹の底からは決められていなかったんですね。





                                今は目の前のハードルが低いからこそ『これなら』と本音で思うことができる。


                                やり方はものすごくぬるくて優しいですが、でも結局腹で決められているのです。





                                イベントに行くことを考えるだけで、すでに感無量の天国気分(゜-Å) ホロリ


                                どんな髪型で、どんな服を着ていこうか

                                その日を楽しみにしたいと思います✨






                                ***

                                まずは話してみませんか?

                                坂戸市在住の占い師です。
                                オンラインでセッションを行なっております。
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                                優しい願いの叶え方
                                優しい願いの叶え方
                                自分を見つめ直す質問「10億円あったらどうする?」
                                2022/05/31

                                「もっと自分らしく生きたい!」そう願ってから

                                私はこの質問を繰り返し自分にしてきました。


                                「もし今10億円あったら、何したい?」



                                その答えはその時々で違うけど

                                自分の“今”が浮き彫りになる

                                とてもいい質問だと思います。









                                先週、私はとても疲れていて

                                生理がきたこともそうだけど

                                とにかく毎日必死すぎて

                                だから呼吸が浅かった。





                                朝から夕方までパートで

                                帰ってきたら自分の仕事に

                                自治会の役員、PTAのこと…



                                夕食時に息子とアニメを2話見る以外は

                                とにかくパソコンに向かいっぱなしで


                                どれも自分で決めてやっていることなので

                                嫌なストレスはなかったけれど


                                それでも少しずつ疲れていって

                                疲れているとなんだか色々

                                報われない気持ちにもなっていった。





                                『時間が足りない』

                                『やりたいことが全然できていない』


                                そんな思考が脳内を占めるようになり

                                呼吸の浅さにやっと気付いた私は


                                瞑想する時間を意識的に増やした。





                                通常忙しくなってくると

                                寝食を後回しにしがちだけれど


                                一見無駄に思えるリラックスの時間が

                                もっとも人をパワフルにする。





                                朝、仕事の合間、作業の合間、夜寝る前…と

                                瞑想してゆっくりする時間を増やしたら


                                少しずつ心にもゆとりができ始め

                                アイディアも降りるようになってきて

                                好きなことをやる時間もでき

                                ふと楽しいことを考えたくなった。


                                「10億円あったら何しよう」















                                自分らしく生きたいと願ってから

                                繰り返し自分にしてきた質問だった。





                                最初の頃は『好きなだけ海外に行きたい✨』だとか

                                『好きなだけカフェに行きたい✨』が多かった。


                                お金があれば自分の好きなように生きられると思っていたから

                                「もし10億円あったら」お金を好きなように使って

                                楽しそうに生きる自分を想像した。





                                数年前は『好きなだけ乗馬がしたい!!』だった。


                                当時夢中になっていた乗馬に

                                好きなだけのめり込めるほどのお金がなくて

                                そんな自分が悔しくて、だから


                                『好きなだけ乗馬がしたい!!』

                                『いつでも馬具が買える自分になりたい!!』と

                                その語尾にはいつも『!!』がついていた。



                                強い執着、執念、悔しさ…


                                必死に好きなことに喰らい付いて

                                必死すぎて苦しくて辛くて


                                だけど諦めてしまったら

                                私は何かを失ってしまいそうで


                                せっかく掴み始めた“自分らしく生きる道”を

                                逃すまいと本当に必死だった。





                                「10億円あったら何したい?」

                                その時々の私を浮き彫りにしてきたこの質問に

                                今の私が真っ先に思い浮かんだものは


                                自分の罪悪感や後めたさを拭うために

                                そのお金を使うことだった。





                                人に助けられていること、協力してもらっていることに対し

                                申し訳なさがずっとあった。


                                だから10億円もあるなら

                                それを自分で全部担いたいと。


                                そしたらこの罪悪感も申し訳なさも全部薄れて

                                私はスッキリ気分良くいられるから。



                                あれが欲しいとか

                                これをやりたいなどの

                                ワクワクとした答えが出てきたのは

                                想像の私が罪悪感を拭った後だった。





                                『あぁ、この罪悪感が今私を堰き止めているんだな』


                                そんな自分に気付けたことが

                                今回の質問の1番の収穫。










                                以前の私なら

                                「10億円あったら?」に対して出てきた答えに

                                とりあえず我武者羅に向かっていた。


                                今回だったら

                                『じゃあその罪悪感を拭えるだけのお金を稼ぐぞ!!』

                                になってたと思う。



                                でもやっとわかってきた。

                                私が本当に欲しいのは

                                罪悪感を拭うためのお金ではなく


                                罪悪感を祓ったあとの

                                スッキリとしたいい気分なんだって。


                                お金を払って

                                罪悪感を祓うことは

                                今すぐには出来なくても

                                気分なら今すぐ味わえるよね。





                                深呼吸をしてもいい。

                                炭酸飲料を飲んだっていいし


                                スッキリしたいんだから

                                今すぐできる方法で

                                そのスッキリを味わってみる。


                                スッキリして

                                自分が欲しいその感覚を

                                味わって味わって味わってみる。





                                それから

                                無理なく望める範囲で望んでみる。



                                今回私が思ったのは

                                人に何かをしてもらうことに

                                素直に『ありがとう』が感じられるようになりたいということ。


                                嫌〜な罪悪感ではなく

                                気持ちよく受け取って

                                気持ちよく『ありがたい』と感じたい。


                                それも今すぐ無理矢理思考を変えるのではなく

                                『ありがとうって素直に受け取れるようになれたらいいな』

                                くらいの心地良い範囲で望んでみるとか。



                                ほら、それだけでちょっと気分がいい。









                                現状に詰まったら

                                まずは深呼吸してリラックス。


                                『そんな暇ない』とか

                                『頑張らなきゃ』とか

                                ザワザワしたまんまでもそれでもゆっくりしてみたら


                                少しずつ呼吸も落ち着いてきて

                                少しずつ心も穏やかになってきて


                                そしたら自分に質問してみる。

                                「もし今10億円あったら何したい?」と。





                                出てきた答えは

                                そのまま叶えようと行動に移す前に


                                それを叶えることで

                                どんな気分を味わいたいのか

                                さらに自分を見つめ直してみる。


                                スッキリしたいのか

                                ホッとしたいのか

                                自由を感じたいのか

                                癒しを感じたいのか。





                                そうやって細かく細かく自分に寄り添いながら

                                今できる方法で無理なくそれを叶えていく。


                                私はせっかちだしコツコツが苦手だから

                                望みはすぐ叶えたかったし

                                嫌ならすぐにやめたかったけど



                                鞭で叩いて無理矢理馬力を出させるよりも

                                優しく丁寧に寄り添うことが

                                結局見たい景色への一番の近道なんだと

                                今はそう確信しています。






                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                自分を見つめ直す質問「10億円あったらどうする?」
                                自分を見つめ直す質問「10億円あったらどうする?」
                                人生というPRGを
                                2022/05/25

                                新・解読の書に早速お申込み頂きありがとうございます✨


                                まだデザインも何も決まっていない状態での告知からすぐのお申込みだったので

                                ビックリしたと同時にものすごい幸福感✨


                                これからどんな風に仕上がっていくかを含め、楽しみにお待ち頂けると幸いです———







                                私の占いのテーマは“RPG”。


                                子どもの頃、夢中でドラクエをしながら

                                「私もこんな風に、冒険するように生きたい」と願った





                                まだ見ぬこの広い世界で

                                自分が一体どこに辿り着くのかもわからないまま


                                村人の情報を頼りに

                                そこに反応するわずかな自分の感覚を頼りに

                                見えない羅針盤が指し示すまま


                                一歩一歩自分の足で

                                意志で選択で歩いていく。





                                明日何処へ行くのかもわからない。

                                今日何処で眠るのかもわからない。


                                それでも

                                「これが自分の冒険だ」という唯一確かな感覚が

                                今日も旅へと突き動かす。





                                ドラクエは

                                世界の平和を脅かす大魔王を

                                主人公が倒す物語。


                                望みは世界を平和にすることで
                                そのためには大魔王を倒さなきゃいけない(=目標)



                                その目標達成までにも

                                長い長い物語が用意されていて。

                                誰かを救わなきゃいけなかったり
                                何かを探さなきゃいけなかったり

                                アドバイスを求めたり

                                大魔王の手下と闘わなきゃいけなかったりする。





                                でもドラクエの醍醐味は、目標達成の瞬間ではなく
                                そこへ向かうコツコツとした一歩一歩が楽しいのだ。

                                冒険こそが楽しいわけだ。



                                冒険の最中は

                                夢が叶った瞬間よりも

                                ずっと素晴らしい。



                                そしてそれを楽しくしてくれるのが

                                誰かを救うことで
                                何かを探すことで

                                アドバイスを求めることで
                                日夜モンスターと戦うこと。



                                これがなかったらドラクエなんて

                                面白くもなんともない。


                                レベル1で大魔王を倒したいわけじゃない。

                                最初から最強の武器が欲しいわけじゃないんだ。





                                私の人生だってそう。

                                この毎日が夢の一部で冒険で
                                喜怒哀楽があるからこそ冒険は

                                わくわくしたものになる。



                                嫌な出来事も

                                嫌な人も

                                嫌な感情も

                                思い通りにならないそのすべてが
                                私の人生を楽しくしてくれる

                                エッセンスなのだとしたら———

                                “喜”や“楽”だけでなく
                                “怒”も“哀”もあるから人生は面白い。



                                そんな色鮮やかな感情に彩られた

                                あなただけの最高の物語を

                                解読の書でぜひ味わってみて下さい。





                                日常をかけがえのない冒険の日々へ———


                                あなただけの物語へと誘う鑑定書

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                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                人生というPRGを
                                人生というPRGを
                                【自分を許す】全部OK❗️オールOK❗️✨
                                2022/05/02

                                “自分を許す”って

                                “全部許す”っていうこと。



                                恥ずかしい自分や隠したい過去や

                                醜い心の内だけでなく


                                うまくいっていない現状も

                                未来への不安も

                                失敗も恐れも何もかも全部———







                                許せるまでその現実は続くよ


                                2016年3月。


                                ふとしたことから叶恭子さんの日めくりカレンダーと出会い

                                そこに書かれている愛に溢れた言葉たちに感動し

                                『もっと自分を大切に生きたい』と願うようになった。



                                それから

                                本当は気になってたけどなぜか見ないようにしていた

                                心屋仁之助さんの発信を見るようになり。


                                その当時イヤだったことに思い切って別れを告げ。



                                宮本佳実さんに出会い

                                あーすじぷしーさんに出会い

                                子宮委員長はるちゃんに出会い

                                Happyちゃんに出会い


                                憧れて、私もそうなりたくて、なれるという希望に感動して

                                私が選んだ“私”っていう可能性を信じてみることにした。





                                たくさんバンジーも飛んで、たくさん自分とも向き合った。


                                なのに

                                何度も悔しく思った。

                                なんでこんなに変わらないんだろうと。



                                『本当にこれでいいのか』

                                『大変なことにならないだろうか』


                                不安になったのは一度や二度ではないし

                                その時自分は大切なものをすべて

                                失ってしまうのではと怖くなった。





                                特に“上手くいかなかった”のがお金のことだった。


                                自分でたくさん稼げるようになれば

                                好きなことを好きなだけできる自由と

                                安心が手に入ると思っていた私は


                                だから起業して

                                だから誰かを真似て

                                好きに生きたりバンジーを飛んだりした。





                                でも変わらなかった。

                                失敗ばかり。


                                上手くいかない。

                                何でだろう何が悪いんだろうって

                                ずっとずっとずっとずっとそればかり考えていたけれど


                                今になってやっと思う。

                                『あの時上手くいかなくて良かった』と。





                                だって


                                自分を大切に生きるにはお金が必要だと思っていたし

                                起業したのも成功したかったのも、お金を自由に得たかったから。





                                つまり当時の私は

                                幸せになるためにはお金が必要だと思っていて


                                それって言い換えると


                                お金がなければ幸せにはなれない

                                固く信じていたということ。





                                だから

                                上手くいかない自分や現実にずっとバツをつけていた。


                                これからもこのままお金が稼げない自分のままでは

                                いつか大変なことになりそうで、それが怖かったから。





                                だけどもし


                                思うように稼いで、思うようにお金を得て

                                お金をちゃんとすることでもし私が幸せを感じ続けていたら





                                お金があったらマル

                                お金がなかったらバツ

                                という強い思い込みを持ったまま、私は今日も生きてたんだと思う。


                                それってすごく怖いこと。





                                だって一生お金に左右される。


                                私の自由や幸せはお金次第で

                                お金に対する不安や恐怖を抱いたまま

                                一生生きることになっただろうから。







                                上手くいっていない時、悔しかったしすごく悩んだし

                                失敗が怖くてその度落ち込んでた。


                                誰もいなくなってしまうんじゃないか

                                大切なものすべて失うんじゃないか

                                大変なことになってしまうんじゃないか…


                                失敗した先の未来が怖くて怖くて仕方なかったけど





                                でもその度に

                                「大丈夫だった…」を知って人のあたたかさを知って

                                なんとかなることを知って世界の優しさを知って


                                今はお金があってもなくても「きっと大丈夫」って信じられている。



                                お金がなかったり

                                お金に困ったり

                                お金の失敗をしたとしても


                                それも含めて私は幸せにしかなれないって。





                                だから以前ほど怖くない。


                                そりゃ何かあれば傷付いたり嫌な思いもするかもしれないけど

                                でもその嫌な思いも含めて幸せにしかなれないと思えてるから。





                                あのまま現実が上手くいってたら

                                今こんな安心感は得られていない。


                                ここまで思えるまでたくさん悩んで失敗できて

                                良かったと今は心から思うんだ。








                                全部OKなわけ


                                今、私がこうやって根拠のない深い信頼と安心感のなかで生きられるのは

                                上手くいかなかった過去やたくさんの失敗のおかげ。


                                自分で失敗して、自分で「大丈夫」を感じなければ

                                この体感は得られなかったと思う。





                                だから全部OK!オールOK!なんだよね。


                                そこだけ切り取ってみたら、どんなに辛く苦しい現実でも

                                それを含めて今私は幸せだと感じているから。


                                私を苦しませるために起こる現実なんて一つもない。

                                どんな失敗もどんな葛藤も、その先に素晴らしい果実がある。



                                だから思いっきり生きられる。

                                だから思い切って好きなことができる。


                                自分で選んでした行動や言動のその先が

                                たとえ望むような結果でなくとも

                                そこまで引っくるめて私は“好きに生きてる”と思えるから。






                                半端な許しは苦しい


                                以前、心屋仁之助さんが豊かさについて

                                トランプに喩えて話していた。


                                強い役を揃えたいなら赤のマークだけでなく

                                黒のマークも選ばなくてはいけないと。





                                赤は昼を、黒は夜を表してると聞いたことがあるけれど

                                その昼夜をもし陰陽に置き換えたら…?


                                陽(望むものや好ましいもの)だけを選り好みするんじゃなく

                                陰(望まないものや嫌いなもの)も受け取るから強い役が可能になるってこと。





                                過去『上手くいかない』と感じていた時

                                私は望む結果だけを欲しがっていた。


                                “好きなことで生きていく”という言葉を都合のいいように解釈して


                                『誰々がそうしていたから』

                                『誰々がそう言っていたから』

                                『だからこれで上手くいくんだ』と

                                半端な自己責任で好きなことに夢中になって



                                その先の望ましい結果だけを欲しがって

                                それが得られないと首を傾げた。


                                『何で上手くいかなんだろう』

                                『何が間違ってるんだろう』と。





                                単純に一つの研究データとして観察したり深掘りする分には

                                全然問題ないというか、そこに苦しさは生まれないと思うけど


                                私は望ましくない結果を受け入れる覚悟がまるでなかったから

                                だからその望ましくない結果が苦しくて苦しくて仕方なかった。


                                自分で選んで自分の意志で好きなことをやっていたはずなのに

                                それに対する現実の結果はすべてを受け入れることができなかった。



                                赤いカードしか引きたくなかったから

                                黒いカードを引いてしまった時

                                『終わった』感が強かった。


                                今は結果がどうなったとしても

                                それも含めて自分の責任だと、好きなことをしていると思える。


                                赤を引いても黒を引いても大丈夫って信じられているから

                                だから以前のような苦しさはない。





                                全てを許すってそういうことだし

                                それが自分軸で生きるってことなんだと思う。


                                だから沢山失敗すればいいよね。

                                『大丈夫』が血肉になるまで。



                                だから、それまでの失敗もOKってこと。

                                悩みも苦しいのも全部OK。


                                今はそう思えなくてもそれもOKだから

                                安心して悩めばいいし

                                安心して葛藤すればいいよね。






                                ***

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                                「死ぬまで、生きる」
                                2022/04/28

                                小学生の頃、祖父と食事をとっていると
                                食卓にあがった卵1個から戦争の話になることがよくあった。


                                祖父は戦争を、戦場で武器を持って、体験した人だった。

                                そこから同じ地域で無事に帰還できた者は祖父以外にいなかったという。





                                祖父はよく言っていた。

                                「おれは死ぬまで生きるんだ」と。





                                「当たり前じゃーん!笑」


                                当時妹と大笑いしていたこの言葉の重みが
                                今になって少しわかる。


                                どれほどの“今”を体感していたのか。





                                二度とない“今”この瞬間を

                                消費するように過ごすのか、それとも“生きる”のか。







                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                「死ぬまで、生きる」
                                結果は後からついてくる
                                2022/04/15

                                高校の3年間、私は音楽部に所属していた。

                                本当は弓道部に入ろうと思っていたけど(かっこいいから)
                                実際に見学に行ってみて心が動いたのは、弓道部よりも圧倒的に音楽部だった。



                                “音楽部”って聞こえはいいけど、内容は合唱部。
                                音楽は大好きなのに“合唱部”となるとなんだかあまりかっこよくない気がして。

                                “こんなはずじゃなかった感”が否めなかったけど、
                                そんな予定外の入部が、私の人生でかけがえのない時間の始まりとなった。




                                高校1年生、音楽部に所属して初めての年に、
                                なんと全国大会初出場&入賞という体験をすることができた。

                                自分の人生で、何かで全国大会に出るようなことが起こるなんてまったく思ってもいなかったし、
                                この音楽部にとっても初めての”全国大会出場”という出来事が、
                                私が入部した初めての年に起こったミラクルに、もう何がどういうことかわからなかった。


                                ただ嬉しかった。
                                起こったことはよくわからなかったけど、ただただ嬉しくてしょうがなかった。

                                自分のことが誇らしく思えたから。

                                まるで価値のある人間のように思えて、その肯定感は私を隅々まで満たしてくれた。


                                そしてこの年、まったくの無名だったはずの私たちの音楽部は、一気に注目校となった。




                                翌年も私たちは全国大会に出場し、今度はなんと3位という結果を得た。
                                1、2位は女性合唱団だったから、混声合唱団としては私たちが全国トップ。

                                さらにその翌年も3位という結果になり、
                                結局私は所属していた3年間すべて全国大会に出場し、
                                そのすべてで入賞するという本当に素晴らしい体験をすることができた。




                                最初の年はわけもわからないまま、ものすごい結果になってしまった驚きがほとんどだったけれど、
                                2年目からは「音楽を作る」ということに少しずつ意識がシフトしていった。

                                もちろん、結果がどうでもいいわけではなかったけれど
                                でも先生がいつも言ってたんだ。
                                「結果は後からついてくる」と。




                                最初はよくわからなかったその意識も、少しずつ理解できるようになり、
                                3年生の全国大会では、泣いたのは結果発表の時じゃなかった。

                                1年の時も2年の時も、
                                自分たちの最高の音楽を本番のステージで出し切れたことに、感動の涙は流していたけれど、
                                3年の時はもうそれがすべてだった。


                                「自分たちが作れる最高の音楽を表現する」

                                それは本番だけではない。
                                練習の時も、その時作れる最高の音楽を表現することが、常に私のゴールだった。

                                全国大会のステージは”結果を出すための大会”という意識ではなく、
                                私にとって”これまでずっと作り続けてきた音楽を表現できる、最後のステージ”だったんだ。


                                その最後のステージで、私たちが作れる最高の音楽を表現し切る!!

                                それがすべてだったから、
                                それが叶った私はもう十分だった。


                                そしてすでに満たされたところに、3位という結果がついてきた。
                                まるでペタッとシールが貼られたように。
                                本当に「結果は後からついてきた」だけだったんだ。




                                高校卒業後、私は音楽部の推薦で某私立大学へと進学した。


                                本当はメークアップアーチストとかの専門学校に行きたかったけれど(かっこいいから)
                                両親に猛反対されたのもあり、
                                お世話になった音楽部の先生が推薦の話を持ってきてくれたこともありで、
                                私は大学でも音楽を続けられることになった。




                                音楽部での3年間を思い、またここで始まる新たな音楽の日々をとても楽しみにしていた。

                                ところが。
                                大学の合唱部は、私が知ってる音楽部とは全然違った。

                                毎日必ずやっていた”発声練習”が、ここでは行われなかったんだ。
                                準備体操や基礎の練習をまるでせずに、その競技のいいとこ取りだけするような…


                                ここの部員は、私のように推薦で入ってきた部員ばかりで、
                                それぞれ自分の母校を誇りに思っていたし、それぞれのやり方にも誇りがあった。
                                私の「発声練習しようよ」という声に、耳を傾けてくれる人は誰1人いなかった。

                                だから1人で発声練習をした。
                                そんな私を部員たちは白い目で見てた。

                                だんだん不信感ばかりが募るようになり、
                                『ここにいたら音楽を嫌いになってしまうんじゃないか』とまで思うようになった。




                                そんな大学1年の初めての大会で、なんとこの合唱部が全国大会で優勝してしまった。

                                正直私はボロクソな結果で終わればいいと思っていた。
                                そしたら少しは練習方法も見直されるんじゃないかと……

                                それが、
                                発声練習もしないような合唱団が、
                                高校の時みたいに“音楽を作ってる”感じが一切味わえないまま、
                                なんと全国で1位になってしまったのだ。

                                『あぁ、これじゃもう変わらないじゃん』
                                『余計つけ上がるだけじゃん』

                                絶望的に感じたのを覚えている。



                                母校の後輩に「全国1位おめでとうございます」なんて言われた時には、恥ずかしさで居た堪れなかった。

                                後輩にあんな音楽を聴かれたくない。あんなので1位なんて恥ずかしすぎると。







                                「結果は後からついてくる」

                                大学合唱部での経験を経て、この言葉を別角度からも痛感することになった。
                                大事なのは”結果”ではないのだと。

                                全国大会優勝なんていうこの上ない結果を目の前に、私は喜びを微塵も感じられなかった。
                                ”今”を精一杯表現もしていないような音楽で、結果だけもらっても、そんなもので価値は得られない。

                                ”今”私たちが作れる最高の音楽を表現すること、
                                これがすべてで、やっぱりこれ以外なかったんだ。






                                音楽も人生もきっと同じ。

                                ”今”できる表現を精一杯することがすべてで、
                                ”今”以上に大切なものなんてない。

                                ”今”を生きることもできずに得た名声や成功なんて、
                                きっとあの時の優勝みたいなものなんだと。




                                そして”今”に全エネルギーを注いだ後の

                                その素晴らしい感覚を私は知っている。

                                あの時のように、音楽を作っていた時のように、
                                精一杯”今”を感じて表現していきたい。

                                後からついてきた結果が、
                                ただの“おまけ”に思えるほどに。





                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                結果は後からついてくる
                                結果は後からついてくる
                                みんなが勇者のパーティよりも
                                2022/04/14

                                みんなが勇者のパーティよりも、
                                格闘家がいて僧侶がいて踊り子がいるような
                                そんなパーティの方が私は好き(ドラクエの話)。

                                村には村人がいてほしいし、
                                お城には王様がいてほしい。

                                私(主人公)は勇者をやりたいから、
                                他の登場人物に、他の役割はやってもらうんだ。




                                だからきっと、
                                いろんな人がいるんだね。








                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                みんなが勇者のパーティよりも
                                みんなが勇者のパーティよりも
                                成功とは、自分自身と調和すること
                                2022/04/13

                                成功とは見えない世界の自分自身と調和すること———


                                “Happy理論”や“HTL”で検索すると

                                詳しい動画やブログが出てくると思いますが。







                                私も生き方を見直し始めたのは、成功したかったからでした。


                                “成功すること”が直接の目的ではないけれど、

                                自分の思うように自由に楽しく生きるには

                                “成功する必要がある”と思ったのです。



                                自由に自分らしく生きるにはお金も必要


                                とはいえお金を得るために、苦しい思いをしたり時間がなくなるのは嫌だ


                                起業して成功しよう


                                が私の思考回路でした。





                                でもこれをもっと紐解いてみると


                                自由に自分らしく生きたいのは、それが心地良いからであり

                                お金を得たかったのは安心して生活ができるゆとり

                                欲しいものや行きたい場所や、やってみたいことがあった時に

                                それを選べる自由が欲しかったからで。


                                そもそも何かを欲しがったり、どこかに行きたかったり、何かを体験したいと思うのは

                                それを手にしたりやってみた時に喜びや幸せが感じられるからだし


                                苦しい思いをしたり時間がなくなるのが嫌だったのは

                                それが心地良くないからです。



                                つまりいい気分になりたかったということ。


                                それって成功しなくても、まだお金がなくても、もし時間がなくても

                                今すぐ得られるものなんですよね。





                                だから

                                成功とは見えない世界の自分自身と調和すること———

                                なのです。


                                自分と調和している時人は、いい気分を感じているから。









                                私がマヤ暦を探究し始めた理由の一つに

                                「言われて嫌な言葉をなくしたい」という思いがありました。


                                マヤ暦でも出てくる思い込みの激しさ、プライドの高さ、

                                気性の荒さ、メンタルの繊細さなどの私の気質。


                                『思い込みが激しいから、もう少し客観的に物事を見ましょう』とか

                                『プライドが高いから気を付けましょう』なんて

                                そんなことを伝えなきゃいけない鑑定は、絶対にしたくないと思ったのです。



                                だってそんなことわざわざマヤ暦にまで言われなくても

                                これまで生きてきた中で嫌というほど言われてきた。


                                気を付けて直るならとっくに直してる。

                                でも“直す”ってそれ、自分以外の枠に合わせるってことだよね……?



                                自分らしく伸び伸びと生きたかったのに

                                なんで自分を変えなきゃいけないんだろう。





                                今回「天国と地獄の書」を作ってとにかく一番達成感だったのが

                                一字一句余すところなく納得のいく言葉だけで

                                鑑定書の全てを作ることができたことでした。


                                自分の性質だけでなく、自分にはない性質のものも

                                言われて嫌だったであろう言葉を全て“贈り物”にしました。


                                それは1mmも自分を変えることなく

                                開き直ったり誤魔化すでもなく

                                自分の中の陰陽(天国と地獄)をそのまま味わいながら

                                生きるということなのです。



                                隠したい自分や嫌な自分と対峙した時に

                                『あぁそうだ、こんな自分で良かったんだ』と

                                ほっとするような一冊に仕上げたかった。


                                自分を変えるのではなく、自分をそのまま受け入れることで

                                心地良さを感じられるようにしたかった。





                                私もそうでしたが、占いなどのセッションを受けた“その時”

                                ものすごくいい気分になります。


                                自分なら何でも出来るような気がして、

                                『こんな自分に生まれて良かった』とキラキラとした気持ちでいっぱいになるのです。



                                でもまた日常を過ごしているうちに、その気持ちは薄れていってしまう。

                                セッションを受ける前と同じ、自信がなくて自分を否定してしまうような

                                これまで“慣れ親しんだ自分”にいくらでも戻れてしまうのです。



                                だからセッション(オンライン)と鑑定書のセットにしました。


                                自己否定ではなく自分を受容できるように

                                滅入るような気持ちからほっとした気持ちになれるように。


                                セッションを受けた時だけでなく

                                鑑定書を読むことでいつでもその心地良さの中に戻れるようにと。



                                そして何が出来ていなくても、何を得られていないとしても

                                ほっとした気分になれたならそれはもう大成功してます。


                                成功とは見えない世界の自分自身と調和することなのだから———







                                「天国と地獄の書」はこちらからお申し込み頂けます。

                                ずっと欲しかった心地良さを、ぜひ味わってみて下さい。


                                成功とは、自分自身と調和すること
                                成功とは、自分自身と調和すること
                                いつ幸せになるの?
                                2022/04/10

                                いつかたまたまついていたTVで、ある海外のドキュメンタリーを見た。

                                両目の光を失った男の子が、ずっと憧れていたアメフトの選手になる夢を叶える物語。


                                感動する。

                                ハンデと言われるものを抱えながらも、夢を実現させた男の子の努力や心の強さ。



                                それに比べて、

                                五体満足で何不自由なく過ごせているにも関わらず

                                なにも成せていない私。


                                大した努力もせず不平不満ばかりで、そんな自分を情けなく思う。



                                それに同じ親として、男の子の両親の姿に思うところも。


                                両目が見えない状態で激しいスポーツをするというのは

                                きっとかなり危険なこと。


                                実際に男の子も、チームの監督に選手になることを反対されていた時期もあった。



                                でも両親は、その夢をただ見守った。

                                そして、ただただ応援していたんだ。

                                なかなかできることじゃない。









                                これらは少し前の私がきっと、感じていただろう感想。


                                何かを抱えながらも頑張ったり、受け入れて努力していく勇気ある物語は

                                それまでの私に劣等感や情けなさをいつも抱かせていた。



                                でもその時感じたのはそれとはまったく別の感想で。


                                もしこの男の子が

                                ハンデのようなものを

                                特に何も抱えていなかったら


                                この物語はどんな物語になっていたんだろう…と。



                                我が子の好きなことややりたいことを

                                ただただ見守って応援できる親は一体どのくらいいるんだろう。


                                「わがままだ」と我が子の言葉に聞く耳さえ持たなかったり

                                一度決めたことを諦めかけたときに

                                「最後までちゃんとやりなさい!!」なんて説教したり

                                ちゃんと練習しないと文句を言ったりして


                                見張るになっていたんじゃないのかな。



                                そしてたとえこんな風に我が子の“好き”を尊重できたとしても


                                「しつけがなってない」とか「わがままにさせすぎ」とか

                                まわりにはそんな風に映ったり


                                子どもがなにかを起こせば「だからそうなるんだ」なんて

                                否定の声に不安を掻き立てられる。



                                でももし今、我が子の目があと半年後には

                                見えなくなるなんて医師に告げられたら?


                                きっとやりたいことをさせて見たいものを見させて

                                逃げることも許して泣きたいときには寄り添ってあげるんじゃない?

                                って思ったの。



                                人はハンデがあって初めて

                                好きなことを許されるの?


                                それに「許される」って一体誰に?



                                許してないのは

                                きっと自分自身。


                                誰かや何かのせいじゃない。





                                究極の状態になって初めて本音に

                                気付くのもアリかもしれないけど


                                私は今すぐ本音のままに

                                生きる道を選びたいと思った。





                                本音のままに自分を生きたい方へ。
                                マヤ暦や占いのセッションをオンラインで行っております。
                                詳しくはこちらをご覧下さい。
                                いつ幸せになるの?
                                いつ幸せになるの?
                                愛されたいのは“光”だけですか。
                                2022/04/09

                                ちょうど2年前の春、

                                当時開催していたオンラインコミュニティの中で

                                ずっとずっと欲しかった愛を、自分の中で感じることができた。


                                ヒステリーな自分を、心から可愛いと思えたこと。





                                ずっと自分を否定して、抑圧して生きてきた。

                                だから嬉しかった。マヤ暦や占いが伝えてくれる、自分の可能性というものが。


                                これまで悩んできたことが、ダメだと思ってきた“私”がすべて

                                可能性なのだということを知って。


                                嬉しくて、

                                “可能性”だけを見た。


                                汚い本性は否定したままで———





                                私は可能性だけを欲していたのかな。

                                光だけを愛してほしかったのでしょうか。


                                好きになった男の人に

                                「確かにわがままだけど、でもそれだけエネルギーが強いってことだよね」

                                なんて(例えばだけど)


                                そんな言葉をかけてもらうことを、私は願っていたのでしょうか。



                                光を見てもらえることは嬉しいことだけど

                                私が本当に望んでいることは“わがまま”をそのまま

                                愛してもらうことじゃなかったのかな。


                                たとえこの黒くて汚い本性が光に転ずることなく黒いままだとしても

                                それでもそのまま愛してもらえることを。





                                可能性はもちろん開花させたい。

                                だけど、汚い私のままで愛されたい。


                                ヒステリーな私をこんなに愛しいと思えたのは

                                本当はずっとほしかった“愛”そのものでした。

                                ずっとこんな風に愛されたかった。


                                光ばかり追いかけないで、キラキラの未来だけに焦がれてないで

                                汚い私をそのまま愛したい。消えない過去の汚点を大切に慈しんで———




                                愛されたいのは“光”だけですか。
                                愛されたいのは“光”だけですか。
                                【マヤ暦】大嫌いな自分を許すために
                                2022/04/08

                                「自分を許す」

                                こんなにシンプルなこの言葉を、現実にできている人は、一体この世界にどれだけいるんだろう。


                                どんな自分でもそのまんまを、受け入れ認めてあげること。

                                それが出来たならその瞬間、今抱えている問題の全てが問題ではきっとなくなる。


                                それって今すぐ幸せになれるってこと。



                                私は“子宮メソッド式マヤ暦”と名を付けた、独自のマヤ暦を探究しています。

                                探究の目的は「そのまんまの自分を愛すこと」


                                大嫌いな自分も恥ずかしい自分も、直すことなく隠すことなく

                                そのまんまをまずは私が、許して認めてあげられるように。


                                そしてそんな私やマヤ暦に興味を持ってくれた誰かが、連鎖のようにどんどん自分に優しくなる世界が、

                                現実になったらいいなと思っています。





                                私は自分が大嫌いでした。

                                なぜってとにかく可愛くなかったから。


                                何もかもがブスだと思ってました。

                                可愛いと言ってくれたのは母や祖母、そして同級生のはとこだけ。


                                みんな身内。それ以外に可愛いと言われたことがありませんでした。



                                反して、妹はとても可愛い子でした。

                                異性にも同性にもよくモテる。


                                性格は天真爛漫で外向的で明るくて、根暗で内向的な私とはまるで違う。


                                「妹はきっと幸せにしかならない」そう思い、

                                そして私はきっと幸せにはなれないだろうと思いました。



                                中学から高校に上がる頃、「可愛くなりたい!」欲求が高まり、

                                メイクをしたりおしゃれをしたりして、可愛くなる努力をしました。


                                私は本当は目立ちたがり屋でした。

                                あまりにも自分に自信がなさすぎて、外見で目立つことは諦めていましたが

                                メイクなどのおかげでそれも叶い始め、以前よりも自分が好きだと思えるようになっていました。



                                しかしそれは所詮ハリボテ。

                                取って付けただけの安い自信は、自分よりすごい人や目立つ人を前にあっという間に崩れ落ちました。



                                比較でしか私は幸せを感じることができなかったのです。

                                自分が誰かより優れていれば満たされ、そうでなければ価値を見失いました。


                                そしてさらに拗れていたのが、その価値を感じたいがために“不幸”をかき集めていたことです。

                                気を引きたくて愛されたくて、“可哀想な”自分になろうとした。


                                けれど自分よりも壮絶な人生を送ってきた誰かを前に、

                                不幸においても敵わない私にはもう、何も取り柄などないように感じ

                                夢も個性も愛も自分らしさも、これまで求めたすべてが指の隙間から、零れて落ちていくようでした。


                                自分が誰かなんてもうどうでもいい。

                                アイデンティティなど満たされなくても、もういいと思うようになっていました。


                                たとえ地味でも平凡でも「それが“幸せだ”」と世間に言われるような、当たり障りのない幸せを求めました。


                                親が安心するような生活を送り、親に認められるような人生を歩み、

                                親に信頼されるような自分になるために———



                                常識的な人間になろうと、社会的に正しい道を選ぼうと

                                自分ではない誰かになろうとし、自分でなくともいい人生を歩んだ結果

                                積もり積もったものが爆発し、私は適応障害になりました。


                                こんなに頑張っても我慢しても、常識的な正しい自分は未だ遠く

                                否定の声はなくならず、親にも信用してもらえず、苦しさだけが増えていきました。


                                いつまで頑張ればいいんだろう。

                                いつになったら楽になれるんだろう。


                                だけど、こんなに苦しいのはもう嫌で

                                そんな私に希望を抱かせてくれたのが占いなどのスピリチュアルなものでした。


                                占いでみた私は、本当はずっとなりたかった私で

                                本当はこんな風に生きたいと、本当は自分らしく生きたいんだと

                                そう思えたそれだけで心が浮き立つのを感じました。





                                そんな中で訪れたマヤ暦との出会いは運命的で、

                                マヤ暦が何か、どんなものかもわからないまま

                                「それ絶対やりたい!!」と衝動的に思いました。


                                ご縁があり、マヤ暦を教えていただけることになり

                                講座を受けるたびにそのワクワクは膨らんでいきました。


                                しかしある時、そんな楽しいはずの気持ちが見事に曇った時がありました。

                                マヤ暦にまで説教をされているように感じた時です。



                                たとえば私には青い嵐や銀河の音7などの、思い込みの強い要素があります。

                                自分でもその自覚はありました。これまで散々注意されてきたからです。


                                父には「お前は何かを『やりたい』と思った瞬間、まるでそれが叶ったかのように勘違いする。それがダメなところだ」と口酸っぱく言われてきました。母にも何度も指摘されています。


                                しかし私にはこれが“普通”なので、それまで自覚したことはありませんでしたが、

                                これだけ「ダメだ」「直せ」と言われれば、思い込みの強さを認識せざるを得ません。



                                それとまったく同じことをマヤ暦にまで言われてしまったのです。

                                「あなたは思い込みが強いから気を付けましょう」「まわりの話もよく聞きましょう」と。


                                さらにいえば、その思い込みの強さもプラスに発揮すれば○でマイナスに出れば×とのこと。



                                直るもんならとっくに直してるわ!!!!!


                                怒りにも似た激しい抵抗が、ぐわーっ!!と込み上げてきたを覚えています。

                                これまで散々言われてきたことを、言われてずっと嫌だった言葉を、

                                マヤ暦にまで言われたくなかった。


                                それでも、習ったマヤ暦が正しいのだと絶対的なのだと思い込んでいた私には

                                たとえ納得できない言葉でもそのまま伝えるのが義務なのだと、そう思うほかありませんでした。



                                プライドが高いから気を付けましょう。

                                理詰めで怒りがち。

                                心配性。保守的———


                                言われなくても知ってるわ。



                                今は新しく何かを始める時期じゃない。

                                始めるならこの時期———


                                だって今思い付いたのに?

                                その適した日まで待たなきゃいけないの…?



                                マヤ暦は私に希望を抱かせてくれた。

                                今度こそ自分らしく生きたいと、そう思い直したはずだったのに。


                                これまでは世間体や常識に縛られ、これからはマヤ暦の可否に縛られるのか———



                                結局、これまでと大して変わりない土壌の上になるマヤ暦に

                                いつしかマヤ暦の発信そのものが嫌になっていきました。



                                そんな時に出会ったのが子宮メソッドだったのです。


                                当時の子宮委員長はるちゃんが体系化したこのメソッドには

                                これまでダメと言われてきたことも、直せと言われてきたことも、

                                言われて嫌だった言葉も悲しかった言葉も

                                何一つ書かれていなかったのです。


                                こうしてはいけない

                                ああしてはいけない

                                こうでなければならない

                                ああでなければならない———


                                染み付いたそれらをすべて気持ちよく祓ってくれるメソッドでした。


                                これまで出会ったどんなものよりも、私は子宮メソッドに叡智を感じました。

                                こんなに優しくて愛のある哲学には触れたことがありませんでした。


                                そして子宮メソッドと四柱推命を合わせ独自の“子宮推命”を生み出した、假屋舞ちゃんの存在が決め手となりました。



                                私も自分のマヤ暦を作りたい!!

                                納得のいく解釈を見つけたい!!


                                伝えたくない言葉を伝えるんじゃなくて、心からの言葉を伝えられるような———

                                そんなマヤ暦を自分で見つけようと、子宮メソッド式マヤ暦と名付けました。



                                子宮メソッド式マヤ暦の探究は本当に楽しかった。

                                自分で納得のいく言葉を見つける作業はとても健康的だと思えました。


                                一方で、不安や焦燥感の強まりも無視できなくなっていました。


                                マヤ暦で出会った、ずっと憧れたはずの本当の私。

                                影響力も拡大力も最高のものをもっているはずなのに、

                                なのになぜ私は広がらないのだろう、なぜ影響を与えられないのだろうと

                                いつまでも開花されない自分の力をもどかしく歯痒く感じていたのです。



                                反面、“没頭力”に関してだけはその力を十分に感じていました。


                                それはもちろん子宮メソッド式マヤ暦への探究心などもそうですが

                                それ以上にやっぱり私は思い込みが激しかったのです。


                                ちょっとした現実の出来事から、すぐに悪い思い込みが発動して

                                その自らの思い込みに翻弄され苦しんでばかりいる。



                                没頭力って言い換えれば、思い込みの激しさでもあります。

                                思い込みだとどこかで理解しながらも、そこから抜け出すことができない。


                                大体は、人から嫌われたとかのそういう類の思い込みです。

                                私のことなんてどうでもいいんだとか、誰も見向きもしない、一人ぼっちだとか———


                                改めて言葉にすると少々痛いですが、渦中の本人は大真面目なのです。


                                無理に思考を変えたり「もう嫌われたんだ」と見切りをつけては、

                                それ以上落ち込まないようにと無意識に何かを守っていました。


                                その繰り返し。

                                飽きもせずそれを繰り返しては、一人大騒ぎをしていたのですが

                                ある日そんな私の様子を、思いっきりディスられてしまったのです。


                                正直カチンときました。私の何がわかるんだと———

                                好きで騒いでるわけではないのです。やめられるものならやめたかった。


                                こんな自分は自分が一番嫌いでした。

                                大嫌いな自分を晒されたようで、恥ずかしさと悲しさでいっぱいでした。



                                ところがそのショックも相まって、思いっきり落ち込むことが出来たのです。

                                これまで思考を切り替えたり見切りをつけたりして、落ち込み切ることから逃げてきましたが

                                逃げることにももう疲れて、いっそ落ちようと思えました。


                                そして、その時初めてわかったのです。


                                いつ開花するんだろうと、あんなにもやきもきしていた影響力や拡大力というものが

                                開花するもなにも端から、ずっと私にあったということに。



                                没頭力はある種思い込みの激しさだと書きましたが

                                影響力や拡大力だって似たようなものだったのです。


                                だってほんの些細な現実の事象が、こんな大きな思い込みに発展したのです。

                                拡大以外の何物でもありません。


                                そして、その肥大した思い込みに私は、こんなにも影響を受けていたのです。



                                影響力

                                めちゃくちゃあるじゃないか———



                                影響力や拡大力があるなら、私は仕事で成功できると思っていました。

                                なのに思ったような結果が得られないのは、それらが“発揮されていないから”だと。


                                しかし、すべてのものには必ず陰と陽の側面があるのです。

                                可能性ばかりを欲しがって、その対にある私を見ようとしませんでした。


                                プラスの思い込みは良くてマイナスの思い込みは良くないという、マヤ暦の教えに反発していた私でしたが

                                プラスの力ばかり欲しがったのは他でもない私だったのです。



                                それから“恥ずかしくて隠したくて大嫌いな自分”に、私は目を向けるようになりました。


                                誇らしい自分だけでなく、情けない自分も汚い自分も

                                すべての自分をそのまま愛せるように———


                                言われて嫌な言葉をなくすために、マヤ暦の探究をしていこうと思ったのです。





                                昔むかし、全知全能の神ゼウスは

                                まだ男性しか存在しなかった災難のないこの世界に
                                パンドラ(パンドーラ)という名の最初の女性を送りました。

                                パンドラは箱を持っており、その中にはすべての悪と災いが…

                                地上に着いたパンドラは好奇心からその箱を開けてしまい、
                                あらゆる災いが人間界に解き放たれてしまいます。

                                有名な「パンドラの箱」の話です。
                                しかし、慌てて蓋をしたその箱の底には「希望」が残っていたのだとか———


                                パンドーラの“パン”は“すべてのもの”を意味し
                                “パンドーラ”で“すべての贈り物”を意味します。


                                私たちも同じ。


                                誇らしい自分も、恥ずかしい自分も

                                本当はすべてが贈り物なのです。



                                私は最後の“希望”ばかりをずっと欲していましたが

                                否定したままの自分に蓋をし押し込め続けていては

                                出る希望も出れないのでしょう。





                                陰陽のマークを改めて見てみると

                                陰も陽も否定されることなく、お互いを包むように調和してる。


                                消さなきゃいけないものなんてない。

                                直さなきゃいけない自分もいないのです。


                                ただ陰も陽もそのままで、受け入れてあげられたら私は幸せ。



                                言われて嫌な言葉と同時に、伝えて嫌な言葉もなくしたかった。


                                すべての自分を愛せるように、そして

                                マヤ暦で伝えるすべての言葉を愛で伝えられるように。



                                そんな思いで探究し続けたこれまでを、「天国と地獄の書」という名の一冊の書物にしました。

                                「私がもし自分のマヤ暦の本を出すなら…」を形にした鑑定書です。


                                マヤ暦の説明というよりも、

                                語りかけるように、メッセージ本のように、

                                すべての自分が愛しく思えるようにと、大切に大切に作りました。


                                すぐには思うことが出来なくても、手に取るたびに少しずつ

                                嫌いな自分に優しくなれることを願って———





                                30分のオンラインセッション(LINE電話にて行います)と

                                巻末特別付録として数秘のページもつけました。


                                そしてすべての紋章、銀河の音、チャクラ、色について書いたので

                                自分のことだけでなくパートナーシップや子育て等の、すべての悩みを癒します。


                                もしうまくいっていない人間関係があったとしても

                                それは決して「自分が悪いから」ではないこと、

                                相手はただその人らしく振る舞っているだけなのだとわかるだけでも

                                きっと心は随分と軽くなると思うのです。



                                詳しくはこちらをご覧下さい。

                                お申込みお待ちしております。


                                【マヤ暦】大嫌いな自分を許すために
                                【マヤ暦】大嫌いな自分を許すために
                                好きなことで生きても大丈夫なわけ
                                2022/04/07
                                「好きなことで生きる」という言葉に過剰に反応する人がいます。
                                「みんながそんなことをしたら世の中めちゃくちゃになる!!!」とか。

                                でも私はやっぱりみんなが好きなことをして生きても、世の中めちゃくちゃにはならないと思うのです。




                                好きなことをするのと好き勝手するのって多分違う。

                                私も過去、好き勝手に生きた時期があったけど
                                親に迷惑をかけて色んな人に迷惑をかけて、その時々で適当に遊んで欲しいものもどんどん買って、一見楽しんでいるかのようでした。

                                遊んでる時は楽しい気がしたし、買いたいものを買った瞬間は満たされたような気がしたけど、でも本当はずっとなんだかいつも虚しかった。
                                人に迷惑をかけるたび自分の無価値を感じて、どうせ自分はダメな人間なんだと勝手に拗ねていました。

                                一見楽しんでいたハズの私はそんな自分のことが好きではありませんでしたし、こんな毎日が一生続くのは正直イヤだと思っていました。

                                当時を振り返って思うのが、あの時好きだと思ってやっていたことのほとんどがストレス発散でしかなかったんだということ。

                                もちろんカラオケに行ったのは歌が好きだったからだし、服をたくさん買ったのもオシャレが好きだからだけど、自分の内側(本音)から逃げたまま外側だけ飾り立てても、穴の開いた容器のようにそれが満たされることはないのです。




                                ところで、いつか読んだ心屋仁之助さんの本に難しいことが書いてありました。
                                “好きなことで生きていくには嫌いなことをやらなきゃいけない”
                                そんな内容だったと思います。

                                この本だったかな?




                                好きなことで生きていくのに、嫌いなことをやらなきゃいけない…?
                                真逆に見えるその言葉の意味が当時の私にはわかりませんでした。

                                でも実際にやってみてわかったのです。いざ“好きなこと”を選ぼうとすると、必ず“嫌いなこと”がセットでもれなく付いてくることに。

                                それは、人に嫌われてしまうことだったり批判や非難を受けることだったり、安心を手放すことだったり絶対したくなかったことをすること———

                                そうなるのが怖くて私たちは“好き”を我慢してきたのです。
                                誰かに嫌われないように誰かに認めてもらえるように、安心を手に入れるために自分の心を守るように、と。

                                鳥籠の外で自由に飛びたければ、鳥籠の中から出なくてはいけません。
                                そしたらもう今までのように安心して眠れる場所もなければ食の保証もないけれど、それでも自由を選びたいのなら自分で餌を探すしかないのです。

                                自由(好き)を選ぶには保証を手放さなきゃいけない。(=嫌いなことをやる)

                                でもそれが怖すぎるから目の前の安心や保証を握りしめて、鳥籠の不満を撒き散らす。

                                そしてそこで溜まったストレスを発散させるのが“好き勝手”です。
                                一見同じように“好きなことをしている”ようですが、自分の責任で籠の外に出るのと籠の中で発散するそれはまるで別のものなのです。




                                売れればアンチもついてくる。有名税なんて言われますが。
                                田舎はのどかで空気も美味しいけど、やはり交通など何かと不便です。

                                こう書くとまぁ当たり前のことですし、アンチが気にならない人にとっては大した“嫌なこと”でもないと思います。

                                でも例えば私の場合、口では「売れたい」「拡がりたい」と言いながらも、何処かではそれが叶うことをとても恐れていました。

                                見知らぬ人に知られるのは構わないけど、身内にブログが読まれるのは怖い。
                                だから学校関係者や家族には自分の活動を曖昧にしていました。

                                これってアクセルを踏みながらブレーキを踏んでいる状態なのです。
                                もし身内に知られることに特に抵抗を感じていなければ、「売れたい」という私の願いもとっとと叶っていたかもしれません。

                                抵抗がないことは叶いやすいのです。平気な人はさっさとバンジー飛びますよね。
                                でも恐怖(抵抗)が強ければ強いほどその一歩が踏み出せない。そして困ったことに抵抗が強い人ほどそれをやりたがっていたりするのです。
                                平気で飛べる人が今更バンジーを夢や目標にはしません。それが怖いからこそ人生で一度くらい飛んでみたいと願うのです。

                                だから好きなことで生きていくには嫌いなことをやらなきゃいけないのです。
                                恐怖や罪悪感の矛先って実は夢の在処でもあるんですね。




                                「好きなことで生きていく」という言葉は、一見とてもわがままに思えます。

                                好きなだけ遊んで好きなだけ休んでやりたいことだけやって…そんなことをしたら「世の中がめちゃくちゃになる」その意見もごもっともです。


                                でも“好きなこと”って本当は全然派手じゃありませんでした。



                                私もそうだったのですが、例えば海外に旅行に行くことだったり好きな仕事をすることだったり、好きなだけ趣味に没頭することだったり好きなだけ服を買うことだったり…そういういかにも“好きなこと”が最初に浮かんだ“好きなこと”でした。

                                でも前述の通り自分の内側を無視したまま行動だけ“好きなこと”をしても、ただのストレス発散でしかない。

                                海外旅行も趣味の没頭も確かに“好きなこと”ではありますが、それは“今の私”からはもう少し先のところにあります。

                                好きなことで生きるってつまり本音を大切に生きることです。

                                当時の私は海外旅行より『家事やりたくない』が本音でした。そこから逃げたまま海外に行っても帰国後の日常に嫌気が差すだけです。

                                “好きなこと”という言葉の輝きに、少し囚われすぎていたのかもしれません。

                                「好きなことがわからない」という人も同じです。好きなことはわからなくても嫌なことなら山ほどありますよね。
                                日常がストレスフルな人は好きなことよりまずそこです。好きなことだけで生きるには嫌いなことは辞めてかなきゃいけない。

                                そして好きと嫌いは必ずセットなので、嫌なことの裏には望みがあります。

                                私は家事が嫌いで、特に料理はストレスでした。
                                お惣菜や外食に頼れば単純に料理の負担は減りますが、でもそれはちょっと違ったんですよね。やってみて『違う』と感じました。
                                私は手料理が食べたかったんですね。“人が作ってくれた手料理”を。

                                これが望みです。『料理したくない』の裏にある『誰かが作ってくれた手料理を食べたい』が私の望み。
                                パッと思い浮かぶような“好きなこと”ではありませんが、どこか海外に旅行に行く想像より、この料理のストレスから解放されて毎日誰かの手料理を食べてるイメージの方が、遥かに私の内側をあたたかいもので満たしてくれたのです。




                                好きなことで生きていくって、好き放題わがままの推奨ではありません。
                                でも最初は自分でもそう感じてしまいます。自分では料理をせずに誰かに作って欲しいなんて、当時の私にとってはものすごくわがままな願いに思えました。

                                だって“主婦だから”

                                世の中の主婦が皆当たり前にしていることを、頑張れない自分への嫌悪感。
                                “主婦なのに”“母親なのに”それを投げ出すようなわがままな本音への罪悪感———

                                この嫌悪感も罪悪感も“人の目”によるものです。嫌われたくないから、本当は人に認められたいから、だから勝手に自分を律しちゃうんですよね。

                                でもそれでも本音を選びたければ、罪悪感にザワザワしながらもまずは素直に望み、出来るところからやってみるしかありません。
                                前述の、好きなことで生きるためにしなきゃいけない“嫌いなこと”です。

                                私も最初はお惣菜から始め、疲れた時に「今日は作りたくない」を思い切って伝えるようになり、外食に行く機会が増え、そして今は中1の息子が毎日手料理を作ってくれるという嘘みたいな現象が起きています。

                                強制的にやらせたのではなく、息子が自ら料理に興味を持ち“好きで”やってくれるようになったのです。
                                好きで作る息子の料理は、本当に美味しく毎日幸せです。

                                私は『誰かの手料理が食べたい』が叶いましたし、息子からしても好きな料理が毎日できてお互いが満ちる結果となったのです。

                                好きなことで生きるって、世の中をめちゃくちゃにすることではありません。
                                好き勝手していた頃とは違い人に感謝が芽生えるようになりましたし、あの頃より自分にも優しくなれています。

                                好きなことで生きるって本来豊かなはずなのです。「めちゃくちゃになる」はただの集団幻覚だと思っています。
                                そして日本中のママたちが“好きなことで生きる”未来を描きながらこの活動をしています。

                                きっと大丈夫だから、だから安心して自分に優しくしてあげて下さい。




                                マヤ暦や占いのセッションをオンラインで行っております。詳しくはこちらをご覧下さい。

                                ※写真は息子が作ってくれた料理

                                好きなことで生きても大丈夫なわけ
                                好きなことで生きても大丈夫なわけ
                                【体の楽が大切なわけ】細胞60兆の思い込みを書き換える
                                2022/12/16

                                私たちは「欲求を叶えない」のが当たり前になっている。



                                本当はおなかが空いたけど、お昼になったら食べようとか。

                                もう深夜だから、今食べると太るからやめておこうとか。


                                お菓子食べすぎないようにしようとか、コーヒー飲みすぎもよくないとか。

                                常温の水を一日何リットル飲まなきゃとか。


                                眠たいのにまだ早いからとか、もう何時だから起きなきゃとか。





                                どれだけ体の欲を平気で無視して、どのツラ下げて大きな夢を描いたんだろう。





                                毎日毎日何年も何年も、こんな些細なすぐに叶えられそうなことでさえ、当たり前に叶えずにきた。

                                「どうせ願っても叶わない」は、こうやって小さな積み重ねで当然のごとくできていく。





                                もうずっと、数十年間ずっとそうやって生きてきたのに、それを付け焼き刃の引き寄せとかでどうにかなるわけがないんだよね。

                                細胞レベルで染み込んでる思い込み。それは細胞レベルで塗り替えなきゃダメなんだ。


                                潜在意識に染み付いた思い込みは、細胞に染み付いた思い込みなんだろう。

                                頭の中だけで書き換えてもダメで、細胞に新たに染み込ませる必要がある。





                                だから「体の楽」。

                                だから「生理的欲求」が大事なんだね。


                                食べたい時に食べさせてあげること。

                                眠りたい時に眠らせてあげること。


                                そうやって欲求が叶うことを、体の細胞に刻んでいく。





                                「私には願いを叶える力がある」


                                「体の楽」を通して、「生理的欲求」を通して、それを60兆あるすべての細胞にコツコツ染み込ませていきたい。







                                ***

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                                【体の楽が大切なわけ】細胞60兆の思い込みを書き換える
                                自分を信じるということ
                                2022/11/16

                                「自分を信じる」って具体的に「自分の何を」信じることだと思いますか?


                                意志や決断?

                                それとも「自分には出来る」と信じること?


                                「自分を信じる」ってものすごく聞き慣れた身近な言葉であるにも関わらず、実際にはとても曖昧で漠然としていて、その本質は案外わかっていなかったりします。


                                だから「自分を信じること」がこんなにも難しいのです。

                                現代の日本の、少なくとも成人のほとんどは、真に「自分を信じる」ことはできていないと思います。



                                だけど「自分を信じる」って本当はもっとシンプルで、具体的には「自分の五感を信じること」。

                                曖昧だった「自信」の概念を具体的にすれば、自信を持てる人も増えるはずです。


                                この話、もう少し詳しく書きますね。







                                「自信」とは「自分の五感を信じること」。

                                それに気付いたのは2018年の冬、当時していた工場の派遣の仕事がきっかけでした。


                                派遣先の工場で、採用早々「もっとも難しいライン」に配属されることになった私。

                                スピードと正確さが求められるその仕事で、ラインのスピードにどうにか追いつこうと必死だった私は、自ずと「自分の体感覚の観察と分析」をするようになりました。


                                まったく同じ作業をしているはずなのに余裕でこなす先輩作業員さんと自分とを観察しながら、どうしたらそんな風にできるのか、自分と先輩とでは何が圧倒的に違うのかを、来る日も来る日も研究しながらトライアンドエラーを繰り返していました。



                                そのラインは本来2人で作業するラインでしたが、配属されたばかりということもあり、最初のうちしばらくは3人で作業する日々が続きました。


                                そのうちに、日々行っていた研究の成果が出たのか、2人体制で作業をするようになったのですが、「これまで3人でやっていた作業を2人でやらなきゃいけない」というプレッシャーから、私のパフォーマンスが明らかに悪くなり、失敗やミスを連発するようになり、バタバタと作業する日々が続いたのです。


                                3人体制の時はできていたことが、2人体制になった途端できない。

                                このままではいけないとその原因を探った結果、「2人でやらなきゃいけない」「ミスをしてはいけない」というプレッシャーから、自分の五感を信じられなくなっていたことに気付きました。




                                元々2人体制のラインを3人体制で作業していたということは、単純に「1人余っている」ということになります。

                                もちろんそれは不慣れな私をカバーするためですが、「1人余っている」おかげで、もし最悪ミスをしても「その人がカバーしてくれる」という安心感がありました。


                                ところが2人体制になった途端、「余っている1人」がいなくなってしまったのです。

                                つまり、私がミスをした時に、フォローしてくれる人がいないということ。


                                このことが「絶対にミスをしてはいけない」というプレッシャーに繋がりました。

                                なぜならミスをフォローする時間があるほど、そのラインの作業は易しいものではなかったからです。




                                私は確認作業が増えました。

                                これまで一度の目視で確認していたものを二度三度と確認するようになり、これまでスムーズにできていた作業を丁寧にゆっくりと行うようになったのです。


                                当然「一度の目視を二度三度に増やした分」「丁寧にゆっくりと作業するようになった分」これまでより余分に時間がかかるようになり、その余分な時間が積み重なって、ラインのスピードにも遅れを取るようになりました。


                                さらには目視の回数を増やしたにも関わらず、確認ミスは以前より増え、丁寧にゆっくりと作業したにも関わらず、そこでもミスが増える結果となったのです。




                                目視は一度より繰り返し行った方が、より正確にできるはずでした。

                                作業もスムーズに行うより、ゆっくり行った方がミスは減るはずだったのです。


                                なのになぜこんなにもミスが増えてしまうのか。



                                その答えに辿り着くのに、「車の運転」がヒントになりました。


                                例えば側道から大通りに進入する時、スムーズに進入できる人と、なかなかそうできない人がいますよね。

                                スムーズに進入できる人はきっと最低限の目視でしっかりと確認することができ、その「しっかりとした確認」から的確に判断し、スムーズに進入できているのだと思います。


                                一方でなかなか進入できない人というのはきっと、何回確認しても本当に車が来ないか不安で、その不安がなくなるまで確認を繰り返しているうちに、結果なかなか進入できないと思うのです。



                                つまり、スムーズに進入できる人というのは「自分の視覚」を信じることができているんですよね。

                                自分の視覚を信じられているから、最低限の確認でしっかりと確認することができ、さらには「どのタイミングで進入するか」「どのくらいの強さでアクセルを踏めばいいか」などの感覚に対する信頼から、スムーズな進入を行うことができるのです。


                                もちろん過度に慢心した状態で運転を行うのは危険ですが、それでも自分の感覚に対する信頼がなければ、スムーズな運転は叶いません。




                                工場のライン作業もそれと同じ。

                                私は自分の視覚を信頼できていなかったために、過度に確認を繰り返しました。

                                そして自分の触覚を信頼できていなかったために、よりゆっくりとした作業を行ったのです。


                                ところが「信頼できていない状態」で目視の回数ばかり増やしても、不安は拭えなかったんですよね。

                                見ても見ても、見れていないような気がしたのです。


                                それだけ意識が散らばった状態で目視しているので、当然視覚の精度も下がります。



                                触覚もそう。

                                意識が散らばった状態の触覚より、信頼できている時の触覚の方が精度がいいに決まっています。

                                精度がいいから変に「ゆっくり丁寧に」作業しなくても、スムーズにミスのない作業が行えていたんですよね。





                                この工場での体験をきっかけに、それまでどこか漠然としていた「自分を信じる」という概念が、私の中で「自分の五感を信じること」という具体的なものに変わりました。


                                自分の五感を信頼できていない状態って、言い換えると「今ここに意識がない状態」なんですよね。

                                「本当に大丈夫かな」「ミスしてないかな」と疑念の声が騒がしいということは、それだけ思考に意識が行ってしまっていて、今ここの目や手の感覚は疎かになっているのです。


                                考え事をしていると、人の話もちゃんと聞けていなかったり、目の前の景色も見ているようで見れていなかったり、味もよくわからなかったりします。

                                今をちゃんと感じたければ、今の感覚に集中するしかないのです。




                                逆説的にはなりますが、今ここの感覚に集中すれば、自ずと頭の声は静かになります。

                                自分に自信が持てない時って、大抵頭の声も騒がしいものです。


                                自分の五感に集中することにより、自ずと頭の中も静かになり、結果自信をなくすような思考もしなくなるのです。




                                するといつの間にか自分の中に、漠然とした「安心感」が広がるんですよね。

                                頭の声が静かになり、腹の底に「世界に対する信頼」が生まれるのです。


                                当然です。だって今ここの自分の五感に集中するということは、「今ここを味わう力が増す」ということだから。

                                同じ現実の中から「より味わえる」ようになったのです。

                                それは、今まで思考に振り回されて気付けなかった「幸せ」も味わえるようになったということ。


                                五感の感度が増すと、幸せの感度も増すのです。

                                同じ現実の中から、幸せを感じられるようになるということなんですよね。




                                これまで不安や恐怖でいっぱいだったはずの現実から、幸せを抽出できるようになるのです。

                                現実に対する信頼が生まれ、根拠のない「大丈夫」が自分の内側に根付くんですよね。





                                「自分を信じる」ってまずは「自分の五感を信じる」こと。

                                疑念の声に振り回されず、今見て、聞いて、嗅いで、触れて、味わっているものに意識を向けること。


                                あなたの感覚に味わい深さが増すと、あなたの現実に「幸せな瞬間」がきっと増えます。

                                自信が「世界に対する信頼」を生むのです。



                                同じ現実を疑念の目で見て過ごすか、それとも幸せを感じて過ごすかはあなた次第。

                                あなたさえそれを望むなら、今この瞬間からそれは可能なのです。





                                ***

                                埼玉県坂戸市の占い師です。

                                プロフィールはこちら

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                                2022/09/20

                                可愛いフタ付きマグを買いました。

                                FrancfrancのANNA SUIコラボのものです♪





                                なんでこれを買ったかというと。


                                私、寝る前にハーブティーを飲んでまったりして寝るのが好きなのですが(特にこれからの時期)

                                電気を消した部屋で瞑想音楽を聴きながら、ハーブティーでほっこりしていい感じに眠くなった後、

                                本当はそのままの心地良さの中で眠ってしまいたいのを我慢して、わざわざキッチンに行って飲み終わったカップを片付けてから寝るんですよね。


                                なんでかっていうと、うちの可愛いミュウちゃん(愛猫)が、寝ている間にカップに顔を突っ込んだり舐めたりするのを防ぐためで。

                                ほかの猫ちゃんもそうなのかわからないけど、ミュウちゃん、コーヒーやハーブティーの香りが好きみたい?で、いつもすごいクンクンクンクンするのです。


                                実際に舐めちゃったってことはまだないけれど、それをどこかで心配したり気にしたりしながら寝るのが嫌なので、本当はそのまま寝ちゃいたいのを我慢して、いつもわざわざキッチンに片付けに行くのです。



                                毎回それを「面倒臭いなー」と思いながらやっていたのですが、地味にこれが私の幸福感をかなり下げていることに明確に気付きまして。

                                電気を消した部屋と、瞑想音楽と、ハーブティーで心地良くなったそのまんまの状態で眠りにつきたいとまず望み、望んだら「カップに蓋をして寝ればいいじゃん!」とそれを叶えるためのアイディアが湧いたので、早速可愛いマグカップを探し、それが今日届いたのでした。



                                ほんの些細なことだけど、毎日MAXの心地良さの中で眠りにつくのと、本当はそのまま寝たいのを我慢してカップを洗ってから眠るのとでは、寝る前の幸福感が私の場合まるで違っていて。


                                しかもこれからの時期、どんどん気温も下がって寒くなっていくので、このわざわざカップを洗いにいくという行為が、これまで以上にストレスになっていきます。



                                本当に些細なことだけど、でもこんな風に「些細なストレス」を、一日中当たり前のように自分に我慢させてしまっているんですよね。


                                我慢ってストレスだし、ストレスは体を強ばらせます。

                                するとね、体が緊張状態になって、不安・恐怖・焦りといったネガティブなものを感じやすくなってしまうのです。





                                体って受信機なんですね。


                                だから受信機が緊張状態にあると、さらに心身が強ばるようなものを受信するし(類は友を呼ぶ)

                                体がリラックスしてほっとしていると、愛や豊かさや安心感を受け取りやすい。


                                Happyちゃんのイマココプログラムに参加して、それが本当によくわかりました。



                                要は「どちらにフォーカスしているのか」っていうことなんですね。


                                テレビやラジオも、今自分が選択しているチャンネル以外に、ほかのチャンネルも同時刻放送されていて。

                                だけど自分が8chに合わせていれば8chの放送を受信するし、5chを見たかったら5chに合わせればいいだけ。


                                それと同じように、私たちの場合はまず体がアンテナなわけだから、体がどういう状態にあるかによって、受信するものが変わってきます。


                                恐れや不安に押し潰されそうな時も、同じ時同じ世界に愛や喜びもあって。

                                逆に愛や喜びにフォーカスしていると、同じ時同じ世界に存在しているはずの恐れや不安を受信しない。


                                だからリラックスが大事なんですね。





                                ***

                                埼玉県坂戸市の占い師です。

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                                心は、体の細胞の集合意識
                                2022/10/20
                                私たちが普段感じている「嬉しい」「寂しい」「疲れた」などの心の声は、一体どこからきているのでしょうか。
                                実はそれ、体の声が「気持ち」となって顕れたもの。
                                心は体の全細胞の集合意識なのです。




                                例えばやる気が出ない時。
                                やらなきゃいけないことや、やりたいことがあるはずなのに、どうしてもスイッチが入らないことってありますよね。
                                心が「やりたがらない時」は大抵、体が疲れていたりします。

                                体の細胞が疲れて休みたがっているから、頭でいくら「あれやらなきゃ」「これやらなきゃ」と思っても、体からしたら「疲れているから休ませてよ」という感じ。
                                体が休みたがっているから、その集合意識である気持ちも当然、やる気が出ないというわけです。


                                体が弱ると弱気になるとよく言いますが、これもまったく同じ原理。
                                風邪を引いたり熱が出たり…と体が弱っている状態なので、その集合意識である心も当然、弱気になるよねという話なのです。




                                寒い季節になると人肌が恋しくなったり、寂しくなったりするのもそう。
                                「心が温まる」とか「温かい家庭」とも言うように、人は「幸せ」や「安心」の感覚を「あたたかさ」で表現しますが、
                                「冷えた家庭」とも言うように、「寂しさ」や「孤独感」って、温度でいうと「冷たい」んですよね。

                                だから「寒い」と体が感じると、心は「寂しさ」を感じる。
                                寒い季節になると人肌が恋しくなるのは、心が「孤独」を感じているからなのです。


                                また、未知のものや暗さに恐怖を感じるのは、生物としての人間の本能。
                                「これ以上は危険だ」という本能のサインを、「怖い」という感情で私たちはキャッチしているんですね。









                                ここ2年ほど、私はとにかく「リラックスすること」を心がけて過ごしてきました。
                                どんなに目の前の現実に不安になったり恐怖を感じたとしても、ぼーっとしたり瞑想したりして、その状況下で少しでも心身がリラックスできる方法を模索してきました。

                                瞑想する時に、エイブラハムの瞑想CDもよく聞いていたのですが、
                                そのエイブラハムの言葉の中で一つだけ、強い抵抗を感じるものがありました。

                                「微笑んで」という言葉です。


                                エイブラハムの言葉には基本的に「〜しなさい」と行動を指示するものがありません。
                                「ただ音楽を聴きながら、言葉に耳を傾けて、ゆっくり呼吸して下さい」と言うくらい。

                                ですが部分的に「音楽を聴きながら、言葉に耳を傾けて、微笑んで呼吸して下さい」と言う時があって。
                                この「微笑んで」のところだけすごくザラッとするというか、引っかかる感じがありました。

                                「笑う門には福来たる」じゃないけど、今ニッコリしたい気分でもないのに「微笑んで」と言われることに気分の悪さを感じていたんですよね。


                                なので無理には微笑みませんでした。
                                とにかく当時の私が快適だったのは、音楽を流して言葉に耳を傾けてゆっくりと呼吸することだったので、不快に感じる「微笑んで」はずっと無視していたのです。

                                ところが何度も何度も聴いているうちに、だんだん自分の中の調和も取れてきて、「微笑んで」という言葉に対する不快な感じが少しずつ薄れていき、

                                そのうちに「微笑んで」という言葉に対する自分の体の感覚が心地のいいものになってきたある日、ちょっと微笑んでみたくなり、初めてニッコリと微笑んでみました。

                                そしたらすごくいい気分になったのです。
                                微笑んだだけで喜びの感覚が内側に広がるというか。単純にいい気分になりました。

                                現実的には特に何も微笑みたくなるような事象はなかったのに、「微笑んだ」ら「嬉しくなった」のです。
                                先に体が「微笑んだ」から、その集合意識である心が「嬉しくなった」んですよね。




                                だから「微笑んで」だったのだと、その時初めてわかりました。
                                なぜなら私たちが求めているのは結局、微笑んだ時に内側に広がったあの「いい気分」だから。


                                例えば私はカフェに行くのが好きなのですが、なんでカフェに行きたいかって、おしゃれで可愛い空間で、ゆっくりとラテを飲む時間が心地良くて気分が良くて好きだからです。
                                もし私がカフェに行っても人目が気になって落ち着かないとか、コーヒーが好きじゃなかったり、カフェで過ごす時間が私にとって心地の良いものでなければ、そもそも「カフェに行きたい」とすら思いません。

                                私はカフェでゆっくりラテを飲む時間に気分の良さを感じるから、カフェに行くのが好きなのです。


                                物欲もそうで、なんでその服やバッグが欲しいかって、それを着た時に、それを持った時に、「いい気分になる」から。
                                もしそれが自分の好みでなかったり、買ったところでなんとも思わない物なら、それを欲しいとは思わないですよね。


                                人が何かを「やりたい」「欲しい」と望む時って、その物自体を望んでいるわけでも、その体験自体を望んでいるわけでもなく、
                                それを手にした時や、やった時の気分の良さを欲してるのです。


                                本当に欲しいのはいい気分。

                                だから「微笑んで」だったのです。
                                先に微笑むことで、心が気分の良さを感じるから。

                                そうすると、この世界には引き寄せの法則(共振の法則)が働いているので、いい気分はいい気分を呼ぶんですよね。類が友を呼ぶように。









                                ゆっくり呼吸すると心が落ち着いてくる。
                                調和が取れて、気持ちがゆっくりして。

                                だけどそれだけじゃ飽きてくる。
                                リラックスが当たり前になってくると、今度は喜びが欲しくなるんですよね。


                                だから微笑む。
                                微笑むと喜びが湧いてくるから。

                                そして微笑んだことで感じた喜びが、実際に喜びを感じられるような現実の事象を起こすのです。




                                心は体の細胞の集合意識。
                                目の前の現実を変える前にまずは体の感覚を変えて、喜びに満ちた毎日を送りたいと思います。




                                ***

                                埼玉県坂戸市の占い師です。

                                プロフィールはこちら

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                                心は、体の細胞の集合意識
                                心は、体の細胞の集合意識
                                体をあたためるといい理由
                                2022/10/11
                                体をあたためるのって大事ですよね。

                                美容や健康のためだけでなく、子宮メソッドでもまずは「体をあたためる」「冷やさない」というところから始めるのですが、
                                なぜ体をあたためた方がいいのか、なぜ子宮委員長はるちゃんがあんなに「体をあたためる」ことにこだわったのかが、ようやく体感でわかりました。

                                わかった結果、「体をあたためること」がいかに大切かを痛感したので、医学的根拠ゼロの「体をあたためるといい理由」をシェアしたいと思います。




                                まずは想像してみてください。

                                真夏の炎天下のなか、冷房の効いた部屋に入った時の感覚と、
                                真冬の極寒の屋外から、暖房の効いた部屋に入った時の感覚を。

                                どちらも心地の良い空間に移動したことに変わりないですが、前者と後者とではその「心地良さ」の種類が違います。

                                冷房の効いた部屋に入った時は「快適さ」や「気持ち良さ」を感じますが、
                                暖房の効いた部屋に入った時は「ほっ」として「安心」して、なんだか「幸せな気分」になりますよね。


                                つまり「あったかい」って「幸せ」や「安心」の感覚なんです。
                                あったまると人って「幸せ」を感じるんですね。


                                だから幸せな感じを表現する時に「あたたかい」という言葉を使うのだと思います。
                                「心があたたまる」とか「あたたかい家庭」とか。

                                「心が涼しくなる」とは言いませんし、「冷えた家庭」では真逆の意味になりますよね。


                                そうなんです。
                                「幸せ」の対極にある感情って「温度が冷たい」のです。

                                「冷えた家庭」という言葉には「寂しさ」や「孤独」を感じますし、
                                「血の気が引く」ともいうように、不安や恐怖を感じると体温が下がるような感覚になります。

                                これは医学的な話ですが、人はストレスを感じると実際に体も冷えるそうです。


                                体があたたまると、心もあたたまって(心は体の細胞の集合意識なので)ほっとして幸せな気持ちになるんです。
                                体をあたためるって「幸せ」を自分に感じさせてあげることなんですね。




                                だから「体をあたためることが大事」なんです。
                                もし今現状が辛くても寂しくても、体をあたためることで「幸せ」や「安心」を感じることができるのです。

                                だから子宮メソッドでも「体をあたためること」から始めるんですね。
                                目の前の現実を「不安や寂しさを感じないもの」に変えるより、体の感覚を変えた方が早いから。

                                そうやって体からアプローチすることで、結果目の前の現実もあたたかいものになっていくのです。
                                体をあたためて、「幸せ」や「安心」をたくさん自分に感じさせてあげられるといいですね。




                                ***

                                埼玉県坂戸市の占い師です。

                                プロフィールはこちら

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                                体をあたためるといい理由
                                体をあたためるといい理由
                                「地に足がつく」ということ
                                2022/09/30
                                「地に足がつく」
                                それは世界を信頼して安心できている状態。


                                今にほっとして安心してる時
                                体の力が抜けて下へ下へ埋もれていくような感覚になる。


                                よく「肩の荷が下りる」っていうけど
                                「肩の荷が下りる」と物質的に肩も下がるし、

                                逆に⁡緊張して力んでる時は
                                肩って上がりがちだよね。

                                赤ちゃんも眠くなると力が抜けて
                                抱っこしてると重く感じる。
                                あの感じ。


                                逆に不安になったりそわそわしてるときって
                                体の上の方に意識が集まる。


                                だから「地に足がつく」って
                                過去でも未来でもなく「今、此処」に安心して
                                存在している状態なんだね。




                                ***

                                埼玉県坂戸市の占い師です。

                                プロフィールはこちら

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                                「地に足がつく」ということ
                                「地に足がつく」ということ
                                お金が不安で仕方なかったあの頃の私へ
                                2023/01/17

                                「お金を稼げたら幸せになれる」

                                そう思っていました。





                                自分で十分に稼ぐことができれば


                                やりたいことをやることも

                                行きたい場所に行くことも


                                誰にも責められることなく

                                誰の許可を得ることもなく

                                自分の許可だけで決めることができる。





                                そんな自由で幸せな

                                人生を送れるようになりたくて


                                たくさん本を読んで

                                憧れた人の真似もたくさんして


                                「早くお金が稼げるように」と必死でやってきました。





                                なのになかなか「その日」は私に訪れず


                                好きなことをした分だけ

                                自分らしく生きようとした分だけ

                                お金の不安も肥大していきました。





                                「消えてラクになりたい」と何度思ったかわかりません。





                                そんな万年金欠だった私が、ある日ふと思ったのです。

                                「お金って本当になんとかなるんだな」と。





                                それも


                                頑張ることを辞めれば辞めるほど

                                自分に優しくすればするほどに———










                                「もっと自分らしく生きたい」


                                その望みを叶えるためにまず必要だと思ったのが「金銭的に自由になること」でした。

                                金銭的に自由になれれば、時間的にも自由になれて、そしたらきっと精神的にも自由になれる。


                                そのためには働き方を見直す必要がありました。

                                時間を売って収入を得るような、今の働き方でそれは叶わない。


                                短時間でも高収入が可能な完全歩合制の仕事に転職し、そこから更に自由度の高い起業の道へと進んでいったのです。





                                すると、どうでしょう。

                                私の望みをすでに現実にしている人が、私の世界に現れ始めたのです。


                                心屋仁之助(ぢん)さんが、その最初の一人でした。

                                遊ぶように仕事をしながら好きなことをして、行きたい場所に行って、経済的にも精神的にも豊かでゆとりのあるぢんさん。


                                「求めよさらば与えられん」って本当です。

                                望み直した私の本当の願いに「叶わない夢じゃないよ」と背中を押された気分でした。





                                すぐにぢんさんに憧れた私。


                                ぢんさんの本を読み漁り、ぢんさんの発信に夢中になり、そして「そういう生き方をしている人」がぢんさんだけでないことを知ったのです。


                                なぜ今まで出会わなかったのか不思議なくらい、自分らしく、かつ豊かに生きてる人は、すでに現実にたくさんいました。



                                私は彼らにも同様に憧れながら、自分らしく生きるためにお金の挑戦を始めたのです。










                                結婚して主婦になり、出産して母になり…

                                そうやって自分の役割が変わるごとに、自分のためにお金を遣うことが「悪いこと」になっていきました。



                                カフェもその一つで。

                                独身の時はあんなに好きだったカフェがいつの間にか「贅沢」になっていたのです。


                                キッズカフェには遣えても、スタバやタリーズには遣えない。

                                それを少しずつ壊していきました。





                                自分らしく、自分に優しく、好きに生きようと決めた私は、まずは数百円のカフェのラテからそのブロックを溶かしていったのです。


                                少しずつ少しずつ慣れていきます。

                                次第にカフェに行く頻度が増え、2杯目のラテも注文するようになり、いつしかランチも抵抗がなくなり、自分のためにお金を遣うことが私の「当たり前」になっていきました。





                                だけど、お金は遣えば当然減るもので、自分の好きに遣ったお金、起業のために勉強したお金、息子や友達との楽しい時間に遣ったお金など、出費が大きくなる割に収入は一向に増えませんでした。


                                「これさえ勉強すれば絶対に稼げる♡」と何度も確信しては妄想に終わり、そうこうしているうちにいつしか貯金もなくなってしまい、ずっと一括だったカードも次第にリボを頼るようになり、「早く貯金を返さなきゃ」という罪悪感とお金の不安が膨れ上がる中、「乗馬」という新たな夢との出会いを果たすこととなったのです。





                                そもそも「乗馬をしたい」と思って出会ったわけではありませんでした。

                                息子が学校から持ち帰ったお便りの中に乗馬の案内チラシがあり、それをよく見もせず、そこが乗馬クラブだとも知らず、「本物の馬に乗れるんだって✨」とウキウキで行ったのが乗馬との出会いだったのです。


                                初めての乗馬体験に私も息子もすっかり虜になり、「この時間が今日で終わりなんて嫌だ」「この場所が私の日常になったらいい」と思い切って入会を決めました。



                                最初に係る入会費用は、夫に無理矢理頼んで出してもらいました。

                                月々のお金を出せる当ては正直まったくありませんでしたが、それでも「やりたい!!✨」というその気持ちだけで、まずは始めることにしたのです。





                                こんな思い切った決断ができたのは、これまでの地道な挑戦のおかげでした。

                                お金は全然ないし、むしろマイナスだし、係るお金もそれまでの比じゃないけれど、それでもそんな不安以上に私は嬉しくて仕方ありませんでした。


                                乗馬はやればやるほどに夢中になり、好きなだけ乗馬をすることが新たな夢となっていました。



                                そしてそれを先に実現したのです。

                                「好きなだけ」とはいかずとも、息子と2人、かなり乗ったと思います。





                                収入は相変わらずなかったので、足りない分はリボに頼りました。

                                そしていよいよリボすらもあてにできなくなってきた頃、ものすごい不安と恐怖に襲われるようになったのです。



                                やばい、やばい…やばい!!
                                なんとかしなきゃ!!
                                なんとかしなきゃ!!!!



                                乗馬代も然ることながら、生活費さえも不安になっていきました。

                                カフェのラテはいつの間にか78円のペットボトルのラテに、食材も安いかどうかでしか選べなくなっていたのです。





                                そんな頃、憧れの人がビジネス講座を開くことになり、思い切って申し込んだ私は、その講座をきっかけに占い師として開業し、初めて「稼ぐ」快感を味わいました。


                                自分の稼ぎで払いたいものが払える。

                                こんなに嬉しいことはありません。





                                あー私もやっと「なりたかった私」になれるのだと、心の底から安堵しました。

                                これからはお金に怯えず、安心して生活して、好きなだけ乗馬もして、自分の望んだ人生が歩めると、そう未来に期待したのです。





                                しかし順調だった売上もある時を境にピタッとなくなり、なぜ稼げないのか、なぜ払えないのか…自己否定と罪悪感から「乗馬をやりたい」と思う気持ちが「正しいのか正しくないのか」さえわからなくなり、悩んで悩んで疲れた頃、離婚を機に乗馬を辞めました。


                                流石にこれからシングルで乗馬を続けるのは無理だと思ったのです。

                                お金に不安になるたびに乗馬を辞めさせられるのではないかとビクビクしていましたが、自分で納得のいくタイミングで退会を決められたことは、幸せだと思えました。





                                息子も生活が落ち着くまで休会してもらうつもりでしたが、元夫が出すと言ってくれたため今も休まず続けられています。


                                私も退会こそしましたが、息子と一緒にクラブに行き、馬に触れたり人参をあげたりして幸せな時間を過ごせています。

                                自分で退会を決められたからか乗れないことに未練もなく、もう乗馬代に怯えなくていいという事実に、ものすごい安堵が広がりました。





                                シングルの生活ももちろん不安がないわけではありませんが、それでも蓋を開けてみれば乗馬代の恐怖より全然マシでした。

                                毎月ある程度の収入を確保できるパート先も見つかりましたし、最悪どうにもならない時は「ごめんなさい」をしようと思えたのです。


                                以前の私なら、絶対にしたくないことでした。

                                大体他人に頼るのが嫌だから「自分で稼ごう」と思ったのです。


                                もし頼ったとしても誰も助けてくれないとも思っていました。


                                そのくらい誰も何も信用していませんでしたし、それだけ自分自身のことも信用してなかったのだと思います。





                                「すごい私」になりたかったし、そのために一人で稼ぎたいと思っていました。


                                でも、どんなに乗馬代が苦しくても、思った通りの結果にならなくても、それでも今無事にこうして生きられているのは、間違いなく「誰かや何かのおかげ」だと気付いたのです。





                                これまでのさまざまな挑戦で確かに借金は増えましたが、これだけ借金を作ってやっと自分は一人じゃないと思えたのです。

                                そうでなければ私はとっくに、妄想したような恐ろしい現実の中で今生きているはずでした。


                                でも実際は何も失わず、恐れたような地獄もなく、ここまでやって初めてやっと「大丈夫」と思えるようになったのです。



                                私は一人じゃない。

                                ダメな時は「ごめんなさい」をしよう。
                                助けてもらおう。



                                そうやって離婚から1年半ほど経ったある日ふと「お金って本当になんとかなるんだな」と思えたのです。





                                乗馬代の負担がなくなったから、という考えもあるかもしれませんが、当時必死になっていた乗馬代と、今シングルで必要な生活費、正直そんなに変わりません。

                                なのに今はこんなにも安心して、それでもなんとかなっている。


                                体に鞭打って頑張ったわけでも、売上が上がったわけでもありませんが、それでもなんとかなっているのは、やっぱり誰かや何かのおかげなんですね。










                                今、お金が欲しいのは、まずは「安心したいから」です。

                                快適に過ごすための生活費を無事に払って、安心したいんですよね。



                                …で、今の私の場合、先に安心することができています。

                                まだお金が手元にないうちから、先に安心できているのです。


                                もしどうにもならなくても「その時はごめんなさいをしよう」と今は思えているので、「どうにもならない未来」も含めて、今私は「大丈夫」なのです。




                                もちろん不安になることもありますが、また「安心」にフォーカスするまでが随分早くなったと思います。


                                大体不安になる時って、先まで計算した時です。

                                「このままじゃやばい」「どうにかしなきゃ」ってどうしても先を考えて不安になってしまいますが、それでも「今」そのやばい現実に直面しているわけではないんですよね。



                                今日が支払日なわけじゃない。

                                今日の生活費はあるし、快適に過ごす家もある。


                                「今はまだ何も問題じゃない」なら、今はまだ安心しててもいいんです。










                                乗馬に夢中になって、だけどお金があまりに不安で、「乗馬をしたい」この気持ちさえ本当かわからなくなった当時の私。

                                憧れた人たちは皆自分の本音を大切にして、先に好きなことをして、それでも拡大していました。


                                なのに、同じようにしてるはずなのに、私はずっと不安なまま…

                                何が違っているのか、何を直せばいいのか、その答えをずっと探していました。





                                でも今やっと、それがわかるようになりました。

                                今なら当時の私が欲しかった答えを伝えてあげることができます。









                                「お金を稼げたら幸せになれる」

                                そうずっと思っていました。


                                でもちょっと違ってました。

                                私が欲しいのは「お金そのもの」ではなく、お金を稼ぐことで得られる「安心感」だったんですよね。





                                お金をたくさん稼ぐことができたら、好きなだけ乗馬(好きなこと)ができると思っていたけれど、よくよく考えればお金が不安だった時から私は乗馬をたくさんしていたのです。


                                ただ「不安な気持ちで」乗っていました。


                                だからお金が欲しかった。

                                お金があれば好きなだけ「安心して」乗ることができると思ったから。





                                「物」や「体験」もそうですが、本当に欲しいのは「それそのもの」ではなく、その時味わえる「気持ち」なのです。

                                お金そのものが欲しいのではなく、お金があることで得られる安心感や、好きなものに使える自由を私は欲していたのでした。


                                だから先にその安心感を、自由を感じたらいいのです。


                                「類は友を呼ぶ」と言いますが、安心感は安心感を、いい気分はいい気分を呼びます。

                                安心したいなら先に安心すればいいし、それはお金がなくても実は今すぐできるのです。





                                そして「お金の不安」の裏にある「嫌われたくない」「(大事なものを)失いたくない』」というその気持ち。

                                本当に怖かったのは、そこだったんですよね。


                                その最も恐れている気持ちに、優しく寄り添ってあげてください。

                                きっと今より安心できます。


                                そのうちに今よりだいぶ安心できるようになり、その頃にはお金の不安も今よりグッと和らいでいると思います。



                                いくら行動を重ねても、不安な気持ちのまま動いていては、いつまで経っても不安なままです。


                                お金が不安で仕方なかったあの頃の私へ。

                                まずは深呼吸してリラックスして、自分をほっとさせてあげてくださいね。







                                ***

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                                2022/06/06

                                いつか、とりあえずの支払いに必要なお金を銀行口座に入金したら

                                現金残高700円しか残らなかったことがあった。





                                700円って!!笑
                                けっこういい歳なのに現金残高700円!!笑





                                お札が1枚もない、700円しか入っていないお財布を見て
                                さすがにどうしようとめちゃくちゃ焦ったけど

                                でも落ち着いたら、

                                そうだ、私、それでよかったんだ
                                って思い出した。










                                子宮委員長のはるちゃんとか常に銀行残高7000円とかしかなくて。


                                入ったもの全部循環させて好きなことして
                                「金ないー!!やばいー!!笑」
                                みたいな。


                                憧れたもん。



                                常に残高はなくても必要な時に必要な分入って
                                好きなことにバンバン遣えたらいい。












                                ドラクエでもそう。

                                冒険始めた頃はとにかくゴールド(ドラクエの世界の通貨)がなくて。
                                モンスターと戦ってゴールドを得たり、使わなくなった武器やアイテムを売っては
                                今欲しい武器やアイテムを買うためにすべて費す。


                                たまに勝手に貯まってることもあるんだけど
                                次の街でまた欲しいものがあったら、すぐ遣ってなくなっちゃうよね。





                                そんな感じで、常にゴールドは余ることなく冒険を進めていくんだけど


                                冒険の後半になると遣うこともそんなになくなり

                                勝手に貯まりはじめるんだよね。

                                初めてゴールドが“余る”っていう状態になるんだけど。

                                でもその頃にはもう、そんなに冒険自体は楽しくなくなってるのよね。





                                …っていうのを思い出した。





                                別に貯まらなくてもいい。
                                っていうか貯まったらうれしいけど

                                ※安心できるし

                                でもそれが最優先ではないというか。




                                お金があれば今よりずっと幸せになれると思っていたし

                                幸せになるためにはお金が必要だと思っていたけれど


                                私が本当に欲しかったのは、

                                今欲しいものややりたいことのために

                                今安心して出せるお金と心のゆとりだったんだよね。




                                常に銀行口座の残高が潤っていることや

                                闇雲にたくさん稼ぐことが目的ではないから


                                自分が本当に欲しているものは何なのか、

                                それを正しく真っ直ぐに望んでいこうと思います。






                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                占い師が思う“金運”について
                                2022/04/21

                                “金運”ってなんだろう。


                                金運がいいとか悪いとか言うけど、

                                一体どうだったら良くて、どうだったら悪いのか

                                改めてこれまでのマヤ暦の探究等を踏まえて考えてみた。



                                金運の悪い例として、

                                “散財しやすい”とかもその一つだと思うけど

                                要は“たくさんお金が出ていく”ってことだよね。


                                そのたくさんのお金の遣い道が好きなことなら

                                それってめちゃめちゃ幸せなことじゃないか?


                                好きなことにたくさんお金を遣えるなら私は本望。



                                だけど、そのお金の遣い道が

                                不安や抑圧や我慢によって決められたものなのだとしたら

                                例え額は少なくても、それって散財なんだと思う。



                                だから占いの金運のいい悪いに左右される必要なんてない。


                                どうせいっぱい出ていくんでしょ?


                                好きなことに遣ってもそうでなくても出ていくのなら

                                逆に思いっきり腹決めて好きなことに遣っちゃえばいいよね。






                                埼玉県坂戸市在住の占い師・yuuの鑑定はこちらから



                                占い師が思う“金運”について
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                                【罪悪感でいっぱいの夜】イマココを大切にしたいのに、子どもにイライラ。
                                2022/09/15

                                こんにちは。


                                今、Happyちゃんの「IMACOCO 能力開花PROGRAM」に参加しているのですが、

                                その参加の経緯や、その時の気付きはまた後で記事にするとして。


                                昨日から今朝にかけて、ものすごく大きな感情の渦の中で、宝物のような感覚と出会えたので、その感動が旬なうちにまずこちらを先に書いていきたいと思います。





                                Happyちゃんの「IMACOCO 能力開花PROGRAM」に申し込んだのは3日前。

                                今週いっぱいかけて順次参加者の承認をしていくそうなので、先にメールで送られてきたアーカイブの動画を見ることにしました。


                                そのアーカイブ内で、「IMACOCO 能力開花PROGRAM」の前のプログラムなのかな?「イマココ 7DAYS PROGRAM」というものがあったことを知り、7日間で自分の意識や調和レベルをグッと引き上げていくというその内容を、一人で実践してみることにしました。



                                「ひとり 7DAYS PROGRAM」


                                昨日がその初日で。

                                一つ一つの動作をゆっくり行ってみたり、「今この瞬間に世界が終わるなら?」と自分に質問しながら、「イマココを味わう」ことを意識的に過ごしていました。


                                すると、いつものように炊飯器の内釜を洗っている時も、毎日お米を炊いてくれている息子への感謝が溢れてきたり、

                                仕事に行く支度をしている時も、愛猫が甘えてくるたびに撫でたくなったり、

                                LINEなどの連絡も自分のタイミングで返したり…と、


                                これまでと同じ日常を過ごしているはずが、なんだか心にゆとりができて、こんなにも五感が豊かなことに満たされたりして、

                                「ひとり 7DAYS PROGRAM」の素晴らしい初日に、キラキラした気持ちでいっぱいになりました。





                                ところがその素晴らしい初日の夜、息子のふとした言動に怒りが爆発し、自分でも抑えが効かないほどに感情が荒ぶって、

                                大声で怒鳴ったり物にも当たり散らしたりと、一気に最悪な気分へと転落してしまったのです。


                                素晴らしい初日のはずだったのに。「ひとり 7DAYS PROGRAM」の幕開けのはずだったのに。


                                なんでこんなことになってしまったのか、なんでこんなにも怒りが爆発してしまったのか、

                                きっかけはほんの些細なことのはずだったのに、なんでこんなにも当たり散らしてしまったのか。


                                沸々と湧いてくる後悔と罪悪感の念に苛まれて、イマココを味わいたくても過去の憂いでいっぱいで、

                                思考がうるさくてネガティブな感情でいっぱいで、よく眠れないまま朝を迎えました。





                                私があんなにも激怒したことが、息子のせいでないのはわかってて。


                                だけど優しく接することも出来ず、顔も見ることが出来ないまま、

                                今朝は「行ってらっしゃい」とだけ言い、見送りもせず息子を送り出しました。



                                最悪な気分が拭えなくて、だけど少しでもいい気分になりたくて。

                                支度をしながら聞いたHappyちゃんのアーカイブで、涙腺が崩壊してしまいました。


                                そこでは今朝の私と同じように「イマココを大切にしたいはずが、子どもを怒鳴ってしまった」というある参加者のエピソードが語られていて、

                                それに対してHappyちゃんがね「お子さんとイマココ対決をしたらいいんですよ」って言っていたのです。



                                「ママだってこうしたいもん!!」

                                「ママはそれがいいもん!!」って


                                自分の望みを子どもにストレートに伝えてみたらいいんじゃないかって。



                                私もね、本音を伝える大切さはわかっていたつもりで、

                                自分でも自分の望みをストレートに息子に伝えているつもりでした。


                                だけど「つもり」だっただけで、全然ストレートじゃなかったんですよね。


                                「私はこれがいい!!」「こうして欲しかった!!」っていう伝え方じゃなくて

                                「なんでそうなの?」「なんでこうしてくれなかったの?」っていう相手を責める伝え方にいつもなってしまっていたのです。




                                しかも「なんで?」っていう疑問形で伝えるので、息子はそのまま「疑問に対する答え」を返してくるんですよね。

                                「なんでその時自分がそうしたか」っていう答えをいつも返してくるのです。


                                でも私が求めているのは「なんでそうなの?」に対する答えじゃなく、「なんでそうなの?私はこうして欲しかったのに」っていう私の本音をわかってもらうことなので、いつもここから話が拗れて、弁明対決みたいになってしまっていたのです。


                                そうなると段々息子の返してくる言葉に対して「うるせー!!」って怒りが湧いてきて、

                                でもその「うるせー!!」って目の前の息子に対してじゃなく、本当は自分の思考に対する怒りだったんですね。




                                イマココを大切にしたいはずが、子どもを怒ってしまうっていうタイムリーなエピソードにも救われて、

                                それに対するHappyちゃんの本当に「イマココ」なアドバイスでなんかもう、本当に心があったかいものでいっぱいになって。


                                気付けば声を出して大泣きしていました。

                                だけどそんな自分もなんだか可愛く思えてきて。

                                いっぱい失敗して、いっぱい後悔して、いっぱい泣いて一生懸命生きてる私をね、「いいこいいこ」って撫でてあげたい気持ちになったのです。





                                自分の中の真実に出会って、いっぱい泣いて、それさえも愛しく思えたら、

                                本当に心がゆったりして、今日は息子に元気いっぱい「おかえり!!✨」って言いたくなりました。


                                ママだって一生懸命だもん。

                                いっぱい頑張って、いろんなこと我慢してて。


                                だけど目の前の息子がハートフルで、愛と調和の中に存在しているから、

                                私もそんな息子に安心して、そのまんまの言葉を伝えていきたい。


                                もっと私は素直になれるし、もっと私は幸せを感じられるんだよね。





                                今朝まで最悪な気分だったけど、おかげで今世界が優しいです。

                                大切なことにまた気付かせてくれてありがとうございました。


                                yuu





                                ***

                                埼玉県坂戸市の占い師です。

                                プロフィールはこちら

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                                【罪悪感でいっぱいの夜】イマココを大切にしたいのに、子どもにイライラ。
                                【罪悪感でいっぱいの夜】イマココを大切にしたいのに、子どもにイライラ。
                                占いで夫婦の問題は解決すると思ってた
                                2022/07/02

                                私は占い師です。

                                夫婦の問題などのさまざまな悩み事を、占いで癒していくのが仕事ですが

                                実際のところ、占いの鑑定だけで問題を直接解決することはできません。


                                私自身、夫婦の問題で悩んだり苦しい思いをするたびに、自身のマヤ暦でその苦悩を癒したり…と、

                                占いなどのスピリチュアルなものには、これまで本当に救われてきました。


                                ですがどんな悩みもそうですが、問題解決の真の鍵を握るのは

                                占いで癒された後の、鑑定を受けたその後の、自身の意識や実際の行動なのです。







                                「結婚相手を間違えた」と思っていた過去


                                「結婚する相手を間違えた」

                                ずっとそう思っていました。


                                夫婦の確執や育児疲れが、目下の悩みだった過去のことです。





                                相手が変われば環境が変われば『私も幸せになれるのに…』そう信じ


                                『もっと優しかったら』

                                『私を否定しない人だったら』

                                『育児に協力的だったら』

                                『違う相手だったら』と


                                誰かや何かのせいにしては、そうでない今を恨んでいました。



                                別居や離婚騒動を繰り返し、すっかり仮面夫婦となった頃

                                思い付きで受けた占いの「離婚するよ」の一言にスカッ!!✨としたのを覚えています。





                                『ほら!やっぱり!相手が違ったんだ!』

                                咄嗟に抱いたのはそんな気持ち。


                                そして「再婚する」———そう告げられた未来に

                                『やっと幸せになれる』と私は胸を躍らせたのでした。






                                マヤ暦で変わった相手の見方


                                占いに行ったのは確か7、8年前。


                                鏡リュウジさんの“牡羊座の君へ”に感銘を受け

                                『本当にこのままでいいのか』と自らの人生や在り方に疑問を抱いた頃だったと思います。


                                離婚と再婚の可能性を告げられ未来に期待できたはいいものの

                                帰宅後待つのは従来の日常で、その落差に辟易としました。





                                占いで告げられたのはまだ何年も先の未来。

                                それまでこの目の前の現状をどう過ごしたらいいものかと、まだ長い道のりに頭を抱えていました。





                                しかし適応障害などをきっかけに『もっと自分らしく生きたい!』と一念発起した私は

                                本当に望む未来や自分の本音、今の立ち位置に目を向けながら

                                出来ることから少しずつ自らに変容を起こしていきました。





                                マヤ暦と出会ったのもその頃で

                                『特別な力がない私でも勉強すれば鑑定が出来るんだ!!✨』と期待と喜びに胸を弾ませ、


                                真っ先に知りたかった自身のマヤ暦の次に、息子や夫の結果に興味を持ちました。





                                わかったのは、夫はただ夫らしく生きているということ。

                                嫌な部分も改善して欲しい部分も、すべて相手の個性だったのです。


                                直る直らないの問題じゃない。だって“それ”が夫なのだから。





                                誰も悪くなかったのです。


                                “そういう相手”が悪いわけでもなければ

                                私のせいで相手が“そうなった”わけでもありませんでした。








                                夫婦の問題、パートナーシップの悩み…


                                それまでこれらに関する情報をたくさん得ては試みてきましたが

                                結局私に有益な方法は一つも見つかりませんでした。





                                たくさんの方法、アドバイス…それぞれ内容に違いはあれど

                                結局どれもこれもが夫婦の問題を解決するために“私が先に”努力するものでした。





                                “相手を変えるための”です。


                                それを期待した努力なので、我慢に見合う成果が得られなければ

                                『私はこんなに我慢したのに!!』と積もり積もったものが爆発してしまいます。


                                だからこそマヤ暦に期待したのです。

                                何かヒントが得られるかもしれないと。





                                だけどマヤ暦で視た夫は、私が知る夫そのもので

                                この人はただ自分に正直に従っていただけなのだと痛感し

                                だったらもう『仕方ないんだ』と納得するほかありませんでした。





                                それからは『相手を変えよう』という意識が薄まり

                                『あーこの人はこうだったな』と少し俯瞰して捉えられるようになりました。



                                何より救いだったのは“私のせい”ではなかったことです。


                                夫婦の問題も育児の悩みもすべて“自分のせい”にしていた私には

                                そうでないとわかっただけでも心がスッと軽くなりました。






                                自分とのパートナーシップ


                                自分責めの傾向が強い私。


                                夫婦間で嫌な思いをする度に、子育てのことで悩む度に

                                『私のせいなんじゃないか』とそれが大きな心の痛みでしたが


                                マヤ暦と出会ったことで少しずつそれをやめていきました。



                                そのうちに『自分を大事にする』という意識の変化が起こり

                                さらにその後、子宮メソッドと出会ったのです。





                                子宮メソッドとの出会いは私に革命を起こしました。


                                なぜって目の前の男性性は自分の男性性の忠実な鏡だということを

                                教えてくれたメソッドだったからです。





                                自分の男性性というのはつまり、頭の中の声のこと。


                                自分の本音(女性性)に対する思考の声(男性性)がそのまま

                                現実の男性性へと映し出されていただけだったのです。





                                確かに思い当たる節がありました。

                                いつも「お前が悪い」と言われていたからです。


                                父も夫も現実の男性は、いつも私に厳しく否定的でしたが

                                思い返せばいつも私が私を否定し責めていました。





                                『相手を変えよう』という意識はもうかなり薄れていました。


                                変えるのは私の内側。

                                自ずと誰かや何かより、自分を見るようになったのです。





                                本音を伝える


                                「自分を大切にする」という概念や、子宮メソッドとの出会いを機に

                                それまで“夫婦の問題”だったことは“私個人の話”になりました。


                                相手を変えるために、相手の反応を見ながらしていた以前の努力とはまるで違い

                                私一人で完結するそれは初めて期待ができるものだったのです。





                                しかし子宮メソッドは決して“ラクな”方法ではありません。

                                心の苦しさに限って言えば、他の方法の比ではありませんでした。


                                結局“誰かや何かのせい”の方が気持ち的にはラクなのです。

                                だって“誰かや何かのせい”にして自分を守ればいいのだから。





                                自分の内側を見るということは、本音を見るということでした。


                                『本当はこうしたい』

                                『本当はこうしたくない』


                                そういう本当の望み一つ一つです。





                                したくない家事を辞めたり、隠したかったことを打ち明けたり。


                                そんなことをしたら嫌われるかもしれない、

                                怒られるかもしれない、恐ろしいことになるかもしれない…


                                そんな恐怖や抵抗や罪悪感に真正面から向き合うのが、子宮メソッドだったのです。





                                こんなに怖いことはありません。


                                誰かや何かのせいにして、

                                占いの鑑定結果に依存して、運気や相性のせいにした方がずっとラク。


                                ブロック解除をしたりアファメーションをしたりして

                                前提を変える努力をした方がラクに決まっているのです。





                                でも私たちが生きているのはこの現実世界。

                                その現実から逃げ続け結果だけラクに変えようなんて、あまりに都合が良すぎました。





                                逃げた現実は“自分の本音”。


                                嫌われないようにと自分を騙し続けるより

                                たとえ嫌われたとしても“自分で生きる道”を私は選んだのです。






                                占いは心のお医者さん


                                それから本当に本当に少しずつ、コツコツ時間をかけてですが

                                偽らず隠さずそのままで心地良く生きられるように、私は自分の本音を大切にするようになりました。


                                当時の夫とは一昨年離婚し、今は息子の親として良好な関係を築いています。





                                “相手が嫌いだから”した離婚ではありませんでした。

                                単純に“自分がしたいから”した離婚だったのです。





                                いくら相手が変わっても、環境や条件が変わったとしても

                                自分の内側が同じである限り同じ現実を繰り返すだけです。


                                うまくいかない現実をただ相手のせいにするのではなく、

                                同じ現実の中でも自分で自分を満たせるようになった時、私は離婚を自分に許可しました。





                                もしあのまま、“夫のせい”にしたまま

                                占い通りに離婚したり、もしその後再婚できたとしても


                                私はまた現実に不満を抱く度、誰かや何かのせいにしては不幸を嘆き続けていたと思います。






                                “幸せ”は誰かに“してもらうもの”でなく、

                                いつでも今この瞬間から自分次第でいくらでも感じられることを知りました。


                                『感謝しなければ』と思っていた頃には、相手に対して自然に感謝が沸いて出ることはありませんでしたが、

                                自分に集中しているうちに、いつの間にか自然にそれも感じられるようになりました。


                                『しよう』としていた感謝でなく、自然に沸いてくる『ありがとう』です。



                                だから離婚した今も、毎日幸せを感じることができていますし

                                相手に対する恨み辛みのような気持ちもありません。





                                占いはただのツール、心のお医者さんです。


                                体を作るのが医者でなく、日常生活の積み重ねであるように

                                自分の現実を変えていくのは、占いではなく本音の積み重ねなのです。





                                目の前の悩みや問題は、あなたの心の環境を知らせてくれる“不調”のようなもの。

                                私の場合、その一つが夫婦の問題でしたが、

                                その“不調”のおかげで、自身の心と向き合うことができました。


                                目の前の相手を変えようとしたところで、その不調は別な形で表れます。

                                自分自身としっかりと向き合わない限り、その問題が真に解決することはないのです。




                                疲れた時、めげそうな時、本音を諦めてしまいそうな時はいくらでも占いに頼って下さい。


                                そしてもし鑑定で少しでもホッとして心がまた軽くなったなら

                                また自分自身の言葉で態度で、自分の本音を大切にしてあげて下さい。





                                それが本当の意味で、今目の前の問題を解消する、唯一の方法だと私は思います。







                                ***

                                まずは話してみませんか?

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                                【家継ぎの呪いから解放へ】継がなきゃいけない家は天皇家だけ
                                2022/08/11

                                「家、継ぎたくない」

                                ほんの数年前まで私は「実家を継がなければいけない」という負担と、「でも出来ることなら継ぎたくない」という本音の間で懊悩していました。


                                先に生まれたというだけで、すでに未来の一部が勝手に決められている。

                                大人になっても住む場所を自由に選ぶことすら出来ない。

                                こんな窮屈な人生を息子にまで負わせたくはなかったのです。



                                「こんな酷い制度は私の代で最後にしよう」と思ったものの、親族の期待を裏切る後めたさや、母を悲しませるのかと思うと胸が痛み、罪悪感が拭えずにいましたが、

                                そんな時に出会ったある人の言葉が救いとなり、私は家に縛られることなく、私の人生を生きようと決めることができたのです。










                                「家、継ぎたくない」


                                私が自身の役割を認識したのはまだ幼い頃、保育園に入園する前だったと思います。

                                当時すでに「早く大人になってこの家を出たい」と思っていた私は、それが出来ない現実に、未来を悲観してしまったのを覚えています。


                                私にとって「家」とは「世の中でもっとも緊張する場所」でした。

                                とにかく父が怖くてしょうがない。

                                父のいる家は私にとって、地獄も同然だったのです。


                                だから「早く大人になってこの家を出たい」と思っていました。

                                大人になれば「心から落ち着ける場所」を、自分に与えることができると思っていたから。





                                なのにその唯一の希望すら奪われた気分でした。

                                「家を継がなきゃいけない」なんて———


                                大人になっても家を出ることすら出来ない。

                                こんな寿命が縮まる場所が私の人生の舞台になってしまうのかと、選択する余地すらない理不尽な現実に、肩を落とすしかありませんでした。





                                それから、なるべくその現実を直視しないように誤魔化し誤魔化し生きていましたが、21歳の頃、家長だった祖父が亡くなったのをきっかけに「あぁやっぱり自分は跡継ぎなのだ」と思い知ることになります。


                                葬儀で集まった親族という親族に「次はゆうかちゃんだぞ」と肩を叩かれるのです。


                                誰もこの不自然な制度に疑問を抱く者はいない。

                                それどころか跡を継ぐことがまるで喜ばしいことでもあるかのように、彼らの目は実にキラキラとしていました。


                                「自分は家を出たくせに———」


                                あまりにも無責任な期待に腹が立ち、心の中は恨み言でいっぱいでしたが、それでも

                                「800年続いた歴史ある家なんだから」と言われると、その年月と、そこに関わってきた人々の思いの重さに、「継ぐしかない…」と諦めるしかありませんでした。






                                結婚とはそもそも財産相続のための制度


                                一度は諦め「受け入れるしかない」と思い始めていた家継ぎでしたが、息子の誕生をきっかけに「やっぱりこんな制度おかしい」と再度疑念を抱くことになります。


                                母が、まだ生まれて間もない息子を抱っこしながら「齋藤家の子だよ〜」と嬉しそうに微笑む光景を見た時です。


                                「異常だ」と思いました。

                                だってまだ生まれたばかりの首も据わっていないような息子の未来に、勝手に「跡継ぎ」を設定されてしまったのです。

                                真っ新なはずの息子の未来図に、無断で色を塗られた気持ちでした。


                                帰省した時には「ここは(息子)の家だよ〜」と話しかける母。

                                幼い息子は「ここもぼくの家なの?」と嬉しそうでしたが、私にはその洗脳じみた言葉が恐怖でしかありませんでした。





                                自分の未来が勝手に決められている窮屈感。

                                住む場所すら選ぶことができない不自由さ。


                                私がこんなに負担に思ってきたことを、息子の人生にまで負わせたくはありませんでした。



                                なぜ誰も疑わないのか?

                                なぜ「家」のために、個人の人生を捧げなければいけないのか。

                                なぜ家や土地という過去の人物(祖先)の持ち物を守ることが、生きている人間の幸せよりも大事なのか。



                                私には理解できませんでした。

                                みんな何かに洗脳されているかのよう。



                                そんな時「結婚」に関するある情報を見つけたのです。

                                そもそも結婚とは「財産相続のための制度だった」といった内容の記事でした。

                                誰のどんなサイトの記事だったかは忘れてしまいましたが、とにかく私はその記事により、このおかしな現実に納得がいきました。


                                どおりで「結婚」に魅力を感じないわけだと。

                                そうなのです。私は幼い頃から「結婚」にあまり興味がなく、将来の夢に「お嫁さん」と答えたことも一度もありませんでした。



                                結婚したいと思ったのは子どもが欲しかったからです。


                                なのになぜ、大人同士の結婚に親の許可が必要なのか、

                                なぜ結納などの儀をそんなに重んじるのか、

                                なぜ結婚したら女性は「主婦」にならなきゃいけないのか…


                                色んな世の中の「当たり前」が、私には何一つ分かりませんでした。



                                それが「元々は財産相続のための制度」となれば、全てに納得がいったのです。

                                だから「家」を守りたがるんだと。

                                それが農耕民族の名残だということも。






                                「継がなきゃいけない家は天皇家だけ」


                                同じ頃、「子宮委員長はるちゃん」という発信者を知り、その生き方に衝撃を受けました。

                                はるちゃんは私と同じように、家制度の残る田舎に、姉妹の長女として生まれたにも関わらず、結婚後その姓を変えていたのです。


                                姉妹の長女って家を継がなきゃいけない立場です。

                                なのに姓を変えただけでなく、田舎の家に戻る様子もない。

                                そんなはるちゃんの姿に「親に反対されなかったの?」という疑問と不安で私の頭はいっぱいでした。


                                不安になったのは、はるちゃんが私の中のタブーを犯していたからです。

                                「家を継がない」というタブーを。


                                自分の中でそれは「やってはいけないこと」だったため、はるちゃんを通して私は「それを犯す不安」を感じていたのです。



                                でも、はるちゃんが言っていたのです。

                                「継がなきゃいけない家は天皇家だけだ」と。

                                「みんな天皇家の真似事をしているだけだ」と。


                                そう言い切り、自身の人生を堂々と歩んでいたはるちゃん。

                                それがどんなに勇気になったか、どんなに救われたか分かりません。





                                そして2年前離婚を決めた時、自分の中でこの「家継ぎ問題」からの本当の解放となりました。

                                親権がもし得られなくても、離婚するつもりだったからです。


                                私の子どもは息子一人なので、もし私が親権を得られなかった場合、それは「齋藤家の跡継ぎがいなくなる」ということになります。

                                なので当然母もそれを懸念していたのです。「跡継ぎがいなくなるなんて…」と。


                                申し訳ないくらい悲しませてしまいましたが、私の気持ちも固かったので、それ以上母は何も言いませんでした。

                                よくよく考えたらおかしな話なんですけどね。だって私が結婚した時点ですでに、両親とは別の戸籍だったのです。

                                元々すでに別の戸籍なのに、なぜこんなにも拘るのか私にはわかりませんでしたが、「これで齋藤家の跡継ぎはいなくなるんだな」と思った時、長い長い苦悩から解放された気持ちになりました。

                                その後結局、親権は私が持つことになったのですが、あの時自分の中で一区切りついた気持ちが変わることはないと思います。


                                息子には自由に生きてほしいし、同様に私も自由に人生を歩めるのです。

                                今はもう地元に戻るつもりもありませんし、どこに住むかという自由な選択肢と共に、未来をワクワクと描けています。





                                改めて「家継ぎ問題」について調べてみると、どうやら元は明治民法で定められた「家制度」のようで、結婚に家長の承諾が必要なのも、「本家」や「分家」などが出来たのも、長男が家長を継ぐという制度も、すべてはこの制度から始まったようでした。


                                だから父というものは、あんなに偉そうだったのです。

                                まるですべての決定権が自分にあるかのように振る舞い、そして家族も総出で父に気を遣うのが当たり前になっていましたが、このよくわからない不自然な空気も「家制度」の名残なのだとよくわかりました。


                                そして「家制度」が、天皇制を支えるためのものであったことも。

                                はるちゃんの言う「みんな天皇家の真似事をしているだけ」という言葉は、ちゃんと的を射ていたんですね。



                                「家制度」自体は1947年に廃止されているのですが、私たちの親世代ってこの「家制度が常識だった親」の元で育っているので、廃止から70年以上経った今も、その思想が染み付いているのかもしれません。

                                もうすでに廃止されているものが染み付いているだけなのなら、改めて私がそれを引き継ぐ必要はまったくないんですよね。



                                何事も、新しい風を吹き込む時というのは痛みを伴うのだと思います。

                                それが「家制度の呪いからの解放」の場合、「家族を悲しませる罪悪感」もその痛みの一つなのかもしれませんね。






                                世界でもっとも優しいメソッド


                                私が「家継ぎ」の呪いから解放されたのは、親権を得られなくても離婚しようと決められたのがきっかけでしたが、その離婚を決められたのも子宮委員長はるちゃんのおかげでした。


                                子宮委員長はるちゃん(現さやちゃん)が壊してくれたタブーは「家継ぎ」だけではなかったのです。

                                パートナーシップのタブー、お金のタブー、子育てのタブー…と次々に私の中の詰まりを溶かしてくれたはるちゃんは、離婚しても、親権を得られなくても、幸せになれることをその身を持って教えてくれました。

                                恥ずかしくて隠したくて嫌いな私の部分すべてに「マル」をしてくれたのが子宮委員長はるちゃんだったのです。


                                はるちゃんの言葉は一見鋭いですが、それでもこんなに愛のある言葉に出会ったこともありませんでした。


                                それまで出会ったどんな大人の、どんな言葉よりもあたたかい———


                                決して自分を否定することのないはるちゃんの言葉に、そしてそれを体現しているはるちゃんの生き方に、私もそんな風に生きたいと思ったのです。


                                そんな思いから、自身が発信するマヤ暦に「子宮メソッド式マヤ暦」と名付けました。

                                どんな自分も否定することのない、愛のあるマヤ暦を発信していこうと———





                                占い師が売っているのは「占いそのもの」ではないのだと思います。

                                どんなに立派な言葉を伝えても、占い師自身がそれを体現できていなければただの妄言になってしまうのです。


                                自らの発信にどれだけ責任を持ち、それを自らがどれだけ体現できているか———


                                それが占い師であろうがなかろうが、言葉と行動と在り方が一致している人は、説得力があるのだと思います。

                                はるちゃんも占い師ではありませんでしたが、その生き方は鑑定以上の癒しと気付きを私にもたらしてくれました。


                                占い師が本当に売っているのは「占い師の生き方そのもの」です。

                                言葉だけでなく、生き方そのものでも「大丈夫なんだ」を伝えていけるように。


                                私も自分を精一杯生きたいと思います。





                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                オンラインセッションや、郵送鑑定をメインに活動しております。


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                                「ごめんなさい」より「ありがとう」を。
                                2022/09/05

                                ドラクエも主人公だけで大魔王は倒せない。

                                叶えたい夢があるからこそ、「自分一人で頑張ること」を手放すことが大事なんですね———










                                ***


                                息子の夏休みも終わり、新学期が始まって、1週間が経ちました。


                                やっぱり学校が始まると疲れるなーなんて思ったものの、よくよく考えたら別に夏休み中も同じ時間に起きて同じ時間まで仕事に行っていたので、今なんでこんなに疲れを感じているのか謎です。




                                今年度は、地域の役員×4に中学PTA本部役員———と役員漬けの年度で、気合いを入れて臨んだものの、趣味はおろか仕事も満足に進まないほどの役員メインの毎日に、


                                「なんでみんなやってくれないんだろう!?」

                                「なんで気付いてくれないんだろう!?」

                                「私の負担やばくない!?」


                                と、学期の終わりには不満も疲れも溜まりに溜まり、ストレスが肥大してしまっていました。


                                それでも、特にPTAは今年度かなり大きな動きがあるので「成し遂げたい!!」という気持ちでなんとか自分を奮い立たせていましたが、当然夏休みの間も継続してそれに取り掛かるつもりが、結局何もしないまま夏休みを終えてしまったのです。





                                ちょっともう「どうでもいい」みたいな。


                                1学期の間なんとか自分を奮い立たせていた熱以上に、疲れや不満の方が大きくなってしまい、気付けば「やりたくない」という気持ちと不満の言葉でいっぱいになってしまっていました。





                                時間的にも体力的にも余裕がなく、仕事も思うように進まないし、趣味なんてなおさら。

                                「あれもできてない」「これもできてない」という不満が日々積もって爆発寸前だったのに、それでも「やるって決めたのは自分だし」「やり遂げたいし」と自分に鞭打ち続けた結果、「どうでもいいや」という気持ちにまで発展したのです。


                                1学期のような生活が残りの学期も続くかと思うと、気が重くてしょうがない。


                                それに私が出しゃばっていただけで、本当はそんなことをしない方が逆にスムーズに進むのかもしれないし……

                                と、やる気も気合も戻らないまま、新学期を迎えることとなりました。





                                ところが夏休み明けの本部会、すっかりやる気もなかったはずが、結局普通に楽しく終えてしまいました。

                                なんだかんだと不満を言いながらも、やっぱりメンバーとの時間は楽しく好きなんですよね。

                                そもそも本部をやろうと思ったのも、メンバーが楽しそうだったからで…



                                自分でも気付いてはいたのです。メンバーは誰も悪くないということに。


                                非協力的な人なんて誰もいないし、同じ大きな目標に向かって、みんなそれぞれ考えて、それぞれができることをやってくれています。

                                私も最初はただやりたくて「あれもこれも」と自ら進んでやっていただけでした。

                                それが結局積もり積もって大きくなって負担に感じ始めた途端、みんなのせいにし始めたのです。



                                言えば良かったんですよね。

                                自分が先に気付いたのなら、それを「誰かやってくれませんか?」とただお願いすれば良かったのです。





                                思えば、パートナーシップにおいても私はずっとそうでした。

                                何でもできる立派な主婦に・母親になろうとして、だけどなかなか思うように頑張れない現実に疲れていって、


                                「協力してくれない」

                                「誰もわかってくれない」


                                と、一人勝手に拗ねていました。



                                素直に頼むことも頼ることもできず、何も言わずとも気付いてくれることばかり期待しては、期待通りに気付いてくれない相手に不満を募らせていたのです。


                                結局どんな人間関係でも、拗らせていたのは同じ癖だったんですよね。





                                今回の本部会、「〇〇は私がやるから、●●はどなたかお願いします」というように、自ら仕事をまわりにお願いすることができました。

                                これまで勝手に自分一人で抱えていたものを、みんなにお願いしようという気持ちがやっと生まれたのです。


                                お願いできただけでもかなり気持ちが楽でしたが、お願いすればそれにちゃんと応えてくれる人もいて、作業的にもグッと楽になりました。





                                気持ちが軽くなったからか、これまで「時間的にも体力的にも余裕がない」とまったく出来ずにいた趣味にも、久しぶりに励むことができました。

                                やっぱり趣味に没頭する時間はものすごく楽しい!!✨


                                これまでは気力も体力も疲れすぎていて「やりたい」という気持ちにすらならなりませんでしたが、本部会でみんなに「お願い」ができたことで、気持ち的にも楽になり、まず「久々やりたいな✨」という気持ちになれたのです。



                                ところが折角「やりたい」と思えたにも関わらず、帰宅した途端「まず役員の仕事やってから…」という思考が出てきてしまいました。

                                あぁこうやって今までも、無意識のうちに趣味をずっと後回しにしていたんだと気付き、まずやりたいことを先にやって、その後いい気分で集中して仕事に取り組むことにしました。


                                「時間がないから」「忙しいから」とできていないことの多くは、もしかしたら後回しの結果かもしれません。

                                やりたいことをずっと後回しにしていたら、そりゃ拗ねて気持ちも疲れてしまいますよね。



                                そんな感じでここ数日、本当に久しぶりに趣味の時間を持てているのですが、明らかに気持ちがものすごく元気になったのです♪


                                単純に嬉しいし楽しいし、「ずっとできていない」という不快感がなくなったので、なんだか気持ちの風通しがよくなった感じです。

                                「ずっとできてない」「また今日もできなかった」「早くできるようになりたい」と思っていたのだから、さっさとそれを自分にやらせてあげれば良かったのです。


                                「やらなきゃいけないこと」なんて自分の思考次第で、無限に出てきてしまいます。

                                「それが落ち着いたら」「片付いたら」なんて思っていたら、いつになってもやりたいことをする時間が持てなくても当然です。


                                時間ができるのを待つんじゃなくて、自分でやらせてあげれば良かったんですよね。





                                役員のことも「やりたいことをやる」時間も、全部自分の意識次第なのだとよくわかりました。

                                誰が悪いわけでもなければ、環境や状況が悪いわけでもなかったのです。


                                同じ環境、状況下においても、やろうと思えばやることができるし、やらずに終わることもできる。





                                特にマヤ暦で「赤い龍」の紋章を持っている人は、この「人に頼る」という行為がものすごく苦手です。

                                兄貴肌、姉御肌の人が多いので「与える」ことはできても「受け取る」ことがものすごく苦手なんですよね。


                                だから人に助けてもらった時に何だか迷惑をかけてしまったみたいで、つい「すみません」を言ってしまうのですが、頼るというのは決して迷惑をかけることではないし、本当は手を貸したいと思っている人もまわりにたくさんいるはずです。


                                だから「ごめんなさい」より「ありがとう」なのです。



                                感謝は「しなきゃ」と思ってもできないけれど、頑張って思い切って「受け取る努力」をしていくうちに、次第に芽生えるようになります。

                                「ありがとう」となかなか素直に思えないのは、それだけ一人で頑張ってしまっているから。

                                「自分でやらなきゃ」という気持ちを手放していくうちに、まわりの優しさやあたたかさにも気付けるようになるんですよね。





                                とはいえ、「自分一人で成し遂げる」という悦もまた、手放し難いものであることをよく知っています。

                                そんな自分が誇りに思えるし、価値のある人間に感じられるからです。


                                私も「すごい自分」でいたかったので、「一人でやる悦」をなかなか手放せずにいましたが、それでも頑張って思い切って手放していくことで、世界の優しさを感じられるようになりました。


                                「世界の優しさ」とは、「もともとすべてあった」ということです。


                                頑張って「すごい自分」でいることで得られると思っていたものは、頑張らなくても「すごい自分」じゃなくても、最初からすべてあったんですよね。


                                思い切って人に頼っても、「私のおかげ」から「誰かのおかげ」になっても、私の価値はなくならないし、他に失うものも何もありませんでした。



                                ただ一人で歯を食いしばっていた頃よりずっと、気持ちは楽になったし、「幸せだな〜」と思えることもどんどん増えていったのです。



                                単純に、一人よりも複数人の方が、できることが多いに決まっています。

                                「自分一人で」を手放すことで、「誰かに助けてもらう」ことを受け入れることで、人生の幅も幸せも、どんどん大きくなっていくんですね。





                                私には大きな夢があって、だけどそれは「自分一人だけで」叶えられる夢ではありません。

                                自分以外の誰かの力も借りなければ成し遂げられないし、成し遂げた後それを叶え続けていくこともできません。


                                その夢のためにも今から「受け取る」努力が必要なんですよね。



                                「受け取り下手」な人はそれだけプライドも高い傾向にあるのですが、これまで「自分の手柄」に焦点を合わせていたプライドの矛先を、「夢を叶える」方に向けたら、受け取り方も変わるかもしれません。


                                大きなことを成し遂げている人は、それだけ関わる人も多いということで、それだけ受け取る機会も多いということなんですよね。

                                つまり「受け取り拒否」をしたままでは、大きなことも成し遂げられないということ。



                                役員も一つの良いきっかけとなりました。

                                残りの学期、「自分一人で頑張らない」ことを頑張って、描いたビジョンを形にしていきたいと思います。





                                ***

                                埼玉県坂戸市の占い師です。

                                プロフィールはこちら

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                                「ごめんなさい」より「ありがとう」を。
                                「ごめんなさい」より「ありがとう」を。
                                子宮メソッドマヤ暦について
                                2022/04/19

                                「マヤ暦ってなに?」と聞かれたら

                                「占いのようなもの」と私は答えます。


                                そう言うと

                                「マヤ暦は占いじゃないよ!」と言う声も

                                聞こえてきそうですが笑


                                “自分を思い出す為のツール”としては

                                マヤ暦も占いも一緒だと思うのです。





                                そう、ツール。



                                日常に追われて常識や他人の目や評価が

                                いつしか上位を占めるようになって。


                                自分ではない“誰か”になろうと

                                人に“認められるような自分”になろうと


                                その為に必死に生きるようになって。



                                でも苦しくて。

                                何処かで何かが悲鳴をあげて。



                                そんな時に

                                『今なろうとしている“私”は私じゃないよね』

                                『私って本当はこうだよね』

                                っていうのを思い出させてくれて


                                『私は“私”のままでいいんだよ』

                                っていう安心感をくれたのが


                                私には占いであり

                                マヤ暦だったのです。





                                そして面白いことに

                                鏡リュウジさんの“牡羊座の君へ”でもらった勇気とエールを

                                同じように私はマヤ暦からもらった。


                                石井ゆかりさんの“牡羊座”からも、

                                ある人に見てもらったオーラからも、

                                同じような“私のカケラ”を知ることができて


                                どんな占術でもマヤ暦でも

                                やっぱり一緒なんだなって思ったのです。



                                だってどの占術でもマヤ暦でもオーラでも

                                そこには私がなりたかった“私”しかいなかったから。









                                「なんでマヤ暦をやろうと思ったの?」


                                これも時々聞かれるけど

                                なんでって


                                「やることがわかっていたから」

                                としか言いようがない。



                                とにかく初めて“マヤ暦”という言葉を耳にした時から

                                私はそこに何かを感じていた。


                                マヤ暦が何かも、どんなものかもわからなかったけど

                                『あ、それやりたい』って思ったんだ。


                                むしろ

                                『あ、それ私のだ』に近い感覚。





                                マヤ暦を学ぶことは本当に本当に楽しかったけれど


                                普段大人から説教されていたようなことを

                                マヤ暦にまで言われるのは悲しかった。


                                「思い込みはよくないよ」とか

                                「プライドが高いから気をつけなさい」だとか。





                                …だってそれ、知ってるし…


                                わざわざマヤ暦にまで言われなくても

                                そんなことは今まで十分よくないと教えられてきた。



                                知ってても、


                                でも思い込み激しいし

                                プライド高いんだよ私は。





                                だけど大好きな占い師さんと出会った時に

                                『あ、そうか。占いも伝える人のあり方によって

                                いくらでも解釈が変わるんだな』って知ったの。





                                でもそうだよね。


                                マヤ暦とか占いっていう叡智が

                                そんなケチな説教する訳がない。


                                だって古代に生まれたマヤ暦を

                                伝えてきたのは紛れもなく“人”なんだ。





                                神話やむかし話がその過程で

                                色を変え形を変え伝わってきたように


                                その時代時代の背景や社会通念の影響を受けて

                                人から人へとマヤ暦は伝わってきた。





                                教わったマヤ暦だけが、世界で唯一の真実とは限らない。

                                そしたら私は私の感覚で、解釈し直せばいいだけだよね♪って。


                                そう考えたら、またマヤ暦が楽しくなったんだ———









                                私のマヤ暦は他の発信者が伝えてるものとは

                                もしかしたら随分と違うところがあるかもしれません。


                                セッションも郵送での鑑定もスクールも

                                “私が解釈したマヤ暦”で行ってきました。





                                もちろん抵抗もないわけじゃなかった。


                                マヤ暦という叡智のようなものを

                                自分の解釈で本当に伝えていいのかどうか分からなかったから。


                                だから“子宮メソッド式マヤ暦”と名前をつけたんだ。

                                堂々と自分の言葉で発信していけるように。





                                そして子宮メソッド式マヤ暦の探究によって救われたのは

                                他でもない私自身だった。


                                やっぱり私は私のマヤ暦が大好きだから

                                現在募集しているオンラインセッションと「天国と地獄の書」だけでなく

                                スクールやほかの鑑定書も再度形にしていきたい。


                                もっと私の人生を

                                大好きなマヤ暦で満たせるように———





                                ***

                                子宮メソッド式マヤ暦

                                現在募集中の鑑定はこちらから






                                子宮メソッドマヤ暦について
                                子宮メソッドマヤ暦について
                                【赤い龍・赤い蛇・赤い月】プライドという高貴なもの
                                2023/01/25

                                プライドってみんなきっとあるけれど、特に高いのが「赤い龍」「赤い蛇」「赤い月」の紋章を持つ人たち。





                                「プライドが高い」って正直嬉しい言葉じゃない。

                                自分でも嫌なところを指摘されたようで、ちょっとカチンときてしまう。


                                そんな風に、もしあなたにとって今「プライド」という言葉がネガティブに感じるものならば、それはきっと「プライドの発揮先」を間違っているからかもしれない。










                                馬鹿にされないように

                                見下されないように

                                よく思われるように

                                自分を守るために…


                                ずっと「他人から見た自分」のために、そのプライドの矛先を向けてきた。





                                でも本来「プライド」って、他人のために使うものじゃない。

                                プライドって本当は、自分のために発揮するもの。


                                他者から見た自分を守るためではなく、自分が「自分」として堂々と生きるために。





                                そう。それは例えば、叶恭子さんのような。



                                ***


                                自分の心に 
                                率直に、 
                                素直に 
                                誠実に 「いま」「ここ」で、 
                                全身でその
                                「瞬間」に 向かい合うこと。 
                                わたくしにとっては 
                                それが何より大切なこと。


                                Instagramより引用


                                ***


                                これが本来の「プライド」なら、「プライド」のイメージは180度変わる。





                                プライドって本当は高貴で、その人を纏う宝石のようなもの。


                                今まで外へ外へと向けてきたそのプライドを、どうか自分へと向けてあげて。

                                誰にも何にも脅かされない、唯一無二の「私」を彩るから。








                                ***

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                                2022/12/14

                                赤い龍のもっとも大きな特徴は「不安定さ」なのかもしれない。





                                赤い龍は誕生のエネルギー。

                                20ある紋章の先頭の紋章であり、260あるKinの始まりのKinでもある。


                                誕生や始まりには、冒険心や開拓心のような、何もないところに道を拓いていく勇気と強いエネルギーのイメージを抱いていた。



                                でも、それだけじゃない。

                                この世に命が誕生する時、必ずしもその「命」は保証されていない。


                                無事に生まれるかどうかわからない不安定さのなかで、私たちの命は生まれてきた。





                                マヤ暦が誕生したような古来の世界では、無事に生まれる命は今より少なかったはず。

                                今は医学が発達しているので救える命が多くなっているけれど、それでも命を授かった時は、無事に育ってくれるかどうか私は不安で仕方なかった。





                                命にはそういう揺れがある。

                                人智や医学や科学ではどうにもできない「命の揺らめき」があるんだ。





                                それが不安定さ。





                                もっとも尊敬される紋章だとか、リーダー、カリスマ、エネルギーの強さなど———かっこいいイメージの強い赤い龍の紋章だけれど、その本質には不安定さがある。


                                命の揺らめきを知っているからこそ、過剰なほどに真剣に生きる者たち。


                                その力強いエネルギーは、不安定さを知っているからこその覚悟の表れ。










                                そんな赤い龍の人たちの最大のテーマは「信じること」


                                色んな体験をしたくて私たちはきっと生まれてきた。

                                だけど生まれたての私たちは、自分一人じゃ何もできなかった。


                                お腹が空いても自力では満たせない。

                                オムツが気持ち悪くても誰かに替えてもらうしかない。


                                何もできない状態で、誰かにやってもらうしかない状態で、私たちは生まれてきたんだ。



                                もしやってもらえなかったら、生きていけないんだよ。

                                これってものすごい信頼だよね。





                                まだ会ったこともない誰かを、まだ見たことのない世界を、信じられなきゃ生まれることすらできない。


                                自分を信じるってそういうこと。

                                「自分だけ」を信じるんじゃなくて、この世界を、宇宙を信じるっていうこと。





                                信じる力を自分だけに向けているから、赤い龍の人たちは甘えることができない。


                                本当の「信じる」って、自分じゃ何もできなくても、ただ存在することしかできなくても、それでも大丈夫だってことを———愛されるってことを知ることなんだね。





                                ***

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                                【赤い龍】命の揺らめきを知る者たち
                                【赤い龍】命の揺らめきを知る者たち
                                【青い嵐】その一瞬にすべてをかける
                                2022/05/14

                                ねこって本当によく寝る。


                                日中はひたすら寝てるし、夜も全然。
                                (もちろん夜は日中よりは動くけど)

                                本当にびっくりするくらいひたすら寝てるんだけど

                                ただ起きた時の一瞬の動きっていうか。
                                猫じゃらしで遊んでる時=狩りの瞬間って
                                見てて感動するほどの動きをする。


                                ねこを見てると思うんだ。
                                『青い嵐って本当はこうなんじゃないか』って。






                                青い嵐っていう紋章は

                                強烈なエネルギー、アクセル、海外、働き者、変化、変容、旅
                                などのキーワードがあって。

                                なんとなく行動力のイメージが強い紋章だった。




                                だけどほかの占いをみていると
                                必ずしも私に行動力ってなくて。

                                なんでだろう?ってずっと思ってたんだけど
                                ある時気付いたんだ。

                                青い嵐って一瞬の行動のパワーなんだと。




                                青い嵐はさっき書いたキーワードのほかに
                                “二面性”というキーワードもあって。

                                どういうことかというと

                                すっごい働き者なんだけど
                                家庭を顧みない仕事人というわけでもなく

                                社会でもしっかり活躍しながら
                                平穏な家庭も築ける人たち。

                                白か?黒か?じゃなくて
                                白も黒も選べる。




                                私もやたら外出してた時期もあったけど
                                ひたすら家に篭っていた時期もあった(一人暮らしの頃)。

                                だから“青い嵐=行動力”では決してないんだよね。


                                ねこのように寝るときはひたすら寝ることもできるし
                                でも「ここ!!」って時に爆発的な行動力も発揮できる。




                                もちろんほかの性質との兼ね合いもあるので
                                “青い嵐=行動力ではない”というわけではないのだけど

                                もし私のように、ほかの占いで行動力の性質がなくて
                                それでもひたすら動き続けてるとしたら

                                それって自然な姿ではなくて
                                ストレス発散の可能性が大。

                                何かから逃げるための行動だったり
                                何かを発散するために動いているだけだったり。




                                だから過去の私がやたら外出していたのも、今冷静に考えるとそれ
                                居心地の良くない家にいたくないっていうただの逃げからだった。

                                本当は今日は家でゆっくりしたいなって思ってた日も全然あった。

                                でも家と向き合うのが怖くて
                                家族とできるだけ関わりたくなくて
                                そこからひたすら逃げてたんだ。


                                本当は動き続けることに疲れる日もあるよね。

                                本当はゆっくり休みたい日も
                                本当はたくさんあったよね。




                                それをしたらいいんだよね。

                                休む時にしっかり休まないと
                                その一瞬の輝きすら失せてしまうから。




                                いっぱい休んでも大丈夫。

                                動くべき時にはちゃんと本能が教えてくれる。
                                ねこがそうであるように。

                                その一瞬にすべてを賭けて。




                                そんなたった一瞬の動きでも嵐を起こせるほどのパワーが
                                あなたにはあるんだから。





                                ***
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                                2022/05/09

                                雨。

                                植物を見ていると

                                “恵みの雨”という言葉を実感する。

                                生き生きして、潤って
                                なんだかとっても気持ち良さそう。





                                私は小さい頃から雨が好きでした。

                                顕在的に『雨が好き♪』と自覚していたわけではないし
                                雨が降ることを望んでいたわけでもないのだけど。

                                ただ、雨が降るとホッとした。

                                癒されるっていうのかな。





                                中高生くらいになると自ら雨に癒されに行くようになった。

                                悲しい時とか疲れた時。
                                わざわざ雨に降られに庭に出たりした。



                                真夜中に部屋の窓から抜け出して、一人庭で雨に降られてたなんて

                                行動だけ見るとだいぶ痛いけど、


                                マヤ暦を学んだらその理由に気付いた。





                                私の紋章のひとつである“赤い龍”。
                                龍は水に浄化される。


                                だから私は海が好きだし、温泉が好きだし
                                だから雨も好きだったんだなぁ。


                                潜在的に雨に癒されることを知ってた。

                                魂ってすごいよね。











                                ***

                                各種占いはこちらをご覧下さい。

                                オンラインでのセッションも行っております。



                                【赤い龍】恵みの雨
                                【赤い龍】恵みの雨
                                【青い嵐】動員力が発揮されるとき
                                2022/04/18

                                今回、自治会での一連を通して

                                初めて自分の青い嵐の動員力を実感した。

                                ※詳しくはブログ→占い師の物語→【名乗るのが先】をめちゃくちゃ実感した話をご覧下さい。



                                「どうせ副区長になるなら、できる限りの改革をしたい!」と

                                子ども会ママたちに熱いLINEを送ると、

                                私が送ったのと同じような熱量で

                                「応援するよ!!」というありがたい言葉を次々にもらった。


                                地域の声をすぐに聞かせてくれたり

                                過去の総会資料をすぐに調べてくれた人もいた。



                                驚いた。

                                だって「伝説の区長になるから!!✨」なんていう私の馬鹿げた発言に

                                これだけの人がエールを送ってくれるなんて夢にも思わなかったから。





                                …と、友達に話したら


                                「だから前から(動員力)あるってずっと言ってたじゃん笑」

                                と半ば呆れ気味に言われたけれど


                                でも私がそれを実感できたのは

                                今回がほんとに初めてだったんだ。










                                青い嵐の影響力、動員力…


                                それが本当にあるならば

                                なぜ今私は“こう”なんだろうとずっと歯痒く思っていた。



                                フォロワーも増えない

                                売上も伸びない。


                                影響力や動員力があるなら

                                もっと売れたっていいのに、と。



                                なんでこんなに広がらないのか、なんでこんなにも変わらないのか

                                ずっと分からなくて悔しかった。





                                だけど今回初めてそれを実感できて

                                その理由がわかったの。



                                それは、

                                自分が開いた分だけ動員力は発揮されるんだということ。


                                心を開くっていうのかな。





                                今回地域のママたちに全く抵抗なく

                                自分の思いをそのまま伝えられた。


                                動員力を感じられたのはその後のこと。



                                自分がどれだけ世界に対して開けているかで

                                嵐の大きさもそりゃ変わる。


                                コソコソしながら半端な熱で

                                起せる嵐なんてたかが知れてたんだ。





                                身近な友達が

                                「だから前から(動員力)あるってずっと言ってたじゃん笑」

                                と言ってくれたのは

                                友達に対しては開けていたから。


                                もっと多くを巻き込みたいなら

                                まずはもっと自分が開かないとね。







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                                【青い嵐】動員力が発揮されるとき
                                【青い嵐】動員力が発揮されるとき
                                【銀河の音7・マヤ暦】永遠に「自分」という神秘を探し求める
                                2022/11/29

                                音7を持ってる人は、どこか不思議でミステリアス。

                                他人から見てもそうだけど、実は自分でも自分のことをよくわかってなかったりする。




                                音1から音13まである銀河の音のなかで、足して「14」になる音同士は「補完関係」にある。

                                例えば音1と音13、音4と音10というように。


                                補完関係っていうのはピッチャーとキャッチャー、ボケとツッコミのようなもの。

                                別に1人で投げることもボケることもできるけど、それじゃ投げっぱなし、ボケっぱなしになってしまう。


                                相手が受け取ってくれるから思いっきり投げることができるし、相手がツッコミを入れてくれるからそのボケが笑いとなる。




                                つまり相手がいることで輝くということ。


                                音1が立ち上げて、音13が仕上げるとか。

                                音4が出したアイディアを、音10が形にするとか。




                                ところが音7の補完関係ってどうだろう?

                                13ある音の真ん中に位置する音7だけは、補完関係の相手が「自分」になってしまう。


                                自己完結型といえば聞こえはいいかもしれないけど、自分でしか自分を補えないって思った以上に迷走する。

                                自分の外にその相手がいないとなると、自分の中に意識を向けて注意深く観察するほかない。


                                それが言葉以上にどんなに難しいことか。





                                ずっと外に意識を向けて生きてきた私たちは、自分以外の「誰か」を観察する方がずっとずっと得意なんだ。

                                自分の内側に意識を向けようとしても、次の瞬間にはすぐ外を向いてしまう。


                                自分自身を抱きしめるより目の前の誰かと抱き合う方が簡単だし、自分に優しくするよりも、ずっと他人に優しくしようとしてきたよね。




                                補完関係も同じこと。


                                「誰か」がこの球を受け取ってくれた方がラクだし、「誰か」がこのボケを生かしてくれる方がいい。

                                それを自分1人でやらなきゃいけない。





                                このピースにハマるピースはいくら外を探しても見つからない。

                                自分の中を探し続ける以外に見つける方法はないんだ。





                                自分の中ってまるで深海のよう。

                                地球の外(宇宙)に行った人よりも、地球の中(深海)に行った人の方が少ないんだとか。


                                深海って宇宙以上に未知なんだと思う。





                                だから音7の人の能力は「神秘の力」。

                                自分の中にもう1つのピースを見つけるしかない音7は、否応無しに「自分」という神秘と対峙する。


                                どれだけ潜っても掴めない。

                                どれだけ潜ってもただ暗いまま。


                                だから神秘的なものに強く興味を抱くのだと思う。




                                音7に占い好きが多いのもそう。


                                自分という神秘のカケラを見つけたくて、そのヒントになりそうな占いや、それを映すミステリアスなものに惹かれる。


                                まるで永遠に「自分探し」をするように。



                                私も音7ですが、音7の人が占い師になるのはきっと他人のためではなかったはず。

                                何よりも「自分自身」を知りたくて、占いに出会って、そこに映る自分のカケラに感動した。



                                そんな音7の終わらない自分探しのために、神は鋭い五感と六感を授けた。

                                暗く深い深海の中で、それが光となるように。







                                ***
                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。
                                マヤ暦でもっと自分について知りたい方はこちら
                                【銀河の音7・マヤ暦】永遠に「自分」という神秘を探し求める
                                【銀河の音7・マヤ暦】永遠に「自分」という神秘を探し求める
                                【マヤ暦・チャクラ】抱きやすい劣等感とカルマ
                                2022/04/20

                                今日はマヤ暦のチャクラについて。

                                ご自身のチャクラを思い浮かべながら、ぜひ読んでみて下さい。

                                ※わからない方は「自分を知る」のページから調べることができます





                                チャクラはその人の生きる方向性を表します。



                                紋章によって


                                0系・・・黄色い太陽、赤い蛇、白い犬、青い鷲

                                1系・・・赤い龍、白い世界の橋渡し、青い猿、黄色い戦士

                                2系・・・白い風、青い手、黄色い人、赤い地球

                                3系・・・青い夜、黄色い星、赤い空歩く人、白い鏡

                                4系・・・黄色い種、赤い月、白い魔法使い、青い嵐


                                と5つのチャクラに分かれ、それぞれ





                                0系・・・頭頂、脳下垂体

                                1系・・・喉

                                2系・・・ハート、心臓

                                3系・・・丹田

                                4系・・・ルート(脊髄の基底部)


                                に位置しています。


                                そこからその人の生き方の方向性を

                                見ることができるのですが……





                                私の場合、4系のチャクラを2つと

                                3系、1系のチャクラを1つずつ持っているのですが


                                初めてマヤ暦で自分のチャクラを知ったとき

                                自分に0系のチャクラがなかったことが

                                ものすごく意外だったのです。





                                0系って頭頂に位置していることからもわかるように、

                                直感やインスピレーションのチャクラでもあって。


                                私は自分で直感は鋭い方だと思っていたし

                                周りからもそういうイメージが強かったので


                                なのに0系のチャクラがないなんて

                                一体どういうことなんだろう?と不思議に思ったのです。





                                しかし0系チャクラはないものの

                                紋章や銀河の音を見るとやはり

                                “直感”や“インスピレーション”

                                といったキーワードがたくさん出てきて。


                                紋章や音では直感力があることになってるのに

                                なぜチャクラでは違うのか?

                                そこに強い疑問を抱きました。



                                子宮メソッド式マヤ暦の探究を通して

                                自分的に納得のいく解釈を見つけようと思ったのです。





                                その結果、チャクラはやはり“生きる方向性”なのだというところに辿り着きました。

                                その人の能力の有る無しを測るものではないのだと。


                                0系がないからといって優れた直感力や

                                インスピレーションがないというわけではなく、


                                ただ生きる方向性として考えた時に、

                                『頭を使う仕事ではないよ』

                                ということだと思ったのです。

                                (0系は頭を使う仕事に向いている)





                                私はそれまでずっと

                                自分は頭を使う仕事に向いてると思っていました。


                                別に好きではなかったけれど

                                やればできることだった。


                                まわり(特に親)にそういう役所を期待されることも多く、

                                自分はきっと“そう”なんだろうと、勝手に思い込んでいたのです。





                                でも私は本当は、

                                頭を使う仕事なんて好きでもなんでもなかった。


                                やればそれなりには出来たけれど

                                本当はものすごくストレスも疲れも感じていた。


                                出来れば本当はやりたくなかった。



                                それがこのチャクラの解釈のおかげで

                                なんだかすごく楽になったのです。


                                あぁ無理にやらなくても良かったのだと、

                                ないものを求められていたからずっとこんなに辛かったのだと。





                                私的に、5つのチャクラの生き方の方向性を一言で表すとしたら、


                                0系・・・知性

                                1系・・・人脈

                                2系・・・愛

                                3系・・・お金

                                4系・・・没頭


                                という感じ。





                                0系の人は、

                                頭を使う仕事に向いているし


                                1系の人は、

                                人の中で自己がどんどん広がっていく。


                                2系の人は、

                                愛や愛する存在が指針となるし


                                3系の人は、

                                どうやっても金力があるのだから

                                その出方と入り方がポイントになるよね。


                                4系の人は、

                                自分が「これだ!」と思えるものに

                                ひたすら没頭することで物事をどんどん拡大。





                                それと同時に

                                “生き方の方向性”ということはそれだけ

                                劣等感を抱きやすいということでもあって。



                                例えば


                                0系の人は、

                                本来直感やインスピレーションに優れているにも関わらず、

                                思考の声が大きくてそこに委ねることがなかなか出来なかったり



                                1系の人は、

                                人の中で生きていくからこそ

                                人間関係の中での悩みも抱えやすい。

                                自分にはコミュ力がないと思っていたり。


                                1系は他に

                                “チャレンジ”というキーワードもあるので

                                なかなか行動できない自分を責めてしまうこともあるかも。



                                2系の人は、

                                愛されたいと思うが故に

                                “愛される自分”を演じてしまったり、

                                優しく思いやりに溢れるからこそ

                                繊細できっと傷付きやすいよね。


                                息子が幼稚園に通っていた頃、

                                ある女の子が「ママがいない」って

                                泣き出しちゃったことがあったんだけど。


                                ママがその子の隣に戻ってきても

                                もうスイッチ入っちゃってずっと泣いてて。


                                “悲しい”“寂しい”の声が思考や現実をも

                                超越しちゃうんだなって思った。


                                そういう子ってきっと

                                2系が多い子なんじゃないかなと思ったり。



                                3系の人は、

                                金力があるからこそ

                                自分の状態がもろに“お金”に反映されて

                                ないことに悩む人生も経験するのかな。



                                4系の人は、

                                “没頭する”性質だからこそ

                                スランプに陥った時もそれが長引きやすかったり。


                                どうやっても拡大、拡張してしまう人だから

                                噂話や陰口の対象になったり

                                そしたら孤独も感じやすいよね。





                                …で、私は半分が4系のチャクラ、

                                残り4分の1ずつ1系と3系のチャクラなので

                                これを“生き方”として言語化すると


                                自分の為に生きることで

                                金脈も人脈も大きく巡る

                                ってこと。



                                4系の“没頭する”って要は

                                “自分に集中する”ってことだと思う。


                                だって自分が「これ!」と思ったものに

                                没頭するわけだから。



                                逆に人の為の何かに没頭できるほど

                                人間器用にはできてない。



                                自分に集中すればするほどに

                                金脈も人脈もすくすくと発達して。


                                そしてどうしても“拡大”してしまう人だから

                                自分の為に発達した金脈や人脈も

                                結果人の為になってしまう。



                                …というか社会の中で生きてる以上、

                                “自分の為だけ”で終われるはずがない。





                                これがもし逆で、


                                自分を抑えて我慢を強いて、不安や不満から、

                                少しでも安心できそうな何かを作る為にそのエネルギーを注いでしまうと


                                私の金脈と人脈はこじれた形で

                                発達していってしまう。



                                その金力は収入ではなく

                                負債として広がっていくのかもしれないし、


                                例え収入があるように見えても貯金に必死になって、

                                失う怖さから守ることに必死になっているうちに

                                結局幸せは感じられないのかもしれない。



                                人脈も、顔は広い割りに

                                親友と呼べるような人は誰一人いなかったり。





                                だから私は今自分に没頭する生き方で

                                それを実験しているのです。


                                本当に自分に夢中になることで

                                本当に人生は気持ちよく拡大していくのか。


                                自分でそういう解釈を導いた以上

                                自分自身に証明してあげたい。


                                あなたの解読通りにやってみたら

                                こんな景色が見られたよって。



                                他の誰でもない、誰よりも自分自身に可能性を見せるために

                                今日も自分の占いをエールに頑張ります♪





                                チャクラについてもっと詳しく知りたい方は

                                ブログからマヤ暦の記事をご覧になるか、

                                各種鑑定をご利用下さい。


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                                【マヤ暦・チャクラ】抱きやすい劣等感とカルマ
                                【マヤ暦・チャクラ】抱きやすい劣等感とカルマ
                                「私」から「私たち」へ
                                2022/11/03

                                「ありえないほどの夢」というのは存在する。

                                2021年5月。
                                私はそれと出会った。

                                きっかけはインスタで見かけたある1枚の写真。
                                馬のそばで幸せそうに微笑む女性の姿。

                                気になってタップすると、それは紗栄子さんのものだった。




                                「なんで紗栄子さんと馬?」

                                不思議に思い調べてみると、どうやら彼女が今牧場を運営していて、写真はその牧場で撮られたものだということがわかった。

                                牧場のために立ち上げた彼女のクラウドファンディングのページも見つけた。
                                牧場の運営に携わるまでの経緯、それにかける思い。

                                心が震えてしょうがない。
                                ずっと見つけたかった「何か」を見つけたような感動で、私は涙が止まらなかった。








                                乗馬と出会ったのは2017年の夏。
                                息子と訪れた体験乗馬がきっかけだった。

                                小学校から持ち帰ってきた乗馬体験のチラシ。

                                「本物の馬に乗れるの?」

                                動物好きな息子ならきっと喜ぶと思い、まさかそこが乗馬クラブとも知らずに予約した。




                                そして運命のあの日、初めて間近で見る馬の目の美しさに、「乗馬」という感動的な体験に、すっかり馬の虜になった私たち。
                                その日の朝まで乗馬の「じょ」の字もなかったような私が、まさか馬の世界に足を踏み入れることになるなんて。

                                乗馬を今後続けていけるだけの金銭的な当ても目処も何もなかったけれど、「この場所が私の日常になったらいい」その思いだけで、思い切って入会を決めた。

                                入会後はどんどん乗馬にのめり込んでいき、「自分らしく生きる」「好きなことで生きていく」という概念の下、どうにかこの「乗馬を好き」という気持ちだけで生きていくことは出来ないかと日々模索した。

                                馬術のプロフェッショナルになることを考えたり、スポンサーがつくほど大会で結果を残す道も考えた。
                                または他の好きなことを仕事にし、好きなだけ乗馬ができるだけの金銭を得ることも。


                                そんなある日、息子が新馬調教をすることになったのをきっかけに、「馬に乗る」以外にも幸せな道があることを知った。

                                馬と深い絆を結ぶこと———

                                馬のお世話をすることがこんなにも幸せなことを、たった一頭を大切にすることがこんなにも気持ちを満たしてくれることを知った私は、いつかこの愛馬が引退する時に、引き取れるような自分になりたいと願った。



                                ところで同じ頃、私はとある縁で、クラブを引退した馬の老後の生活の支援をさせてもらえることになった。
                                場所は九州にある牧場で、そこで引退後の生活をするその馬のスポンサーになることに。

                                毎月牧場から送られてくる手紙を見ては、そこで悠々自適に過ごす馬の姿にほっこりとした。

                                いつか愛馬を引き取りたいと思っていたけれど、自宅の庭などで暮らすより、牧場などの広大な土地で暮らす方が馬にとっては幸せなのかもしれない。

                                だけど当時の私には、引退後の愛馬を牧場で過ごさせる方法は「牧場に預ける」以外に思いつかず。
                                もし牧場に預けた愛馬と共に過ごしたいのなら、その牧場で働くか、いつでも会いにいけるところで生活をする以外に方法はないと思っていた。


                                なのに、それがまさか「牧場を運営する」なんていう道があるなんて———



                                もちろんそれが簡単でないことはわかっていた。
                                紗栄子さんだからできたのかもしれない。タレントだから、有名人だから……

                                紗栄子さんだからできた理由も、私ではできない理由も、挙げようと思えばいくつだって挙げることができる。

                                だけど私には「大きな夢を望む許可」があった。
                                そのありえないような遠い夢を、望んだり口にしたりすることに一切の抵抗がなかったんだ。

                                ビッグマウスは得意中の得意。
                                「叶わなかったら恥ずかしい」も特にない。

                                そんないつかの恥よりも、こんなにも心震える夢と出逢えた今の幸せの方がはるかに勝る。






                                2022年9月14日。

                                その日は久しぶりに仲間が全員集合する日で、相変わらずの私の思いつきにより「そうだ!それぞれの夢の前祝いをしよう!!」という話になった。

                                私が前祝いしたいのはもちろん牧場の夢。

                                自分の牧場がついにオープンする未来の体感を、前祝いをすることで、先に思いっきり味わってみたい。



                                「自分の牧場がオープンする」未来の自分。
                                「オープンおめでとう✨」と祝われるその日は、当然牧場名も決まっているだろう。

                                望みが現実になるその体感を先に味わうための前祝い。
                                であるならば、その至福の感覚をできるだけリアルに味わうためにも、前祝いまでに牧場名を決めておきたい。



                                自然、ジャッジのない世界、ありのままの自分で安心して存在できる場所———

                                牧場という場所を通して創造したい社会に———世界に———思いを馳せその名を決めた。

                                「** Retreat Farm」

                                「Retreat(リトリート)」には「戻る」や「隠れ家」などの意味がある。
                                自分の内側の安心できる場所(隠れ家)にいつでも戻れる場所になるように。そんな思いを込めてつけた名前。

                                「**」にはいつかのその牧場が立地する地名を入れようと考えていて。
                                だけど私の頭の中にはすでに明確な地名が存在している。

                                縁もゆかりもなければ一度も訪れたことさえないその土地は、どんな環境でどのくらいの広さで、どれだけの人が住んでいるのかも何もわからないけれど、ただ「ここなんじゃないか」という根拠のない「何か」を強く感じている私は、そのワクワクする気持ちだけで地名を入れたロゴのようなものまで作った。




                                牧場では引退馬や保護猫、保護犬をたくさん受け入れたいと当初考えていたけれど、次第に「障害や疾患のある子」を出来るだけ積極的に受け入れたいと望むようになった。

                                そしてフロントなどの隣にログハウスを建てて、1階をカフェやショップ、2階にスタッフの休憩場所や社員寮を作りたいという明確なビジョンまでもがすでに頭の中に広がっている。

                                それは「最悪うちで働けばいいじゃん」が言えるように。
                                仲間が自分の人生を思いっきり生きようとする時に、人生で大きな一歩を踏み出そうとする時に、その結果、失敗して全てを失う未来の妄想に怖くなってしまっても「大丈夫、そしたら私が養うから」が言えるようになりたい。
                                その不安を少しでも和らげる存在になりたい。
                                人生における大切なその一歩を踏み出すための、拠り所になれたら嬉しい。



                                牧場も「単に牧場」というよりは、ホースセラピーのような場所にしたいと考えていて。
                                それは「馬の贈りもの」というテレビ番組で見た、アメリカのとある学校がきっかけ。
                                そこはホースセラピーを取り入れている学校で、精神的なさまざまな理由で学校に通えなくなってしまった子どもたちが、馬との触れ合いを通じて笑顔を取り戻していく様子が心に残った。

                                私も私なりの形でそれを実現してみたい。
                                既存の学校や社会に生きづらさを感じている子どもたちや、そんな我が子を案じ、悩み、不安でいっぱいになってしまっているお母さんたち。
                                既存のものにもし上手く適合できないのなら、適合する必要のない場所で大きく息が吸えたらいい。






                                「牧場の運営」という夢を抱いた2021年の5月。

                                当時の私の立ち位置からはそれはあまりにも遠い夢で、「どうやったら叶うのか」なんて、その方法も可能性もわかるはずもない。

                                今もそれは変わらないけれど、それでも得意のビッグマウスを続けてきた結果、
                                ・保護犬のお世話をしてくれる人
                                ・馬運車のドライバー
                                ・ファームの商品デザインやHPをお願いするデザイナー
                                ・短期で時々手伝ってくれる人
                                が見つかって、最近さらに
                                ・ロゴハウスの設計士
                                との出会いがあった。

                                設計をお願いするであろうその人は児童福祉に元々関心のあった人で、「いつか児童福祉施設を作ろう」とその人がイメージしていた場所が、なんと私の頭の中の牧場のすぐ隣だった。

                                今はその施設に隣接する形で牧場を作って、施設のカリキュラムにホースセラピーを取り入れたいねという話になっている。

                                生きづらさを感じている子どもたちやそのお母さんたちにとって、「隠れ家」のような心地の良い場所にしたいという私の望みが、また別の望みと交差してより具体的な望みにアップデートされた。

                                私の「好き」や「夢」が
                                誰かの「好き」や「夢」と絡んで
                                私たちみんなの「夢」になっていく。

                                今もまだ遠い夢であることには変わりないし、物質的に夢に近付いたわけでは決してないけれど、ただ私のイメージや内側では確実にその夢は拡大し大きく成長し始めている。



                                「すべてのものは2度作られる」
                                まずは知的に、それから物的に。

                                知的な創造ができなければ、それが具現化されることはない。
                                だけどもし知的な創造が、より具体的になっていくのなら、それが物的に創造される可能性は十分にある。

                                ほんの1ヶ月半前まで、もっとぼんやりとしたものでしかなかった私の夢が、前祝いをきっかけに、名前を決めたことをきっかけに、知的な創造を拡げることになった。

                                「ちゃんと決めて望む」ってとってもパワフルなこと。
                                賢く諦める人生より、馬鹿でもいい。真っ直ぐに望みに手を伸ばし続けていきたい。




                                ***

                                埼玉県坂戸市の占い師です。

                                プロフィールはこちら

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                                【願いは叶う】沖縄の海でダイビングをしてきました!!✨
                                2022/08/27

                                こんにちは。yuuです。

                                沖縄から帰ってきました♪



                                今回で沖縄は2度目なのですが、前回4月に行ったばかりだったので「別の土地に来た感」があまりなかったというか。

                                埼玉とは全然違うはずの沖縄の景色が自分の中であまり違和感なく感じられていることに、「まさか自分の人生で沖縄がこんなに身近に感じられる日が来るなんて…」と感慨深い気持ちになりました。


                                沖縄は私にとって憧れの地の一つで、だけど山形出身の私に沖縄はすごく遠く感じられていました。

                                「いつか綺麗な沖縄の海を見たい」と思っていたけれど、その「いつか」は私の中で夢でしかなかったのです。



                                そしてその夢でしかなかったはずの沖縄に、まさか「ダイビング」を目的に行く日が来るなんて…!!

                                「ダイビングをしたい♪」と思ってはいたけれど、それは私にとって全くリアリティのない、夢のまた夢でしかありませんでした。

                                ダイビングなんて素晴らしい体験ができる人はきっと一部の特別な人だけで、それは私とは住む世界の全く違う人たちだと思っていたのです。



                                リアリティがなさすぎて「どうやったら叶えられるか」すらも考えたことはありませんでした。

                                ただ「いつかダイビングができたらいいなー♪」とまるで七夕の短冊に書くように、その願いだけ放っていたのです。







                                沖縄の海でのダイビングは想像を超えた素晴らしいものでした。

                                たくさんのウミガメに出会えたり、ツンツンとつついてくる魚もいたり、前回ちゅら海水族館でみた色とりどりの綺麗なお魚たちとも海の中で共に過ごすことができました。

                                これまで写真でしか見たことのない美しい景色を、その景色の中でこの目で見ることができたのです。

                                筆舌に尽くし難いほどの感動に、「なんでこんなことが自分の人生で起こっているんだろう」と信じられない気持ちにもなりました。


                                そして実感したのです。

                                「あぁ本当に願いは叶うんだ」と。







                                もちろん叶わなかった願いもたくさんありますが、それらは「叶え方」を自分の頭で考えたものばかりでした。


                                いつか見た「引き寄せの法則」のDVDで、「望みは、カタログから好きな商品を選ぶように、ただオーダーすればいい」というようなことが語られていたのですが、当時私は半信半疑で、そしてDVDのようには叶わない現実に肩を落とし続けていました。


                                願うと同時に「その叶え方」を頭の中で考えてしまっていたからです。



                                例えばもしネットで何かお買い物をしたとして、それが本当に届くかどうかを心配したり不安になったりすることは通常ありませんよね。

                                「カタログから好きな商品を選ぶように、ただオーダーすればいい」というのは、そういうことです。

                                願いを放ったのなら、それが叶うのを疑わずただ待てばいいということ。


                                だけど当時まだ半信半疑だった私は、願うと同時に「どうやったらそれが叶うか」を頭の中で考えてしまっていました。

                                考えれば考えるほど自分には無理なような気がしてきて、結果それらは形になりませんでした。


                                今思えば当然ですよね。

                                自分では願ったつもりが、実際にオーダーしたのは「叶うわけない」という思いだったのだから。





                                一方で「いつか沖縄の綺麗な海を見たい」や「ダイビングをしたい」という願いは、私にとってあまりにも現実味のない願いだったので、だからその「叶え方」を考えたことがありませんでした。


                                「どうやったら叶えられるか」をいくら考えたところで、そのアイディアすら浮かびそうにありません。

                                それほど当時の私の立ち位置からは、あまりにも遠い夢に感じられていたのです。


                                だけど不思議なことに、そんな「あまりにも遠い夢」ほど現実になっていくのです。



                                今住んでいる家も、今乗っている車も、いつか「あんな家に住みたいなー♪」「こんな車に乗りたいなー♪」と妄想してはワクワクしていたものでした。


                                占い師になることも

                                占い師として雑誌に載ることも


                                レッドブルのエアレースを見に行くことも

                                レッチリのライブを見に行くことも


                                シングルマザーになる夢も

                                幸せな離婚をすることも


                                すべてが叶うまでは「夢物語」でしかなかったものばかりです。



                                「叶え方」を考えた願いは未だに思うような現実になっていませんが、考えなかった願いはいつの間にかこんなにも叶っていました。

                                遠い夢のまた夢でしかなかった願いが、いつの間にか私の現実になっていたのです。



                                どの「叶い方」を見ても、願った当時の私が思いつくような方法は一つもありません。

                                今の私に想像できる方法なんて、本当に限られたちっぽけな思考から絞り出したものでしかなくて、本当は思考の及ばないところに可能性はいくらでもあったのです。

                                その考えも及ばないようなシナリオを、人は「運」と呼んだのかなと思います。





                                見えない流れに身を委ねた私の人生が、一体どこに辿り着くのかはわからないけれど、それでも「本来人は幸せにしかなれないんだ」ということは信じられるようになってきました。

                                幸せに向かっていることがわかるから、それがどんな流れだとしても安心して乗ることができる。


                                行きたい先は願いを放って、あとはドラクエみたいにそのシナリオを楽しんだらいい。



                                また沖縄に行ける日を楽しみにしたいと思います✨





                                ***

                                埼玉県坂戸市の占い師です。

                                プロフィールはこちら

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                                実家に帰省していました。
                                2022/08/18

                                こんにちは。

                                一昨日まで3泊4日で、実家に帰省していました。


                                「家は継がない」と決めた私ではありますが、

                                ※詳しくは「ブログ」→「家族」→「【家継ぎの呪いから解放へ】継がなきゃいけない家は天皇家だけ」をご覧ください。

                                両親の元気そうな顔も見れたし、今回は妹家族も帰省していたので姪っ子甥っ子の可愛さに癒されたりと、なんだかんだ家族で過ごす時間の幸せを目一杯堪能してきました。


                                というより逆に、自分の人生と実家を気持ちの中で切り離すことができたからこそ、味わえた幸せもあったのかなと思います。

                                精神的に自立できたというか。


                                実家や家族のせいにすることなく、自分の意志で選択で人生を歩めるようにやっとなってきたことで、まだどこかに残っていた「いい子でいよう」とする自分から卒業することができたのかもしれません。





                                地元コンプレックスだったこともあったけど、今は自然豊かな素晴らしい土地に生まれたことを誇りに思うし、過疎化や厳しい自然環境の中で、それぞれが一生懸命生きていることもわかりました。

                                私が私の意志で人生を歩もうとしているように、それぞれ各々の価値観や意志があって、それを否定する必要はないんですよね。



                                父に対する苦手意識も未だ残ってはいるけれど、でも「過去のもの」という感じで大分整理できてきたような気もします。


                                気持ちは相変わらず強気だとしても、やっぱり「年老いたな」と感じる場面もちょこちょこあって。

                                あと多分今回初めて、「勉強」についてうるさく言われませんでした。


                                自分が勉強のことで散々父に怒られて育ったので、父が息子に勉強の話をしたり、そのことで時に怒ったりしているのを見ると、過去の嫌な記憶と重なって毎回ものすごく嫌な気持ちになっていたのですが、

                                私と息子は別の人間だし、それが嫌かどうかは息子本人が決めればいいんですよね。

                                …と今回帰省する前やっと「過去の自分の感情」と「今の息子の体験」を分けて考えることができたのです。


                                「だから」というわけではないけれど、今回初めてその嫌な光景を見ることがなかった上に、父が息子にこう言ったんですよね。

                                「まぁ(息子)くんは、勉強より行動派だからな」と。


                                父は勉強がとても好きな人なので、あまり勉強が好きではない息子の態度に機嫌を悪くすることがこれまで度々あったのだけど、今回初めて息子の好みを尊重してくれたというか。息子を勉強だけで評価しなかったというか。

                                とにかく私にはものすごく大きな変化に見えて、「他人を変えようとしなくても、自分の意志で世界は優しくなっていくんだ」ということを実感した出来事でした。





                                帰りは姪っ子ちゃんが寂しがって泣いてしまって、私も思わずもらい泣きだったけど、また会いたいと思ったし、これからは家族LINEも既読スルーしないで読んだりこちらの近況も送ったりしようと思いました。

                                「家族を毛嫌いしなくてもいいんだな」って。そんな風に思えた今回の帰省。



                                さて、明日からは沖縄です♪

                                春にライセンスを取得して以来のダイビングなので若干緊張ですが、楽しんでこようと思います。





                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                実家に帰省していました。
                                実家に帰省していました。
                                時代を超えて、欲しがったもの
                                2022/07/24

                                2020年12月17日

                                假屋舞ちゃんのソウルマテリアルリーディングを受けました。


                                ソウルマテリアルリーディングとは、今世の自分にもっとも影響を与えている前世を視ることで、今世の能力を開く鍵を見つけるというもの。



                                「前世が視える」ということにも憧れたし、占い師としての舞ちゃんにも憧れていた私は、

                                単純に舞ちゃんのリーディングを受けたいという思いと、このリーディングが何かが開くきっかけになれば…という思いから、ソウルマテリアルリーディングに申し込んだのでした。










                                ***


                                舞ちゃんが視た

                                私の前世の舞台は日本で。


                                私はどこかの神社の

                                巫女だったそう。





                                彼女は2人の人を見ていて

                                1人は自分より位の高い巫女、

                                そしてもう1人は神官だった。





                                彼女には野心があった。


                                もっと、もっと!

                                もっと上の仕事がしたい!

                                という強い野心が。





                                そこはかなり大きな神社だったので

                                巫女もそれ相応の数がいた。


                                そしてそれぞれが完全に

                                役割分担をされていて、


                                彼女は参拝者が落とした願いを

                                拾って分ける役割だった。





                                彼女にはそういう力があった。


                                そして彼女が整理した願いを渡した

                                次の人か、そのさらに次の人が

                                実際に神様に願いを届けていた。










                                彼女には両親がいなかった。


                                幼い頃に両親を失い

                                この神社に引き取られることとなった。





                                彼女は懸命に神事に務めた。


                                一生懸命働くことで

                                誰かに認めてもらいたかったから。





                                それは幼い子どもが

                                お父さんやお母さんに

                                優しく褒めてもらうことを願うように。



                                自分を認めて欲しかった。

                                「頑張ったね」と言って欲しかった。


                                自分が愛されているという安心感が

                                ただ欲しいだけだった。





                                もっともっとというその野心も

                                その承認欲求からくるものだった。





                                大きな神社で集団の中で

                                自分が欲しい言葉をもらうには


                                もっと仕事で認められることが

                                もっと高い能力を発揮することが

                                必要なのだと思っていた。





                                だけど

                                さらに上位の役割を得ることは

                                そんな簡単なことでもない。


                                決まり切った自分の役割と

                                同じ仕事をくり返す日々への

                                どうしようもないつまらなさと


                                そして


                                なかなか欲しいものがもらえない寂しさが

                                彼女の強いカルマとして残る———


                                ***





                                舞ちゃんから聞いた過去の私の物語は、過去のものなのか今のものなのか区別がつかなくなるほど、これまでの私の人生とまるで同じものでした。

                                私は巫女でもなければ、両親も健在だけど、

                                ただ彼女がその人生で感じていた「思い」が、私のそれとまるで同じだったのです。


                                野心

                                突き抜けたいという思い

                                他人の能力への嫉妬

                                根底にずっとある寂しさ……





                                父は私を叱ってばかりいて、褒められることはまずありませんでした。

                                母は優しかったけれど、それでも父と同じように、私より妹を可愛がっているように見えてしまう。





                                成績も私の方がよかったし、聞き分けも私の方がよかったのに……


                                妹は5教科の成績がよくなくても、図工や体育で褒められるのを見てきました。

                                私だって音楽も体育も得意だったのに、なんで認めてもらえないんだろう……





                                頭だってけっこうよかった。

                                いや、むしろだいぶよかった。


                                九九の暗記テストを合格したのも、なわとびの二重跳びができたのも、いつも私が学年で一番でした。


                                なのになんでこんなに叱られるのか…







                                集団生活という中で、

                                より目立つことで、より上にいくことで、認めてもらえると信じて頑張っていた前世の私。

                                だけど頑張っても頑張っても、大勢のなかで自分だけ存分に褒められるということもなく、彼女の思いは満たさることはなかったはず…


                                …なのになぜ今世の私も現代の日本で、わざわざあんなど田舎を選んで生まれてきたのか。





                                だって田舎ってものすごく狭い社会なのです。

                                みんな近所の目を気にして生きています。


                                「近所に笑われる」それが祖母の口癖で、田舎で目立つということは後ろ指を差されることでした。



                                そんな狭い社会の中で、評判の良くない家に生まれた私。

                                むかし村長だったという無駄なプライドから、

                                この現代の日本で、まだ昔の身分を引きずって威張り散らしているような家です。


                                私は「齋藤家の子ども」というだけで、地域の人たちにあまり良く思われず、

                                父を嫌いな大人が私にまで軽蔑するような目を向けてくる。


                                悲しい。

                                私、何かしたのかな…





                                親にも認められず、いつも叱られてばかりで。

                                叱られないように頑張って、どんなに頑張っても叱られて。


                                近所の人には嫌われて。

                                こんな狭い社会のなかで、みんな近所の目ばかり気にして生きている。





                                悔しかった。

                                とにかく悔しかった。


                                コンコンと雪が降り積もるように、怒りが私のなかで大きくなっていく。





                                悔しい。

                                私、絶対すごいはずなのに。


                                なぜ誰もそれに気付かないのか。

                                なぜいつまでもこんな人生なのか。


                                現実が私に追いつかない。





                                そうやってずっと生きてきたのです。

                                実家を離れても結婚しても社会でも、根底の承認欲求を持て余したまま。





                                だけど舞ちゃんが言ってくれたのです。

                                「私のなかでまだ拗ねているその女の子を褒めてあげて」と。





                                ただただ愛されたいだけだったのに

                                それが叶わず拗ねてひねくれて、怒りを伴って私に残っている。





                                狭い社会、神道の家系…

                                まるで過去のトラウマをもう一度体験するかのように、周到に環境を選んで生まれてきた私。


                                同じ思いをしたいわけじゃない。

                                わざわざもう一度生まれてまで、同じ思いをしたいわけじゃないのに。


                                同じ思いを繰り返すのはただただ本当は癒されたいから。





                                「仕事や能力云々の前にまずはそこだね」と舞ちゃんに言われた私は

                                「そんなことをしてしまったら人生がつまらなくなる」と咄嗟に思いました。





                                ずっと勝つか負けるか、敵か味方かの価値観のなかで、

                                自分より能力のある人に嫉妬し、自分より人気のある人に嫉妬して生きてきました。

                                「悔しい!私だって…!!私だって…!!!」———それがエネルギー源になってしまっている。





                                「だけどそれはそのまんま彼女が感じてたことだよ」と舞ちゃん。

                                「今は決まった役割も環境もないんだから、同じこと繰り返すことないよ」と。


                                仕事や能力云々の前に、まずは自分の中の女の子の拗ねた心を癒すこと。

                                いつかの私が褒められたがっていたように

                                そんな自分にずっと欲しかった言葉をかけてあげること。





                                …わかる。言ってくれていることはすごくよくわかる……けど、

                                納得し切れず、ずっとモヤモヤし続けていた私。


                                だって私もっと突き抜けたいのに、もっと人生で挑戦したいのに、まだ「ここ」から進めないのか…

                                何もしなくても愛される自分なんて、だって私「何かをしたい」のに。

                                何もしないで終わる人生なんて嫌だ。名も残せない人生なんて嫌だ、と。





                                すると舞ちゃんがさらにこんなことを言ってくれたのです。

                                「何もなくても愛される体験」を今世でもしてきてると思うよ、と。


                                別に何もすごくなくても、何も頑張らなくても

                                それでも好きだって言ってくれる人や、あたたかい視線をくれる人……





                                そう言われて何人かの人の顔が浮かび、

                                あぁそれが私の世界になるのならめちゃめちゃ幸せだし、本当はずっとそれが欲しかったと思ったのです。


                                思い起こせばそんな優しい世界で生きたくて、私は「自分らしく生きる」道を選んだのでした。



                                誰かに認められるために、嫌われないために「自分以外の誰か」になろうと努力する人生ではなく、

                                いいところも悪いところも含めて私のまんまで、のびのび気持ちよく生きていけるように、と。





                                そう思えるようになると、舞ちゃんがまた違うカケラを見せてくれました。


                                能力はある。

                                見えないものを見る力も。


                                それには彼女のサポートが必要。


                                欲しい視線が感じられた時に

                                その安心感の中にいる時に

                                その力は発揮されるから


                                …と。








                                …見えないもの、視えるようになりたい。


                                このリーディングを受けたのも、「前世が視える力」への憧れから。

                                私も前世が視れるようになりたいし、大好きな舞ちゃんがそれを視ることができるなら是非視てもらいたいと。





                                占い師、シャーマン、ヒーラー…スピリチュアルな力に憧れる。

                                精霊や妖精だって、いるならコミュニケーションを取ってみたい。


                                それは「出来たらすごいから」「認められるから」ではなく、純粋な私の好奇心から。



                                占い師になるのはむしろ怖いことでした。

                                「怪しい人」「痛い人」と思われて、嫌われてしまいそうだったから。


                                お金が欲しいだけなら、成功して認められたいだけなら、別に占い師じゃなくても良かった。

                                それでも占い師になったのは、私が「どうしてもなってみたかった」から。

                                密かにずっと憧れていた占い師になることで、私の心が満たされるのを知っていたからです。





                                なのに、自分の幸福のために占い師を選んだはずなのに、現実的な色んな不安を早く埋めなければと、急いで成功することに執着してしまっていた。


                                だけど「お金のため」「すごい自分になるため」に、自分を奮い立たせ続けるのは正直もうしんどくて。

                                もし「今すぐ安心してもいい」なら、本当はずっと安心したかったのです。





                                前世の自分に寄り添うのは、現実的な欲求を捨てることでも、仕事を投げ出すことでもなんでもなくて、本当はずっと欲しかった感覚を今すぐ自分に味わわせてあげることでした。


                                もし努力しなくても、すごくなくても、ダメなところがたくさんある自分でも、

                                そのまんまを受け入れて認めて愛してもらえたなら———本当はそれがずっと望みだったから。










                                舞ちゃんのリーディングを機に、私は無理に頑張ることをやめました。


                                「やらなきゃ」「頑張らなきゃ」「じゃないと大変なことになってしまう」という不安もすぐには拭えませんでしたが、その都度「出来ない自分」に「頑張れない自分」に寄り添い、「大丈夫だよ」と声をかけました。



                                だけど、同じように自分ビジネスをしてどんどん結果を出していく人を目の当たりにするたびに、不安が肥大していきました。まるで世間に置いていかれるような…どんどん進む人たちの中で、自分だけが止まっているような焦燥感です。


                                でもそれでも、自分が本当に「やりたい!」と思えるまで、今は休ませてあげることにしました。焦るたび「この焦りは彼女のものだ」と自分に話しかけながら。





                                おかげで自分を「すごい」と思える機会は減ってしまったけれど、日常の中に「安心できる時間」が増えました。それも圧倒的に。


                                そして安心できる時間が増えるにつれ、「責められる」ことも減っていきました。

                                もしかしたらまわりは何も変わっていないのかもしれないし、それを私が「責められている」と感じなくなっただけかもしれませんが、私の目に映る世界は以前よりものすごく優しいものになっていったのです。





                                それでも焦りや不安から自分に鞭打つことは今でもあるし、根強いカルマであるからこそ一生の付き合いなのだと思います。だけど逆に言えばカルマとの付き合い方次第で、私の現実は天国にも地獄にもなるということです。


                                認められるために自分に鞭打ち続けていては、わざわざ生まれ変わってまで私は同じ寂しさを味わうことになる。

                                それが嫌なら———本当はずっと欲しかったものを味わいたいのなら———これまでとは違う選択をすればいいだけ。


                                それが私の場合、「すごくない自分を認めてあげる」ということでした。










                                最後に、その前世の私がいた神社ですが、

                                舞ちゃん曰く「本当に大きい神社」だそうで、「私も知ってる気がする」とのこと。


                                「伊勢ですか?」と聞くと、もっと賑やかでオープンで———どちらかというと出雲大社の方がしっくりくるとか。



                                出雲大社———ずっと行ってみたいと思っていたので、この話を聞いてますます行きたくなりました。

                                2年前の冬にこのリーディングを受けてから未だ参拝できていませんが、自分の中で本当に「行きたい!」と思った時はきっと行けると信じています。





                                そして見えないものが視えるようにはまだなれていませんが、あれから研究を重ね、マヤ暦でもその「もっとも大きなカルマ」が潜むポイントを見つけることができました。


                                自分の中に当たり前にある方程式(愛されたい=すごくなれば愛される=すごくなる努力をする)もいいですが、ずっと欲しかった思いを叶えるのにその方程式は必ずしも必要ではありませんし、方程式に頼らない方が実は近道だったりするんですね。





                                今目に見えている世界が厳しいか優しいかは、自分への向き合い方次第です。

                                私は優しい世界でのびのびと気持ちよく生きたいので、カルマを癒す道を選びました。


                                あなたのカルマ(恐れていること)はなんですか?


                                セッションでお伝えできますので、望む道を一緒に見つけていきましょう。




                                個人セッションについて


                                オンライン(LINE電話)で行っております。

                                時間:40分

                                時間:平日9時〜22時


                                詳しくはこちらからご確認ください。


                                時代を超えて、欲しがったもの
                                時代を超えて、欲しがったもの
                                憧れの地から届いた夢のカケラ
                                2022/07/21

                                先日、栃木県のとある牧場から、注文していた商品が届きました。

                                ずっと欲しかった馬蹄に、気になっていた商品色々。


                                これは憧れの地から届いた私の夢のカケラ。


                                これまでの人生で見つけ出会い、拾い集めてきたたくさんのピースを、

                                私の日常の景色として叶えることができるように———




                                夢のはじまり-乗馬との出会い


                                乗馬との出会いは今から5年前、2017年の夏のこと。

                                当時小学2年生だった息子が学校から持ち帰ってきた「体験乗馬」のチラシがきっかけです。


                                「え!!本物の馬に乗れるの!?やば!!」


                                幼い頃から生き物が大好きで、蚊も殺さないような息子でした。

                                それまで「乗馬」といえば、動物園でポニーに乗った経験くらいしかなかったので

                                「本物の馬に乗れる」という情報だけで興奮MAX!!


                                案の定息子も「行きたい!!」と即答だったので、

                                「場所はS市。行ける」「体験料も出せる」と最低限の情報だけ確認した私は、すぐにチラシに記載されていた番号に電話し予約。


                                その電話で初めて、この体験乗馬が「乗馬クラブの体験」だと知りました。

                                ※ちゃんとチラシを読まなかっただけ


                                「体験後、入会の案内もあるのですが…」という電話口のスタッフさんの言葉に

                                「その話を聞けば別に体験はできるんですよね?行きます行きます!」と、なんとも軽いノリで行ったのが始まりです。





                                今思えば体験乗馬は「8月31日まで」チラシに掲載されていた価格でできたのだと思います。


                                しかし私はよく読まなかったので「馬に乗れるのは8月31日だけ」と思い込み、

                                まだ夏休みも始まっていない7月の初めの頃に、1ヶ月半も先の日程で予約を取りました。


                                もしかするとフロントのスタッフさん的には「少し変わった体験予約」だったかもしれません。





                                予約当日、約束の時間にクラブに行くと

                                なんと私も馬に乗ってもいいとのことだったので(対象は小学生のみかと、これまた勝手に思い込んでいた)

                                乗っていいならぜひ乗りたい✨と、息子と一緒に乗馬の体験をすることになりました。





                                初めて間近でみる馬の顔。

                                そのあまりにも綺麗で真っ直ぐな瞳に、私は涙を堪えるのに必死でした。


                                まだ乗ってもいないのに、馬の顔を見るだけで感動が溢れて仕方なかったのです。


                                その後の体験乗馬も素晴らしく、ちょっと馬に乗って歩くだけかと思っていたのが「え!こんなこともさせてもらえるの!?」「こんなに乗っていいの!?」と想像を超える大満足で、

                                体験が終わる頃には寂しさも感じずにはいられませんでした。


                                もっと馬と一緒にいたい、もっと馬と触れ合いたいのに、ここに来ることももうないのだろうと。


                                その寂しさが「この場所が私の日常になったらいいのに」という望みになりました。

                                ここが私の日常なら「もう会えないかも」「もう来れないかも」なんて思わなくていい。

                                また当然のようにここに来て、また馬に会ってもいいのだから。





                                私だけでなく、息子も「また来たい!」「また乗りたい!」とすっかり馬の虜でした。


                                できるならその思いは叶えてあげたい……けれど

                                「乗馬は高い」「セレブのスポーツ」という思い込みから、「自分には到底望むことすらできない世界の話だろう」と端から諦め、約束の「入会の案内」を聞くしかありませんでした。





                                しかしその「案内」が私の思い込みを壊すことになります。

                                「絶対に無理」な金額ではないかもしれないと思えたからです。


                                私に今そのお金があるわけでもなければ、来月からそれを「払い続けられる当て」もありませんでしたが、端から諦めていたはずの気持ちが揺らいだことだけは確かでした。


                                「無理」かもしれないけれど、「絶対に無理」ではないかもしれない。

                                端から諦めなくても、やるだけやってみてもいいかもしれない———と。


                                不安や迷いがないわけではありませんでしたが、「やりたい!絶対にやりたい!」という珍しい息子のわがままも後押しとなり、「チャレンジするだけしてみよう!」と決意。





                                決めさえすれば、あとは雪崩のようでした。


                                当時の夫に連絡をし、頭を下げ、「うん」と言ってくれるまで全力でお願いをし続けるという、今世紀最大のわがまま劇を繰り広げた私は、まだ納得し切れていない元夫からとりあえず入会に必要なお金を出してもらうと「あの時わがまま聞いてよかった!って思えるくらい楽しむから!!✨」とニコニコでその日のうちにクラブに再訪問し、その日のうちに入会。


                                その日の朝まで「乗馬のじょ」の字もなかったはずの私が、気付けばまさかの親子揃っての入会。


                                怒涛の夏休み最終日を迎えたのでした。





                                蘇る記憶


                                入会後はさらに乗馬の虜になり、乗れば乗るほど夢中になっていきました。

                                月々のレッスン代は不安でしかありませんでしたが、それでも「絶対に無理」だったはずの場所が「自分の日常」になった幸せは、まるで天国のようでした。





                                入会から2ヶ月ほど経った頃、馬術にも色んな種類の競技があることを知った私は、指導員さんの話の中に出てきた「馬場馬術」と「障害飛越」がそれぞれ具体的にどんな競技なのか、YouTubeで検索してみることにしました。


                                まず検索したのは「馬場馬術」。

                                今思えば本当に美しく魅力的な競技なのですが、当時の私にはイマイチよくわからず「あんまりピンとこないなー」という印象でした。


                                次に「障害飛越」を検索し、

                                その動画を見た瞬間、全身に震えるような衝撃が走りました。

                                初めて見たはずの「それ」を、私は知っていたからです。





                                まだ小学生の頃だったと思います。

                                日曜日の昼間、時々テレビでやっていた障害飛越の競技会の番組を、私は一人よく見ていました。


                                特に面白いと感じていたわけでもなければ、「やりたい」と思っていたわけでもありません。

                                なのになぜ見ていたのか自分でもよくわからないのですが、それでも私は釘付けになり、それをよく眺めていたのです。


                                唯一覚えているのは「なんで決まったコースをちゃんと走れるんだろう」と不思議に思っていたこと。

                                馬がコースを覚えているのか、それとも乗っている人が合図を出しているのか…

                                だとしても「どう合図を出しているのか」が私の目にはわからなかったので、それをいつも不思議に思いながら見ていました。





                                なのに、

                                あんなに見ていたはずの「それ」を、なぜそれまで一度も思い出さなかったのか…





                                色々と不思議なことばかりでしたが、それでも乗馬というものが過去の自分の中にもあったという衝撃は、乗馬との縁を感じるには十分だったのです。





                                「自馬を所有したい!!」


                                それから夢中で障害飛越の動画を漁るうちに、華原朋美さんの動画に辿り着きました。

                                とあるテレビ番組で、競技会に向けレッスンを積む華原朋美さんの姿。


                                普段テレビを見ない私は、その番組の内容はもちろん、華原朋美さんが馬術に長けていることも知りませんでした。

                                だけど真っ白な馬に乗り、人馬一体となって練習を積む華原さんの姿に、憧れずにはいられませんでした。





                                「自馬を所有したい!!✨」


                                ハッキリとは覚えていませんが、その夢を見させてくれた最初のきっかけはやはり華原さんだったと思います。


                                クラブでたくさんの馬との出会いを楽しむのもいいけれど、それ以上に、一頭と絆を深めることに私は憧れを抱きました。

                                一緒に練習したり丁寧にお世話をしたりして、強い信頼関係を築きたい。


                                そして信頼できるコーチと二人三脚で、私も大会を目指してみたいと思ったのです。———華原さんのように。





                                …と最初は「自馬を所有したい」という夢の先に、「大会」という目的を設定していた私でしたが、

                                一口スポンサーとして引退馬の老後に携わったり、愛馬との時間を慈しんでいるうちに

                                単純に「馬(できれば愛馬)と一緒に暮らしたい」と、その夢の形が変わっていきました。



                                夢を描く時ってどうしても自分の概念の中で描きがちです。


                                入会した当初はやっぱり「乗ること」が楽しかったので、自然と「上手になって大会に出たい✨」という望みになりましたが、愛馬のお手入れをしたり馬との関わりの幅が広がるにつれて、もっと多くの選択肢から夢を描けるようになったのです。





                                ありえない夢との出会い-「牧場を経営したい」


                                ところで今、一口スポンサーとしてご縁をいただいている「ランディー」という馬ですが、元々はクラブの練習馬で、私は一度も乗ったことはありませんでしたが、それでも「この子とは何かあるな」と不思議な縁をずっと感じていた馬でした。


                                息子曰く「人は嫌いだけど、馬には優しい馬」だったそうで、クラブにいた頃は口かごをしていたランディーが、今牧場でお友だちとのんびり生活している様子に「愛馬も牧場で生活させてあげたい」という思いが日々強まっていきました。





                                私の気持ちとしては、本当は牧場に預けるよりも、自宅に少し広めの庭を作って愛馬と一緒に生活したい。

                                だけど、馬の生活環境としてはやはり牧場の方がいいのではないかと思うと、寂しくても牧場に預けるべきだと思うようになっていったのです。





                                そう、当時の私には「広めの土地を買って馬と暮らす」か「牧場に預ける」の二択しかなかったのです。

                                牧場の経営者を羨ましいと思ったことはありましたが、牧場の経営者なんて「元々そこに生まれた」か「経営者と結婚する」以外に道があるとも思っていなかったので、「自分が牧場の経営者になる」なんて、夢として描こうという気持ちすら起こりませんでした。





                                そんな私の意識が変わったのは昨年の5月。

                                以下、当時のブログに綴った文章です(今は削除しています)。





                                ***

                                2021年5月14日



                                先週の土曜日、「あー✨今日も目一杯幸せを味わおう✨」と楽しみに行った乗馬で、私は酷くつまらない思いを感じてた。


                                つまらない。

                                何にも面白くない。





                                冷静に現実を見れば、そこまで落ち込むような事象は何一つ本当はなかったけれど、

                                だけど私は「何か」に反応して気持ちが沈んでしょうがなかった。


                                強烈な孤独感。

                                この現実に対する不満感。





                                私はもう会員じゃない。


                                離婚とともにクラブの退会を決めて。

                                あれからもう1年以上経つ。





                                不思議と、乗れないことに対する不満はこの間まったく感じていない。

                                息子の保護者として一緒にクラブに行くことが出来て、それで充分満たされていた。





                                だけどその日、私はいつものようにクラブで過ごしながら、酷い疎外感を感じてた。

                                今までそれで幸せだったはずなのに「そうだよね、別に私もう会員じゃないしね」って捻くれた思考まで出てくる始末。





                                落ち込みながら思ってた。

                                私いつまで「保護者」という立場に甘えて、幸せを享受するつもりなんだろうと。


                                息子も来年には中学生になる。

                                中学生男子がいつまでも母親と一緒に行動するだろうか。


                                いや、問題はそれじゃなく、幸せを息子に託すこの無責任さ。

                                いつまでも息子に委ねてないで、自分の幸せくらい自分でどうにかしなよって、そんな呆れた声が聞こえた。





                                ———復会。


                                もう一度私も会員になること。

                                真っ先にそれが浮かぶ。


                                今私に見えている世界では、至極真っ当なアイディア。


                                だけどまったくピンとこなかった。

                                退会前に描いていた理想の乗馬ライフは、今もう私の望みではない。










                                昨夜インスタのおすすめに、妙に気になる写真を見つけた。

                                タップしてみたら紗栄子さんの投稿だった。






                                紗栄子さんと馬?

                                てか「うちの外乗馬」ってどゆこと?


                                気になって調べてみたら、どうも今牧場の運営に携わっているらしく、それに関する紗栄子さんのクラファンを見つけた。





                                読みながら、込み上げてくるものがあった。

                                綴られる思いに強く共感する。


                                でも、それだけじゃない。





                                まだ言語化されない何かを感じながら、ある写真を見て涙腺が崩壊した。

                                紗栄子さんが牧場のスタッフさんたちと共に笑顔で写る写真。


                                あぁ私今、紗栄子さんの姿に「いつかの自分を見てるんだ」と気付く———










                                今、息子と通っているクラブに可愛い可愛い愛馬がいて。

                                いつかこの愛馬が引退する時は、その余生を私が最後まで見届けたいと思ってた。


                                愛しの愛しの可愛い愛馬。


                                最初は「引き取りたい」というその思いだけで、詳しいアイディアは何もなかったけれど

                                次第に「もし実際に引き取るとしたら?」を考えるようになった。





                                庭の広い家を買って、そこで過ごすのもいいかもしれない。


                                だけど、毎月送られてくるランディーの様子に、そのアイディアに疑問を抱いた。


                                ランディーは、同じく私たちが通うクラブで乗用馬として働いてた馬で、数年前に引退してから今日までずっと、一口スポンサーとして私もその余生の支援をさせてもらっている。





                                毎月送られてくる牧場でのランディーの暮らしや、fbで流れてくる牧場の景色。

                                広々とした牧場でゆったりと過ごす馬たちや、馬同士の優しい触れ合いを見ていると、愛馬にこういう暮らしをさせてあげたいという思いが強くなる。


                                そりゃ息子や愛猫と暮らすように、愛馬とも共に過ごせたら幸せ。

                                だけど愛馬のこんな姿がいつか見れたらいいなって、牧場の投稿を見るたび想像する。





                                そして本当は私も手狭な自宅の庭でなく、こんな広大な景色の中で馬たちと関わっていけたら本望。


                                牧場で働く人たちのその日常に思いを馳せる。

                                だけど「牧場で働きたいか?」というと、それも正直ピンとこない。





                                今の私に見える世界の中に、真っ直ぐに刺さるアイディアはまだないけれど

                                「愛馬が牧場ですごせたらいいな♪」

                                「こんな景色の中でゆったりと馬たちと触れ合っていけたらいいな♪」

                                そんなワクワクする幸せなイメージをピース毎に抱いてた。





                                紗栄子さんの投稿を見て驚いた。


                                今まで愛馬の牧場での暮らしを叶えるには「牧場に預けるしか方法はない」と思っていた。

                                牧場に愛馬を預けて、その近くに引っ越すのもいいかなと、今の私の精一杯の想像はそのあたりが限界だった。





                                なのに…まさか…

                                牧場を運営するなんていう道が存在してたなんて。


                                思い付きもしなかった。


                                だけど、見つけてしまえばその道は、これまでバラバラだった私の望みのピースが見事にすべてはまる夢で———





                                気持ちのいい景色の中で馬たちを眺めながらのランチなんて✨どんなに幸せな気分なんだろう✨


                                牧場を見ながらぼーっとしたり、

                                牧場で過ごす週末もあれば、世界を飛び回る週末もあったりして。


                                色んな夢を叶える私の世界に、馬の姿もあったら最高だ。










                                感動と興奮がとまらなくて、今しがた出来たばかりの夢を息子にもその熱のまま語った。

                                だけど、いざ話してみたら、さっきまでの興奮がいつの間にか落ち着いてしまって……


                                「そりゃそうだ」って思ったの。だって牧場の運営なんて今の自分が立ってる場所から、あまりにもかけ離れすぎている。


                                望みが沸いた瞬間は歓喜の渦に鳥肌が立ったけど

                                その望みを口にしてみれば、まだまったくリアリティのないことに気付く。





                                だけど、その夢と出会えたこと、出会えた瞬間のあの感動が

                                私の未来にもその景色があるというきっと何よりの証。





                                今の私からはまだその景色は遠いけれど、

                                でも、わからない。10年後はどうなってるか。

                                もしかしたら5年後かもしれない。


                                紗栄子さんだってきっと、まさか自分が牧場の運営に関わるなんて夢にも思っていなかったかもしれない。


                                私も同じ。

                                いつそれがどんな形で目の前に現れるかはわからない。


                                でも、きっとある。

                                今もうすでに世界のどこかに私のこの夢が。





                                だからこそ私、正直に生きたいと思った。

                                今までもそうだったけど、今まで以上に。


                                どうしたら叶うのか、本当に叶うのか

                                そんなことはわからない。わかる必要もない。


                                ただ、私そこに行きたい。その思いは本当だから

                                私にできることは、真摯に私を歩んでいくこと。

                                目の前の一つ一つの望みを丁寧に拾いながら。


                                今も、これから先もずっとそれだけが、私に出来るきっと唯一にして最高の努力。


                                ***





                                ありえない夢のその先へ


                                あの日私の世界に唐突に現れた「ありえないほどの夢」は、さらにピースを増し、そのイメージを膨らませ続けています。



                                「ドラクエⅣの4章」もその一つ。


                                私は牧場を拠点にして、ドラクエⅣのマーニャやミネアのように、ジプシーダンスをしたり占いをしたりしながら、この世界を自由に冒険したい。

                                ※詳しくはブログ→占い師の物語→「今わたし、夢を生きている。」へ





                                それから「珊瑚礁の保護・再生」。


                                小学生の頃「珊瑚」という女の子が主人公の小説を読み、珊瑚礁が危機に瀕していることを知りました。

                                そして主人公たちが、その保護や再生の活動に関わっていく様子をみて「私もやりたい」と密かに思ったのですが、4月に取得したダイビングのライセンスが、そこに繋がっていきそうなのです。





                                あとは「みんなを養いたい✨」という夢✨


                                自分の本音に従って生きるって、やってみると怖いものです。

                                「失敗したら…」とか「大切なものを失うんじゃないか…」とか、その怖いものの一つに「お金」があります。


                                だけどたとえどんなに失敗しても、道を見失いそうになってしまっても「最悪うちで働けばいいじゃん♪」って言える自分になりたいのです。

                                息子や友達や友達の子が全力で自分を生きる時に、言葉だけでなく行動でも、背中を押せる自分でいたい。


                                動物が好きなら馬や保護猫、保護犬のお世話を、

                                料理が好きなら牧場内のカフェを手伝ってもらったり、


                                あとは自分と仲間の夢が、交差していくのもすごく楽しみにしています。



                                今友達と話しているのは、牧場で販売する商品などのデザイン案を、机いっぱいに並べてコーヒー飲みながら缶詰めで打ち合わせすること♪


                                紗栄子さんと同じように、私は益若つばささんの仕事の仕方にも憧れていて。

                                益若さんが雑誌の打ち合わせをしているインスタの投稿に、「あー!!私もこういうのしたいー!!」と強く焦がれ、同じようにそういう地味でコツコツした作業を今頑張っている友達と「いつか一緒にこういうことしたいね✨」と夢を膨らませワクワクしているのです。





                                今回、紗栄子さんが運営する牧場から買った馬蹄をはじめとする商品の数々は、私にとって「ただのお買い物」ではなく、そんな夢の体感を先取りするためのものでもありました。


                                いつか私もこんな素敵な牧場で、こんな素敵な商品を生み出せるように。










                                「牧場を運営する夢」と出会った直後に書いたブログは、こんな言葉で締め括られています。



                                ***


                                「望み」は「望めただけで幸せなのだ」ということを、昨夜初めて知りました。

                                それに出会えたあの瞬間の、震えるような感動を忘れない。


                                「願うだけなら簡単だ」とこれまで何度も言われてきたけれど、

                                違う、それは違うと今断言できる。


                                もし自己を抑えたままの私なら、昨夜の望みには出会えていなかった。





                                自分では思い付きもしないような「ありえないほどの夢」というのが、本当にあることを知りました。


                                ありがとう、出会わせてくれて。

                                望ませてくれたことに心から感謝します。










                                2021.5.14

                                ゆうか






                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                憧れの地から届いた夢のカケラ
                                憧れの地から届いた夢のカケラ
                                今わたし、夢を生きている。
                                2022/06/07

                                昨夕、学校から帰宅した息子が私に

                                「あとでママにインタビューするからよろしくね!」と言った。


                                何でも、相手の仕事についてインタビューしてまとめる宿題が出ていて

                                その宿題は後日学校で発表するとのこと。





                                咄嗟に『私、占い師だけどいいんだろうか…』という考えがよぎった。

                                みんなの前で発表するなんて……


                                親が占い師なんて息子は恥ずかしくないんだろうかとか、

                                インタビューにはパートの仕事について答えた方がいいんじゃないかとか…


                                自分が占いを生業にしていることが、何だか急に申し訳なくなった。









                                私が占い師になったのは、2019年1月のこと。


                                占いにはずっと興味があったけど、

                                特別な力がある特別な人にしかできない仕事だと思っていて。


                                占い師にだって本当はずっと憧れていたのに

                                その憧れはなかったことにしていた。





                                初めて“占い師”という概念を知ったのは、多分小学4年生の頃。

                                ドラクエ4に登場する“ミネア”というキャラクターが、そのきっかけだった。


                                人生初のドラクエに、2つ下の妹と夢中になっていた私は

                                全6章から成るその物語を何度も何度もプレイし、

                                中でもミネアが登場する4章の世界観は、私を魅了してやまなかった。





                                4章はマーニャとミネアの姉妹の物語。

                                心震えるエキゾチックな音楽に、妖艶・美麗な2人の姉妹。


                                私は踊り娘のマーニャの方が見た目も性格も好きだったけれど、

                                どこかでミネアにも惹かれ続けたのは、彼女が“占い師”だったから。


                                タロットカードもドラクエで知った。

                                ミネアが装備できる武器として登場したタロットカード。

                                攻略本でその絵柄を見た時、身震いさえするほどだった。



                                アラビアン、ジプシー、占い師、タロット…

                                今思えば4章は私の“好き”を凝縮したような世界観で、

                                その嗜好は今も何一つ変わらない。





                                だけど当時の私には、占い師を夢にすることすらできなかった。

                                強烈な憧れではあったけど、こんな魅惑的な職業が存在するのは物語の中だけだと思っていたから。


                                ドラクエのように生きることもできなければ、

                                占い師になることもないのだと———









                                高校生になった私にとって、占いはすでに痛く怪しいものでしかなく、

                                まるで悪いことをするように、時々ゲームセンターの占いをこっそり楽しんでは

                                自分とは別世界のその職業を、意識の届かぬ場所へと封印した。





                                だけど絶賛人生に悲観していた頃、鏡リュウジさんの“牡羊座の君へ”と出会い、

                                人の心をこんなにも癒しキラキラとさせてくれる占いに、そしてその占いを読み解く“占い師”というものに、

                                体の底から溢れて仕方のない興奮と憧れを抑えることがもうできなかった。





                                その後“マヤ暦”という響きに、全身に稲妻が走るような衝撃を受けた私は

                                『勉強すれば私も占い師になれるのかもしれない✨』と期待に胸を弾ませたものの


                                「マヤ暦は占いではありません」という先生の一言に、今度こそ占い師を諦めた。










                                マヤ暦を学ぶことは楽しかった。

                                本当に本当に楽しくて、

                                いつしか占い師に憧れていたことも忘れてしまっていた。



                                だけど2019年の1月。

                                八方塞がりのような現実の中で、

                                「あ!私!占い師になりたかったんだ!!」と啓示のように急に思い出した。





                                「マヤ暦は占いではありません」と言った先生の言葉が気になっていたけれど

                                マヤ暦と占いの違いが私にはわからなかったし


                                “占い(うらない)とは様々な方法で、人の心の内や運勢や未来など、
                                直接観察することのできないものについて判断することや、その方法をいう”

                                という当時のウィキペディア(Wikipedia)の概要で自らの背中を押し、


                                『だったらもう占い師でいいじゃん!!✨』と、その日“占い師”になることを決めた。





                                とはいえ“痛い”“怪しい”などの占いに対するネガティブなイメージも拭えず、


                                占い師なんて名乗ったら嫌われるんじゃないかとか、

                                怪しい人って思われるんじゃないかと不安でいっぱいになった私は


                                あえて、嫌われたくない人がたくさん見ていた当時のSNSで「占い師になります!」と宣言した。





                                ずっとなりたかった占い師になるんだもん。

                                そんな自分を恥ずかしく思ったり、コソコソ隠すのは嫌だった。


                                家族にも思い切って伝え、占い師として開業もした。





                                なのに、

                                まだ後めたく思ってた。

                                息子に申し訳なくて仕方なかった。





                                だけど、そんな私に息子はサラッと「全然嫌じゃないよ」と言ってくれたんだ。


                                この宿題が出た時、息子の脳内には

                                私に占いの仕事についてインタビューしているイメージがすでにあったそうで。


                                『宿題面倒くさいな』とは思ったものの

                                占い師については特に何も思わなかった、と。





                                気を遣ってくれているのかもしれない。

                                仲の良い友達には言えても、クラスで発表するのはまた別だ。


                                嫌な思いをさせてしまうかもしれない。

                                優しいからそう言ってくれているだけかもしれない……





                                申し訳ない気持ちが止まらなかったけど、

                                でもいくら考えたところで息子の真実は私にはわからない。


                                だったら『どう思いたい?』『どうだったらいい?』

                                そう、自分が望む真実を自分に問いかけた。





                                これはチャンスだ。

                                息子の宿題という出来事を通して、何かが私に与えてくれたチャンス。


                                いくら口では「たくさん鑑定をしたい」「ヒーヒー言うほど鑑定書を作ってみたい」と言葉にしても

                                心のどこかに『でも占い師であることを知られたくない』という気持ちがあれば、

                                必ずそれはブレーキとなる。





                                今誰よりも、占い師であることを後めたく恥ずかしく思っているのは私だ。


                                どうせ活躍すれば知られるんだから。

                                どうせ広がれば見られるんだから。


                                息子が「大丈夫だよ」と言ってくれているのなら、

                                ブレーキから足を放すこれはチャンスなんだ———










                                いつかあんなに焦がれた世界が、

                                物語の中でしかあり得ないと思っていた生き方が、

                                今私の目の前に、自分次第で選べるところに用意されている。


                                どう生きたかった?

                                どんな設定に憧れた?


                                ゲームの中だけじゃない。

                                実際に今その道を味わえるところまで来たんだよ。





                                息子の職業インタビューが、私に原点を思い出させてくれた。


                                「この仕事をしようと思ったのはなぜですか?」

                                「自分には絶対無理な仕事だと思っていたけれど、やっぱりどうしてもやりたかったからです」


                                「この仕事をして良かったと思うのはどんなことですか?」

                                「夢を叶えられたことと、自分に期待できるようになったことです」





                                あんなに焦がれた“占い師”になれたんだ。

                                もっとその感動を味わえたらもっと幸せ。


                                そしてマーニャとミネアが旅に出たように

                                坂戸市から始まった私のこの物語も、きっと自由に世界に渡っているよね。





                                そしていつか、いや近い未来、

                                “占い師”と同じくらいの強さで4章が私に刻んでくれた言葉———“ジプシーダンス”もこの身で体感できたらいいな。





                                めちゃくちゃ抵抗強いけど、

                                ベリーダンスやるぞー!!✨✨✨






                                今わたし、夢を生きている。
                                今わたし、夢を生きている。
                                どこまで“自分のまま”でいられるか
                                2022/04/16

                                今年の2月、「そうだ!自治会の改革をしよう!」と

                                突如思い立って自分の中で勝手に決めた。

                                ※詳しくはブログ→占い師の物語→【名乗るのが先】をめちゃくちゃ実感した話をご覧下さい。





                                そのことで本当によかったなと思ったのは

                                ブログに書いたり、クローズのコミュニティで話したり、一部の友達に話すのと全く同じように

                                地域のママたちにその話ができたこと。



                                子どもの頃の夢が「偉人になりたい」だったとか

                                「伝説の区長になる!」とかの得意のビッグマウスも


                                占い師をしていることや

                                どんな経験があってどんなことを考えてて…ってそういう自分の“そのまんま”を全部


                                なんの抵抗もなくそのままストレートに伝えられたのが

                                もう何よりも嬉しくて気持ちよかった。





                                “美人百花”の恩恵をまさかここで受けるとは思わなかった。


                                2020年の秋、「美人百花で紹介させてもらえませんか?」というメッセージをもらい

                                占い師として雑誌に載るのが夢だった私は、思い切ってその挑戦をすることにした。


                                “挑戦”というのはそれが掲載料のかかる企画で、

                                それを払えるあてがないまま決めたことだったから。



                                だけどその挑戦のおかげで、人生初のクラウドファンディングをすることになり

                                そのクラファンがきっかけで初めて身近な人たちに

                                自分が今やっていることを開示することができた。


                                オンラインではいくら自己開示ができても

                                それを身近な人たちに読まれるのはやっぱり強い抵抗があったんだ。



                                あの時クラファン自体は不成立に終わったけど、それでも

                                開示しても身近な人たちとの関係が変わらなかったことや

                                むしろ開示前よりずっと自然体でいられるようになったっていうあたたかさが

                                今回の抵抗のなさに繋がったんだと思う。

                                ※ちなみに掲載料はその後無事に払えました♪





                                とはいえ、あの時開示した子ども会ママにはそのまま話せても

                                たとえば近所の方たちやもっと近い親族なんかには

                                自分のことまだ知られたくないって思ってて。


                                それに気付いたのはこのホームページがきっかけ。

                                打ち合わせをしながら思ったの。


                                “坂戸市 占い”とかで検索した時に、検索上位にもし自分のページが上がったら

                                私、それまだ怖いかもって。

                                まだそこまで覚悟できてないわって。



                                でも今回、自治会の改革をしようと決めたおかげで、その抵抗がなくなった。


                                堂々と改革するためにも、地域の方ともどんどんSNSで繋がろうって思えたから。

                                近所の方に見られてもいいし、どこかから親族に漏れてももういいやって。



                                そう思えたのがもう財産だった。

                                誰といても何処にいても、同じ私でいられるんだってことが。



                                “坂戸市 占い”とかで検索した時に

                                自分が上位に上がってももう全然いい。


                                HP完成前にここの抵抗なくすことができたのがもう

                                すでに恩恵だったと思ってます。





                                自治会改革の果実はもうすでに十分受け取った。


                                これからは意識だけじゃなく、

                                実際にこのまんまの私で改革に取り組むってのが

                                新たな挑戦だと思ってます。


                                どれだけ自分のままでいられるか

                                どこまで自分を変えずにいられるか


                                それを自治会っていう超身近な舞台で挑戦できるのは、私本当にラッキーだね♪






                                どこまで“自分のまま”でいられるか
                                どこまで“自分のまま”でいられるか
                                認定証が届きました♪
                                2022/04/13

                                そういえば、先日沖縄で取得したダイビングのライセンスカードが、ついに自宅に届きました✨

                                届いたのなんと開業記念日の日✨

                                こういう偶然すごく嬉しいです✨




                                私のカードは、Project AWAREという環境保護組織の活動をサポートすると選べる限定版カードで、

                                今はサメとマンタのデザインから選べるそうなのですが、

                                美ら海で見たマンタの姿に「いつか一緒に泳ぎたい✨」と夢を抱いた私は

                                その願掛けの意味も込めて、マンタのデザインを選びました。

                                Project AWAREは、ライセンスの学科でその存在を知った時から

                                『いつか私もその活動に参加したい』と思っていたのですが、

                                今回寄付という形でこんなにも早く、それが叶ったことに感動しています。

                                寄付金は海のゴミ回収などの活動に使われるそうです。

                                そのゴミ回収に私もいつか参加したいな♪




                                『ダイバーにしかできない環境保全活動を一緒にやってみませんか?』なんて

                                こんな誘い文句、もう最高にワクワクするしかない✨


                                自分に正直に真剣に生きたその先の景色に

                                海洋環境と深く関われる未来がありますように。


                                頑張ります✨










                                ***

                                埼玉県坂戸市在住の占い師です。

                                マヤ暦などのセッションをオンラインで行っております。


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                                認定証が届きました♪
                                認定証が届きました♪
                                「名乗るのが先」をめちゃくちゃ実感した話
                                2022/04/12

                                少し前のこと。

                                『あ、私“実業家”になりたいかも』と急に思った。


                                自分を“占い師”と名乗ることには少しずつ違和感を抱くようになっていて

                                そんな頃急に浮かんだ“実業家”という言葉が、妙に自分の中で馴染んだことに驚いた。





                                『実業家になりたいかも』と思ったのは2月の初め。


                                その日はたまたま新月で、

                                新月に望みが上がってくるって本当なんだなーなんて思ってた。





                                それから2日後、節分の日。


                                またまた急に思い立ってSNSのプロフィール欄を

                                “占い師”から“実業家のたまご”に変更した。


                                不思議なもので意識が“実業家”になった途端、

                                これまで描いていた色んな夢がグッと身近に感じるようになった。

                                牧場を運営することも、保護猫や保護犬の活動も、珊瑚礁の保護・再生活動も。


                                意識が“占い師”の時も、それを望む許可はできていたけれど

                                “実業家”になったら急に『できる』気がしてきたんだ。


                                実業家ならやりたいこと全部事業でできる。

                                ただの夢が現実味を帯びて、私の未来に根付き始めた気がした。



                                意識の話でしかないけれど、

                                でも意識が変わったら現実も変わるんだなって———










                                私、今年度自治会で、副区長をやることになったんだ。

                                副区長をやることが決まったのはもう少し前の話なんだけど。


                                その後明らかになったの。

                                今年度から2年間、副区長のほかに会計も兼任で

                                さらにその後区長を2年間、

                                さらにさらにその後今度は顧問で2年間、

                                トータル6年間の任期だってことが。


                                副区長になったのは、選出会議での言い訳大会にイライラして挙手したからだけど

                                トータル任期6年って…そりゃ言い訳大会にもなると納得した。



                                しかも翌日自宅ポストに

                                『防災会の副会長も兼任です。よろしくお願いします』と

                                問答無用のお知らせも入ってるし


                                たまたま地元神社の年番とも重なって

                                蓋を開けてみればなんと来年度4役を担うことに。

                                ※しかも中学本部も決まってたのでトータル5役



                                とはいえ『面倒臭い』とかはあまりなく、

                                もし大変なら大変じゃないように工夫しながら

                                どうせやるなら楽しみながら6年間やろうと思ったのです。





                                …で、すでに選出会議の様子から、役員決めが大変そうなのは十分実感したし

                                そもそもみんなやりたくないから、こうやって負担が偏るんだろうなと思うと

                                なんだか大幅に改革したくなってきて。


                                区長も合わせて6年間も自治会に関われるんなら、私

                                伝説の区長になる勢いで頑張ろうかな!と思ったのです✨


                                だって私、子どもの頃の夢『偉人になりたい!』だったし。

                                自分の活動を通して『こんな世界が広がったらなぁ♪』と思い描いているイメージを

                                自治会から始めてみてもいいんじゃないかと✨

                                ※その後、2年後の区長が確定しているわけではないということを知りましたが

                                区長になってもならなくても、任期中は精一杯やりたいと思っています✨









                                私は地域に感謝してるのです。

                                地元の子ども会に参加できたおかげで、地域のありがたみを知ることができたから。


                                私は元々甘えるのが苦手で、

                                子育ても何もかも『自分でやらなきゃ!』と一人で抱え込んだ結果

                                適応障害になったことがありました。


                                唯一頼れたのは市の相談窓口で、

                                何度も匿名で電話しては、泣きながら話を聞いてもらっていた。



                                ずっとそうやって一人で肩肘張っていたのに、

                                子ども会はまるで違う世界だった。


                                “うちの子”とか“他の家の子”とか関係なく、息子とも当たり前のように遊んでくれるお父さんがいて

                                まるで親族のように息子を気にかけたり叱ってくれるお母さんがいて

                                “私一人”じゃなく“みんな”が息子を育ててくれて

                                最初はカルチャーショックだったけど、このあたたかさに私は本当に感動し救われたのです。



                                自治会も子ども会も、一見面倒臭く感じてしまうかもしれないけれど

                                きっと過去の私のように孤独を感じているお母さんがたくさんいる今、

                                抱えている手を広げて、地域や社会に委ねるっていうのも

                                安心感の一つになり得るのではないかなと思ったのです。





                                私自身、精神を病むほどに疲れていたのが

                                自分のために生き始めたら、毎日をこんなに元気に過ごせるようになった。


                                以前は何かや誰かのために生きることが、きっと美徳なのだと思っていて

                                だけどその美徳のために自らを抑えて我慢しては、結局“誰かや何かのせい”にしてた。


                                でもその我慢を思い切ってやめてみたら、なんだかどんどん楽しくなってきて

                                息子は単純に可愛いし、まわりのみんなにも感謝だし…って

                                嘘みたいにハッピーな気持ちになったのです。





                                痛ましいニュースや世界の現状を知るたびに

                                何もできない自分が悔しくて情けなくて仕方なかったけど

                                私がもしなにも“してあげられなくても”

                                一人一人が今より幸せを感じられたら、それだけで

                                世界も今より平和になるんじゃない?ってやっと気付いたの。



                                この日本でも、もしママたちの心が今より満たされたなら

                                それだけで間違いなく日本の幸福度は一気に上がる。


                                そうやってもし一人一人が“自分で勝手に幸せになれた”ら

                                日本の政治も絶対変わると思ったのです。


                                だって、自分で勝手に幸せを感じられるようになったら

                                誰かや何かに“幸せにしてもらうこと”を望まなくなる。

                                それは“国”に対しても同じように。


                                今は国民の不満解消で忙しい国の政治も

                                もしかしたら必要な国への経済支援とか、自然環境とか、動物の殺処分問題だったりと

                                本当は皆が願っている平和にベクトルが変わるかもしれないのです。



                                だからマザーテレサもこう言ったんだね。


                                「世界平和のためにできることですか?

                                家に帰ってあなたの家族を愛して下さい」

                                と。





                                でも過去の私はマザーテレサのこの言葉に抵抗を感じていた。

                                『家族を“愛さなきゃ”』に聞こえていたから。


                                当時パートナーシップがうまくいっていなかった私には

                                まるで自分が否定されているように感じてしまっていて。


                                まず家族を大切にしなきゃ、まず家族を思いやらなきゃダメなんだって

                                なのにそれが出来ず頑張りきれない自分に、苦しさを感じていました。





                                でも今になってやっとわかる。そういう意味じゃなかったってこと。


                                家族を大切に思う気持ちが満ち溢れたなら

                                それはまわりに広がっていく。


                                まるでシャンパンタワーのように

                                溢れたシャンパンがほかのグラスをも満たしていくんだ。





                                そのタワーの天辺に、マザーテレサが家族を置いたのかどうかはわからないけど

                                どうせ溢れるのならその天辺は自分でもいい。


                                溢れたものでまわりも満たすことができたなら

                                それってみんなあたたかくて幸せだよね。

                                枯渇を選ばなくても、みんなで満ちることもできるんだ。





                                今、自治会はきっと我慢の上に成り立っている。

                                “やりたくない役員”を仕方なく誰かが引き受けていくことで。


                                別にそれが悪いわけではないし、

                                『役員を引き受ける』と決めたのは最終的には引き受けた本人の意思。

                                私みたいに役員をそもそもそこまで負担に感じない人もいるだろうし、

                                このままでも別に問題はないのかもしれない。


                                だけど、試してみたいんだ。

                                みんなの“好き”や“得意”だけで成り立つような社会が、本当にあるのかどうかを。


                                出来ればやりたくない役員を引き受けるんじゃなくて

                                それぞれがやってもいいと思えることを担って運営できないかどうかを。





                                とはいえ、地域のことも自治会のことも全くわかっていないので、

                                地域の方の実際の声や、現状の自治会に関する知識も必要と考え

                                自分のメモ代わりにと自治会用のfbグループを作りました。

                                ※過去まで簡単に遡れるSNSはメモとしても本当に便利



                                だけどどうせfbグループ作るならと、

                                自治会や私の活動の様子が見れるように、公開してシェアすることにしました。


                                地域の方だけでなく、誰でも自由に見れるようにしようと。



                                もし自治会の改革がうまくいったら、模範したいと考える地域も出てくるかもしれないし、

                                その時に、どんな風に工夫してどんな風に改革していったかを

                                全部見れた方がいいだろうなと思ったのです。


                                それに窓口はオープンにしておいた方が

                                色んな情報も得られるかもしれない。(ほかの地域の成功例とか)





                                なんて色々考えていたら

                                なんだか政治家ごっこみたいに思えてきて。


                                グループの初期設定諸々、一段落ついた頃

                                ちょうど満月のタイミングであることに気付いたのです。



                                『私、実業家になりたいかも』と不意に思ったのが1日の新月で

                                半月後の満月には実業家っぽいこと始めてた。


                                まだ法人化もしてないし、実業家では全然ないけれど

                                でも意識が変わるだけで夢は現実味を帯びるし

                                現実もなんだか“それっぽく”なる。



                                だから名乗るのが先で、

                                自分を何者に設定するかが大事なんだね。





                                もともと息子が高校卒業したら引っ越すつもりだったけど

                                もし自治会でMAX6年任期を担ったら、ちょうどその引越しの時期になる。


                                この6年、自治会で色々実験をしながら

                                マヤ暦や占いでもっともっと優しい世界も実現して

                                引退馬の受け入れや保護猫・保護犬、珊瑚礁の活動など

                                やりたいこと全部事業でできるような母体を作りたい。


                                6年後坂戸市を後にするその時は、夢を叶えるための引越しになっているといいな。







                                「名乗るのが先」をめちゃくちゃ実感した話
                                「名乗るのが先」をめちゃくちゃ実感した話
                                新たな夢
                                2022/04/11

                                今朝急に、まるで種から一気に開花するように

                                内側からむくむくと力強く込み上げてくる思いがあった。


                                「みんなまとめて養えるようになりたい✨」


                                みんなというのは、大切な仲間のこと。

                                誰かが悩んだり困ったり立ち止まった時に

                                「大丈夫だよ♪最悪うちで雇うから♪」と

                                働き口や安心して寝泊まりできる場を、

                                いつでも簡単に差し出せる人になりたいと。





                                本音で生きるってけっこう怖い。


                                本当は何かを始めたくても、本当は何かを終わりにしたくても、

                                自分の人生で実際に決断したり挑戦したりするのは

                                思った以上に勇気がいる。



                                その怖いことの大きな一つが

                                やっぱりお金のことだと思うんだけど。


                                「最悪失敗してもyuuちゃんいるし」って

                                みんなの中で最後の砦的な安心感になれたら

                                その安心感から思いっきり自分の人生に挑戦できるんじゃないかって思ったの。



                                私としても大好きな仲間が

                                仕事面で力になってくれたらそれほど嬉しいことはないし、

                                まわりに自分らしく生き生きと人生を歩む仲間が

                                増えるのはとても楽しく幸せなこと。





                                そして、そんな新たな思いにワクワクしたあと

                                今日が開業記念日だということに気付きました。


                                3年前の今日、占い師として開業し、

                                4年目のはじまりの今日、また最高に楽しい夢を描けた。


                                埼玉県坂戸市でマヤ暦から始まった私の物語が

                                こんな広大な景色を描くようになるなんて

                                開業当初、予想もできなかった。


                                できる、できないはわからないけれど

                                この夢を抱けた今、とても満ち足りた気持ちです。





                                今日はいつもの仲間とホームパーティーの予定があったので

                                その場で新たな夢を語り合いました。


                                いつかきっと現実にするからね。

                                お互い最高の今を歩んでいこう✨





                                新たな夢
                                新たな夢